第50話
50
「おい、板垣。何を持って来たんだ、お前?」サッカー部員の一人が訊いた。
「ビデオだよ。あいつが退屈してると思ってな」
「どんな?」
「バカ、聞くだけ無駄だぜ。板垣のことだから、エロビデオに決まってんだろう」別のサッカー部員が横から口を出す。
「そうだな、訊いたオレがバカだった。また光月夜也のビデオに違いないぜ。あはは」
「いや、これは別モノさ」と板垣順平。
「お前、AV女優の好みが変わったのか?」
「そうじゃない。これは裏ビデオなんだ」
「えっ、マジかよ」
「先輩から借りてダビングしたのさ。『洗濯屋ケンちゃん』ていう有名なビデオらしい」
「見たのか?」
「当たり前だろう」
「どうだった?」
「モロだぜ。内容も悪くない」
「見てえ。オレにもタビングしてくれないか」
「いいぜ」板垣順平は応えながら、同じクラスの鶴岡政勝が黙っていることに気づく。こういう話題には、いつもなら真っ先に飛びつくはずなのに。「おい、どうした? 元気がないな」
「……」
「おい、鶴岡」
「え?」
「何を考えている? お前らしくないぞ」
「悪かった。なんだかオレ、ちょっと風邪をひいたみたいなんだ」
「しっかりしろ。今週中に治せよ。日曜日には富津中学とのリベンジ・マッチなんだからな」
「わかってる」鶴岡政勝の返事には、早く風邪を治したいという意思が微塵も感じられなかった。
君津南中学のサッカー部員全員で、交通事故で入院している鮎川信也を見舞いに行くところだった。
鶴岡政勝は良心の呵責に苛まれて、仲間の会話に入れない。鮎川信也が乗っていた自転車の前輪に細工したのは自分で、それが原因で奴は道路で転倒して、後ろを走っていた軽トラックに轢かれてしまう。
左足の踵を複雑骨折して、二度とサッカー部には戻れそうにないと顧問をする体育教師の森山先生から聞かされたのだ。ショックだった。ちょっとした怪我をして次の試合を休んでくれたら、それでよかったのに。大変な事をしてしまった。
「もう今までと同じようには歩けないんじゃないか。もしかしたら松葉杖が手放せなくなるかもな」、と言った板垣順平の言葉が胸に深く突き刺さる。
軽トラックを運転していた老人は避けようとして、反対車線に飛び出すと対向車と正面衝突して亡くなった。つまり鮎川信也の自転車にパンクを細工したことで人が死んで、友達を障害者にしたのだった。もう取り返しがつかない。
次の富津中学との試合に出場して、マネージャーの奥村真由美に活躍する姿を見せたかった。その思いが大変な事態を招く。
皮肉なことに鮎川信也が事故に遭った晩に、奥村真由美から電話があった。「一緒に『メリーに首ったけ』を観に行かない?」という誘いだった。うれしかった。でも同時に罪悪感が込み上げてきた。
あり得ない。信じられない。なんてこった。
デートの約束をして携帯電話を置いた後は、鮎川信也の自転車に細工したことを後悔した。そんな事をする必要はなかったのだ。彼女は自分に好意を持ってくれていた。
鮎川信也がパンクに気づいて、何事もなく家に帰ってくれることを願う。しかし夜の十時過ぎに板垣順平から電話があった。着信音が鳴った瞬間にイヤな思いが脳裏を過ぎる。最悪の結果を知らされた。
「学校の帰りに鮎川が事故に遭ったらしいぜ」
「……」なんてこった、マジかよ。うな垂れて目を閉じた。
「おい、鶴岡」
「……な、何だ?」
「お前、聞いてんのか?」
「うん」
「鮎川が交通事故に遭ったみたいなんだ。今さっき親父のところに学校から連絡があった」
「そうか」小さい声でしか返事ができない。
「どうしたんだ、お前? 驚いていないみたいだな」
「い、いや……そんなことはない。驚いているさ」
「本当か?」
「当たり前だろう。ちょっとショックが強すぎて……。まさか、重傷じゃないよな?」
「そこまでは、まだ分からない。これから親父から詳しく聞く。明日の朝に学校で話すから。部室に集まってくれ。いいな?」
「わかった」
鮎川信也の病室には一番後ろから入った。奴と顔を合わせたくない。左足は白い石膏で固めてあって、それが痛々しい。みんなを代表する形で板垣順平が話す。持ってきたビデオを渡すのが見えた。事故に至った詳しい経緯を本人から訊く。鶴岡が、「女の子の自転車を追い越そうとしたところで、前輪のパンクに気づいたんだ」と、みんなに聞こえるように説明し始める。
