第60話


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 加納久美子は携帯電話を持ったまま動けない。

「どうしたの?」と安藤先生。

「……」ショックで返事が出来なかった。ただ安藤先生を見つめ返すだけだ。

「加納先生」

「死んだって」声は小さい。やっと言葉を口から搾り出した感じだった。

「え?」

「黒川拓磨の担任をしていた教師は亡くなったらしい」

「まさか」

「そう言うと電話を切ったのよ」

「信じられない」

「あたしだって……」

 加納久美子と安藤紫の二人の教師は、それぞれの椅子に座ったまま黙り込んだ。聞かされた事実を必死に頭の中で整理した。

 「担任をしていた教師の死と黒川拓磨が関係していると思う?」最初に口を開いたのは安藤紫だった。

「……」問われると加納久美子は顔を起こして、無言のまま小さく頷く。

「あたしも」

「平郡中学校の教頭先生は間違いなく電話を迷惑がっていた」

「……」

「きっと平郡中学校で何か大変な事が起きたんだわ」

「そして、それを隠したがっている」

「そう」

「何だと思う?」

「わからない」

「これから、どうする」

「わからない」加納久美子は返事を繰り返すだけだ。

 二人は再び黙り込む。考えていることは間違いなく同じだ。平郡中学校で起きた事が知りたい。それを知れば黒川拓磨に対して何か対応が取れるはずだろう。しかし知る方法は、これで閉ざされてしまった。

 「君津署の波多野刑事に連絡したらどうかしら」沈黙を破ったのは加納久美子だ。

「そうだ、それがいい」

「もし平郡中学校で起きた事が警察沙汰になっていたら、調べてもらえるかもしれない」

「早く電話して」

「待って」

「どうしたの?」

「そうしたら、これまでに君津南中学で起きた不可解な出来事を、すべて言わないと」

「もちろん」

「それらに自分たちが、黒川拓磨が事件に関係していると疑っているとも伝えなきゃならない」

「それが悪いことなの?」

「しっかりした証拠がない。本人は否定しているし」

「構わないと思うけど」

「気が引ける」五十嵐香月の妊娠については、口が裂けても誰にも言えなかった。それに、もし自分たちが間違っていたら……。そう思うと行動を躊躇ってしまう。

「そんなこと言わないで。一刻も早く黒川拓磨の正体を暴くべきだわ」

「ちょっと考えさせて」

「三月十三日の土曜日まで、そんなに時間がないのよ」

「わかってるけど」

 加納久美子は、安藤先生の黒川拓磨に対する態度に違和感を覚えた。彼の正体を知ろうと不思議なくらい一生懸命のは何故なんだろう。

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