第92話

   92


 万引きから始まって窃盗、詐欺、恐喝、傷害と多くの犯罪を犯してきた十七歳の少女が女子少年院に送られてきた。一ヶ月の考査期間を終えて単独室から集団室へと移り、一週間が過ぎた。新入りだったが先輩たちに頭を下げることはしない。挨拶も教官が見ていなければしなかった。いずれ近いうちに前から集団生活をしていた十一人を支配する気でいた。当然だろう。犯してきた犯罪の数では誰にも負けていない。暴力団との繋がりを仄めかす為に左肩には刺青が彫ってあった。無口で態度は大きく、周囲を恐れさせようとしていた。ここを仕切るのは自分だからな、と宣言するのも時間の問題だった。

 三度目の点呼が終わり、部屋の鍵が外から閉められて数十分は経っていた。これから長い夜の始まりだ。

 「起きな。お前に話があるんだ」と枕元で十七歳の少女は呼ばれた。明かりは消されて部屋は薄暗い。馴れ馴れしい言葉遣いにムカッときて、勢いよく布団から上半身を起こした。「おい。てめえ、誰に向って口を利いて――」

 少女は最後まで言葉を終わらせることが出来なかった。いきなりタオルで後ろから顔を巻かれてしまったからだ。咄嗟に逃げようとしたが、多くの手に抑えられて身動きは取れなかった。「うむっ、うう」息が出来ない。苦しい。

 「騒ぐんじゃない。大人しくしていないと殺すよ」

 その言葉に十七歳の少女は抵抗を止めた。「あっ」罠だった。相手はタオルで巻かれた頭の上にビニールを被せてきた。完全に空気が遮断される。頭の中が真っ暗。どんどん意識が遠くなっていく。下半身が漏れた尿で生暖かく感じたのが最後だった。

 「うっ」頬を引っ叩かれて少女は意識を取り戻す。先輩たち十一人に取り囲まれていた。その場に正座するように言われた。後ろにいる何人かは顎まで下げられたビニールの端を手にしていて、いつでも少女を窒息させる準備ができているのが分かった。恐怖が身体を包む。あんなに苦しい思いは二度としたくない。

 「お前、どうしてこんな仕打ちをされるのか分かっているだろ?」

 少女は素直に頷く。「すいません」謝罪の言葉が口から出た。

「あたしたちを甘く見るんじゃないよ」

「……」部屋の連中は、何も出来なくて大人しくしていたわけじゃなかったらしい。自分に制裁を加える機会を窺っていたのだ。

「ここには、ここのルールってもんがあるんだ。それを今から教えてやろうじゃないか」

「……」

「起床から消灯時間までは施設のルールに従う。一番偉いのが所長で二番目は教官、その次が部屋のリーダーだ。分かるな?」

「はい」

「消灯時間からは部屋のルールに変る。つまり、あたしが一番偉くなるのさ。それを忘れるんじゃないよ」

 十七歳の少女は目の前に立つ、あどけない顔をした大柄な女を見つめた。

 意外だった。体こそ大きいが年下のはずだ。数日前に教官から、入所して三ヶ月も経たない新人だと紹介してくれた女じゃなかったか。へんてこな眼鏡を掛けているので気持ち悪い奴だと完全に無視していたのだ。それがどうして一番偉く……。名前は……えーと、確か……小池? そうだ、小池和美とか言った。十四歳だ。思い出した途端だ、その年下の女が飛び掛ってきた。正座の姿勢だったので避けられずに攻撃をまともに食らう。「ぐうっ」彼女の太い左腕が顎に当たると、十七歳の少女は再び気を失った。


 小池和美はジャストでの万引きで警察に補導された。友達の古賀千秋が捕まりそうになって、後ろから女の警備員を階段の下へ突き落とす。仲間が上手く逃げてくれるのを見届けようとして、自分が逃走するチャンスを失った結果だ。

 男の警備員に押さえられて店の事務所に連れて行かれた。名前や学校を聞かれたが何も言わない。警察署での取調べでも一貫して黙秘を続けた。証拠はない。盗った物は何も持っていない。黙っていれば家に帰れると考えたからだ。

