第43話

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 さすがだ。たいしたもんだ。やっぱり古賀千秋は只者じゃなかった。リーダーになるべくして生まれてきた人物だ。彼女にとっては君津南中学の生徒会長なんて、ひとつの小さな通過点でしかないだろう。いずれは代議士になって、たどり着く地位は日本国首相かもしれない。

 成績が優秀で二年B組の学級委員に選ばれて凄いと思ったが、それが彼女のすべてじゃなかった。山岸たちと一緒に万引きを始めると、もっと、もっと優れた一面を小池和美は見せられた。

 「前田、ただボケっと周りを見ているだけじゃダメだ。少しは動いて、常に店員の様子を把握しろ」

「相馬、むやみやたらに盗めばいいってもんじゃない。出来るだけ高価で、売りさばき易いモノを取るんだ。頭を使え」 

 万引きをして僅か二日目でリーダーシップを握った。的確な指示を二人に出す。本人は山岸涼太と恋人同士を装って、イチャイチャしながら店員の注意を引く。お互いの体を寄せ合うの当たり前で、ここっていう時にはキスまでして見せた。好きでもないのに、よくあんな態度が取れるもんだと感心してしまう。自分の仕事に徹しているんだろう。それでいて、しっかり高価な商品を誰にも見られずにポケットに忍ばせたりしてる。店員の目だけじゃない、仲間の目も誤魔化すほどの凄腕なのだった。さすがだ。

 小池和美は図体が大きいので、立っているだけで人目を集めた。

「あんたは、あんまり動かなくていい。商品を選んでいる振りをしながら、相馬太郎を店員から見えなくして。それから仕事の時だけは、その白いメガネを外して。目立ち過ぎちゃうから」古賀千秋からの指示は、それだけだった。

 もっと役に立ちたいと思った。それじゃ、アホの前田良文と変わりがない。不満だ。あたしは、もっとマシなのに。

 それと小柄な相馬太郎の後ろを歩いて階段を降りる時は、奴の背中を押して突き落としてやりたい衝動を抑えるのに苦労した。背の低い男を見ると攻撃的になる性格は、どんどんエスカレートしていく。

 万引きを手伝って、それなりの報酬を貰っても嬉しくない。古賀千秋みたいに生き生きとした表情になれなかった。

 それにしても彼女は凄い。勉強だけでなく、万引きも上手に出来た。何をやっても成功するタイプらしい。きっと初の女性総理大臣は小池百合子でも野田聖子でもなくて、古賀千秋で決まりだろう。

 え、待って。こりゃ、もしかして大変だ。

 彼女が総理なら、君津南中学で書記を務めてる自分は、このまま一緒に付いて行けば官房長官てことになりそう。何の取り柄もない自分が閣僚の一人になるなんて、これは大出世だ。でも人前で話すのは苦手。参った、なんとか克服しないと。

それから絶対に痩せないとマズい。二十キロ近くまで体重を落とせば、きっと藤原紀香に似た美人が官房長官に就任するので、マスコミは大騒ぎだ。古賀内閣の顔として世間の注目を集めるのは間違いない。しかし太ったままだと何かしくじりそうで不安だ。

 就任の記者会見では、「ただ今、官房長官の職を拝命いたしました小池和美です。よろしくお願いします」てなことを言わなきゃならない。すると「今後の抱負を聞かせて下さい」なんて、どっかの新聞記者が質問してくるんだ、きっと。そんな想定内の会見で終わってくれたら幸い。

 怖いのは、礼儀の知らない田舎者がこんなことを言ってきたときだ。「官房長官は、スタン・ハンセンに似ていませんか?」

 全国放送だぞ。ふざけんなっ。日本の国民に向かって、小池和美はスタン・ハンセンに似ているって公表しているようなもんじゃねえか。バカヤロー。

 「え? 誰ですか。さあ、そんな名前は聞いたことがありませんよ。プロレスは見ませんから」と、とぼけるしかない。

 え、……待って。これって嘘がバレバレじゃん。だってスタン・ハンセンがプロレスラーだって知っているって白状していのと同じだもの。

 こりゃ、いきなりスキャンダルになりそう。国会は税制改革みたいな重要法案を通すどころか、官房長官の就任記者会見での虚偽答弁を問題視して野党が審議を拒否。小池和美は閣僚としての資質に欠ける、の大合唱。マスコミは一斉に実家を直撃取材だろう。

 あの父親のことだからテレビに出られるとなったら、ポマードで髪を固めてダーバンのスーツに着替えてから、マイクの前に立つのは間違いない。もうスター気取りだ。しっかりサングラスも掛けているかもしれない。そして意気揚々とインタビューに答えながら娘を、マスコミに売り渡すに決まっている。

