ハヤスギの友達

 13


「田中涼介、二十三歳、現在無職。なんでも、そいつはつい三ヶ月程前まで小学校の教員をしとったんやけど、急に辞表を出してやめよったらしいわ。やのに家は身の丈に合わないぐらいに立派な一軒家、しかもその一軒家は教員を退職してから購入したもんらしい。一体どっからそんな金が湧いてきたんやろうな」


 神崎はそう言うと、手に持っていた資料の束をクリアファイルに入れて、近藤に手渡した。「まぁそんなところやわ」


「お忙しいのにわざわざありがとうございます」

「いいっていいって。あの事件が未解決のままなんは、俺としてもシャクやからな」


 レーウェンから話を聞いたその日の夜、近藤は神崎にとある情報の提供を求めた。その情報とは他でもない、不可解な自殺を遂げた田中涼介に関するものだった。と言うのも、神崎は彼の事件がきっかけで智也の事件から外れた。故に現在田中の資料を多く取り扱っているのは、近藤には神崎以外に思い浮かばなかったのだ。

 ちなみに神崎の連絡先は、元バディの頃から交換したままだったのが幸いした。彼の返答もイエス、向こうも是非と申し出てくれた。


 そのため今日は、こうして二人で洒落たカフェで昼食をとっている。しかし改めて神崎と再び会ってみると、出会って日が浅いとは言えどこか嬉しかった。おそらくそれも彼の人柄の良さ故、自分には足りないものを彼が持っているからだろうか。


「ところで近藤、例の話はホンマなんか?」


 そして、彼と出会ったのにはもう一つ理由があった。


「はい。ひとまずこれを聴いてみて下さい」


 それは彼を、智也を殺害した犯人の捜査の協力者として引き入れることだった。レーウェンは田中と智也の事件、両方に関連性があるかもしれないと言っていた。であれば双方の事件の早期解決のためにも、神崎との共同捜査はやむを得ないと判断したのだ。

 一応向こうも田中の件は行き詰まっていたらしく、共同捜査のことに関してもイエスだった。こちらからすれば、頼りになる先輩刑事とまた組めて心強い。無論、神崎の方がどう思っているかは知らないが。


 とりあえず近藤は上着のポケットから、使い古したボイスレコーダーを取り出した。ここはカフェなので周りに人がいるため、特別にイヤホンまで用意している。

 落ち着いた様子で彼は、何も言わずにイヤホンの一つを右耳に入れた。それを確認するや、近藤も再生ボタンを押す。そして自分もまた、もう片方のイヤホンを左耳に入れた。


「ほう、これがお前の言っとったレーウェンって言う人か」


 ところどころ頷いたり唸ったりしていた神崎だったが、再生が終わった頃くらいに、また眉間に皺を寄せて唇を結んだ。


「なるほどな……。にしても文部科学省の中にある、カレント対策委員会か。そんなの初めて聞く名前やな」

「はい、私もそんなものがあるとは正直驚きました」


 帰り際、レーウェンはあっさりと自身の素性を近藤に明かした。自身が文部科学省の人間であること、加えてその中のとある機関に所属していることを。

 カレント対策委員会ーー。なんでも、そこは彼が所属している機関らしく、ハヤスギやその影響を受けたカレントの研究をする機関とのことだった。詳しいことはあまり教えてもらえなかったが、彼の身分証明書などを確認しても嘘を言っているようには見えない。どうやら、全て真実らしい。


 しかし国レベルでハヤスギのことを研究しているとは、正直思ってもみなかった。とは言え今考えてみると、急にハヤスギに関しての話題がメディアで放送されなくなったのは、それが原因だったのかもしれない。全く、思わぬところで物事は繋がっているものである。


「ですが船越光莉の件もありますし、カレントの存在も無視はできないかと思います。それにそのカレントで構成されたって言う組織、ツリーフレンズってのも、事件に絡んでいるかもしれないとか言ってましたし……」

「ツリーフレンズ……ハヤスギの友達ってか」


 ツリーフレンズとは、レーウェンが言うに全員がカレントで構成された反政府組織らしい。カレントが最も優れた人種だと思い込み、世界的に見てハヤスギが最も多く分布している日本の、国家統制を目論話でいる彼ら組織は、今回の事件にも関わっている可能性が高いとのことだった。

 まさかそんな組織まで存在していたとは、カレントの力を過信した彼らがどんなに恐ろしいのかを実感する。


 現状ツリーフレンズは水面下のみで活動しているが、このまま放っておけば大変なことになるのは目に見えている。そう言った観点から、レーウェン達カレント対策委員会は、こうしてツリーフレンズが関係してそうな事件の調査に当たっているのだそうだ。


 もっとも、カレントの情報は国家機密。加えて委員会も人員が決して多いとは言えないとのことで、外部からの協力も仰げないようだ。故にこのままいくと、彼は単独での調査を余儀なくされていたらしい。

 なので近藤とレーウェンの関係も、あくまで公にはできない関係とのことだった。よくよく考えてみると、彼からすればむしろ近藤の存在は都合の良い駒なのかもしれない。何せ互いに利害の一致した者を、こうして協力者として仰げたのだから。