 口を閉ざしながら和美は勝利感に酔っていた。古賀千秋を助けられたことが本当に嬉しかった。

 突き飛ばした女の警備員が階段の踊り場に頭を強く打った音に、千秋は気づいて振り返った。一瞬で何が起きたのか理解すると、和美に向って笑顔で頷く。同時に右手の親指を立てて見せた。(ありがとう)という合図だ。

 やった。

 古賀千秋に恩を売ることが出来た。あたしの存在価値を認めてくれたはずだ。これからは対等な立場で接してくれるかもしれない、そう小池和美は期待した。

 勝利の喜びは、取調べで古賀千秋も捕まったことを知らされると一変に消えた。それでも黙秘は続く。義務感からだ。何か喋れば千秋に不利に働く、と思った。

 女の警備員は重傷を負ったらしい。意識が朦朧としたまま救急車で病院へ運ばれたと聞かされた。悪いことをしたという思いは和美の頭に浮かばなかった。友達を捕まえようとした警備員の方が悪いんだ。余計なことをしやがって。

 警察から鑑別所へ送られて、長期少年院送致が決まる。えっ、マジで? ああ、早く家に帰りたい。一体いつまで掛かるのかしら、と思っていたら最悪の結果だ。黙秘を続けたことが反抗的と見なされる。決定的だったのは突き落とした警備員が半身不随の障害者になったことだったらしい。

 僅か数日だけど誕生日が過ぎていたことも悪い結果に繋がった。十四歳未満だったら、児童自立支援施設とかいう、もっと楽な場所へ行けたのだ。畜生、もう何もかもが最悪。

 この世の終わりだ、という気持ちで女子少年院に送られたが、自分の担任になった若い教官は、それまでとは違うタイプだった。黙っていても頭ごなしに怒鳴ったりはしない。いきなり机を強く叩いて威嚇したりもしなかった。ジャストでの万引き事件についても無理に触れることはしない。あたしを犯人扱いしないところが嬉しかった。

 そりゃ、そうだ。自分は古賀千秋が店の商品を盗むのを見張りしたり、大きな身体を利用して死角を作ってやったりしただけなんだし。半身不随になった警備員にしたって、ちょっと後ろから押しただけじゃないか。階段から転げ落ちて首の骨を折ったからといって、自分に責任を追及されても困る。上手に落ちなかった警備員の過失なんだ。ざまあみろ。あたしの人生をぶち壊しやがって。

 女子少年院の若い教官は綺麗で優しかった。頭の回転も早くて、動作も優雅だ。君津南中学の加納久美子先生に似ているところがあった。一緒に過ごす時間が長くなるほど、その魅力に引き込まれていく。ああ、こんな女性になりたい、と思わせてくれた。

 閉ざしていた口が次第に開いていく。この人なら何を話してもいいかもしれない。味方になってくれると信じた。小池和美の大きな体に激震が走ったのは、万引き事件のことを話し出してすぐだ。それは、「どこの女子少年院に古賀千秋は入っているんですか」という問い掛けに対する答えだった。

 「彼女は君津南中学の三年生になって、今まで通りの生活を送っているわよ」

 若くて美しい教官の言葉に、和美は頭をハンマーで横殴りされたような衝撃を覚えた。「えっ、ど、ど、……どうひって」気が動転して舌を噛みそうになった。理解できない。そんな不公平な処分が何で下されたのか?

 教官は話してくれた。古賀千秋は捕まると警察署で、涙ながらに万引きは初めてで、小池和美にそそのかされてやったと白状したらしい。

 そんなバカな。ウソだ。なんて女だろう。助けてやろうとしたのに。信じていたものが崩れていく思いに、全身から力が抜けた。ああ、悔しい。あたしは裏切られたんだ。

 黙秘を続けた自分が、知らない間に主犯にされてしまう。家庭裁判所の判断は、学校での成績の良し悪しも大きく影響したらしい。それを考えたら、あの女は学級委員長で自分は書記だ。不利は否めない。

 「それは違います。すべてウソです」と教官に訴えたが、返ってきた言葉は「もう遅いわ。今となっては家裁の判断は覆らない」だった。失望と後悔。再び小池和美は口と心を閉ざした。身体の中で古賀千秋に対する怒りがメラメラと燃え上がった。

