狙われた命
そして久瑠の足は、見事に光莉の顔面に直撃した。吹き飛ばされる光莉。その顔を見ることは恐ろしくてできなかった。
「コメットちゃん!」
だが初田は反射的に立ち上がった。そして声を上げて、久瑠の背後まで迫る。
光莉の命の危機。これは見過ごすわけにもいかなかった。自分の命を天秤にかけてでも彼女は、救わなければならないと思った。今の初田には、その勇気と覚悟があった。何せ光莉は自分がカウンセリングで笑顔にできた、大切な生徒の一人なのだから。
「だ、誰!?」
突然の現れた初田の姿に、振り向いた久瑠がたじろぐ。
「わ、私よ、初田先生よ」
威勢良く言ったつもりが、若干声がふるえてしまった。これでは威厳もくそもない。
「初田先生!? いつからそこにいたんですか?」
白々しく久瑠が驚いたような声で言った。先程まで光莉に向けていたそのナメくさったような眼光は、初田に向けた途端に消え失せた。
こいつ、根っからのクズだな。これまで彼女の本性を見抜けなかった自分が、次第に情けなく思えてきた。
「いつからって……始めからよ。あなたコメ……いいえ、光莉ちゃんになんてことするの。それに何、智也くんを殺したのはその……あなただって本当なの?」
話している内に、久瑠の表情がだんだんと歪んでいく。しかし彼女は、あくまでも口を開かずに優等生のふりを続けるらしい。これにはさすがの初田も、大声を出して叱責した。
「久瑠さん答えて! あなたは一体何なのよ!」
「無駄やで……」
溜息を吐くような声を漏らしながら、久瑠の背後でうつ伏せになっていた光莉が、よろよろと立ち上がった。彼女の顔には多少の砂埃は付いていたが、それでも目立った外傷と言うものは見当たらない。あの威力の拳を食らっても尚、彼女は怪我をしていないのか。
「コメットちゃん、大丈夫なの!?」
駆け寄ろうとする初田を、彼女は左手で制止した。それはまるで、構うなとでも言っているようだった。
「あらかじめ硬化させといてよかったわ。久瑠ちゃんはな、人間としての感情が欠如してもうとるねん。先生の言葉なんか、久瑠ちゃんにはちっとも響かへんで」
「フフフ……アハハハハハッ!」
すると突然、久瑠は声を上げて笑い始めた。
「何が……おかしいの?」
「いやぁな、もういい子ちゃんを演じるのはやめようと思ってん。だって今初田先生にいい子ちゃん演じたところで、結局殺してまうんやからな」
「は、はぁ?」
「だって考えてみて? 今更口封じに初田先生を殺しても、私が殺人を犯したことに変わりはないんやで。なら一人二人追加で殺してもても、結果的には変わらへんやん」
狂っている。どうなれば小学生で、ここまでの思考に行き着くのだろうか。初田にはある種の悟りを開いてしまっている彼女を、救う術などが思い浮かばなかった。カウンセリングがどうこう以前に、彼女には人間の道徳心なるものが欠如している。これではいくらスクールカウンセラーと言えども、彼女の精神を正すのは難しかった。
ただ、これだけは初田にも理解できていた。このまま彼女を野放していれば、いずれ第二第三の智也が出てきてしまう。
「先生は
「でも……」
それもそうか。言ったそばから初田は察した。おそらく光莉は久瑠と同じ力を持っている。久瑠の攻撃を受けても尚、立ち上がった時点でそれは明確だ。であればここに自分がいても、彼女の戦闘の足手まといになるだけである。
出てきたばかりで悔しいが、ここは光莉の言う通りこの場から去った方が最善だろう。
「……わかったわ。でもコメットちゃん、どうか死なないでね」
初田はそう言うと、彼女達に背を向けて走り出した。この場を離れたら、まず警察に行く。確かに光莉は久瑠と同等の力を持っているのかもしれないが、そもそもまだ子供だ。無論久瑠も子供ではあるが、あんなものを見た後ではその実感は湧かない。今の彼女からは邪悪、狂気以外に何も感じられなかった。
しかしそれを阻もうとしたのか、背後から久瑠の声が聞こえる。やはり、追いかけてくるか。
「あっ、逃すか!」
「待て」
すると突然、聞き覚えのない少し嗄れた男性の声が聞こえた。すかさず初田は、背後を振り返った。
「あ、あれは……?」
初めこそ助けに来たのかと思ったのだが、その怪しげな風貌を見るに目的はわからない。頭部の下が見えない程グルグルに巻いた包帯、そして黒いスウェットのようなものを着用した姿は、いかにも不審者と言った風貌だった。さらにその表情がわからない顔には、『米』と言う字まで書かれている。
ただその男はこちらに向かって来ようとしていた久瑠の手を、引っ張っているようにも見えた。どうやら解釈としては助けに来たで合っているとらしい。おかげでこの場は、切り抜けることができそうだ。
「待っててね、コメットちゃん」
気がつくと車までの距離は、もうすぐそこまで迫っていた。
15
「……あれってもしかして夢だったのかなぁ」
