研究者再び
12
車から降りた近藤は、公園の案内図を頼りにレーウェンのいる森の木センターを目指した。
案内図によると森の木センターはその名の通り、周りに木が生い茂る森の中にあるようだ。そのため森からは少し離れている駐車場では、若干ながら距離があった。
無論今日は平日、太樹は連れてきていない。ついでに言うと、レーウェンへのアポも取っていなかった。いわゆるアポなし直撃と言うやつである。
しかし無闇にアポを取って、彼に余計な準備をされるよりかは、こうしてアポなしで出向いた方が効果的だ。それ程までに今回の案件は、慎重に事を運ばなければならない案件だった。
森の木センターらしき建物の前に着くと、近藤は少し目を見張った。何せ建物の周りは木ばかりだ。加えてその木が日光を遮っており、空気も湿っぽさを感じさせる陰気な場所だった。立地が立地だけに、ここを訪れる者も物好き以外にはいないだろう。ここまで陰気さを漂わせていると、本当に中に人がいるのかと疑ってしまう程だった。
とりあえず中に入らなければ何も事は始まらない。腹を括った近藤は、湿気った木製のドアノブを握り中へと入った。
中を覗くとそこは、思っていたよりも広々とした空間が広がっていた。中でもまず目に入ってきたのは、玄関前に飾られたコルクボードだ。コルクボードに貼られたポスターはどれも黄ばんでおり、ここが長らく使われていなかったことを知らしめた。
おそらくレーウェンはこう言う場所だったからこそ、ここをハヤスギの調査の拠点として選んだのだろう。人目につかない場所をわざわざ選んでいる辺り、近藤の不信感はますます募っていった。
音を立てないようにそっとドアを閉めた近藤は、廊下を歩き出した。第一印象としては広く感じていたが、こうして歩き出してみると廊下は短いようだ。頭上に立ち並ぶ表札も、全部で四つしかなかった。
トイレと倉庫、会議室に事務室。どの表札にも埃が積もっている。おそらく森山公園の職員達も、こんな陰気で誰も近づかないような場所など手入れしたくもないのだろう。そうなればなぜこの建物が建てられたのか、疑問にすら思えてきた。
「……おそらくビンゴです。判断材料は確かに少ないですが、あの事件に例の組織は絡んでいます」
しかしその声は、突然この事務室の方から聞こえてきた。ただでさえ静けさ漂うこの建物内で、人の声は目立つ対象だった。
トイレのドア以外はどのドアもガラス張りで、事務室もその例外ではない。しかし中は灯り一つ点いておらず、見たところ人影もなかった。
とは言え、今の声がこの暗い事務室から聞こえてきたのは確かだ。それも声質からして、レーウェンであることは間違いない。故にこの事務室の中に、レーウェンがいることは明白だった。
レーウェンは一体何の話をしてるんだろうか。すかさず近藤は、スーツの下ポケットに入れていたボイスレコーダーを取り出した。そしてガラス張りのドアから姿が見られないよう、そっとドアの近くへと耳を押し当てる。同時に、ボイスレコーダーの録音ボタンもオンにした。
もしかするとこの会話の音声は、もしもの時の切り札になるやもしれない。
「……ですがあの組織のメンバーは全員、ハヤスギの力を得たカレントです。にも関わらず、その内の一人を倒すとは……やはりその人物も、カレントであることは疑った方がいいでしょう」
ハヤスギの力を得たカレント。聞き覚えのない言葉に、近藤は疑問を浮かべた。だがそんな近藤にも、理解できたことが一つだけある。それは船越光莉の言っていたハヤスギが、智也の事件に大きく関わっていると言うことだった。
「……はい……はい、わかりました。では、引き続き私も調査を続行します。今日はお忙しい中、大変失礼いたしました」
録音ボタンは押してみたものの、レーウェンは思ったよりも早く会話を切り上げてしまった。とは言え、とても重要そうなワードは録音できたので、その点に関しては何ら問題ないだろう。
確かに彼の言っていることは理解不能だった。しかしそれを問いただすことなら、今のタイミングであればできる。となれば先手必勝、近藤は勢いよく事務室のドアを開けた。
「あ、あなたは……」近藤の存在に気づいた途端、レーウェンはその碧い目を大きく見開く。
「お久しぶりです、ハヤスギ研究家のレーウェン・クロックフォードさん。あの時は息子にハヤスギの学名を教えていただきありがとうございました。おかげさまでうちの息子は、レーウェンさんのような研究者になりたいと言っております」
「あはは……それはよかったです」
口こそ笑みを作っていたが、彼の目は笑っていなかった。焦り、緊張、その感情が出ているのはひしひしと伝わってくる。やはり所轄ではあるが近藤も刑事、他人を見る目は伊達ではなかった。レーウェンは今、さっきの話を聞かれたのではと焦っている。
「で、今日はどう言ったご用件で? 見たところ、あの時の息子さんはいらっしゃらないようですが……」