 数日後には事実を確かめたくてクラスメイトだった、奥村真由美に電話を掛けた。特に仲が良かったわけではないが、彼女ぐらいしか思いつかない。やはり教官の言葉に違いはなかった。あたしを裏切った女は自由の身だった。美味い娑婆の空気を吸っている。

 「あいつ、生徒会長になったの?」最後に訊いた。入学した時から古賀千秋は、三年生になったら絶対やりたいと言っていた。二年生の三学期までは誰もが認める最有力候補だった。

「みそぎ選挙にするとか言って立候補したわ」

「やっぱり」万引きで捕まっても生徒会長に立候補するなんて、あの女らしい。あつかましさは称賛に値する。「それで?」

「落選したの。六人の中で最下位の得票だった」

「そりゃ、良かった」君津南中学にも、それだけの良識が存在するということだ。嬉しかった。

「かなりショックだったみたい。体育館で当選した子に殴りかかったのよ。教室に戻ってからも窓から飛び降りようとしたりして」

「へえ」

「みんなで止めたの。その後は学校に来なくなって、久しぶりに登校したら茶髪だった」

「やけになって、グレだしたんじゃないかしら」ざまあみやがれ。落胆した古賀千秋の様子を、この目で見たかった。「で、誰が生徒会長になったの?」どんな奴がなろうが、もう関心はなかったが、話の流れで訊く気になった。まさか受話器を落としそうになるほど驚かされるとは思わなかった。

 「手塚奈々」

「えっ。だ、誰?」聞き間違いに決まってる。そんな……。

「あの脚の長い奈々ちゃんよ。ほら、二年B組で一緒だった」

「うそっ」

「本当よ」

「し、……信じられない」

「男子の応援が凄かったの。学校にファン・クラブまで出来ちゃってさ。鶴岡くんが撮影した水着の写真集を――」

 もう最後まで聞く気になれなかった。バカらしい。将来はAV女優にしかなれそうにないバカ女が生徒会長だなんて。オナペット・ランキング一位の勢いが、そのまま選挙結果に反映されたということらしい。君津南中学の良識なんて、やっぱりそんな程度か。オナペットを選ぶ基準で生徒会長を選んじゃいけないのに。それが理解できない連中の集まりだった。さようならも言わずに小池和美は電話を切った。 

 長い女子少年院生活を続けるしか選択肢はなかった。もう死にたい。だけど死んだら古賀千秋に復讐するチャンスがなくなる。口うるさい教官に耐えながら、退屈な毎日を送り続ける気力を支えたのは自分を裏切った女に対する怒りだ。いつか絶対に仕返ししてやろう。

 体は大きく、無口で無愛想。集団室で前から生活している十人にしてみれば、態度がデかいクソ生意気な新人としか思えなかったようだ。

 「起きな。お前に話があるんだ」と夜中に枕元で呼ばれた時も、怒りで目は覚めていた。上半身を起こしたところで、後ろから顔をタオルで巻かれた。抵抗しなかった。多くの手で体を押さえられてしまう。息が出来なくて、だんだん苦しくなっていく。

 「騒ぐんじゃない。大人しくしていないと殺すよ」

 何だと、この野郎。ふざけやがって。あたしに命令する気かよ。その言葉に小池和美の怒りは一気に爆発した。何人かの手に体を押さえられたままだったが、後ろでタオルを握っていた女の横面に、上半身を捻ってエルボー・ドロップを放つ。「ぐうっ」命中。気を失って布団の上に倒れるのが見えた。驚いて連中が身を引く。

 これで自由だ。残りは九人、全員が和美にとって憎き古賀千秋に見えた。目の前に立つリーダー格の女に飛び掛った。先手必勝。相手の出方を待つなんてことはしない。身体が勝手に動く。そして無意識にも、スタン・ハンセンのラリアットを見舞っていた。女が後ろに仰け反って倒れ込む。そのまま身動き一つしない。まさに秒殺だった。目にした光景に残りの八人が凍りつく。

 父親が見ていたプロレスのビデオのお陰だ。知らずにプロレスの技が身についていた。小池和美は次々と女たちにラリアットを浴びせた。四番目のデブが反動で柱に頭をぶつけて血を流すと、興奮に油を注ぐ結果をもたらした。