 利用したと思っていた側が逆に利用されていた。このひっくり返りそうにない立場には、近藤も少し悔しい。


「ま、俺もできる限りのことは捜査してみるわ」


 そう言って神崎は、手に勘定を持って立ち上がった。彼が注文していたカフェラテとプレーンオムレツも、気がつくとすでに空になっている。彼は食べるのが早いようだ。


「神崎さん、くれぐれもお気をつけて」


 何せ相手は反政府組織の可能性があるときた。気を抜くとどんな目に会うかもわからない。

 近藤にどうこうできるような事柄でもないが、せめてもの警告にと声を上げた。


「わかってるって。もしなんかあった時は、そりゃお前にすぐさま連絡するわ」

「は、はい」

「んじゃお先」


 すると彼は勘定を一度近藤の顔に向けてから、そのままレジの方へ会計を済ませに行った。残された自分の料理の皿を見て、近藤は今更ながら気づいた。どうやら彼は奢ってくれたらしい。

「寛大な人やなぁ」つい思っていたことを、誰もいなくなった向かいの席に呟いた。自分の頼んでいた手つかずのトーストは、すでに冷めきっていた。


 14


 退勤後の帰路、たまに初田は城跡へと出向く時がある。何百年も前にはそこにも、領主が住まう城が建っていたらしいのだが、今では城跡と言うだけあってその面影も感じられない。

 ただ、ここは美濃市を一望できる立地なので、城がなくともそこから見える景色は中々のものだった。


 それに今のような夕方の時間帯であれば、あまり人と出くわすことはない。なので初田がここに来た時は決まって、城跡に残された壁の狭間さまから顔をだし、大声を出して叫んでいた。無論、仕事で溜まったストレスを発散するためである。


 初田は仕事の関係上、自分自身のストレスを溜めることが多い。そのため大声の出せる環境があると言うのは、とてもありがたかった。

 時たま大声を出している際に人が通ることもあるが、叫んでいる時には背を向けているので気にしない。その場だけの縁だと、あっさり割り切っていた。


 そして今日も、教員からの愚痴をカウンセリングの際に散々聞かされたので、鬱憤はそれなり溜まっていた。なので十露小学校からの帰路、迷うことなく車を城跡へと走らせた。

 幸いにも駐車場には、車は一台も止まっていなかった。まさに絶好の発狂日和と言えよう。


 しかし城跡までの道を歩いていると、遠くながら城跡に二人の人影が見えた。どうやら、すでに城跡には先客がいたらしい。

 とは言えここですんなりと帰るわけにもいかないので、二人がどこかへ行くまで待つことにした。丁度彼らの近くにベンチが見えたので、そこで待とう思った。今の初田は、発狂したくて仕方なかった。


 だが二人の近くに寄っていくにつれて、その先客が自分のよく知っている者達であることを理解し始める。それもつい最近まで、自分との接点を持っていた二人であった。

 色白の少女とその対照に、少し日に焼けた小柄な少女。先客と言うのは他でもない、光莉と久瑠だった。城跡に立っている時計台の針は、すでに五時半を回っている。基本小学生の門限は午後五時だ。にも関わらず彼女達は、今頃の時間帯に何をしているのだろうか。


 耳をすますと、彼女達は何かを話し合っているようだった。

 すると突然、光莉の目線がこちらの方へと向いた。特に内容を盗み聞くつもりはなかったのだが、これには反射的に近くの草陰へと身を隠してしまった。もはや補導がどうこう言っていられるメンタルではない。


「……ここなら人が来ることも少ないやろね、船越さん」

「そうやな、久瑠ちゃん」


 二人は周りに誰もいないと確信しているのか、かなり大きな声で話していた。加えて二人の声は垢が抜けていないので、周りにもよく響いている。どうやら話を聞く限りでは、彼女達はここに来てまだ間もないらしい。


 しかしながら光莉と久瑠とは、また随分と変わった組み合わせである。光莉には最後にカウンセリングした時まで、友達がいないと聞かされていたので尚更だった。いつの間に二人は、一緒に遊ぶまでの関係になってたのだろうか。

 補導のことはそっちのけで、つい初田は二人の会話に耳を傾けてしまった。


「……で、久瑠ちゃん。智也くんを殺したんってあんたなん?」


 何だって。急に出てきた智也の名前に耳を疑った。確かに智也を殺した犯人がまだ見つかっていないことは知っている。だがそれを久瑠がやったなんてこと、信じられるはずがなかった。何より彼女には、智也を殺す理由がない。

