情報共有者

 17


 突然近藤から連絡が入ったのは、初田が出勤してまだ間もない頃だった。その内容と言うのは、智也の殺人事件に関する当時の状況を、今一度細かく話してほしいとのことだった。


 それは初田にとって願ってもないチャンスだった。仮にもしこれで犯人が久瑠であることを伝えれようものなら、初田の命どころか情報共有者も増える。

 今日は、夕方に光莉と遊ぶ以外で予定もなかったので、初田はその申し出を快く承諾した。


 それにしてもまた彼はこうして事件当時の話を聞いてくるあたり、余程学校の関係者の関与を疑っているのだろうか。ともあれこれで、光莉の真実を知る者も増える。


 そして時は何事もなく過ぎていき、近藤との約束の時間は訪れた。

 コンコンコンーー。午後二時頃、ノックの音が相談室に鳴り響いたので、初田は入口のドアを開ける。そこには以前と何ら変わりない、近藤の姿があった。中肉中背、顔もこれと言って特徴のない、言い方は悪いが平凡な中年男性だ。


「こんにちは、お待ちしておりました」

「いえいえ、こちらこそお時間をとっていただき、ありがとうございます」


 改まった様子で会釈をする近藤に、こちらも会釈を返した。彼とこうして顔を合わせるのは一ヶ月ぶりぐらいだろうか。謙虚な姿勢は前と変わらず好印象を与えてくる。


 出会い頭の挨拶を終えると、前回同様彼を相談室の奥へと入れた。この部屋で誰かをもてなすと言えば、あの場所以外他にない。

 彼を招き入れていてふと思ったが、今回はあの神崎と言う刑事は来ていないらしい。あの刑事も色々と喋り過ぎる男だったので、いないのは幸いと言ったところではあるが。


 確かあの人はストレートで飲むんだっけか。前に紅茶と茶菓子を出した際に、彼が砂糖とミルクを残していたことを思い出した。次に彼がここへ来た際には、紅茶の出し方も変えようと思っていたのだ。


 紅茶の煮出しを終えた初田は、ティーパックを引っこ抜いたコップを盆に乗せて、茶菓子と共に近藤の前に出した。とは言え彼が来たのがまず急だったこともあり、今日の茶菓子は残っていたクッキーだ。

 ちなみにクッキーの方も光莉がたくさん食べてしまっていたので、枚数的にも二枚と少なめだった。


「どうぞ」


 しかしそれに気づいたような素ぶりも見せず、近藤は相変わらずの畏まった会釈をした。


「ありがとうございます」


 彼が紅茶に口を付けたのを見計らって、初田も座敷に上がって腰を下ろした。そして一口紅茶を流し込んでから、改まって近藤に訊ねる。


「ところでなんでまた、事件の事情聴取なんかを?」


 確かに初田は、元より久瑠のことでまた近藤と話してみたいとは思っていた。だがそれとこれとは話が違う。これで数えて三度目となる事情聴取、やはり何か意図があることは明確であった。

 とは言え前と同じような事情聴取をされては、こちらとしても面倒なのでやめてもらいたい。あくまでも初田の目的は久瑠の暴露、前とは逆のこちらからの情報提供だった。


 しかし次の近藤の発言に、思わず初田は呼吸を止めてしまった。


「実はあなたよりも前に、智也くんの遺体を発見していたと言う女の子、立岩久瑠ちゃんについてお伺いしたいことがあってきたんです」

「久瑠ちゃん……ですか?」


 意外な展開だった。まさか彼は、すでに犯人として久瑠を疑い始めていたと言うのか。


「はい。単刀直入に言いますと、私は彼女のことを見落としていました。それも彼女が小学生だったから、そんな単純な理由です。智也くんの事件の捜査本部はもう、解散してしまいました。それでも私は、様々な方向から事件の可能性を考えてみようと思いましてね」

「はぁ」

「ですからどんなことでも構いません。久瑠ちゃんが普段学校でどのような生活を送っているのか、一体彼女がどんな子なのか、教えてはいただけませんか?」


 ここまで言われては、彼が久瑠のことまで疑っているのは明白だった。それも何の根拠もない状態からの推理、よくもまぁそんなデタラメで答えまで近づけたものだ。

 これも刑事の勘と言うやつなのだろう。もしかすると彼には、刑事としての才能があるのかもしれない。


「それは構いません。ですが……」

「ですが?」

「彼女のことを全て話しても、あなたには信じてもらえないかと思います」


 それは同時に、光莉やスメシンのことも指し示していた。ハヤスギの話だけではない、彼らの存在こそが初田にとって、不可思議そのものだったのだ。それはおそらく近藤も同じ、普通の人間であれば当然と言える。

