交流会には水餃子

 16


 餃子を茹でる電気鍋を囲うようにして、丸机の周りに座る三人……いや二人と人柱か。ともかく近々水餃子は作ろうと思っていたので、二人が手伝ってくれたのは助かった。おかげで餡と皮はなくなってしまったが。


 先程光莉の祖母にも連絡は済ませたので、帰りが少しばかり遅くなってもよいとのことだった。

 とは言え自分の命が狙われていることもあり、光莉には少しでも長い時間この家にいてほしいのが正直な感想だ。つくづく自分の勝手さには嫌気がさした。


「まだ茹であがらんの、先生」

「まぁだ。水餃子は上に浮き上がってきてからが食べ頃なの」

「うーん。ならまだまだかぁ……」


 そう言って光莉は腹をさすった。余程空腹で、餃子が茹で上がるのも待ち遠しいらしい。茶菓子を出した時にも思っていたのだが、彼女の食い意地は相当なものである。ここまで食い意地が張っていると、こちらとしても料理の作りがいがあると言うものだ。

 であればこう言った企画は、定期的にするのもいいかもしれない。最近の初田の食事は半額弁当ばかりだったので、栄養が調整できる手料理に切り替える良い機会であろう。


 餃子が茹で上がるまでにはまだ少し時間がある。その間に一つ、初田は気になっていることを解決しておきたかった。それはスメシンが、どのようにして実体を得ているのかと言うことだった。

 確かにそんなものを説明されても、結局は全てを理解できずに事は終わるだろう。しかし初田は、それでも気になることは聞いておきたい性分だった。それにもし、具現化の際に本体である光莉へ負担がかかるようであれば、ある程度の警告はしておきたかった。


「あのうスメシンさん」


 その何を考えているのかわからない顔は、こちらを向くや否や首を傾げた。「なんや?」


「ずっと気になってたんですけど、スメシンさんってどういった原理で具現化してるんですか?」

「そういやお前さんには言うてへんかったかいな。ワイはこいつの左目に宿っとる、シンガンっちゅうもんのおかげで具現化しとるんや」

「シンガン? 何ですか、それ」


 思った通り、彼からは意味不明なワードが飛び出てきた。


「神のまなこと書いて神眼や。元々それは神しか持ってあらへんもんやねんけどな、ワイが光莉に転生した時に、一緒にくっついてもたみたいなんや。神眼の力は持ち主の神か、その意識を持つもんにしか使えへんのにやで? わけわからんやろ、ハッハッハ」

「そ、そうですね、はは……」


 彼の勢いには、つい押されてしまう。それに初田が訊ねたのは、どう言った原理で彼が実体を得ているのかと言うことだ。だが今の彼の返答は、大きくその答えからは外れてしまっていた。

 無論これは自分から蒔いた種でもあるのだが、それでも彼の脱線した話を聞くのは疲れる。するとそのことを見ていて察したのか、光莉が初田に代わってスメシンを論じてくれた。


「ほら、先生困っとるやん。話の脱線も程々にしいや。先生が訊いとんのは神眼の使用条件じゃなくて、その能力やねんから」

「すまんすまん、つい熱がこもってもうたわ」


 ようやく事を理解したのか、スメシンは頭を掻いた。彼も彼で悪気はないようなので、そこまで初田も彼を咎めるつもりはない。寧ろ彼の人間性を知る、よい機会だったと考えるべきだ。これからは今の彼の言動も踏まえて、光莉と関わっていけばいい。


「神眼は簡単に言うと、無から有を生み出せる力があるんや」

「無から……有を?」

「おう。まぁ言うてもそれは、単なる物質の複写に過ぎへんけどな。要するに見本がのうたら複写もできへんっちゅうことや。ワイの具現化の場合やったら、光莉の体を構成しとる物質を複写、それを元に肉体を具現化しとるって感じやな」