聞きたくない。鶴岡は一刻も早く帰りたかった。誰かが、「そろそろ行くか?」と言い出すのを待った。
「おい、鶴岡」板垣の声。
「……」ちっ、呼ばれちまったか。
「鮎川が話したがっているぜ。前に来い」
促されて仕方なくベッドの側に立ったが、出来るだけ目を合わさないようにした。「早く治ればいいな」なんとか言葉を口にする。
「しばらく掛かりそうだ。もうサッカーは無理かもな」
「……」何も言えない。オレの所為だ。
「鶴岡、今度の試合は頑張ってくれよ。絶対に勝ってほしい。お前が自分のプレーをすれば絶対に大丈夫だから」
「うん」
つらい。こんな励ましを受ける資格なんてないのに。本当に鮎川に悪いことをしたと思った。と同時に奴が凄くいい友達だと分かった。
立ち直れそうにない。病院を後にして家に帰ってからも、罪悪感
に押し潰されそうだった。その夜だ、黒川拓磨から電話があった。
「どうだった、鮎川の容態は?」
「最悪だ。二度とサッカーは出来ないらしい」
「マジか」
「畜生、大変なことをしちまった」
「仕方ないぜ」
「もう取り返しがつかない」
「そうだな。でも運が悪かったんだ。お前だけの所為じゃない」
「そうかな」
「軽トラックを運転していた年寄りが、運転操作を誤ったから事故になったんだろう」
「それもあるけど」
「いや、それがすべてさ」
「そうは思えない」
「もし鮎川が転倒しなかったら、軽トラックは女の子を轢いていたかもしれないぜ」
「まさか」
「その可能性が高いと思う。目の前で転倒した鮎川を避けられないぐらいだから、かなり反射神経は鈍いな。年寄りの運転なんて、気違いに刃物と同じだぜ。お前は自転車に細工して女の子を救ったと言えるんじゃないかな」
「……」
「もし女の子が轢かれたら足の怪我ぐらいじゃ済まないぜ」
「そうかもな」
「鮎川はサッカーが出来なくなったかもしれないが、死んだわけじゃない」
「……」
「お前は女の子を助けたのさ。くよくよしながら生きて行く事はないだろう。若いんだから、前向きに生きろ」
「それは言えてるな」
「祈ってやれ」
「え?」
「鮎川の怪我が一日も早く完治するように祈るんだ」
「どうやって?」
「三月の十三日に学校に集まってくれ。みんなと一緒に、まずはオレと加納先生が仲良くなれるように祈ってほしい」
「それとこれが関係あるのか?」お前と加納先生が仲良くって、それ本気かよ。ちょっと無理があるんじゃないのか。
「もちろん。オレの為に祈ってくれたら廻り回って、お前の願いだって叶うのさ」
「そういうもんかな?」
「そうだ」
「わかったよ」
「前向きに考えろ。過去を引き摺って生きたって、いいことは何もないぜ。奥村真由美と一緒に映画を見に行くことに集中しろ。きっと楽しいぜ」
「え? ああ、そうだな。お前の言う通りだ」そのことを何で知っているんだろう。
「前から思っていたんだけど」
「何を?」
「お前と奥村真由美なら、お似合いのカップルになるんじゃないのかな」
「マジでか?」
「嘘じゃないぜ」
「身長が彼女の方が少し高くて気になっていたんだけどな」実は5センチ近くも鶴岡は低かった。
「心配するな。そんなことを気にする奥村真由美じゃないぜ。いい性格だ」
「オレも、そう思う」
「せいぜいデートを楽しんでくれ」
「ありがとう。元気になった感じがするよ。三月の十三日は必ず学校へ行く」
「頼む」
黒川拓磨から電話をもらって、鶴岡政勝は元気を取り戻した気分だった。ただ一つ、腑に落ちない。どうして黒川の奴が、オレが奥村真由美と映画に行くことを知っているのか不思議に思う。もしかして彼女が言ったのかもしれない。
黒川が奥村に『メリーに首ったけ』を一緒に観に行かないか、なんて誘ったのかな。そこで彼女が「ごめんなさい、もう鶴岡くんと一緒に見に行く約束をしちゃったの」なんて答えたりして。それなら納得だ。
『お似合いのカップルになりそうだ』という言葉を掛けられて有頂天の気分だった。ほかの事は別にどうでもいい。
どんな服で行こうか? どこで食事しようか? 今は、生まれて初めてするデート以外のことは何も考えたくなかった。
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