第80話


   80

 

 「教頭先生っ」加納久美子は叫んだ。

 目の前で高木教頭が膝蹴りと二発のパンチを浴びてなす術も無く倒されてしまう。まさに秒殺だった。慌てて助けに向かおうとしたが思い止まった。自分もやられてしまう。ここは逃げるしかない。職員室まで行けば助けを呼べる。久美子は身体を翻して階段へと急いだ。「えっ」

 足音がする。また誰かが二階から上がってきた。

 「あっ、お母さん」黒川拓磨の母親だった。家庭訪問の時と同じで、緑のトレーナーにピンクのスエット・パンツ姿だった。何で、こんな時に、こんな所へ? 「早く逃げてっ」

 「こらっ、拓磨。何やってんだいっ」母親が叱る。

 息子が怖いと言っていたにも関わらず、その口調は強かった。「逃げて、お母さん」いくら母親でも無理だと思った。息子はオオカミのように野獣と化している。もう性欲しか頭にないのだ。加納久美子は母親の手を取って一緒に逃げようとした。

 違和感を覚えた。え、どうして? 同時に母親も久美子の手を取ったが、その力が強すぎる。これじゃあ、自由が利かなくて逃げにくい。「お母さん?」

 ところが母親は久美子の方を見ようともしない。息子に向けて放った次の言葉に背筋が凍りついた。

 「拓磨、この程度のアバズレなんかに手間取ってんじゃないよ。早く、ヤっちまいなったら」

「お、お母さん」

「黙れっ。手こずらせやがって、このアマ。パンティを脱いで、拓磨に向って股を広げるんだよ」

 乱暴な言葉と同時に平手打ちも飛んできた。「いやっ」親からも殴られた事がない久美子だった。身体から力が抜けていく。

「いや、じゃないよ。すぐに気持ちが良くなるさ。さあ、拓磨。捕まえててやるから、この女の下着を脱がしな」

 もう目の前に黒川拓磨が立っている。「ああ、お願い。許して」絶望感が久美子を包んでいく。

「大人しく拓磨に抱いてもらいな、このアバズレが」

 チノ・スカートの裾に黒川拓磨の手が掛かった。腹部まで引き上げられて下着姿の下半身が露わになる。久美子は目を瞑るしかなかった。生徒に犯される、それも学校で。身体は震え出し、もはや抵抗する気力は失せていた。

 「お前のお陰で忌々しい鏡は手に入った。もう処分したよ。これで拓磨が怖がるモノは何もなくなった」

「え、……あたしのお陰って?」どういうこと? わからない。

「そうさ。お前は踊らされていたんだよ。鏡を手に入れるのに利用したのさ。お前が思い通りに動いてくれたんで大いに助かった。ありがとうよ。お礼に拓磨の子供を妊娠させてやろうじゃないか。あはは」

「……そんな」絶望感が久美子を襲う。生徒の手がパンティを掴んで、腰から剥ぎ取ろうとしていた。唇を噛んだ。覚悟した。少しでも早く苦痛が過ぎ去ってくれることを願うしかない。

 「ぎゃあっ」 

 ボコッ、という何かがぶつかる音と共に母親の叫び声がした。久美子は驚いて目を開けた。何が起きたのか分からない。死んだ魚が放つような腐敗臭が鼻を突く。自分を捕まえていた母親の手が離れた。久美子の後ろに誰かいるらしく。そっちに向かって黒川拓磨が身構えていた。今なら、自由だ。慌てて身体を回転させて、この場から廊下の隅に身を寄せた。「あっ」

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