 しかしそんな初田の疑念をよそに、話は思いもよらぬ方向へと進んでいった。


「そうやで。やのに全く、ここまでしたっとうって言うのに、なんであんたは仲間にならへんかな。正直、あんたの気持ちわからんわ」


 悪ふざけにしては、なんとも過ぎた不謹慎さだ。それに久瑠は、あんな間近に遺体を見たにも関わらず、よくもまぁそんな冗談が言えるものである。

 余程メンタルは強いのだろうか。だとするとあの時、彼女が初田に見せた涙は一体何だったのだ。


「そんな人を簡単に殺すような組織、誰が入るかいな」


 光莉はなんと、久瑠に向かって一喝した。「ふざけんのもいい加減にしろ!」


「はぁ……。せっかく私が初めて殺しをしてまであんたを誘ったってのに、なぁんか馬鹿らしくなってきたわ。ほんま、藪林先生は何を思ってあんたを勧誘したんやろ」


 更には藪林の名前まで出てきてしまった。これでは会話の内容が、余計にわからなくなってきてしまう。次第に初田の頭は、情報量の多さからオーバーヒートし始めた。これではまともに考えることさえままならない。

 今の初田の心理状態では、話を耳に入れるのがやっとだった。


「まぁええわ。あんたはうちの仲間もやってもたみたいやしな。藪林先生からも一応殺害許可はでとるし、今日は遠慮なしにいかしてもらうで」

「はぁ? 同期をやったとか、アタシはあいつにトドメはさしてへんで! やのにあいつは勝手に……」


「馬鹿やな」どこか怪しい表情で、久瑠が笑みを浮かべる。


「うちの組織じゃ他人に素性がバレたら自害、それが掟やからな。田中さんはあんたに負けて戦闘不能に陥った。加えてあんたに素性をバラされた時のことも考えると、もう自害するしか道はないんよ。しっかし、田中さんも災難やったなぁ」


 自害、田中ーー。初田の脳裏に、ある事件のことが思い浮かんだ。

 最近この美濃市で起きた自殺事件、その死亡者の男性の名前が、確か田中だった。加えて田中と言う男性は、どう言うわけかすでに重傷を負っていたらしい。であれば二人の言っている話も、辻褄が合ってくる。


「そんなん、あんたらの勝手やん! アタシに文句言わんといてよ」


 声を荒げる光莉。すると次の瞬間、久瑠は近くにあった時計台に向かって拳を叩きつけた。

 ガンーー。何かがぶつかったような金属音が鳴り響くと同時に、久瑠も声を大にして言い放った。


「うるさい!」


 周囲に静寂が訪れた。しかしその空間には不釣り合いなものが一つ、立っていた。それは先程久瑠が殴りつけた時計台だった。

 なぜかそれは、華奢な少女の拳を受けただけにも関わらず、大きくへしゃげてしまった。そうまるで、乗用車にでも正面衝突されたかのように。


 過去に初田は、警察から智也の死因が鳩尾の強打ーー加えて鈍器のようなものでーーによる呼吸困難であると聞かされた。しかし並みの力では、鳩尾の強打で呼吸困難は起こらない。子供よりも力のある大人が、鈍器を持ってやっと引き起こせる症状とのことだった。

 もし今の光景が夢でないのであれば、現実に起こっているのであれば、子供でもそれが可能であると言う可能性は否定できない。そして今の会話からして、その犯人が久瑠であることも否定できなくなった。


 智也が死んだあの日、久瑠は状況を説明する際に智也が殺されていると話した。だが彼が殺害されたと言う事実は、警察側が司法解剖してようやく断定したものだった。

 当時、彼は服を着ていたので外傷は目に見えなかった。故にその辺の小学生が殺人か発作などの病気かを判断するのは、極めて難しかった。ならなぜ久瑠はその死因を他殺と断定できたのか。答えにたどり着いた初田は、思わず自身の口元に手を当てた。


「とにかくあんたは私達にとって邪魔な存在や。ここで私が始末してやる」

「上等や。やってみろよ」


 二人の闘いが始まると言うのに、ただ一人草陰に座り込む初田。そんな彼女に、無力さや不甲斐なさと言った感情が蝕んだ。

 あの力を見たからわかる。このまま仲裁に入っても、巻き添えを食らって自分が死ぬだけだ。であればこのまま、いっそのこと去ってしまう方がよっぽど合理的だった。

 そうこうしている内にも二人の闘いの火蓋は、すでに切って落とされた。


「おりゃ!」


 先に攻撃を仕掛けたのは久瑠だった。時計台をひしゃげた拳が、今度は光莉に向かって向けられる。あんなもの食らえば、人間の体など豆腐のよう潰れてしまうだろう。何より久瑠は、すでにその拳で人を殺めているのだから。

 しかしそれを、光莉は軽やかに避けた。しかもその動きは、まるで久瑠の動きを読んでいたかのようにスムーズな動きだ。その瞬間だった。ふと光莉の周りに、黒い粉のようなものが舞い始めたような気がした。


「危なっ……」

「ようよけたな。やけど次は外さんで!」


 またも懲りずに殴りかかる久瑠。変わらず光莉は彼女の拳を横に避けた。が、久瑠はそのまま光莉の方を振り返り、右足で見事な回し蹴りを披露した。光莉は同学年の女子の平均身長よりも、少し背が高い。そのため久瑠は光莉との身長差を埋めるべく、軽くジャンプして高さを稼いだのだ。

 あの動きはおそらく、並みの身体能力ではできない芸当だろう。だとすると彼女は強靭な肉体以外にも、優れた身体能力を有していることか。ーーどこまで人外じみているんだ、彼女は。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る