認めたくない劣等感

 加えてもう一つ、久瑠が犯した失態があった。それは自身の正体を知ってしまった初田を、生かしたままにしてしまったことである。

 当然彼女に自身の正体を知られた時、躊躇いなく殺そうとはした。だがそれを何者かが阻止してしまったのだ。そのために初田を手にかけることもできず、終いには逃げられてしまった。


 こんなことが藪林に知られてしまったら、とてもではないが腹をくくらねばならぬだろう。それも久瑠が藪林を避けている、要因の一つだった。


 とは言え初田が久瑠のことを言いふらそうとも、大抵の者はそれを信じない。ハヤスギには特別な力があるーー。こんな非現実的な話を根拠もなしに信じるなど、余程の変わり者以外ありえないからだ。

 だがこの現状を放置し続けるのも、久瑠の立場的には決まりが悪かった。そもそもの可能性を否定するよりも、可能性を仮定した上で対策に講じた方が安心できる。いっそのこと初田を殺してしまえば、余計な心配もなくなるだろう。


 であればより一層、光莉の不思議な力の正体を探らなければならなくなった。初田を殺して尚且つ光莉も捕らえる。もはやそこまでしなければ、今の久瑠は組織での名誉を挽回する術はない。


 久瑠は枕元に置いていたスマートフォンをとり、電源を入れた。その際画面に表示された不在着信に、思わず首を傾げる。

 基本久瑠は就寝する際に、通知音などで睡眠を妨げられないようスマートフォンの電源を切る。故に昨日もその例に漏れず、就寝する午後九時頃にはスマートフォンの電源を切っていた。


 しかしその間にも、この着信は記録されていたのだろう。現にこうして久瑠がスマートフォンの電源を入れた時、謎の不在着信が届いていた。


「どこの電話番号よ、これ」久瑠はかかってきた電話番号をまじまじと見つめた。

 よく見てみると、この番号の主もおおよその検討はついた。自分と同じ市の上番号、見覚えのある下の桁ーー。どうやらこの電話番号は、前に藪林から聞いていた敦の家の電話番号のようだ。


 このズル休みの間、久瑠は敦とも連絡をとっていなかった。それは彼に対する罪悪感からでもあった。

 彼の目標は他でもない、光莉への復讐だ。当然自分の手で光莉を殺さねば、彼の気も晴れることはない。

 しかし今の自分は、そんな敦の願いを潰えさせようとしている。彼とも顔を合わせられないのも無理はなかった。そのためつい最近まで続けていたランニングの毎日も、今ではすっかり途切れてしまっていた。


 勿論久瑠は、自分が光莉に挑んだことを敦に言っていない。だが光莉の捕獲作戦自体は、藪林の上司に当たる者の提案だ。それを背くことなど、立場の弱い久瑠には到底できなかった。

 とは言え、実際にそれを行動してしまったのは紛れもなく久瑠だ。そんな自分に今更、敦に顔を合わせる資格などない。彼女はそう考えてならなかった。


 ともあれ、敦もつくづく哀れな男である。彼は自分の弟を殺した犯人が、今も光莉であると信じて過ごしている。その真実が全て偽りで、弟を殺した真犯人がすぐ近くにいる、自分の体力作りを手伝っていた久瑠だとも知らずに。

 もし彼がその真実を知った時、果たして彼は現実を受け止めることはできるのだろうか。揺らぐ精神の中、久瑠は知らず知らずのうちに敦の身を案じていた。


 無論かつての久瑠であれば、彼の精神崩壊する様を見てみたいと思っただろう。しかし今の彼女は、そのような刺激はあまり好まなかった。

 もとい刺激が強過ぎると言うよりかは、彼が落胆する様子を見たくなかった、と言った方が正しいだろう。自分の本心が一体どこにあるのか、今の久瑠には見当もつかなかった。


 うじうじとこの画面を見ていても意味はないので、しばらくして画面のロックを解除した。そして次にタッチした電話を起動させると、その表示された連絡先一覧でまた手を止める。『藪林先生』の連絡先を見た途端、瞬時に彼と話す気が失せてしまったのだ。


 しかしこのまま待っていても、彼から連絡が来ることはまずないだろう。彼が無能な部下に思いやりをかけるなど、地球がひっくり返ってもありえない。故に諦めて、久瑠は藪林の番号に向けて発信した。

 プルルルルーー。聞き慣れた発信音が鳴り響いた後、彼の声は唐突に久瑠の耳へと入ってきた。


『全く、今君は私に連絡できるような状況じゃないだろう。君の失敗を隠蔽するのには苦労したよ。今まで何をしてたんだ?』


 ただでさえ暗く沈んでいた心に、追い討ちをかけるがごとく彼の言葉がぐさりと刺さった。今の彼からはいつもの少しふざけたようなニュアンスは一切感じられず、とことん真面目な叱責だった。

