リブート現象
ここは一体どこなんだろう。気が付いた時、私が最初に思ったことはまずそれだった。
私は冥宮散策の試練のために死生混淆冥宮ラビリントスに参入し、そこで仲間たちと冒険を繰り広げ、予想外の強敵と出会い……、死んだ。はずだった。
しかし私は今座り心地の悪いパイプ椅子に座っていて私の前には私と同じくらいの年頃の男女がずらっと並んで座っている。
見覚えのあるこの場所は公民館のホールだ。今朝やってきたばかりの。もしかして隣にいるのは。
予想通り、そこにいたのは共に冥宮を探索した仲間の一人西須亜紀だった。亜紀は所在なさげにスマホの画面を見ている。
「……何か用ですか?」
彼女の顔をじっと見ていると、亜紀は不審そうに声をかけてきた。
「あっ、いえ何でもないです。昔の同級生かな、と思ったけど人違いでした」
適当にごまかすと、はあそうですかと言って亜紀はあっさり引き下がった。
どういうことなのだろう。私もスマホを取り出して画面を見る。知りたいのは日付と時間。日付は四月四日。そして時間は十時十五分前。
私は二つの可能性を考える。
今まで私は寝ていて夢から覚めたという可能性。ずいぶんリアルな夢を見ていた気がするけれど、そういう夢だってないわけじゃない。
もうひとつの可能性は……アニメかゲームかって話だけど……、私の時間が巻き戻って冥宮に潜る前の時間に戻ったという可能性。
夢を見ていたと思うほうが腑に落ちる。でも、あんなリアルで長い体験が夢だったなんてことがあるだろうか。
私は辺りを見回す。亜紀は私の隣に座っていた。だから夢に出てきたのかもしれない。だけど、他の三人は?
つむぎ、隆史君、正雄君。この三人が現実にいたならどうだろう。彼らが私の夢の産物でなく現実の人間なら。私の体験も現実の体験だったのではないか?
そう思って私は三人の姿を探す。隆史君と正雄君の二人に出会ったのはこの会場ではなくホテルの食事会だった。このホールでどの辺りにいたかはちょっとわからない。
けれど、つむぎは私の近くにいたはずだ。
そして実際、つむぎは私の真後ろに座っていた。
私が振り向き、彼女と目が合うとつむぎは目を丸くした。そして目を泳がせた後、取ってつけたようにスマホを取り出しwebブラウザを立ち上げ私から目をそらした。
亜紀と比べてこの反応はどういうことだろう。
「ねえ、祭喜堂さん」
私はつむぎの苗字を呼んだ。しかしつむぎはスマホを見つめたままガン無視を決め込んでいる。
「祭喜堂つむぎさん、私たち知り合いなんだからさ。話くらいしてくれてもいいなじゃないかな?」
「ううう……」
つむぎは明らかに動揺している。彼女は先ほどまでの私と同じ体験をしていたのではないか。そんな直感があった。
「うう~~トイレトイレ~~」
つむぎは唐突に立ち上がり、ホールの外へと飛び出していった。もちろん私もその後を追う。言葉通りつむぎは女子トイレに駆け込んでいった。そして個室に入って扉を閉めようとした瞬間足をねじ込んで無理やり私も個室に入り込む。
「あわわわ……」
狭い個室で押し寄られてつむぎは便座にぺたりと座り込んでしまう。私は後手でさっと鍵をかけてしまった。
「つむぎ、私が聞きたいことを話すまで逃がさないよ。まず一つ、あんたは私のことを知っている。そうだよね」
つむぎは少しの間目を逸らしていたが、やがて覚悟を決めたように頷いた。
「私たちはパーティを組んで冥宮を探検して……そこで私は死んだ。そうだよね」
これにもつむぎは頷く。
「……今、私が生きているのはどうしてなの?」
「……私が時を巻き戻したから、だよ」
今まで怯えた表情だったつむぎがにやっと笑った。
「時を巻き戻したって……。それは英雄アリアドネの力なの?」
「……逆に聞くけどさ。あなたの知ってるアリアドネの伝説に時を巻き戻す力なんてものがあるのかしら? 冥宮運営が管理する英雄の力は世間一般にイメージされる英雄の能力しか与えることはできないわ。アリアドネならテセウスを糸玉で助けた、そこからイメージされる冥宮探索の能力。時を巻き戻る能力なんてものはアリアドネの伝説には存在しない」