 お前ら、全員を血祭りに上げてやる。こうなったら、もう皆殺しだ。一人も生かしておくもんか。

 小池和美は残りの連中にドロップ・キックを浴びせた。逃げようとした奴には後ろから。そいつは前のめりになって机の角に顔面から突っ込んだ。ざまあみろ。

 布団に倒れたままの女たちには、その場で飛び上がってニー・ドロップで止めを刺す。落下する勢いで和美の膝頭には100キロ近い重さが集中しているはずだった。骨が折れるような音と感触を味わった。意識を取り戻して起き上がった奴らには、また強烈なラリアットを食らわせた。

 ああ、楽しい。こんなに自分が強いとは気づかなかった。もう楽し過ぎて気が狂いそう。気分はスタン・ハンセン。あたしは最強。もっと、もっと、暴れ捲くってやろうじゃないか。

 無抵抗の連中に次々と襲い掛かる。やりたい放題。プロレス技を思い出しては、身体が覚えるまで何度も練習。今夜たった一晩でズブの素人から世界タイトルを狙えるぐらいの立派なプロレスラーになってやろう、という意気込みだ。様々な状況の中で反射的に手足が動いて、プロレス技が出てくるようにならなきゃダメだ。時間を忘れて無我夢中。窓の外が明るくなるまで続く。全員を叩きのめして一息つこうかと思ったところだった、部屋の隅で小柄な女が身を潜めているのに気づく。朝日のお陰だった。

 ブルブルと震えていた。獰猛なライオンでも見るような目で和美を警戒している。動物園に来て、何かの間違いか、飢えたライオンの檻に一緒に閉じ込められてしまった小学生みたいだ。

 あはっ。こりゃ、愉快。 

 和美の視線に気づくと、もうこれ以上は小さく出来ないというところまで身体を縮こます。首を激しく横に振って、こっちに来ないでと合図を送ってきた。無傷のままで、ひっそりと隠れていたらしい。ただし一部始終を見ていて小池和美の凶暴さは目に焼きついている。

 獲物だ。まだピンピンしてる。たっぷり遊べそう。

 女は恐怖で泣いていた。目で慈悲を訴えてる。無理に怖がらせたりはしない。ゆっくり小池和美は笑顔で近づく。「お願い、許して」その言葉に優しく頷いてみせた。と、急に身体を反転させて、勢いよくローリング・ソバットを女の左脇腹に炸裂させた。「ぎゃっ」

 痛みに身を屈めて倒れそうになる女を、パジャマの襟を掴んでリングの中央まで引っ張ってきた。抵抗しなかった。もう、されるがままだ。そいつの首根っこを掴むと、腰を支えながら身体全体を空中に垂直になるまで持ち上げた。効果を高めるために滞空時間を長くする。そして豪快にブレーン・バスターを見舞う。小柄な女は布団の上に頭から落ちて気を失ったようだった。それを無理に立ち上がらせる。うしろに回り、痩せた背中を抱えて、次はジャーマン・スープレックス・ホールドを決めた。ジョー樋口の代わりを務めてくれるような気の利いた奴がいないので、カウント3はなし。どこまでやるかは和美の気持ち次第だ。もう乗りに乗っていた。真っ赤なGOサインしか見えない。とことんやってやろうじゃないか。

 小柄な女は体重が軽いのでプロレス技の掛け放題だ。練習するにはうってつけ。倒れたまま動かなくなると、ジャンピング・エルボー・ドロップを何度も何度も何度も連打で浴びせてやった。咳をしながら口から真っ赤な血を吐き出しても容赦はしない。こいつが死のうが構うもんかい。あたしが一人前になることの方が大切なんだから。この時の小池和美は元NWA世界ヘビー級チャンピオン、テキサス・ブロンコこと、あのドリー・ファンク・ジュニアになりきっていた。

 その小柄な女は出所が間近で、和美に制裁を加えることには強く反対した一人だったと後になって聞かされる。これでもかと色々なプロレス技を掛けられて、二度と自宅には帰れない体になってしまう。