「なるほど、そう言うことですか」


 非現実的な部分は一度置いておくとして、大まかな具現化のメカニズムはわかってきた。

 要するに光莉には神眼と言うものが備わっているが、それを使えるのは本来の持ち主であるスメシンだけ。神眼には物質を複写する力があるので、それを用いてスメシンは具現化している、と言ったところか。


 だが肝心なことがまだわかっていない。初田は少し強めの口調で、尚且つ声も大きくして訊ねた。こればっかりはスメシンにも、ふざけた回答をしてほしくなかった。


「でもあなたが具現化することによって、コメットちゃんに負担が掛かったりすることはないんですか?」


「まさか」当方のスメシンは、少し笑いを含んだ声で言った。


「まぁ目が多少なり疲れる以外は、光莉への負担はないで」

「よかった……」

「せやけど強いて言うなら、具現化した時に感覚を一つ共有しとるな」

「感覚……ですか?」

「おう。初田はん、それが何かわかるか?」


 考えてはみたが、当然答えなど出てくることはなかった。しばらく口を閉じていると、今度は黙り込んでいた光莉が声を出した。


「痛覚や」


 おそらく彼女は、その答えを言いたくてたまらなかったのだろう。子供が自分の知識を曝け出したいのは、世代が違えど本質的には変わらない。そう、子供の頃の初田と同じように。


「何で痛覚だけを共有しとるんかはワイにもわからへん。まぁ言うて具現化させた体もそれがなかったら動かへんわけやから、仕方ないっちゃあ仕方ないけどな。仮に皮膚感覚全部を共有してもうてたら、光莉の方に迷惑がかかってまうだけやし。そう考えたら、痛覚だけでよかったと思えへんか?」


 確かにスメシンの言う通りだ。光莉とスメシンとで皮膚感覚全てを共有させてしまうと、事あるごとに彼女は体感していない違和感を感じることにだろう。そんな違和感のある状態を繰り返していれば、いつしかスメシンが具現化を解除しても、体に違和感が残ってしまうことがあったかもしれない。


 なら痛覚の共有ってどんな感じなんだ。そう思って試しに、初田はスメシンの右足をつねってみた。


「イデッ!?」「うぎゃ!」


 ほぼ同時に響く二人の声。つねられた本人であるスメシンは声を荒げ、一方の光莉はピクンと体を震わせた。仕草こそ違えど、やはりその反応は同じタイミングだ。どうやら彼の言っていることは本当だったらしい。


「初田はん、何すんねん!」

「いやぁ、つねったらどんな感じに反応するのかなって思いまして」


 出来心を反省しつつ、初田は軽く頭を下げた。


「今そんなん考えたらわかるやろ! 全く、とんでもない女やな」

「すいません。コメットちゃんもごめんね」


 ついでに初田は、光莉にも謝っておいた。実際に彼女をつねったわけではないが、痛覚を共有している以上彼女にも痛みは伝わっている。故に痛みの加減がどうであれ、光莉には悪いことをしてしたのに変わりはなかった。

 光莉もその意思は汲み取ってくれたようで、別にいいよと優しく微笑んだ。それにつられて初田も、思わず安堵の笑みがこぼれた。


 だがこれで確信もできた。もし光莉がスメシンを具現化しての戦闘を行った場合、間違いなくこの作用がデメリットになるだろう。

 今の反応が何よりの証拠だ。スメシンがつねられて、その痛みが光莉にも伝わる。そんなものはあくまでも、単なる日常的な痛みに過ぎないのだ。逆に言えばそれだけ、戦闘で受けたダメージも遜色なく彼女へと伝わることも意味していた。例えそれが、どのような度合いの痛みであっても。


 しかし結局はその判断も、全て光莉本人が決めることだ。そして彼女は、おそらくその事実を理解した上でスメシンを具現化させている。

 彼女が不思議な力を持っている以上、それを狙う者達との戦いは避けられない。その対抗手段として彼女は、スメシンの具現化を選んだのだ。


 これらのことを踏まえると、初田にはスクールカウンセラーの立場以前に、彼女を叱ることはできなかった。もっと自分の命を大切にしなさいなどと言おうものなら、それこそ彼女の決意を侮辱しているに等しい。


