彼女の支えに

「ハヤスギは知っとる?」

「ええ、まぁ……」


 加えて一般常識レベルなら、とも断っておく。


「実はあれな、人を丈夫にしたり身体能力を上げたりする効力があんねん」

「へぇ、そうなの?」


 もはやその程度のことでは、初田も驚かないようになってきてしまった。それぐらいに光莉達の会話は異常で、信じがたい内容だった。今さらそれが一つや二つ増えたところで、異常であることに変わりはない。


「元々あれはハヤスギは神の住む世界にあったもんなんや。せやけど今はどう言うわけか、このオ……世界にも生えてもうとる。その原因を探るためにもワイは、はようシンセカイへ戻らんと……」

「もう、それはスメシンの目的やろ! 今は久瑠ちゃんとかの話しとうねん、変に話逸らすな」

「へいへい。えろうすんまへんな」


 何だ、この夫婦漫才のようなものは。目の前の少女と男の会話の光景を見て初田は、一瞬だが自分がこの場にいてもいいのかと思ってしまった。

 例え彼女には自分がいなくとも、こうしてスメシンがいてくれる。であれば彼女にとっての自分の存在意義は、一体どこにあるのだろうか。初田は迷った。自分以外にも光莉には、いつの間にか心を許せる存在ができていたのだから。

 そんなことを考えている内にも、話は初田を置いて核心へと進んでいった。


「そんで久瑠ちゃんは、そのハヤスギの力の影響を受けた人間やってこと。まぁアタシは、厳密に言うとハヤスギの影響は受けてないんやけどな。スメシンの神様としての力を、あくまでもわけてもらっとるだけやから」

「ま、まぁ……。今は先生、二人の本質が違うってことだけを理解しとくわ」


 深く考え過ぎても、結局は頭の容量をパンクさせるだけである。ともかく今この話は、理解よりもまず聞くことに専念した方が良さそうだ。初田は割り切って、次なる疑問を光莉に投げかけた。


「じゃあ、コメットちゃんはなんで久瑠さんと出会ったの? 勿論、初めて会ったとか言う意味じゃなくて、似た力を持つ者同士としてって意味で」

「それも説明すると、長くなるなぁ」


 そんな言い方されても、気になることは気になる。


「いいから、いいから」

「うん、わかった。先生は、五年二組の教室の黒板に穴が開けられたん、憶えとるやろ?」

「ええっ……ああ、うん」


 あの時の教師達の慌てようと言ったらもう、今でも忘れることはない。彼らは事の重大さを理解した途端、急いで何か警察へと連絡した。そしてもしもの時のためにと、全校生徒達も一斉下校させた。

 ついでに言えば下校時も地区ごとに教師が一人以上付き、生徒達の安全にもかなり配慮していたのを憶えている。それ程までにあの時は、深刻な事態だった。


「確かコメットちゃんがカウンセリングに来てから、しばらくしてからの話だったわよね」


 すると光莉は急に、顔を下へと向けてしまった。さらにはスメシンも表情こそ見えないが、どこかモジモジとした様子だ。二人して何を恥ずかしがっているのだろうか。


「二人共、どうしたの?」

「実を言うとな……。アレ、やったんアタシらやねん」

「え……ええええっ!?」


 大げさに声は大きくしたものの、心の奥底では薄々そんな気がしていた。だが実際に本人の口から聞かされるとなると、やはり驚きは隠せなかった。

 黒板に穴が空いた話題など、日に換算すれば一ヶ月程前のことだ。それを今さらになって彼女が掘り返してきたのだから、必然的に関連性を疑ってしまうのも無理はない。


「初めて先生がカウンセリングしてくれた時、正直言ってアタシ、先生のこと信用できてなかってん」

「えっ、そうなの?」

「うん。ごめんな」


 随分と彼女もストレートに言ってくれるものだ。とは言えそれは、初田がカウンセラーとして未熟だった証拠でもある。思ったことをすんなりと言ってくれる彼女は、これからのカウンセラー活動の改善点を指摘してくれただけありがたかった。

 しかし当時の自分は、そんなにも頼りなく見えていたのだろうか。まだ年齢は二十代半ばなので、それは彼女の祖父母に比べられるとそう思われるのも、無理はないのかもしれないが。


「それからアタシは、色々あってスメシンと出会った。スメシンは出会って早々、こんなこと言ってきてん。黒板でもぶん殴って智也くん達に、力関係っちゅうもんを見せつけてやらなあかんって」

