第47話

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 黒川拓磨と話をする機会は,あえて探す必要がなかった。

 翌日、加納久美子が英語の授業で二年B組の教室に入ると、教壇の上に青いチューリップがあった。「まあ、素敵。誰かしら? 持って来てくれたのは」

「僕です」

 黒川拓磨だった。加納久美子の胃が重くなった。「ありがとう」何とか感謝の言葉を搾り出す。授業中、生徒たちに付加疑問文を教えながら、このチャンス活かすしかないと自分に言い聞かせた。

 休み時間を知らせるチャイムが鳴ると、黒川拓磨の方から近づいてきた。「黒川くん、ありがとう」加納久美子は声を掛けた。

「どういたしまして。先生、チューリップは好きですか?」

「もちろん。嫌いな人なんているかしら」

「その通りだ」

「どうしたの?」

「近所の花屋で見つけました」

「こんな時期だから、さぞかし高かったでしょう?」

「はい、安くはありませんでした。でも大昔のオランダでは、チューリップの球根で家が買えたらしいですよ。あはっ。そこまでは高くありませんでしたから、ご心配なく」

「チューリップ・バブル」

「そうです。この花の球根が、そこまで高価になったなんて信じられますか?」

「いいえ。その当時のオランダ人て、どうしちゃったのかしら」

「あの頃に取引されていたチューリップは、これほど色や形が管理されたモノじゃなかったんです。すべてがウイルスに感染した奇形の花でした。色合いや形が病気に左右されて、球根が急に綺麗な花を咲かせたんです。それに病気なので長持ちしません。そんなんで希少価値が高くなってバブルに発展していったんです」

「まあ、詳しいのね」

「歴史は好きです。バブルに踊って、それが弾けて多くの人々が苦しむところなんか。チューリップ・バブルの後では長い年月に渡って、オランダは不況に苦しんだそうです」

「……」人が苦しむ姿が面白いなんて、嫌な性格。この話題は続けたくなかった。「黒川くん、ちょっと訊きたいんだけど」加納久美子は言った。

「はい、何ですか」

「あなた、板垣くんにゲーム・ソフトを貸したの?」

「いいえ」

「本当に?」

「はい。僕はテレビ・ゲームに興味はありませんから」

「そう」本人が否定するなら仕方ない。これ以上は追求できなかった。「もう一つ、訊きたいことがあるんだけど」

「なんなりと」

「五十嵐香月さんと交際している?」

「いいえ」

「そう。わかった。もう、いいわ」

「彼女は素敵な女の子ですけど、ちょっと好みじゃありません。僕の理想は知的な女性です。たとえば加納先生みたいな」

「……」最後の言葉にびっくり。

「先生はブルーが似合う。だから迷わずに青いチューリップを選びました」

「ありがとう」小さな声で感謝の言葉を口にした。生徒との会話に居心地の悪さを覚えつつあった。

「青や赤、黄色と様々な色のチューリップがありますが、どうしても作れない色があるのを知っていますか?」

「い、いいえ」

「黒です。黒いチューリップは絶対に出来ないらしい」

「そうなの」

「それとバレンタイ・ディですが、女性が好きな男性にチョコレートを送るのが一般的です。でも欧米では男性が好きな女性に花を送るという風習もあります」

「ごめんなさい。次の授業の用意があるから、もう行くわ」もう居た堪れない。ぼくと付き合ってくれませんか、なんて言葉が次に聞こえてきそうな雰囲気だ。加納久美子は、テキスト類をまとめると足早に二年B組の教室を後にした。

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