 元より彼女は、己の力が悪者に渡らないよう人知れず戦っている。まずはそのことを念頭におきながら、彼女の気持ちを理解してやることが大切ではないだろうか。

 そう言った考えから、初田は口を開かず黙々と餃子を見つめた。余計な口は挟まない方が、今の二人のためだと思った。


 そうこうしている内に、だんだんと餃子の群れが浮き上がってきた。どうやら最初に入れていた餃子が茹で上がったらしい。思っていたよりも遅めの茹で上がりには、湯温を少し低めに設定していたことが響いたようだ。

 熱さで火傷しないようにと配慮したつもりだったが、返ってそれが茹で上がりを遅くしてしまったのだろう。そのため空腹の限界を迎えていたらしい光莉は、あたかもおもちゃを買ってもらった子供のように、餃子の茹で上がりを喜んだ。

 空腹は最大の調味料。一体その言葉は今の彼女にとって、どのような意味を成すのだろうか。


「ほらコメットちゃん、スメシンさん、餃子が茹で上がってきたよ」

「うわっ! おいしそう!」

「おお、結構上手いことできとるやんけ」


 できあがったのなら早速実食だ。初田はアク取りで餃子をすくい上げると、まずはウズウズと貧乏ゆすりまでしている光莉の皿へと入れてやった。しかし彼女は皆の皿に餃子が入れ終わる前に、迷わず箸で餃子を摘んで言った。


「いただきまーす!」

「えっ、あっ、はい、どう……」


 初田が返事を言い終わる前に、湯気の立つ餃子は彼女の口へと運ばれていった。そして満面の笑みで、光莉は餃子を咀嚼した。

 だがいきなり熱を持った餃子を口に放り込んだので、少しばかり熱かったらしい。熱さで口をホクホクと動かす様は、見ていてどこかほころんだ。


「熱い! けどおいしい!」

「よかった。まだまだたくさんあるから、いっぱい食べてってね」

「うん!」


 すると瞬く間に、光莉は次の餃子へと手をかけた。このままのペースで行くとおそらく、大半の餃子が彼女によって食い尽くされてしまう。そうなる前に初田も餃子を食べなければならない。おちおち餃子の味を味わってもいられなさそうだ。

 次の餃子を投下しつつも初田は、合間を縫って餃子を口に入れた。


「ああ、おいしい」


 口の中に広がる肉汁と共に、野菜の甘い風味が鼻を通り抜ける。やはり手作りの水餃子は、自身の望むような具の加減ができるので最高だ。

 今回の餃子は店で出るようなものと違い、具に白菜を採用していた。白菜を入れると少々水っぽくはなるのだが、その分甘みもグンと増すからだ。加えて水餃子ならではの皮のもっちり感も、食感の楽しさを際立ててくれる。


 光莉がこの場でいるので控えるよう心がけてはいたが、次第にビールが欲しくなってきた初田。普段から酒を飲むことが習慣付いていたので、ここいらが我慢の限界だった。


「ごめんコメットちゃん、先生お酒飲んでもいい?」

「ええよ、そんなん気にせんといて。それにアタシ、先生が酒飲みなんは前から知っとるから」


 それが光莉の祖母からの告げ口であることは、間を空けずともすぐに理解できた。全く、彼女も余計なことを言ってくれたものである。これではスクールカウンセラーと言う面目が保てないだろう。


「そ、そう……。じゃあ先生、お酒飲むね」

「どうぞどうぞ」


 しかしそのおかげで、これから初田は気兼ねなく酒が飲めるのだ。そう言う意味では光莉の祖母にも、感謝しておかなければならない。

 光莉の了承も得たところで、早速初田は冷蔵庫へとビールを取りにいこうとした。だがその際にふと隣のスメシンの皿を見てみると、取り分として入れた餃子の数が減っていないことに気づいた。