 しかし藪林の言葉が本当であれば、まだ彼は失態のことを上へ報告していないらしい。さしずめ、命令の日程をずらしたとでも言ったのだろう。いくら傘下の実力者トップが久瑠だからと言っても、そこまでするとはやはり彼も肝の座った男である。

 勿論度重なる失敗が続けば彼の立場も危うくなるとは言え、上司への虚偽の報告、そんなものは久瑠であっても絶対にできない。余程今回の作戦は彼の命運もかかっているのか。


 彼の言葉で自分の存在が、彼にとってどれだけ重要な存在であるかを実感した久瑠。すると次に彼女は、それを逆手にとって口を開いた。おそらく今の彼に、これしきのジョークは何ら問題もないだろう。


「療養ですよ療養。あんなもんの相手させられたんですから、もう一回ぐらいチャンスもらってもバチなんて当たりませんよ」

『まぁ一応、君も私の部下の中では一番の実力者だ。君を失うのは組織がどうこう以前に、私が困るしな。それに君は、仮にも私の教え子であるわけだからな』


 教え子を大切にする藪林の設定など、今の言葉でようやく思い出した。彼はよく敦のことは気にかけていたが、久瑠の扱いはそれはもうぞんざいだったからだ。

 今更そんな言葉をかけられても、これまでの彼の仕打ちを思えば大した情も湧かなかった。そりゃどうも、軽く返事をして久瑠はもう本題に入った。


「ところで藪林先生」

『何だ?』

「私、正直言って船越さんには負けないと思ってたんですよ。私ってカレントになった時期も早かったですし、その分身体の進素許容量も多いですからね。そりゃあ単純に、進素許容量が多いだけじゃ、強さの比較にならないこともわかってるんですが、それでもあの子には負けるはずないって思ってたんですよ。だって私、強いですもん」

『ふむ、それで?』


 彼が今のボケに突っ込んでこなかったのは少し寂しかったが、構わず話を続けた。


「でも私、あの子に負けたんです。それも一対二と言う状態で」

『どう言うことだ? 相手は船越光莉だけではなかったと言うのか?』

「いえ、厳密に言えば彼女は一人でした。ですが何て言うかその……。あの子、何か人間のようなものを召喚したんです」

『召喚だって!?』


 突然の彼の大声に、思わず買ったらスマートフォンを耳から遠ざけた。何もそこまで大声なぞ、電話越しにするようなものでもないだろう。

 顔をしかめながらも久瑠は再びスマートフォンを耳に当てた。まだ彼の大声のせいで、耳の奥でキーンと耳鳴りがしている。


「はい。それも何もない場所から突然、船越さんは謎の男を呼び出したんです。そんな能力、カレントにはありませんよね?」


 とうとう藪林は黙り込んでしまった。先程の驚き様と言い、彼は何か知っているのだろうか。ともかく彼から言葉を切り出して来るまでは、久瑠も口を閉じていることにした。


 光莉と戦ってみて一つ、久瑠にはわかったことがある。それは彼女が、光莉が単なるカレントではないと言うことだ。

 そもそも光莉の体の丈夫さは、並みのカレントの比ではなかった。と言うのも、久瑠の挨拶代わりに入れた蹴りを受けたにも関わらず、彼女は無傷で平然と立ち上がっていた。この時の蹴りには久瑠も、かなりの力を込めていたにも関わらずである。


 あの攻撃を並のカレントが受けていれば、例え進素の循環を全身に行なっていたとしても、ある程度のダメージは見込めた筈だ。これだけを見ても彼女が、並のカレントと比べて異質な存在であることは明らかだった。

 しかしそれ以外でも光莉には、単なるカレントとしては説明がつかない不可解な点があった。特にあのスメシンと言う男の存在が、何よりの証拠である。彼女は自分と全く異なる人間を、想像、具現化させたのだ。


 本来カレントには、あのような者を呼び出す術は持っていない。と言うよりかはむしろ、未知である進素の力を持ってしても、あんなものを生み出すことは不可能だろう。

 進素が人体に及ぼす作用は主に三つ。体力の向上、痛覚の緩和及び皮膚の硬化、そして自己治癒力の向上だ。それだけ光莉の謎の男を具現化させる能力は、上記のどれにも属さないイレギュラーな能力だった。


『うむ』どうやら言葉を整理し終えたらしい藪林は、ようやく続いていた沈黙に終止符を打った。


『噂には聞いたことがある。名は確かテンセイタイと言ったか。天より授かりし生と書いて天生体てんせいたいだ』

「天より授かりし生……」


 天生体ーー。それはカレントともまた違う、不思議な力を持った人間だとでも言うのだろうか。


『何でも彼らは、不思議な力を持った傀儡くぐつを具現化する力を持っていると聞く。君の言う話が本当なら、彼女がその天生体と言う可能性も十分にあるだろうな』


 光莉の具現化したスメシンと言う男が、天生体で言う不思議な力を持った傀儡に当たるすれば、確かに彼女が天生体である可能性は否定できない。と言うよりむしろ、今の説明ですでに光莉が天生体であることは確証した。ここまで話が合致しているのだ、確信しない方がおかしいと言える。