 ストレート・ヘアで細面だった顔は、陰毛が生えたジャガイモみたいになった。変わり果てた姿に、病院に駆けつけた八度目の離婚調停中の母親も、「うちの娘じゃありません。知らない子です」と言い張る始末だ。おぞましい異様な姿に、近づいて良く見て確かめようともしない。

 女は流動食しか受けつけず、呼吸は酸素ボンベの助けが必要だった。顎の骨が砕けて泣くことも満足に喋ることもできない。しばらくして病院から障害者施設へと移って行く。

 この乱闘で小池和美は自信と勇気を得た。やってみたかったプロレスの技をすべて試す。ジャイアント・スイング、四の字固め、コブラツイスト、パイル・ドライバー、アルゼンチン・バックブリーカー、ダブルアーム・スープレックス、ランニング・ネックブリーカー・ドロップ等だ。どの技が自分にしっくりくるか、少しでも意識のある女を無理やり起こして、プロレスレごっこを続けた。結果として十八番技と言えるのが、やはりラリアットとエルボー・ドロップだった。

 翌朝、女子少年院は大騒ぎとなった。小池和美を除いて部屋の全員が重傷を負っていたからだ。自力で起き上がれるのは一人も居ない。内出血で全身が紫色の斑点だらけ。骨折、内臓破裂、重度の打撲と酷い裂傷。ほとんどが人間としての原型を留めていない。首や手足は考えられない方向へ曲がっている。何台もの救急車が駆けつける事態となった。

 施設は県や家庭裁判所への報告義務があった。しかし真相が明らかにならない。多くが口を閉ざす。説得すると何人かは口を開いたが、「あたし達が仲間割れを起こして、夜中には大喧嘩になったんです。小池和美さんは関係ありません」という腑に落ちないものだった。

 若くて美しい教官が無傷の和美を個室に呼んで問い質すことになった。

 「夜中に何があったのか教えて」

「知りません。あたしは疲れて寝ていましたから」いつもと違って教官の口調はきつかった。和美は身構えて話すことにした。

「嘘だわ。みんながあれほどの大怪我をしたっていうのに眠っていたなんて」

「あたし、熟睡するとなかなか目が覚めないんです」

「……」教官は信じていない。和美のことを見つめながら核心を突いてきた。「あなた一人で皆に大怪我を負わせたの?」

 小池和美も真剣に見つめ返して、ゆっくり落ち着いて答えた。「いいえ、違います」そのとき、ラリアットで連中を叩きのめした感触を思い出して、僅かに笑みがこぼれた。

「……」それで十分だったらしい。教官は事実を理解したみたいだった。一瞬だが机から身を引く。その目に畏敬の念が宿ったのを和美は見逃さない。この子って凄い、そう読み取れた。

 嬉しかった。初めて人から認められた気分だ。教官みたいな素敵な女性になりたいという気持ちは消え失せた。あたしはあたしだ。これからは女スタン・ハンセンとして生きて行く。

 女子少年院は居心地のいい場所になった。歳は関係なく誰もが小池和美を恐れて、媚を売るようになった。ここでは女王だ。あたしが一番偉い。

 よく同じことを訊かれた。「和美さん、あの凄い技は何て言うんですか?」いつも答えは決まっている。「カズミ・ラリアットって言うのさ。あたしが考え出したんだよ」そして相手から賞賛の言葉を全身に浴びるのだ。

 この施設にずっと居てもいい。そんな気持ちにもなったが、やはり復讐という大きな仕事が頭から離れない。それなら早く娑婆に出ないと。

 じゃあ、どんな方法で実行するか。

 殺しはしない。古賀千秋は生かしておく。死んだら、それで御仕舞いだ。それじゃ面白くない。ただし苦痛を伴って、だ。

 娑婆に出たら、まず格闘技を本格的に習う。女子プロレスに入門しよう。あたしのラリアットに磨きを掛けたかった。

 きっとプロレスラーとして世界チャンピオンになれるだろう。もしかしたら女子プロレスに限らないで、男の団体でも十分にやっていけるかもしれない。あのスタン・ハンセンと互角に戦える自信があった。

 リング・ネームはどうする。小池和美じゃ、迫力がない。アントニオ猪木の由来はアントニオ・ロッカだ。じゃあ、プロレスの神様と称えられるカール・ゴッチにちなんでカール小池なんてどうだろう。