 何か食べられない理由でもあるのだろうか。不安に思った初田は、一旦冷蔵庫へと向かう足を止めて問いかけた。


「もしかしてスメシンさん、餃子苦手でした?」


 だとすると彼には、相当悪いことをしてしまった。こちらから強引に誘ったこともあるので、向こうも向こうで断りにくかった節もあるだろう。スクールカウンセラーともあろう者が、相手の心境を理解できないとはとんだ失態である。無論神に好き嫌いがあるとは、初田も思っていなかったが。

 するとスメシンはそれを否定するように、両手を前で大きく振った。「いやいや、そんなことはないで!」


「じゃあまたどうして……」

「ワイの体ってその……単に神眼で具現化した模造品に過ぎひんからな。もし具現化が解けた時、神眼で作ってへん餃子はそのまま残ってまうんや。そんなんせっかく作った餃子やのに、胃の中に収まらへんのはみんな嫌やろ?」


 なるほど、説明を聞いて納得した。つまり神眼で作り出した物質以外は、彼が消える際にその場に留まってしまうと言うことか。そう解釈であれば彼の言っていることも、大方理解はできた。

 彼も彼なりに色々と考えているのだろう。無理に気を使わせてしまったことに、なんだか初田は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。


「そう言うことやから、せっかくやけど餃子は二人で食べてくれや」


 だがそれでは、三人で一緒になって餃子を作った意味がない。みんなで作ったものを、みんなで食べて親睦しんぼくを深める。それが初田の本来の目的だったからだ。

 何とかならないものか、色々と考えた末に初田は決心した。


「大丈夫ですよスメシンさん。気にせず餃子、食べて下さい」

「せ、せやけど……」


 顔こそ見えないが、謙遜している様子のスメシン。そんなスメシンに初田は肩を二度叩いた。


「いいですよ、餃子が出てきちゃうぐらい。みんなで作ったものをみんなで食べる、それだけで意味があるんですからね。一度スメシンさんの口の中に入るだけで、私はもう十分です」


 それに彼の具現化が解けて、未消化の餃子がその場に残ってしまったとしても、単にそれを拭けばいい話である。そんなことを一々気にしていては、二日酔いなどできやしない。

 とにかく初田は、スメシンにもこの餃子を味わってほしかった。ついでに言うと、スメシンの素顔も見てみたかった。


「そこまで言うんやったら……遠慮なく、食べさせてもらうわ」

「そうこなくっちゃ!」


 ようやく吹っ切れてくれたスメシンは、頭の後ろにくくっていた包帯を解き始めた。いよいよ彼の素顔を拝む時がやってくる。


 すると今度は、あれだけ食べていた光莉の手も止まっていた。彼女が食べる手を止めていると、つい不安になってしまう。


「ほら、コメットちゃんも手が止まってるよ。ちゃんと食べなきゃ」

「だってもう、食べれるやつないもん」

「へっ?」


 すぐさま鍋の方を覗き込むと、先程まで浮き上がっていたはずの餃子全てが、まだ皮も透けていない沈んだ餃子になっていた。どうやら光莉が全て餃子を食べてしまい、新しく投下し直したらしい。


「ほんとだ……いつの間に」


 全く、彼女の食いっぷりには毎度驚かされる。とは言え彼女も成長期なので、たくさん食べるのも無理はないのかもしれない。

 子供との食事など、未婚の初田にはまだ縁のないものかと思えていたが、何があるかわからないのもまた人生か。光莉といると知らないことがもっと見えてくる、そんな気がした。


「じゃあまた茹で上がるまで、もうちょっと待ちましょうか」


 今度こそ鍋の湯温を最大にしよう。先の失敗から得たことを活かして、初田は電気鍋の設定温度を強火にした。

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