「そりゃあいつも小学生ですからね、子供は子供の仕事ってもんがありますよ。とは言え今日の私の目的も、あの時のあいつと何ら変わりはありませんが」
「と、言いますと?」
「先程の会話、聞かせてもらいました」
瞬間、彼の表情があからさまに歪んだ。それは単に焦燥だけではない。自身の犯した過ちからの、責任感も含んでいるようだった。
「……一体何のことですか?」
だが今の表情を見せてもなお、あくまでも彼はしらを切るつもりらしい。この薄っぺらい余裕を叩き壊すには、やはりあれしかないようである。
近藤は入口の近くにあった照明のスイッチを入れて、ポケットに戻していたボイスレコーダーも再生させた。そこから流れる音声は、またもレーウェンの表情を強張らせた。
『……ですがあの組織のメンバーは全員、ハヤスギの力を得たカレントです。にも関わらず、その内の一人を倒すとは……やはりその人物も、カレントであることは疑った方がいいでしょう』
カチャリーー。必要な部分は流し終えたので、近藤はボイスレコーダーの再生を停止した。今のセリフは確実に、やつの思考を停止させたに違いない。そう思うとつい、口元が緩んでしまった。
「私はあなたに、ハヤスギのことを詳しく教えてもらいたくてここに来たんです。ハヤスギのことはこちらの方も少し調べておりましてね、何か不思議な力があると睨んでいたんですよ。盗み聞きをしたのは悪いと思っています。しかし今の話を聞いてしまった以上、こちらとしても引き下がるわけにはいかないんです」
「他には?」
「はぁ!?」勝ちを確信していたので、思わず声を裏返す近藤。
「他にあなたが持っているカードはあるのかと訊いているんです。今の話はあなたのような一般人に聞かれたところで、到底理解されるような話ではありません。あなたがどう言った理由でボイスレコーダーを持ってきているのかは知りませんが、第一それを公表したところで、あなたにメリットがない」
「なるほど、そう言うことですか」
彼の話も一理ある。確かにハヤスギに不思議な力があることを口外したところで、多くの人はそれを信じようとはしないだろう。特に警察などの公共的な類なら尚更だ。
俗に言う中二病とやらは信じるかもしれないが、ハヤスギの話を知ったところで、無力な彼らがどうこうできる事柄でもなかった。
しかし今の近藤は、レーウェンの言う一般人とは違う。ハヤスギに不思議な力があることは、元より光莉の一件もあったので疑っていた。加えて今の話を盗み聞いたこともあり、ハヤスギに何かがあることも確信している。
つまり近藤がハヤスギの真実を知るには、十分過ぎる知的欲求があるのだ。
「私もすでにハヤスギに不思議な力があることは掴んでいます。それでも話しては、くれませんか?」
「勿論。何より僕は、あなたを信用していない」
あくまでもレーウェンは、ハヤスギの力を他者に漏らさない方針らしい。例えそれが何かを掴みかけている近藤だったとしても、あくまで無言を貫くようだ。相手がそれ相応のカードを見せるまでは。
仕方がない。痺れを切らした近藤は、少し迷ったが胸ポケットから警察手帳を取り出した。もう少し何か聞き出せるかとも思ったが、どうやらここらが潮時らしい。
「それは……」
「私は近藤拓海と申します。一応警察官を職業としていますので、あなたが望む情報も手に入れられるやもしれません。その組織のメンバーとやらを倒したと言う、人物の情報とかもね」
「なるほど、あなたもある程度の準備はしてきたと言うことですか。しかしなぜ、あなたはそこまでしてハヤスギの情報を知りたがるんですか?」
そんなもの、答えないわけにはいかなかった。
「警察官の誇りにかけて、ある事件の犯人を捕まえたいからです。それも小学生の男の子を殺した、残虐な犯人です。しかし話を聞くにその犯人は、もしかするとハヤスギの力とやらを持っているかもしれないのです。だから私は、事件解決のためにもハヤスギの情報が知りたいんです」
するとレーウェンは、何を思ったのか口を閉じて黙り込んでしまった。ようやく話す気になったのだろうか。しかし次の瞬間、彼は目元を手で覆い隠して口を開いた。
「事件解決のため、ですか。であれば尚のこと、話すわけにはいきませんね」
「なぜ!?」
「今、我々はハヤスギの力が世間に知れ渡らないように、情報をシャットアウトしているんです。そりゃあ確かに、ハヤスギの力は危険視すべき存在です。しかし安易にそれを世間に公表しても、ハヤスギの力を得た者達の立場が危うくなるだけなのが、あなたにはわからないのですか?」
「うっ……」
正直ハヤスギの力を公表することで、彼らがどうなるかなど考えてもいなかった。
今思えば確かに、事件解決のためにカレントの存在を公表すると、信憑性の問題もまた変わってくる。何せただの一般人が情報を言いふらすよりも、マスコミが情報を流す方がよっぽど人は信じやすいからだ。