「じゃあなんでつむぎは時を巻き戻すなんてことができたのよ」
「さあね。わたしが本物の英雄アリアドネだから、なんて言ったら信じる?」
私はじっとつむぎの顔を見つめた。この子は一体何者なんだろう。冥宮を一緒に探索していたつむぎはとても大人しい子だったのに。今のふてぶてしさは何なのだろう。私たちと冒険していた間は猫をかぶっていたとでもいうのだろうか。
「時を巻き戻す能力は私のとっておきの能力だし、誰にも秘密にしてきた。というか私以外に認識できる現象ではないはずなのに……。あなたって一体何者なの?」
つむぎはどこか怯えたような顔になっていた。
「私は猫岸麻友。ごく普通の十五歳の女子、のはずだよ」
「ごく普通……ねぇ。まあ、自分が普通じゃないことを自覚してる人間は意外と少ないのかもしれないけど」
つむぎはため息をついた後、またにやりと笑った。
「まあいいわ。麻友、あんたは自分の身に何が起きたのかはっきり覚えているわけね。一応あなたに何があったのか聞かせてくれる?」
私は冥宮で体験したことをかいつまんでつむぎに聞かせた。
「……突然オークの死体が起き上がって私たちは殺されてしまったんだけど……、つむぎと亜紀はどうなったの?」
「あの後オークは亜紀に襲いかかったわ。その隙に逃げようとしたんだけど、あのオーク私が逃げたらご丁寧に剣を投げつけてきてね。それで足をやられてしまったの。亜紀を殺すついでに私も殺すつもりだな、って思ったからリブートの力を使ったわけ」
「リブートの力?」
「時を巻き戻す力よ。ほどいた糸玉をたどるようにして時をさかのぼる力。冥宮の試練では何が起こるかわからないから『糸の端』をこの時間帯に置いておいたけど、役に立つことがあるとは思わなかったわ」
時間を巻き戻す力、か。死者が地上を歩き回り、過去の英雄の力を一般人が苦労なく使えるような世界に変わってしまっても、ちょっと信じがたい話だった。
けれど、私は実際に死を体験したのに冥宮を探索する前の時間に戻ってきた。夢とか幻覚を見ていると考えるより、実際に時をさかのぼったと考えたほうが建設的だろう。
時間をさかのぼったのに、未来の記憶があるのは不思議だけど、とりあえずそこについては置いておく。
「色々混乱してるだろうけど、一番の問題はただひとつ。どうやってこれから待ち受ける死の運命を回避するかっていうこと」
私が言おうとしたことを先回りするようにつむぎが口にする。
「まあ、今回は回避の方法はわかりやすいけどね。あの亜紀って子とパーティを組まない。それで百パーセント死の運命は回避できるはず。もっとも他に死の運命を背負ってる奴がいてそいつからもらい事故って可能性はあるけど」
「……あのとき私は混乱してたけど、私たちが死んだのは亜紀のせいなのかな」
「そうね。あのオークの死体にとり憑いた幽霊は亜紀のいじめが原因で死に追いやられた、みたいなことを言ってた。幽霊の名前は……澄川月子って言ってたかな」
「よく覚えてるね。でも本当にその月子って人を本当に亜紀がいじめてたのかな。亜紀ってそんな悪い子じゃないと思うしその子の逆恨みってことも……」
「亜紀と月子、どっちが正しいかは割とどうでもいいことよ。問題はあの月子と戦ったら百パーセント私たちが負けるだろうっていうこと。英雄の力を持っている私たちが五人がかりでもあのオークの死体にとり憑いた月子って幽霊には勝てない。あの時の戦いで私はそう確信したわ」
そんなことはないと言おうとしたが、油断とか不意をつかれたということを加味しても私たちは本当にあっけなくあのオークに倒されてしまった。たぶん正面から戦っても全滅の可能性は高いだろう。
「あなたたちが英雄の力を使うシステムも月子って幽霊がオークの死体を動かす仕組みも原理的にはそれほど変わりはない。オークが普通の人間より強いっていうことを差し引いても月子の霊力は高いと思う」