 だが今の彼は違った。


「この世には不可思議と言うものが、それこそ星の数程存在します。そう考えてみれば、どんなことでもその内の一つなんだと納得できるような気がしますよ」


 あたかも近藤は、全てを把握しているかのような物言いをした。それも以前の彼からは感じられなかった、凄みすらも見え隠れしている。本当に彼は、この前会った彼なのか。

 今の彼であれば、話してみてもいいかもしれない。そう確信した初田は、可能性に賭けてみるような意気込みで、久瑠の真実を話し始めた。


「では単刀直入に言います。実は久瑠ちゃんこそが、あの笛口智也くんを殺害した犯人です。あの子は人間離れした身体能力を持っていました。それを用いて彼女は、智也くんを殺害したんです」

「やはりそうでしたか……」


 彼は久瑠を疑っていたのは、それなりの根拠があったからだろう。故に今の返答は、彼にとっての答えあわせのようなものだったのかもしれない。


「と言うことはつまり、あなたはすでにそのことを?」

「いえ。しかし彼女には何かがあるとは、色々と調べていく内にわかってきてはいました」

「するともしかして、ハヤスギのことも?」


 彼が微笑する。「まさかあなたまでハヤスギのことを知っていたとは」


 それはこちらとて同じ感想だ。どうりで初田の話を疑わなかったわけである。

 近藤はすでに、ハヤスギに不思議な力があることを掴んでいたのだ。そのためあの事件に非常識な憶測も含め、普通の者では考えつかないような結論へとも行き着いたのか。


 彼は初田の思っていたよりも、随分とやり手の男だったと言うわけらしい。見直すと言うよりかは寧ろ、初田の胸には賞賛の念が湧いてきた。彼は刑事として、誇りを持っていい。


「近藤さんは、どこでハヤスギの情報を?」


 無論ソースがなければ、そのような発想に至るのは難しい。一応彼の情報源も気になったので、訊ねた。すると近藤も、何か気難しげに頭を掻きながら答えた。


「捜査をしていく内にハヤスギの研究者なる者と出会いましてね。その方から色々と話を聞いたんです。ハヤスギの話だとか、カレントの話とか」

「カレント……。何ですか、それは?」


 カレントーー。それは初田も聞いたことのない言葉であった。


「おや、カレントは知らないんですか。まぁ別にハヤスギの秘密を知っている初田さんであれば、話してもうても構わんでしょうね。簡単に言うならば、カレントとは久瑠ちゃんのようなハヤスギの影響を受けた人間のことを指すんです」

「へぇー。随分と呼びやすい名前ですね、カレントって。次からは私もそう呼ぶことにしますよ」

「ははっ、ぜひそうして下さい」


 そう言うと二人は間を空けて、声を出して笑い始めた。

 確かにこれまで通りの呼び名である「ハヤスギの影響を受けた人間」は、何度も口に出すと言いづらいのが難点だった。そのため今回、こうして彼らの正式な総称を知ることをできたのは、会話をしていく上で非常に助かった。


「かく言う初田さんは、どこでハヤスギのことを知られたんですか?」


 先程の笑い話から一変、初田は言葉を詰まらせた。

 光莉のことを話すと言うことはつまり、彼女の正体も同時に明かすことを意味していたからだ。いざ話すとなるとやはり、光莉のことを裏切ってしまうような気がしてならなかった。


 しかしもし自分が殺されてしまえば、今度は誰が光莉のことを支えてやれるのか。

 そう考えてみると、状況をある程度理解できている近藤に話すことで、その不安も解消できるように思えた。

 それに彼は前々から光莉のことも疑っていたので、これを機に彼女の疑いを晴らすこともできる。


 考えた末に初田は光莉のためにも、そして自身の命のためにも近藤に全てを打ち明けることにした。


「船越光莉ちゃんから聞いたんです。ほらあの、智也くんからいじめを受けていた女の子です」

「ああ、あの色白で無愛想な女の子ですか」


「……やっぱりなぁ」続けざまに彼は、蚊の飛ぶような小さな声でポツリと呟いた。


 近藤が光莉とすでに会っているのは聞いていた。そして彼女が彼に対して、何かしらの警告をしていたと言うことも知っていた。おそらくそれが彼にとっての、事の真実へと辿り着くための手がかりとなったのであろう。


 しかしよくも、彼は光莉の警告の意味を信じて事件の解明を目指せたものだ。普通の人であればそのような子供の戯言、聞き流すに決まっている。近藤の勘の良さは、やはり本物だ。


「するとやはり、あの子もカレントなんですか?」

「どうなんでしょう。私もその辺のことは詳しくわかりません」


 正直、その辺のことは詳しくわからない。光莉が不思議な力を持っていることは紛れもない事実だが、それが確実にカレントの力だとも言えなかったからだ。

 神を具現化させる力。そんなもの、一概にハヤスギの力だとも思えなかった。


「でもあの子はあなたの思っているような、悪い子じゃないことも事実です。何せあの子は今も、カレントとやらの組織と戦っているんですからね」


 しかしこれだけは言い切れた。彼女は何も悪いことをしていない。それどころか寧ろ、カレントによる世界征服を防ぐために力を注いでいる。そんな彼女の真実を伝えられないで、何がスクールカウンセラーと言えようか。