それに今回の事件は、ただでさえメディアに大きく取り上げられている。
何せ被害者は小学生、そんな事件で犯人が特殊能力を持っていると公になれば、大騒ぎどころの話ではなくなってしまう。それこそレーウェンの言う通り、マスコミなどの報道によって、ハヤスギの力を持つ者達の肩身はどんどん狭くなるだろう。
「ハヤスギの力を得た人間がいることが知れ渡れば、それを迫害しようとする者も出てくるでしょう。そうなってくると何が恐ろしいのか……。ハヤスギの力を持った者達が、暴動を起こすやもしれないんです。だから私達はそれを未然に防がなければならない、全ての人間が安心して暮らしていくためにもね」
熱弁し過ぎたからか、呼吸が荒くなってきていたレーウェンは大きく息を吸った。しかしそれ程までに彼は、ハヤスギの問題と向き合っているようだ。それはハヤスギの力を持つ者に何か思い入れがあるからか、はたまた自身がその者の一人だからかは、近藤にはわからなかった。
ただ一つ確信できるのは、彼が力を持つ者、そして持たぬ者双方の安寧を願っていると言うことか。その意思はおそらく、どう彼を言い負かせようとも捻じ曲げることはできない。
「あなたは情報をくださるだけで結構です。後は私達が、その事件に対応していますので……」
だがレーウェンの話を聞いていると、なぜか近藤は怒りを覚え始めた。その怒りの原因が彼の考え方にあることは、怒りを感じる中で次第に気づいていった。
「あなたの考えはわかりました。ですが私には、あなたの意見はどうも賛同ができない。罪を償わなければならないのは、人間であれば誰だって平等なはずです。なのに今のあなたの言い方は、まるで力を持つ者の罪は裁かないと言っているように聞こえるんですよ。確かに長い目で見れば、ハヤスギの力を持つ者の問題は慎重に事を運ばなければならないでしょう。が、だからと言って今、彼らを公に晒さず免罪していい理由にはなりませんよね。私が間違ったことを言っていますか、レーウェンさん」
「あなたの意見もごもっともです。しかしハヤスギの力を持つ者……カレントにもまた人権はある。一部のカレントのせいで無実のカレントまでも巻き添えになってしまうのは、私達としても避けたいのです。ですからどうか、ここはあなたが引いて下さい。世界の、未来のためにも」
「ふざけんな!」
「な……ッ!?」
とうとう堪忍袋の緒が切れた。今ので確信した。レーウェンはハヤスギの力を持つ者、つまりカレントと普通の人間との共存ばかりを考えていて、カレントに殺された被害者の気持ちをまるでわかっていない。
こんなやつには俺が喝を入れてやる。怒りに任せた口は、溜まっていたものを全て吐き出した。
「遺族の方々は今、智也くんを失って家族解散の危機にまで陥っています! それなのに犯人がカレントかもしれないと言う理由だけで、真実を公にしないのは間違っている! そんなこと、犯人に加担していると同じだ!」
だがレーウェンの方も、自分の理念を持って言葉を選んでいるのは事実。故にこれ以上、彼から情報を聞き出すことが不可能であることは悟っていた。ここは言いたいことを言い切れただけでも、儲けものだと思うべきであろう。
ハヤスギ、カレント。これらの断片的なキーワードも持って、また捜査に逆戻りか。今度こそ探すあてがなくなってしまったが、もはや引き返せない場所までも来てしまっている。ここは地道に、捜査を続ける他ないだろう。
「……突然押しかけてきて申し訳ございませんでした。ではこれで、お暇させていただきます。ただ私は、これからも捜査は続けていこうと思います。残された遺族のためにも……」
そう言って近藤は部屋に背を向けた。ここに来ることはもう二度とないだろう。目の前に正解があると言うのに、やすやすと見逃すのは中々に悔しかった。
しかしドアを開けて今部屋の外に出ようとしたその時、レーウェンは何を思ったのか声を上げた。
「待って下さい、近藤さん!」
また何かとやかく言われるのか。あからさまに不機嫌な顔で振り向いた近藤だったが、真剣なレーウェンの眼差しを見てすぐさまそれをやめた。いくらなんでもそんな態度を取っていては、一人の大人として情けないと思えた。
「まだ、何か?」落ち着いたと言うよりも寧ろ、燃え尽きたと言った方が相応しい声が出た。
「確かに私が言っていることは、多くの人が聞いても納得されないようなことだと思います。しかしこれは、あなたのためも思って言ってるんです」
「はいはい、その話ならもう結構ですから」
「しかしそれでも、あなたがハヤスギの件に首を突っ込むと言うのなら……」
何を言いだすつもりなんだ。言葉の続きを求め、近藤は唾をゴクリと飲んだ。
「ーーいいでしょう。あなたに話を聞かれてしまった僕にも責任があります。ハヤスギのこと、お話ししましょう」
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