「はい?」
「ああ、すいません。で、こちらとしての解決策なんですがーー」
昨日の出来事が衝撃過ぎたこともあって、今日の初田の思考は上の空だった。これでは教師とのカウンセリングの仕事も、ろくにこなすことができない。
あれから初田は城跡を出ると、すぐさま近場の交番に立ち寄り、事情を説明した。しかし彼らは子供にそんなことができるはずないと言い、初田を門前払いした。当然だ、急に来てわけのわからないことを言い出す女を、一々構っていられる程警察も暇ではないのだから。おそらく逆の立場であっても、初田は同じことをするだろう。
ともかく警察を頼れなくなった初田は、しかたなく金物屋で包丁を買って城跡へと戻った。なぜ包丁なのかと言うと、もしもの時には自分が光莉を助けなければと考えていたからだった。
無論そんなものを持ったところで、自分にどうこうできるような事ではないのもわかっていた。だがそうでもしなければ、光莉が命懸けで逃がしてくれた恩に釣り合わないような気がした。
ちなみに美濃市は金物で有名な町なので、商店街の近くになると包丁は簡単に手に入った。それも大抵質の良い、上等な包丁だ。人を刺すにはもったいないぐらいの代物である。
しかしいざ城跡の方へ戻ってみると、二人の姿はなかった。一応あたりも見回してはみたが、それらしい気配もなかった。ただ例のへしゃげた時計台が、その場で起きたことを再認識させた。
これらのことから、初田は不思議に思いながらも帰宅した。それ以降は特に何か起こったわけでもなく、こうして今日もいつも通り出勤している。故に昨日の出来事は、初田には夢か何かだったのではと思った。昨日買った出来の良い包丁も、次の日にはすっかり我が家の調理器具達と馴染んでいた。
今日の五年生の出席簿を確認してみると、久瑠は欠席となっていた。一方の光莉はと言うと、普段と同じように出席となっていた。やはりあの後、何かがあったのかもしれない。
しかし、前々から光莉は隠し事をあまり話したくはないようだったので、こちらから無理に詮索することはやめておいた。向こうから話してくるまでは、下手に動かない方が彼女の気持ちに沿えると思えた。それならもし彼女から話がなくとも、その程度の話だったとも割り切ることはできた。
再び事が起こったのは、下校時刻を知らせるチャイムが鳴ってしばらくした頃である。時刻は午後三時半、突然相談室のドアをノックする音が聞こえてきた。初めは教師か誰かだろうとも思ったが、今日の相談予定はもうなかったので考えにくい。ーーとなるともしかして、コメットちゃんか。
恐る恐るドアを開けてみると、そこにはやはり光莉の姿があった。頬には絆創膏が貼ってあったものの、他に目立った傷は見当たらない。
「あらコメットちゃん……。どうぞ、入って」
立ち話もなんなので、初田は彼女を相談室へと入れた。そして『相談中』のプレートをドアに掛けて、スライド式のドアを閉めた。
「先生としても、あなたに色々と聞きたいことはあるんだけどね……」
淹れたての紅茶と、今日のために買い足したビスケットを用意しながら、初田は光莉に言った。
こうして彼女から話しかけてきたと言うことは、どうやら事が思っていたよりも重大らしい。とは言え昨日の時点で、久瑠からも殺害予告らしきものを言われたので当然か。初田の脳裏に、久瑠が曲げた時計台の柱の景色が浮かび上がった。
「ーーでも何より、あなたが無事でよかったわ」
口を開かない光莉。その顔も、どこか可愛げが感じられなかった。こんな堅苦しい雰囲気では彼女も口を開けないらしい。光莉もまだ小学生なので無理はないだろう。
しかし目の前に紅茶とビスケットを出すと、無愛想だった表情も次第に豊かになっていった。彼女はこうして菓子を出してやると、所構わず喜ぶ。特に甘いものを出すと一層喜ぶので、案外彼女は甘党なのかもしれない。
「ありがと」
一言礼を言ってから、すぐさま光莉はビスケットを頬張った。こんなに喜んでもらえると、こちらとしてももてなし甲斐があると言うものだ。
そろそろ頃合いか。光莉が二つ目のビスケットに手を掛けた時、初田はその場の雰囲気を読んで問い掛けた。その頃にはもう、光莉の表情は柔らかく出来上がっていた。
「で、今日は一体何の用で?」
「昨日はあんなことがあったからな、もう先生にも話してええかなって思って」
ようやく話す気になったか。過去に光莉の家に行って、彼女から冷遇を受けた時の記憶が蘇る。
「と、言うと?」
「単刀直入に言うな。今、先生の命狙われとるかもしれへんねん」
「……やっぱりなぁ」
察した通りのことだったのでさほど驚きもしなかった。ただ、他人から本気の殺害予告をされる経験などなかったので、どんな今自分が抱いている感情が恐怖なのかはわからなかった。無論そんな経験をすること自体、おかしいな話なのだが。