 ……いや、ダメだな。どこかのスナック菓子と間違えられそう。        これは、じっくり考えるべきだ。下手なリング・ネームをつければ笑い者になる恐れがあった。時間をかけて慎重に選ばないといけない。

 goodなリング・ネームが決まれば実力はあるのだから、きっと人気者だ。雑誌の取材、インタビュー、テレビのコマーシャル、どんどん高収入のオファーがやってくる。セレブだ。テレビ朝日の『徹子の部屋』に呼ばれちゃったりして、超有名人の仲間入り。君津南中学校からも講演依頼が来て地元に凱旋。女子少年院へ送られた生徒が、その後の努力で大成功を掴む。あたしの話に誰もが拍手喝采。そうだ、その時はサングラスをして真っ赤なメルセデス・ベンツで行ってやろう。

 準備が整ったところで古賀千秋に連絡する。再会しても、女子少年院に入れられた恨みは一切口にしない。これまで通り下手に出てやるつもりだ。近況を聞きながら、いつどこで待ち伏せすればいいかを探る。夜に人気のない通りで後ろから襲う計画だ。警察に捕まりたくないし、千秋にも顔を見られたくなかった。付き合いは続けたい。

 まずラリアットで気を失わせよう。そしてカミソリを二枚刃にして、あの女の顔にCKのイニシャルを描いてやる。二枚刃にするのは病院で皮膚の縫い合わせを難しくさせる為だ。顔の傷は太く、ハッキリと残したい。みんなが目を背けるように不気味に仕上げる。誰もが古賀千秋と目を合わせて話をしなくなるのだ。

 CKは、あいつの名前とは別の意味がある。

 中学二年の夏休みだった。古賀千秋はカルバン・クラインのTシャツを着て待ち合わせ場所に現れた。「これって、あたしと同じイニシャルなんだ」と言う。その後も何度も「今,流行っているの」と自慢するので、こっちも相槌を打つつもりで「カッコいいね」と言葉を返す。すると透かさず、「じゃあ、売ってあげてもいい。あたしには少し大きめだから」と、無理やり四千円で買わされた。

 数日後にアピタで同じTシャツを着た山田道子と遭遇する。「しまむらで二千円で見つけた」と聞かされた時はショックだった。お前が、売った金で白と黒の二枚のTシャツを手に入れたと知ったのも間もなくだ。でも何も言えない。文句を言えば友達でなくなる恐れがあった。自分の居場所、自分の存在が脅かされるのだ。

 奢らされるのは毎度のこと。一緒にマクドナルドへ行けば支払いは、いつも自分だ。嫌われたくないから金を出す。でも有難うの言葉は聞かない。あいつがしてくれた事と言ったら、篠原麗子から貰ったサラミを食べきれないからと一つ分けてくれただけだ。それも賞味期限の切れたやつを。何かに何度も何度も擦られたみたいで、包装してあるビニールの色は褪せて商品名すら消えかかっていた。どうしてだろう。太くて固くて長いから食べ難いし、全然おいしくなかった。

 その積もり積もったツケを支払わせてやろうじゃないか。

 お前の顔にCKの文字を刻み込む。それでカルバン・クラインのTシャツを着て君津の街を歩いてもらいたい。顔にも胸にもCKの文字だ。これって究極のお洒落じゃないだろうか。

 もう満足な仕事には就けないのは明らか。そこで付き人として、あたしが雇ってやるんだ。散々こき使ってやるよ。『徹子の部屋』では、生活苦の同窓生を雇って世話していると美談を披露しよう。それで人気はウナギ登りだ。女スタン・ハンセンとして、小池和美の想像は果てしなく膨らんでいく。君津南中学では書記でしかなかった少女が、地位と名声そして富を得るのだ。サクセス・ストーリー。

 あ、そうだ。気が変わった。転校生に貰ったメガネは掛けることにしなきゃ。知らない奴は、見てバカする。そこが狙い目だ。ラリアットで思い知らせてやる。身につけたプロレス技が出所するまで錆びないように時々は使わないといけないことに気づく。

 待ってなよ、古賀千秋。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る