「だがそれもあくまで噂だけの存在だ。実際に私もそれを見たわけではないし、それを見た者も知らない。とは言えもし、光莉がその天生体だったとすればーー」


 久瑠は息を飲んだ。もはや彼の次の言葉には、おおよその予想がついていた。


「ーー何としてでも組織に引き入れたい人材ではあるな」

「ですよねー」


 藪林ならそんなことを言うだろうとは思っていた。カレントとも違う、また新たな人材である天生体。その未知の存在を、これから日々成長していく組織が欲さないわけがないからだ。


 あくまでもツリーフレンズの今の目的は、カレントによる日本全体の征服である。光莉がその目的を達成しうる力を持った人間だったとすれば、それを見逃す手はないだろう。

 どんな手を使ってでも目的を達成する、その理念が今の組織を動かしているのだから。


『これはのんびりしていられなくなってきたぞ。もし彼女が委員会の手に渡れば、我々の反乱も難しくなるやもしれん。何せ相手は君クラスでも、太刀打ちできなかった相手なんだからな』


 彼は電話越しでもわかる程焦燥しているらしい。しかし今の彼の発言には、久瑠も怒りを隠せなかった。

 自分の実力があのいじめられっ子に劣っている。そう思わせる言葉は、改めて考えてみると屈辱極まりなかった。故に久瑠は、声を荒げてまで今の言葉を撤回させようとした。


「勘違いしないで下さい。別に私は、あの子に完全に負けたわけじゃないんですから」

『まさか君の口から負け惜しみが聞けるとはな』

「負け惜しみじゃありません!」


 駅伝でも久瑠は一番だった。そしてカレントとなった今でも、実力的にトップクラスと言う点に置いては組織で引き継いでいる。この事実は久瑠にとって、マラソンを失った心を埋める大切なものだった。

 しかし先程からの会話は、それを貶しているようで悔しかった。いや、事実それは正しいのかもしれない。

 負けた者を嘲笑う、それは人間社会においても至極当然なことなのだ。自分が光莉に対して同じことをしていたように、智也に対して同じことをしたように、人生に負けたものを嘲笑うのと同じように。


「だって私、この前はあくまでも彼女の捕獲だけしか考えてなかったんですもん」


 自分の言いわけを正当化するためには、自分の失敗を晒すことが一番であった。


「それに自分の体一つで事足りると思ってましたから、あのディフェンスルーも持っていっていませんでしたし」


 光莉は確かに天生体であり、人材としてもカレントである久瑠よりも貴重だ。とは言えそれが、必ずしも実力に匹敵するとも限らない。あの日の戦いで、彼女から単体としての強さをあまり感じなかったのが良い証拠である。

 おそらく彼女の実力はあの傀儡を除いて仕舞えば、久瑠に優っている点など一つもないだろう。そう考えればあの二人の実力を足しても、今久瑠の目線の先にあるものを使えば敵ではなくなる。それ程ディフェンスルーと言う存在は、カレントの戦いにおいても重要なものだった。


『あのなぁ……』


 自分の主張はこれで言い終えたつもりだったのだが、藪林はさらなる失敗を聞いて尚更失望したらしい。その証拠に電話の向こうからは、それはもう大きな溜息が聞こえてきた。


『私は初めに言ったはずだろう、可能な限りの手は尽くせとな。田中君がそれを使ってやられたってのに……君はどれだけ自分の力を過信していたんだ』

「で、す、か、ら! 次は半殺しにしてでもあの子を捕獲しますよ。ですからもし目的が達成されたあかつきには、盛大に祝ってもらいますね」


 とうとう藪林は、呆れてものも言えなくなったようだ。だが構わず久瑠は、彼の反応を待たずして締めの言葉を言い放った。


「ではこれで失礼しまーす」

『ちょっとまて、いくらなーー』


 さすがの彼も、最後には何か言いたかったらしいが、このまま話していてもしょうがないので電話を切った。

 普段から彼のペースには乗せられたばかりだったので、今回ばかりは言い返せてすっきりした久瑠。おかげで溜まっていた鬱憤も、少しは晴れたような気がしていた。たまにはこうして、彼にこちらの立場を味わってもらうのも悪くない。


「光莉……明日こそお前をぶっ潰したる」


 遂行予定時刻は明日の午後六時頃。できれば今日にでも作戦を実行したい気分だったが、家の雰囲気的にそれは無理だろう。学校を休んで外に出ようものなら、非行を心底嫌う母の叱責が永遠と飛んでくる。

 とりあえず久瑠は、視線をディフェンスルーの入ったギターケースの方に向けた。その中に眠る刃をイメージするだけで、リベンジには十分すぎる程の闘志が満ち溢れた。

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