第91話
91 1999年 10月
「しくじったのは、あんただけだよ。どうするのさ。アバズレの五十嵐香月だって、ちゃんと双子を産んだのにさ」
「……」
「やっぱり、あんは呪われた女らしいね。妊娠したことが間違いだったんだ」
東条朱里は産婦人科病院に見舞いに来て、産まれた双子の一人が死産だったことを初めて知った。失望と怒りに駆られて、同僚だった美術教師に辛辣な言葉を浴びせ続けた。「子供が一人じゃ意味ないでしょうが。ろくでもない普通の子にしか育たないわ、きっと」
「ごめんなさい」
「謝って済む問題じゃないよ」
「……」
「せっかく、こうして――」
「なんとかする」相手は言葉を搾り出すように言った。
「え?」
「なんとかするわ」
「なんとかするって、……どうすんの」東条朱里は疑いの目を隠さない。
「考えたの」
「あんたが?」
「ええ」
「……ふうむ」どれほど相手の決心が強いか推し量ろうとして、しばらく東条朱里は何も言わなかった。「きっと大変なことになるでしょうね」
「わかっている」
「覚悟は出来ているの?」
「……」元同僚は無言で頷く。
「あんたに出来るの? 誰も助けてくれないよ」
「大丈夫」
「じゃあ、任せていいの? でも失敗は絶対に許されないよ」
「ええ」
「そう。それなら安心したわ」不安がなくなると東条朱里は態度を一変させた。「よかった。あんたなら、きっと上手くやれる。あたしね、信じているから」
「……」
「ねえ、聞いてくれる」本来の、お喋り好きな女に戻っていく。「あたし、本郷中学に転勤することが出来たんだけどさ。それが傑作なのよ。教頭の高木に頼みにいったんだけど、それがバカみたいに、『あのなあ、転勤は地区の教育委員会が決めることなんだ。キミが行きたいからと言っても自由にはならん。それに第一、そんな権限は私にはないから』、なんて真面目くさって言うのよ。だから、あたし言い返してやったんだ。『もちろん、そんな事は知っています。でも、どうしても本郷中学へ転勤しないと困るんです。何が何でも教頭先生には協力してもらいますから』って。あたしもこの時とばかりに、思いっきり強気に出てやったんだ。『この件については、あたしの指示に従ってもらいます』って傲慢な態度で付け加えたの。そしたら、さすがに怒り出したわ。『何だって? おい、言葉に気をつけないか。立場を考えなさい』だって。あたしの思う壺よ。そこでポケットから、あの虫の死骸を幾つか出して机の上にバラ撒いてやったの。高木のバカったら椅子から飛び上がって後退りしたわ。あははっ。笑えるでしょう? そのあとは子供みたいに身体を震わせて泣いてんのよ。ざまあみろって」
「……」
「あんた、ねえ、人の話を聞いてんの?」相手が期待した反応を見せないので、東条朱里は居心地の悪さを感じ始めた。
「……」
「いいわ。そろそろ帰るから」
東条朱里は椅子から立ち上がった。「そうだ。あんたの決心が揺るがないように、これを置いていくわ」そう言うと、バッグの中から白いチューリップを取り出し、飲み水が入ったコップに差した。「きっと二度と会うことはないかも、あたしたち。うふっ」
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