「ところであれから久瑠ちゃん、どうなったの?」
まずこれに関しては、訊ねずにいられなかった。
「逃げられた。あと一歩のところまでは追い詰めたんやけどな」
「なら尚更気をつけないとね……って言うかそもそもあの子とあなた、一体何者なのよ!? それに何なの! 智也くんを殺したとか殺してないとか、一体どう言うこと!?」
平静を装おうとしたが、つい口を開くと声を荒げてしまった。それを光莉は、何も言わずに受け止めた。
昨日の二人の会話を思い返してみても、光莉が決して悪いわけではない。にも関わらず、初田は彼女に全ての不安をぶつけてしまったのだ。その意味を言い終わってから理解し、すぐさま初田は己の非礼を詫びた。
「ご、ごめんコメットちゃん、つい……」
「気にせんといて。こうなったんも、全部私のせいやから」
これでは彼女の方が随分と大人だ。自分ももっと、精神的に成長せねばないのかもしれない。
すると光莉の周りから、突然黒い粉のようなものが舞い始めた。この黒い粉には初田も見覚えがあった。この黒い粉は昨日も、光莉の体から出ていた気がする。それは確か、彼女が久瑠との戦闘態勢に入った時だった。
「コ、コメットちゃん!? あなたの周り、なんか出てるよ!?」
光莉はどこか、初田の反応をめんどくさがっているようにも見えた。不思議なものは不思議なのだから、その心情は察してほしいものである。
黒い粉は次第に、人の形を作り始めた。そして終いには、背丈の高い男の姿を完成させた。男は地に降り立つと同時に、光莉から出ていた黒い粉もパタリと止んだ。彼の姿もまた、初田には見覚えのあった。
「あっ! あなたは確か……」
それは初田があの場から逃げようとした時、それを手助けしてくれた男だった。頭部を覆い隠す程の包帯をしている者など、彼以外には思い浮かばないので間違いない。
男は初田の顔を見るや、その表情の見えない顔を向けて言った。
「こうして面と向かって挨拶すんのは初めてやな。ならはじめまして、ワイはこの世界の神様や」
関西弁の神様ーー。それ以前に今の言葉には、思わず初田もクエスチョンマークを浮かべた。
「神……様?」
「ごめん。こっからはアタシが説明するな」
苦笑いする光莉。彼と違って表情の見える光莉は、話していて安心した。
だが一体、彼女は何から説明するつもりなんだ。どこからともなく現れた謎の男のせいで、次第に初田は説明の優先順位がわからなくなってきた。これではどの話から飲み込んでいけばいいのか、理解のしようがない。
「こいつはスメシン。こう見えても、昔は大地の神様やってたらしいで。それがどう言うわけか殺されてもて、今はこうしてアタシの体に寄生しとるってわけ」
「寄生しとるって言い方、むっちゃ悪いな。普通体の同居人とか言うやろ」
「実際そうやん。だって元々、この体はアタシだけのもんやねんから」
何も言い返せない様子で、スメシンは黙り込んだ。見たところ、立場的には光莉の方が優位らしい。本当に彼は大地の神様なのだろうか。
初田は光莉の説明ありきでも、今の話を理解できなかった。第一この男が元大地の神様だと言うこと自体、とてもではないが信じがたい。
「ごめん、コメットちゃん。さっきから私、全然理解が追いつかない」
無論その節は光莉に伝えた。一般人である初田としても、細部まで噛み砕いて説明してもらわなければ、そのスケールの大きな話を理解するのは難しかった。
「そりゃそうやわ。いきなりこないな話しされても、普通のやつなら理解なんか追いつかんで」
「そうかぁ」
「なら順を追って説明していくしかないよな」向こうもそれは承諾してくれたようだ。
「ならまず、先生は何から聞きたい?」
まずどんな話があるのかもわからないのに、よくもまぁそのような問いができるものだ。
とは言え初田も馬鹿ではないので、まず初めは一番気になる点から聞いてみることにした。スメシンの話は今、正直言ってどうでもいい。
「そうねぇ……。じゃあ最初は、あなたと久瑠さんの関係を教えて」
「関係って言うても、
「どう言うこと?」
「久瑠ちゃんとアタシ、ああ言う形で会ったんは昨日が初めてやねん」
言われてみればそんなことも言ってたな。昨日の二人の会話を思い返して、相槌を打った。しかし間接的であれ、二人の関係は初田も知っておきたかった。
「まぁ一応、話してみて」
「うん。簡単に言うなら、久瑠ちゃんとの関係は似たような力を持った人間同士ってところかな」
「同じような力を持った、人間同士……」
すると久瑠も、光莉と同じようにスメシンのような存在が出せると言うことなのだろうか。とは言えそれなら初田を追おうとした時点で、彼女もその存在を出していたはずである。そうなると二人の本質自体は、根本的に違うものなのかもしれない。
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