第二の容疑者
「本当ですか!?」急などんでん返しに、つい大きな声を出してしまった。
しかしその歓喜の声もつかの間、レーウェンはそれを律するように言い放つ。「ただし!」
「この情報を知ると言うことはつまり、あなたにも相当な覚悟が必要になってきます。ハヤスギの真実を知ったとき、本当にあなたはそれを受け入れられますか? そしてそれを受け入れた上で、ご自身の家族を守りきる覚悟はありますか?」
自身の家族を守りきるだって。思ってもみなかった彼の条件に耳を疑った。と言うことはつまり、レーウェンがこれから言おうとしていることは、近藤も相当危ない橋を渡らなければ知ることができないことなのだろうか。いや、もしかすると単に、彼はこちらのことをふるいにかけているだけなのかもしれない。
本当に近藤を信頼して、ハヤスギの真実を話してしまってもよいのか。それを提案した上で同時に、レーウェンは脅しもかけているのだ。それ程までに、これから近藤が足を踏み入れようとしている世界は、生半可な気持ちでは命を落としてしまうものなのだ。
「当たり前です」
だが近藤も、それは十分承知の上でここに来ている。今更引き下がる選択肢など、あるはずがなかった。
「それが俺の、遺族達の願いですから」
「わかりました。では、この部屋の隣にある会議室へ行きましょう。そこでハヤスギのことについてをお話しします」
もはや何も言うことはあるまい。折れてくれたレーウェンに感謝しつつ、近藤は事務室を後にした。
会議室はいかにも会議室と言ったレイアウトで、円になるように組まれた机の配置は、その中央のプロジェクターを囲っているようにも見えた。投影シートは見当たらないので、おそらくこの白い壁にプロジェクターの映像が映し出されるのだろう。
各机に二つずつ並べられた椅子の一つに、レーウェンはノートパソコンを置いて腰掛けた。
「どうぞ腰掛けて下さい」
続く近藤も、言われるがままにその隣の椅子へと腰掛けた。
「ではまず、あなたにはハヤスギのことをもっと理解してもらうために、ある動画を見てもらいます」
「動画、ですか?」
「はい。内容はハヤスギの成長過程、それを実際に捉えた映像です」
ノートパソコンを開くと、彼はすぐさま起動ボタンを押した。フオォォーー。ファンが回る音が会議室に響く。しばらくしてパソコンが立ち上がり、レーウェンは「少し横を向いて下さい」と近藤に呼び掛けた。パスワードを打つらしい。
そりゃ見られたくないよな。意図を察した近藤は何も言わずに横を向いた。
パスを打ち終えたレーウェンは、デスクトップに並んだフォルダの一つを開いた。するとムービープレイヤーが起動して、画面いっぱいにハヤスギの幼木らしきものが表示される。近藤にはその幼木が、心なしか輝いているようにも見えた。
「では再生しますね」そう言ってレーウェンは、動画の中央の再生ボタンを押した。
「これは……」
唖然とする近藤。映像は早送りになってはいるものの、明らかにその成長スピードは異常だった。
一度目の夜明けにも関わらず、ハヤスギの成長段階はすでに若木の状態になっていた。映像で見てみると、改めてハヤスギの成長スピードの速さを実感する。
そうこうしている内にも、映像はあっけなく終わってしまった。
最後は何事もなかったかのように、投稿者であろう男の声が動画を締めくくっていたが、動画内では一本のハヤスギの大木が成長を終えた。それも本当に、この世のものなのかと疑ってしまうぐらいの速さで。
「これはゲヘルツと言う投稿者が、偶然動画として収めたものです。この動画は非常に貴重な映像で、ユーチューブでもその再生回数は五億回を超えています」
ムービープレイヤーを閉じたレーウェンは、今のものとはまた違うフォルダを開きながら言った。ーーどうでもいい情報ありがとうございます。
「ご存知かもしれませんが、ハヤスギが大木になるまでに要する期間は三日程です。その高さは日本に古くから分布している杉と比べると小柄ですが、それでも二十メートルぐらいまでには成長します。ところで近藤さん、ハヤスギの学名は覚えていらっしゃいますか?」
「ええ、まぁ」
あの時の印象は近藤の記憶にも、大きく残っている。故に忘れることなど一瞬たりともなかった。
「確かクリプトメリア・プローモウェー、でしたっけ」
「その通り。ではその学名が何を意味しているか、ご存知ですか?」
学名に何かしらの意味があることは、太樹に教えてもらっていたので把握はしていた。しかしながら近藤はハヤスギの性質ばかりを気にしていたので、実際に学名の意味を調べたことはなかった。
「さぁ、そこまでは……」
