第53話
53
篠原麗子は悩んでいた。
大怪我をした義理の父親は君津中央病院に入院した。当分の間は退院できない。母親と二人だけの生活へ戻れた。
憎らしいから奴のアソコを食い千切ってやろうと思った、と正直に話すと、娘の大胆な行動に驚いたのか母親はしばらく黙ったままだった。叱られるかもしれないと身構えた。でも耳に届いたのは慰めの言葉だった。
「よく分かった。お母さんが後は引き受けるから、もう大丈夫だよ。悪いようにはしない。つらい思いをさせてしまったけど許してほしい」
嬉しかった。義父と別れて再び二人でアパートに暮らせるんだと期待した。ところが、そうはならない。
母親は駆け引きの達人だった。夜の仕事で培った酔った客の扱いの巧さが発揮されたのに違いない。娘への性的虐待を武器にして、義理の父親だった男に迫った。
男は刑事告発を恐れた。何とかして示談で済ませたい一心だ。市役所の仕事を失うわけにはいかない。両親は老齢だが健在で、彼らにとっては自慢の一人息子らしい。もはや麗子の母親の言いなりだった。
新築の家とグリーンのベンツ、それに高額の慰謝料を母親は手にした。男はアソコの機能を失っただけでなくて無一文になる。残っているのは住宅ローンの支払いと公務員の仕事だけだ。そして離婚届にも判子を押した。
すべての事が片付いたとき、新たな生活は麗子の望んだのとは違った。母親が元に戻ってくれない。どんどん派手になっていく。若い女性が着るような服に身を包み、ルンルン気分でベンツに乗って出かけて行く。娘の麗子が見ていて恥ずかしくなるほどだ。近所に住む山田道子に知られたら大変だ、と気が気でなかった。
最悪なのは、学校から帰ると頻繁に家で若い男と顔を合わすことだ。ほとんどが、いつも初めて見る人だった。お友達よ、と母親は言うけれど信じちゃいない。娘が学校へ行っている間に、二人が家の中で何をしているのか想像はつく。あたしだって、もう子供じゃないんだから。
塞ぎ込んだ顔を気づかれたのか、転校生の黒川くんが声を掛けてきた。義父のアソコを噛み切ったらいい、とアドバイスをしてくれたのは彼だ。計画は上手く運んだが、その結果は期待していたのと違う。それを話した。
「もう祈るしかないかもしれない」彼は言った。
「え、どういう意味?」
「三月十三日の土曜日に、みんなで教室に集まって『祈りの会』を開く予定なんだ」
「何、それ?」
「みんな、それぞれ悩みや願望を抱えているらしい。それが解決したり、叶ったりするように祈るのさ」
「二年B組の生徒が全員?」
「いや。全員とまでは言えないが、ほとんどかな。まだ古賀千秋さんには声をかけてないけど」
「ふうむ」
「篠原さんには、ぜひ参加してほしいな」
「いいよ。あたしも行く」
「よかった。そこで頼みがあるんだ」
「なに?」
「同時に、ぼくと加納先生が仲良くなれるように祈ってくれないかな?」
「え、黒川くんと加納久美子先生が?」
「そうだ」
「歳が違い過ぎない?」
「わかってる。だけど全員の思いが集中すれば大きなパワーになるんだ。それを利用して一人ひとりの悩みや願望を解決するさ」
「へえ」
「もう一つ、お願いがあるんだ」
「なに?」
「ローソクを何本か用意してくれないか?」
「いいけど。でも何に使うの?」
「思いを集中させるのにローソクの火が必要なんだ」
「なるほど。何本ぐらいあればいいの?」
「十本ぐらいでいいかな」
「え、十本も?」ドキッ。その本数を聞いて篠原麗子はDマーケットでの出来事を思い出す。形だって似ていた。
「うん」
「お、大きさは?」声が上ずってしまう。
「普通でいいかな。細かったり小さかったりするのはマズい。炎が消えやすいと困るんだ」
「……」額に汗が滲む。つまり太くて長い方がいいらしい。
「や、やっぱり硬い方がいいんでしょう?」
「え、どういうことかな?」
「あ、何でもない。ごめんなさい」ローソクって、どれも同じ硬さなのに篠原麗子は気づく。
「用意してくれるかい? お金は後で払うから」
「う、……うん」自信はなかった。でも出来ないとは言えない。
「ありがとう」
「古賀千秋は、あたしが誘ってみようか?」
「そうしてくれると助かるな」
「わかった」
その日の晩に、篠原麗子は古賀千秋に電話した。学校で面と向かって話したくはなかった。額の汗と火照った顔を見られたくないからだ。
「千秋、いま話せる?」
「大丈夫だけど、なに?」
「三月十三日の土曜日に、黒川くんが学校で『祈りの会』を開くらしいの」
「何よ、それ? 『祈りの会』って」
「それぞれが持っている悩みや願望を、みんなで祈って解決するんだって」
「へえ、面白そう」