「そう……なんだ」

「スメシンには触れた物を硬くする能力があってな。まぁ具現化が解けたら、二分程で元に戻ってまうんやけど。その力のおかげで、黒板には簡単に穴を空けれたわ」


 物を硬くする力。すると昨日、それで光莉は久瑠の攻撃を受けても無傷で済んだのか。それも、鉄柱をも曲げるあの久瑠の拳を。

 どうやら知らず識らずの内に二人の戦いは、人智の及ばぬ次元まで、進んでしまっていたらしい。


「せやせや」どこか誇らしげな口調で、スメシンも腕を組んだ。


「ワイも、光莉へのいじめの悪質さは目に余っとったんや。せやからあんなもん、解決するんは力の上下関係を見せつけてやる方が手っ取り早いと思ってな。まぁ結果的にいじめもそれで止んだし、オーライっちゃう?」


 なんとも前時代的な考え方だ。しかし言われてみれば、彼の言っていることも間違いではないことがわかった。

 現代の子供の多くは、消極的な考えを持っている。そのためいざ自分へのいじめが始まってしまうと、その現状を受け入れてしまうのだ。それらのことを考慮すると、自分から現状を打破するべく動いた光莉は、ある意味で勇気のある子供だった。何せこうして、大人である初田を頼ってくれたのだから。


「勿論、学校のものを壊したんは悪いとは思っとるで。やけどそん時のアタシらには、それぐらいしか解決策は思い浮かばんかってん。もしそれを悪く言うんやったら……素直に謝るわ」


 先程までの照れくさそうな表情から一転、光莉は沈んだ表情で頭を下げた。一方のスメシンも光莉を見習って、軽くではあるが同じ仕草をした。


「ごめんなさい」

「ワイからもお願いや。光莉を許してやってくれ」


 自分にそんなこと言われてもなぁ……。二人の謝罪の様を見せつけられて、すかさず返す言葉を探した。そもそも初田は教師でもないし、ましてや美濃小学校専属のカウンセラーでもない。故にこうして学校への謝罪を生徒から投げかけられても、どう返せば良いのかわからなかった。

 しかし事がどうであれ、結果的にはそれでいじめが根絶できたのだから、それに越したことはないだろう。一人の子供の心と学校の黒板、両者を天秤にかけるなら、迷わず初田も前者を選ぶ。


「大丈夫よ。コメットちゃんの気持ちは私もよくわかってる。今のことは私も、他言無用を心掛けるつもりよ」

「ほんま?」

「うん。だからコメットちゃんも、今は現状説明のことを考えてくれればいいわ」


 一呼吸置いてから光莉は言った。「ありがと、先生」

 次第に彼女の表情は、晴れやかな色を浮かべていった。おそらく彼女は黒板破損の件で、相当自分を責めていたのだろう。変なところが心配性なのは、彼女の悪い性格だ。

 となると光莉の気持ちを汲み取りきれていなかったスメシンは、まだ信頼関係で言えば未熟なのかもしれない。どうやら初田と役割を交代するには、まだまだ時期が早いようだ。嬉しいような悲しいような、何とも言えない心情が胸に押し寄せた。


「でな、その光景を生徒ら以外で見とったやつがおったんよ」

「それが、久瑠さんだったってこと?」

「ううん。ちょっと違う」


 じゃあ一体誰が。答えを連想させようとした次の瞬間、初田の脳裏にある名前が過った。その名前は昨日、二人の会話で不可解な出方をしていた男の名前だった。


「五年一組の担任、藪林先生か……」

「その通り。やっぱ先生、昨日の話は大体聞いとったんやな」

「ええ。今思えば少し、後悔してるんだけどね……」


 この後悔は昨日の時点でどうすることもできなかった。であれば聞いてしまったと言う事実を、受け止めるしか道はないだろう。勿論初田も、それは十分承知の上だ。


「最初はアタシも、しらを切るつもりやってん。やけどあいつ、どうやらハヤスギの力を持った人達で作った組織のもんやったらしくてな。アタシが穴開けた黒板見た瞬間、それに勧誘してきたんよ」