「学名は基本、属名と小種名の二つを組み合わせてつけられます。ハヤスギを例に出すなら、クリプトメリアは杉の属名、プローモウェーはハヤスギの特徴と言った感じです。ちなみにプローモウェーとは、促進する、促進させると言った意味合いを持っているんです」
「へぇ……ならハヤスギの特徴は、自分の成長を促進する、と言うことですか」
そう言うことなら話を理解するのは簡単だ。だが今さらなぜ彼は、そんな話を持ち出してきたのだろうか。するとレーウェンは口元を緩めて、謎の薄ら笑いを浮かべた。
「普通の人ならそう思いますよね」
「どう言うことです?」
「私の言ったことをよく思い出して下さい。プローモウェーには促進させる、と言った意味も持っていると……」
少し間を空けて考えてみて、ようやく近藤は勘づいた。「まさか」
「促進させる対象は人間も含んでいる……と?」
「その通りです。では、本題に入ります」
どこかウズウズとした様子のレーウェンは、今の言葉と同時に『進素が人間に及ぼす影響』と書かれたスライドを表示させた。それはまるで、近藤がここに来ることを待っていたかのような、丁寧に作り込まれたパワーポイントだった。
まだ編集画面だったのでタイトル以外のスライドも見てやろうかと思ったが、そうはさせるかと言わんばかりの速さで、彼はスライドショーの画面へと切り替えた。つまらんやつである。
「これは?」
「過去に、カレント対策委員会の会議で使用されたパワーポイントです。これには、ハヤスギがどのようにしてカレントを生み出しているのかと言うメカニズムを解説してあります。プロジェクターは用意するのが面倒なので、スライドは口頭で説明していきますね」
こうして、レーウェンのスライドを交えた解説が始まった。
「ハヤスギは光合成をする際、酸素とは異なる未知の元素を放出します。その元素の名がNx《ネクスゲン》、和名で
進素ーー。当然ながら近藤の聞いたことないワードだった。
「通常進素は人体に取り込まれると、二酸化炭素や窒素、微量の酸素と共に、血中に行き渡ることなく体外へと排出されます。しかし稀に、その進素を血中へと運んでしまう体を持つ人間がいる。それこそがハヤスギの影響を受けし者、私達は彼らをカレントと呼んでいる者です」
「ハヤスギの、影響を受けし者……」
ようやくこれで、近藤にも光莉が言っていたことの意味がわかった。理由こそわからないが、光莉はすでに、あの事件にカレントが絡んでいることを知っていたのだ。だからあの時、彼女は近藤に対して警告を出した。カレントではない者が、カレントの事件に首を突っ込むことを避けるために。
もしかすると彼女は、彼女なりに近藤のことを心配してくれていたのかもしれない。今更ながら近藤は、影で彼女に対しての悪態をついてしまったことが申し訳なく思えた。
「進素が人体に与える影響は大きく分けて二つです。一つは飛躍的な身体能力……言わば体力の向上。そしてもう一つは、自然治癒力や皮膚の丈夫さなどの身体的機能面での向上です。なぜ進素を取り込むことによってこう言った影響が出るのかはまだ不明ですが、仮説として血中の進素がもたらす、過剰な運動エネルギーによるものではないかと考えられています」
つまり進素は、カレントの力の源であると言うことか。次第に明らかとなっていくカレントの実態に、近藤は沼にはまっていくような感覚に襲われた。ーーおそらくこの沼はもう、抜け出せない。
「しかしカレントも、常に進素を取り込んでいるわけではありません。なぜなら進素は、一日に取り込める量が決まっているからです。進素は吸引時、体に大きな負担を与えます。そのためカレントにも、一日に取り込める進素の量は決まっているのです」
「はぁ、つまり進素も万能ではないってことですか」
「ですが進素の絶対許容量も、実を言うと日を重ねるごとに多くなります。その仕組みについても未知の点は多いですが……」
次のクリックでスライドショーは暗転した。どうやらここで、カレントの説明は一区切りらしい。
説明を終えたレーウェンも、話し続けた疲れからかため息を吐いた。「ふぅ……」
「以上がカレントの実態となります。何か質問はございませんか?」
「いえ、特には……」
頭の整理が追いついていない以上、これ以上の質問など不可能だ。一応ボイスレコーダーも起動させてはいるが、それを整理していくのもまだ少し時間が掛かりそうである。とは言え、彼のおかげで暗雲立ち込めていた事件にも光が見えてき始めた。やはりレーウェンの協力には感謝せねばなるまい。
頭の整理をしていると、ふと近藤はレーウェンがこちらをじっと見ていることに気がついた。彼は何か言いたそうな表情をしている。
「どうかしましたか?」
「次は私が質問する番ですよ、近藤さん」
「はい?」