「……ッ!?」さすがの近藤も、これには驚きのあまり裏声が出ていた。


「ど、どう言うことなんですか!? あの子がツリーフレンズと戦っている!?」


 彼の言い方から推測するに、組織の名前はツリーフレンズらしい。それにしてもハヤスギの友達、安直なネーミングである。光莉のあだ名であるコメットよりも捻りがない。

 とは言えここから先は、詳しく話した方がいいのかもしれないな。そう考えた初田は、このまま光莉の真実を話し始めた。


 それから初田は、光莉が組織に狙われている理由、そして彼女がスメシンと言う神の、依代よりしろとなっていることを伝えた。

 勿論付け足すような形で、自分も久瑠に狙われていることも言った。


 初めこそ信じられないとでも言わんばかりの表情をしていた彼だったが、話を聞いていく内に内容を理解してきたらしい。

 どうやら彼も、自分と同じように非現実的な話への耐性がついてしまっていたようである。


「まぁ、大体の話は理解できました。つまり光莉ちゃんがカレントとも違う力を持っているから、ツリーフレンズも彼女を狙っているってことですか。そしてその過程で智也くんが殺害された、そう言うわけですよね?」

「はい。にしても近藤さん、やっぱり頭の回転ですね。私なんてこの話、理解しきるのに丸一日考え込んじゃったのに」

「ははは。それでもまだ、信じられないことなんて山程ありますよ。この世界に神様がいたこと、その神様が殺されて、一人の少女を依代に現界した……。もはやハヤスギどころの話ではなくなってきましたからね」

「確かに。一人の女の子にそんな運命を背負わせてしまうなんて、全くあの神様も酷いお方です」

「全くですよ。しかし私も、光莉ちゃんには謝らなければなりません。何せ無実の彼女を私は、犯人なのではと疑っていたわけですし」


 それは初田にも言えることだった。彼が謝ると言うのであれば、こちらも彼女に謝罪するのが筋と言うものだろう。彼の誠実さには不思議と、こちらも突き動かされてしまうような責任感があった。


 校舎の玄関にて去り際、彼はこう言って初田の前を去っていった。


「本日もどうも、ありがとうございました。こちらとしても、組織のことは精一杯調べてみます。また何かありましたら、すぐにご連絡下さい。特に初田さんは、久瑠ちゃんからも命を狙われてるんですからね。まぁ私もカレントではありませんので、力になれるかはわかりませんけど」


 全く、最初に感じられた覇気はどこへ行ってしまったのか。

 最後の最後で締まりのないことを言うあたり、彼の頼りなさが際立った。やはり彼に対するイメージは、誠実過ぎて頼りない男に限る。


 それにいくら刑事に真実を話したからと言って、光莉への組織の襲撃が収まるわけではない。寧ろここからが正念場だと言えよう。

 初田はそのことを胸に留めつつ、柱時計の針を眺めた。そうこうしている内にも光莉との約束の時間は、刻一刻と近づいていた。


 18


「初田先生、いつもありがとうございます。おかげ様で最近の光莉、随分と楽しそうです」


 光莉の祖母はそう言って、初田のグラスにビールを注いだ。今日は客として来ていないにも関わらず、随分と気前がよいものだ。

 余程彼女は歓迎してくれているのだろうか。光莉の祖母の隣でも、祖父が初田のためにと寿司を握ってくれている。これで代金はいらないと言うのだから驚きだ。


 前回同様、店内に他の客は来ていない。そのこともあってか、今日の光莉は妙に落ち着きがなかった。こんなにテンションが高ぶっている彼女は珍しい。


「いいえ、私もコメットちゃんには色々と助けられてますから」


 例えば命とかねーー。とは言えないので、発言の続きは心の中だけで付け足しておいた。ついでに光莉も満面の笑みで見つめてきたので、彼女の頭を撫でて初田も微笑み返した。


「そうそう! アタシらはもう友達やねんから、お互い助け合うのは当たり前やで」


 自慢げに言う光莉の頭を、あたかも祖母は律するが如く叩いた。「もう」


「全くすいません、こんなに生意気な子で」

「とんでもない、私達が友達なのは事実ですから」

「そう言って下さると、なんだか私まで嬉しくなってきちゃいますよ。なぁお父さん」


 賑やかな三人を見て、光莉の祖父も口元にしわを寄せて笑みを作る。彼の笑顔を見ているとどこか、安心するような気がした。そんな優しい笑顔だった。


「まぁな。光莉がこうして笑ってくれたの、久しぶりやから」


 それはおそらく、本音に最も近い言葉だっただろう。光莉は半年に及ぶいじめを受けていた。故にそれと同等の時間、本当の笑顔も失っていたのだから。


 智也達は陰でいじめをしていたとは言え、それに気づかなかった自分も情けなく思えた。そんな自分には、本当に彼らから感謝の言葉を受け取る資格があるのだろうかと。

 だが過去のことを思い詰めていても仕方がないので、あくまでも前向きに考えることにした。

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