「幽霊の方が英雄より強いの?普通の人間の幽霊に英雄五人がかりで勝てないなんてありえなくない?」
「英雄の力を使える、といっても本物の英雄が降臨するわけじゃないからね。あくまで英雄をイメージした戦闘技術が肉体にインストールされるだけだから。熊とか虎みたいな強い野生動物に勝てるかだってけっこう怪しいわ」
「トレーニングを積めばあの幽霊に勝てるのかな」
「たった数時間の猶予で何ができるっていうのよ。私たちはこれから冥宮に強制的に潜ることになる。あの幽霊との戦いを回避する以外に生き残る方法はないわ。それには」
西須亜紀のいるパーティには入らない。
それ以外に私たちが生き残る方法はないわ、とつむぎは言った。
「でも……それは正雄君や隆史君を見捨てるってことでしょ。亜紀だって殺されるような酷いことをしたのかわからないし……」
「……たぶんあの幽霊の言ってることは本当よ。霊力の強さはその行動の正当性と比例するものだから。あの幽霊の逆恨みだったらあんな強さにはならないはずなの」
「そんな……。だいたい何で試練場にあんな悪霊が入り込めるのよ。試練の公平性とか無茶苦茶じゃない」
「試練の成功率は九十五パーセント。つまり五パーセントは試練で脱落するってことだけど、案外この試練の本当の目的は五パーセントの生贄を死の軍勢に捧げることなのかもね。生者の側でもいじめの加害者とか要領がいいだけで今の世の中には役に立たない奴を切捨てられるんならメリットがあるわけだし」
「……それでも私は納得できない。少なくとも正雄君と隆史君には理不尽に殺される理由はないんだから助けたいし、亜紀についても本当に悪い奴なのか自分の目で見極めたい」
「そう、じゃあ一人で頑張ってね。私は他のパーティに入るから」
「そんな!手伝ってくれないの?」
「わざわざリスクのある選択をしたくないわ。亜紀のいるパーティに入らなければまず確実に試練はクリアできるんだから」
「私はあなたのリブート能力を知っているんだよ。それなのに私と別のパーティに入ろうっていうの」
「麻友、確かにあなたが私の起こしたリブート現象を認識できたことは興味深いわ。でも私のリスクになるなら切捨てるだけ」
「そう、じゃあ私冥宮運営につむぎの能力のことをバラすから」
「ちょ、麻友あんた何考えてるの。そんなの信じてくれると思ってるの」
「すぐに信じるとは思わない。けれど、つむぎは色々調査されると思うよ。冥宮運営は特殊能力持ちは積極的に集めてるっていうし。試練も免除になったりして」
「……わかった。麻友、あんたに一度だけ協力するわ。ただしチャンスは一度だけ。またあんたがあの悪霊にやられたらそこでリブートしてあげるけど、次のリブートではもう秋に関わらないで私とあんたは別のパーティに所属する。それ以上の譲歩は無理。これでいいかしら」
私は頷いた。冥宮運営につむぎの能力を報告したところで、たぶん信じないだろうけど、つむぎは運営に目をつけられるリスクを避けたがった。
私は誰にも死んでほしくない。隆史君、正雄君、そして亜紀にも。
戦闘であの月子っていう悪霊に勝つのはまず無理だ。だとしたら説得しかない。できるかわからないけどやるしかない。
「ところで麻友、そろそろこの個室から出ていってくれない。私おしっこがしたいから」
私は素直に出ていこうとしたが、その時トイレに何人か女子が入ってきた。洗面所のあたりにたむろって話してるようでしばらく出ていきそうな様子はない。
「……今出てったら二人ともなんか誤解されそうだし、このままおしっこして」
「お、鬼か! 見ないでよ」
そう言いつつもつむぎはパンツを下ろし、顔を真っ赤にしながら放尿した。
「なんか変な匂い。ちゃんとご飯食べてる?」
「お、おしっこの匂い嗅がないでよぉ……」
つむぎのおしっこの音を聞きながら私はどうやってあの悪霊とやり合うか頭脳をフル回転させていた。
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