 なるほど、だから昨日この子は彼女に組織への勧誘をされていたのか。次第に繋がっていく話の辻褄は、昨日の出来事の理解をより一層深めていった。


「ちなみにそれは、どんな目的の組織だったの?」

「藪林曰く、ハヤスギがいっぱい生えとる日本を乗っ取ることが目標らしいわ」

「乗っ取る!? 日本を!?」


 またも物騒なワードに、思わず目を丸くする。

 初めは光莉の言う組織が、名前からしてハヤスギの影響を受けた者達を支援する、慈善団体か何かかとも思った。しかし組織に加入しているらしい久瑠の様子を見ても、光莉が嘘を言っていないことは理解できる。だとすると光莉は、それはもうとんでもない組織に目をつけられたようだ。


「でもな! アタシは断ってんで! あんたらのような悪者わるもんに、絶対に手ぇなんか貸さへんからなってな。やけどあいつは……あいつらはッ!」


 急に光莉の呼吸が荒くなっていった。それはとても、次の言葉を話せるような様子ではなかった。まさに過呼吸の状態である。普段は色白い顔色も、この時に限っては興奮故に真っ赤になっていた。

 すかさず初田は光莉に駆け寄り、背中をさすって宥める。「ど、どうしたのコメットちゃん」


「あいつら組織は光莉の望みを叶えるとか言うてな。あろうことか智也っちゅう子を殺してもたんや」


 過呼吸を起こした光莉に変わって、今度はスメシンが話の続きをかって出た。


「自分達が並の人間とは格が違うってことを、光莉に見せつけるためにな」

「で、それを実行したってのが……あの久瑠さんってわけね」


 光莉は何も言わず頷いた。そして彼女の目を見て確信する。やはり嘘を言っていない。

 しかしこれが真実だとすると、あの時の久瑠の泣き顔も全て演技だったのだろうか。自身が殺して、自身が第一発見者として名乗り出る。そんなことをあの小さな少女が考えたというのだろうか。

 突然感じられた悪寒から、つい身震いした。


 しばらくして呼吸が落ち着いてくると、光莉はもう大丈夫だと言った。顔色も普段通りのものに近くなってきたので、まんざらでもないらしい。

 こちらが元の椅子に戻ると、光莉は何事もなかったかのように話を続けた。


「それでもアタシは、藪林の勧誘を断り続けた。するとちょっと前から、アタシを捕まえるために藪林が手下を送り込んでくるようになってん。多分アタシが組織のことを知ってもた以上、何としても向こうは引き入れたくなったんやろな」


 現状でこれなら、もし彼女が神の力を持つことを知れば……。その組織がどんな反応をするかなど想像もつかない。


「最近、美濃市で傷だらけの男が自殺したって話は知っとるやんか。実はあれも、アタシに送り込まれた藪林の手下の一人やねん」


 それには初田も心当たりがある。


「確か田中って人だったよね。だから昨日、あなた達はその人を殺したとか殺してないとかの話をしてたんだ」

「そう言うこと。あいつらの組織は、あくまでも秘密組織やしな」


 組織の証拠を隠蔽するためにも、敗者は自害しなければならない。そんなキチガイじみた制約をつけられても尚、組織の使者として光莉を襲う。そんなことまでして願う日本征服は、そんなに魅力的なものなのだろうか。正直一般人である初田には、理解しがたい話であった。


 ともあれこれらのことを踏まえると、光莉が最初に言ったことも理解できる。彼女がここに来た目的、その全てを。


「コメットちゃんの言いたいことはよぉくわかったわ。要するに久瑠ちゃんが組織の一員であることを知った私は、組織のターゲットとして見られてるってことだよね。そしてそれを阻止するためにコメットちゃんは今、私を守ろうとしてくれてる」

「ほんま、余計やことに巻き込んでもてごめんなさい。先生、何にも悪くないのに」


 次第に光莉の声が潤んできていた。だいぶ安定してきていた彼女の顔色も、また赤く腫らして涙の準備までしている。

 やはりこの子は心配性だ。光莉の性格を再認識する。つまらないことを心配し過ぎて、大切なものが見えていない。だからこそ彼女には、これ以上余計な心配をかけられないのだと。


 初田は机に残っていたクッキーの袋を手に取った。


「だけど大の大人の私が、子供のコメットちゃんに守ってもらうなんて恥ずかしいよ」

「で、でも……」


 次の言葉は予測できていた。どうせまた、こちらの身の危険が自分の責任であることを示す言葉だろう。

 すかさず初田は手に取っていた袋を開けて、その中身を光莉の口元へと近づけた。彼女の口は唇を噛みしめるが如く閉じていたが、それでも強引にクッキーをねじ込む。


「うむっ!?」

「自分の身ぐらい、自分で守れるわ。だけどあなたがどうしてもって言うならーー」


 正直、命が狙われているのに怖くないわけがない。今からでも耳を塞いで、どこか安全な場所に逃げ出したいぐらいだ。しかしそんなことをしてしまっては、今の光莉の心を休まる場所がなくなることもわかっていた。