「一緒に参加して欲しいんだけど?」
「いいよ」
「それとローソクが必要なんだ。あたしが買いに行くように頼まれちゃったの。付き合ってくれない?」
「いつ?」
「明日でも。学校が終わってから」
「わかった」
「ありがとう」ああ、助かった。
篠原麗子は一人で買いに行く自信がない。またエッチなオジさんが横から出てきて、お節介をされそうで怖かった。
『何をやってんだい、お姉ちゃん。そりゃダメだって。ローソクなんか、あんたの役に立つもんか。そういう事だったらサラミに限るんだ。見てごらん、この先端の丸み。ここが大切なんだから。硬過ぎることはなく、また柔らか過ぎることもない。使って滑らか。デリケートなところに触れさせた瞬間の心地良さが大きく違う。悪いことは言わないからサラミにしなさい。太さだって、お姉ちゃんの身体には丁度いいと思う。ローソクは細すぎて、満たされた感じがしないだろうから』
こう言われてしまったら終わりだ。もう逆らえない。ローソクを買いに行って、サラミを持って帰ることになったら、きっと黒川くんは激怒する。どうしたってサラミにローソクの代わりは務まらないもの。
『ゴメンなさい。ローソクがサラミになっちゃったの』
こんな謝罪を誰が受け入れてくれようか。みんなが馬鹿にした目で見るに決まっている。篠原麗子っていう女は早熟なくせに買い物は満足に出来ないらしい。そう思われてしまう。
とても一人では買いに行けない。不安だ。気の強い古賀千秋の助けが必要だった。万引き事件を起こしたって平気な顔をして学校に来ていた。二年B組の学級委員長も、辞任する気持ちはなさそう。さすがだ。
「ところでさ、麗子」
「なに?」
「まだ、あのサラミは残っている?」
「えっ、……」ドキッ。どうして、あたしがサラミで悩んでいるって分かったの? もう、恥ずかしい。「う、うん、……ま、まだあるけど。どうして?」
「もし良かったら、何本でもいいから少し譲って欲しいの。あれって、すごく使いやすいのよ」
「え、どういう意味?」
「あ、……つまり、すごく美味しいってことよ」
「そうなの」ああ、よかった。気づかれたんじゃないらしい。「それなら明日、学校に持っていくから」
「うれしい。この前は二本もらったけど、一本は古くなったから友達に上げちゃったのよ」
「そうなんだ」よく意味が分からないけど。
「じゃあ、明日」
「わかった」
篠原麗子は持っているサラミすべてを、古賀千秋に渡してしまう気だった。もう用はない。あれを目にする度に、精肉コーナーにいたオジさんの言葉を思い出して嫌だった。『お姉ちゃん、またおいで。いつでも相談に乗るから。えへへ』
Dマーケットの近くを自転車で通ると、ここの精肉コーナーで働くエッチなオジさんが、あたしのことを待っているんだと意識してしまう。忘れたいけど忘れられない。その度に、背中から腰にかけてゾクゾクした感覚が走った。いやらしい。でも溶けてしまいそうになるほどヘンな気持ち。あたしって、こんなに淫らな女だったのかしら。あの母親の娘だから仕方ないのかもしれないけど。
ある日曜日の午後だけど、もう身体がムズムズして堪えられなかった。自転車でDマーケットへ急ぐ。一階の食料品売り場をうろうろ回った。足が精肉コーナーに近づく度に、強烈な快感が身体を貫く。もう汗びっしょりだ。あのオジさんに見つかるかもしれないというスリルに痺れた。もし声を掛けられたらどうしよう。そしたら『また相談に来ました』と言うしかない。
きっとエッチなオジさん二人が、ニヤニヤしながら迎えてくれるだろう。この前みたいな、すごく恥ずかしい目に遭わされるのは間違いない。それは困る、……でも、もう一回ぐらいだったらいいかな、と思ってしまう最近の篠原麗子だ。これまでは、そんな考えを持ったこともなかったのに。どんどんセクシーに大人びていく身体に、心が追いついていけない。
胸の膨らみについては、こんなに早く大きくなって欲しくなかった。みんなの注目を集めようとしているみたいで、すっごく恥ずかしい。
いつだって男性たちが熱い視線を送ってきた。それが、もう小学生の男の子から中年のオヤジまでが。『あたしは見世物じゃありません。もう見ないで下さい』、そう叫びたかった。と同時に着ている服を脱いで、この女らしい身体を自慢したいという気持ちになったりもした。
中学二年で、この状態だった。これから高校、大学へと続いていく。早熟な身体をコントロールしていけるか自信がない。どうなってしまうんだろう。すごく不安だった。
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