「言ったではありませんか。あなたにも情報は提供してもらうと」
そう言えばそんなことも言っていたな。今更ながら、近藤はついさっき自分が言った言葉を思い出す。都合の悪いことは瞬時に頭から抜け落ちていたようだ。
「で、どう言ったことをお聞きになりたいんですか?」
仕方がないので一応訊ねてみる。
「そうですね……。今あなたが担当されている事件、と、最近自殺された男性の話、ですかね」
「なっ!?」
まさかあの事件にもカレントが関わっているのか。近藤は彼の発言の真意を疑った。何せ彼の言う後者の事件とは、笛口智也殺害事件の捜査本部が解散された要因でもあったからだ。
例の事件はつい三週間前、人気の少ない公園で起こった。偶然通りがかった女性から、傷だらけの男性が倒れているとの通報が入ったのだ。
しかし救急隊員が駆けつけた次の瞬間、男性は携帯していたと思われる
男性の名は田中
一応それらのことは隠していても意味がないので、包み隠さずレーウェンに話しておいた。しかし近藤がハヤスギの力を疑った根拠である光莉の話は、あえてしなかった。
彼女のことはもしや、レーウェンに対する新たなカードとなりうるかもしれないと踏んでいたからだった。情報の等価交換を望む彼に対抗するには、こちらとしても多くのカードを残しておいた方がいい。
無論、なぜハヤスギを疑ったのかは問われたが、ここは持ち前のスキルによって誤魔化した。伊達に近藤も、人の対応には慣れていない……と思いたい。
一通り近藤が話し終えた後、なぜかレーウェンは眉間にしわを寄せて唸った。
「しかし、どうも引っかかりますね」
「と、言いますと?」
「いえ、あなたが今担当している智也くんの殺人事件は、確か学校で犯行が行われたんですよね。でしたら、その田中さんが自殺した事件にも何か関係があるんじゃないかと思いまして」
「生徒と教員の関係ですか」
「はい。もしくは双方に何かしらの接点があったとも考えられます」
確かに彼がそう言うまで、双方の接点など探したこともなかった。事件的には関連性がないとも言い切れないので、ここは彼の言う通りに二人の関連性を探ってみるのもよさそうだ。もしかすると、思わぬ穴が隠れているのかもしれない。
「まぁその辺は私としても、追い追い捜査していきます」
「はい、また何かわかれば連絡お願いします。一応僕の連絡先を教えときますね」
「そう言うことなら私も……」
レーウェンが上着のポケットからメモ帳を取り出したので、その内の一枚を拝借して近藤も自身の連絡先を記した。これで正式に、互いの協力関係を示すものができたと言うわけだ。ついでに言えばそれは、どうあがいても切れない縁であると言うことも暗示していた。
「ところで近藤さん」急に改まった様子でレーウェンは口を開いた。まだ何かあるのだろうか。
「はい?」
「智也くんの事件の話に戻るんですが、今日聞いた話で何か思い浮かぶことはありませんか?」
「思い浮かぶこと?」
今日聞いた話で、犯人はカレントであることはもうすでに疑っている。これからもその辺の捜査は続けるつもりだ。しかしそれ以外には特に、思い浮かぶことなど近藤には一つもなかった。
「いえ、特にこれといっては」
「智也くんの殺害に使われた凶器はまだ見つかっていないんですよね。それにあなたは犯人がカレントである可能性があると言っている。なぜあなたがそう思っているのかは理解できませんが……」
こいつ、俺の嘘に気づいてやがるな。誤魔化せたとばかり思い込んでいた近藤には、今の言葉がぐさりと胸に刺さった。光莉のことを隠し通せるのも、やはり時間の問題かもしれない。
「ーー智也くんを殺害した凶器は素手である可能性は高いです。だとすると子供であると言う可能性も、浮上してはきませんか?」
「あっ、そう言うことか! カレントは必ずしも大人であると限らない!」
「はい。事件のあった放課後の時間帯に、まだ小学校に残っていた生徒とかはいませんでしたか?」
盲点だった。と言うよりかは寧ろ、なぜその発想に至らなかったのかが不思議なくらいだった。ただでさえ光莉のことは疑っていたのに、近藤や神崎は他の生徒のことを視野に入れていなかったのだ。あの場で犯行に及ぶことが可能なのは、放課後に残っていた生徒も例外ではないにも関わらず。
放課後の時間帯に、まだ小学校に残っていたことが明確な生徒ーー。そのことを考えている内に、近藤の脳裏にある名前が過ぎった。彼女には動機が全くないにしても、犯人としては絶妙な立ち位置にいる。
「それなら一人、心当たりがあります。立岩久瑠、智也くんの遺体を最初に発見した女の子です」
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