 一人孤独に戦っていた彼女を、これから支える人物。勿論スメシンも、それになるための努力はしているだろうが、同じ人間だからこそ話し合えることもある。そんな彼女のアフターケアもろくにできないくせに、何がスクールカウンセラーと言えようか。

 初田は決心した。例え自分の身に危険が迫っていようとも、祖父母に相談できないようなことがあっても、自分が相談相手になってやろうと。


「ーー私の家を教えてあげる。だから好きな時に、いつでも遊びにいらっしゃい」

「せ、先生……!」


 光莉は机に蹲り、顔を組んだ腕に埋めた。彼女の泣き声は、腕の隙間からでも十分に聞こえてくる。一体どこまで彼女は、宿命を背負い、溜め込んできたのだろうか。

 これからは彼女が泣くことのないように、きっちりと彼女を支えていかなければならない。そのためにもまず、二人との交流をもっと深めることが大切だ。


 初田は自身の家の冷蔵庫の中身を思い返し、何か使えるものがないかと模索した。そして考えつく。いつかつまみとして作ろうと思っていた、餃子の具材と包む皮。


「じゃあ早速今日、先生の家で餃子パーティでもしようか。勿論、スメシンさんも一緒にね」

「ワ、ワイもかいな!?」

「当ったり前じゃない! 餃子はみんなで作った方が、いっぱいできるし楽しいんだから」

「一応ワイ、神様なんやけどなぁ……」


 その表情は顔の包帯のせいで見えないが、それでも口調はどこか昂ぶっていた。どうやら彼も彼で、決して悪い人ではないようである。しかし光莉の相棒なのだから、当然と言えば当然か。


「じゃあコメットちゃん。先生五時が退勤時刻だから、もう少しここで待っててね。それが終わり次第、私の車で家まで行こっか」

「やったぁ! 先生の車乗るの、アタシ初めて!」


 機嫌もだんだんと戻ってきた様子の光莉。するとスメシンは突然、片手で軽く略礼りゃくれいしながら言った。


「ならワイは一旦、この辺で消えさせてもらうわ。餃子作りん時になったら、また呼んでくれや」


 どこかに出かけでもするのか。そんなことを考えていると次の瞬間、スメシンは黒い粉を周囲に撒き散らして姿を消した。それも息を吹きかけて宙を舞う、小麦粉の類のように。

 全く、彼がどう言った原理で現れたり消えたりしているのかは理解に苦しむ。とは言え彼も神なので、これしきのことに悩んでいてもキリがないだろう。


「き、消えた……」

「スメシンが実体化すんのって、結構エネルギーを消費するらしいねん。やから何にもない時は、こうやってちょっとでもエネルギーの節約しとるってわけ」

「そ、そうなの。あはは……」


 それにしても消えたい時に消えられる能力とは、便利なものである。ちょっと羨ましいかもな。自分には遠く及ばないような存在である神に、初田は少しばかり嫉妬した。


 スメシンがいなくなり、光莉と二人きりになった空間。現時刻は午後四時半、退勤時間まであと半時間はある。

 この間が嫌だった様子の光莉は、すぐに初田へ暇つぶしの提案を持ちかけてきた。


「先生、五時まで絵しりとりせえへん?」


 絵しりとりとはまた古風な遊びである。しかしこう言った他愛もない遊びの機会も、友達のいない彼女にとっては必要なものなのかもしれない。故に初田は拒まず、カバンに入れていたボールペンと不要なプリントとを用意して、光莉の方へと寄せた。


「いいわよ、受けて立とうじゃない」


 ちなみにあえてシャーペンではなく、ボールペンを取り出した理由は描き直しを封じるためである。こっそりと初田は、一度描き始めれば描き直しが不可能なルールを仕組んだ。


「ならまず、言い出しっぺのコメットちゃんが先行ね」

「うん! ええっと……始めはしりとりのリだから……」


 そんな魂胆も知らずに、光莉は夢中になって紙に絵を描き始めた。その姿はまさしく、彼女の同世代の少女のそれだった。

 彼女は神の意識が共存していること以外は、普通の少女なのである。それを今の今まで忘れてしまっていた自分に、少しばかり嫌悪した。

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