 「そうなんです。あの記者会見を見て、私もヘンだなと思いました。なぜなら娘は中学二年になると熱心なプロレス・ファンになって、いつもスタン・ハンセンを応援していたからです。ずいぶん憧れていたんでしょう。だって風呂場にある鏡の前に立って、ラリアットの練習を一人でしていたのを何度も見ています。まあ、父親の私が言うのも何ですが、なかなか様になっていましたよ。あれを食らったら普通の人なら気絶するなと思いました。お前は政治家なんかよりも女子プロレスラーになるべきだって、助言したこともありましたが耳を貸してくれませんでした。あいつは言い出したら聞かない性格で……あはは、私に似たんでしょうか」

「お父さん。確認しますが、小池官房長官が少女時代に風呂場の鏡の前で、ラリアットの練習をしていたっていうのは間違いないですか?」と、記者の一人が訊く。

「はい、そうです。私だけじゃありません、妻も何度か目にしています。なあ、お前?」

「ええ、そうですとも。ラリアットはスタン・ハンセンなんかよりも、ずっと和美の方が上手です」

 一人娘を褒めているつもりだろうが、実は逆に窮地へ追い詰めていると理解できない母親だ。政治はちんぷんかんぷん、興味があるのはスーパー・マルエツの特売チラシと韓国ドラマだけ。悲しくなるが、それが小池和美の母親だった。

 「ありがとう御座いました。いい取材ができました」

 両親の言葉が翌日の朝刊に一面トップで掲載されると、野党は追及の手を強める。古賀内閣は発足して早々に官房長官が辞任に追い込まれる事態になるのだ。それでも問題は収まらず、次に首相がマスコミと野党から任命責任を問われることになっていく。ああ、いやだ。こんな大切な時に古賀千秋の足を引っ張りそう。

 記者会見って難しい。あたしがもう少し頭が良くて、もう少し体が小さくて、もう少し痩せていたらいいのに。

 ダメな女だ、あたしは。太ったままでは自分は古賀千秋のお荷物でしかない。役に立ちたい、認めてもらいたいと願っても、その能力は皆無に等しい。

 ところが、だ。そんな小池和美の沈んだ気持ちを逆転させる場面が突然やってきた。

 場所は君津駅前にあるカトーヨーカ堂だ。二階で衣料品を万引きしようと全員が配置につく。この日は、先週が雨で仕事ができなかったので気合が入っていた。今日は稼いでやろう。口には出さないが、みんなが同じ気持ちだ。

 男三人は、家が全焼して土屋恵子が学校に来れなくなったことを喜んでいた。彼女は袖ヶ浦の親戚の家に身を寄せているらしい。

 「これからは稼いだ金はオレたちで好きに出来るんだぜ」と、相馬太郎が前田良文に言うのを耳にした。

 どういう意味だろう? あとで古賀千秋に訊いてみようと思ったが、そんな事がどうでもよくなるほどの事態が起きてしまう。

 次の店に移ろうとしたところだった。前田良文の声がした。

 「あ、あ……。は、はら、腹が減ったーっ」

 仲間に緊張が走った。『腹が減った』とか『お腹が空いた』は合言葉で、ヤバイから逃げろという意味だ。古賀千秋が提案したルールの一つだった。

 全員が同じ方向へ逃げてはいけない。これも決まり事だ。男連中はバカでも、やっぱり足は速い。一目散に、その場から消えた。

 小池和美は体が大きくて足は遅い。だけど慌てなかった。ただの見張り役で万引きには直接に加わっていない。もし店員に捕まったとしても、一人で買い物に来ていただけですと釈明すればいい。

 気掛かりは上司と言ってもいい、もう彼女はクラスメイト以上の存在だった、古賀千秋のことだ。無事に逃げてほしい。

 その姿を目で追った。その時、小池和美の視界に古賀千秋の後ろを走る制服姿の女が入った。えっ、まさか警備員かよ。そうだ、きっとそうだ。「待ちなさいっ」その女の声。

 こりゃ、ヤバいっ。

 反射的に足が前に出た。小池和美は警備員の女を走って追いかけた。この野郎、ふざけたマネしやがって。止めさせないと。頭の中では自分たちが正義で、警備員は悪者だった。

 「待ちなさい」女は大きな声で周囲の注意を引こうとしていた。

 ばか野郎、騒ぐんじゃねえ。警備員が古賀千秋との距離を、どんどん縮めていく。やっぱりプロだ。こいつは動きが違う。どこへ犯人が行くか知っているみたいだ。このままでは捕まってしまう。何とかしないと本当にヤバい。あたし達二人が描いている、二年B組の学級委員から君津南中学の生徒会長という出世コースから外れてしまうじゃないか。

 古賀千秋が階段を降りていく。そのすぐ後で警備員の女は踊り場から階段へ足を下ろそうとするところだった。小池和美は何も考えていなかった。ただ七十三キロの体が無意識に動く。いきなり飛び上がって、憎らしい警備員の女の背中に強烈なドロップ・キックを浴びせたのだ。

 「ぎゃっ」

 警備員は爆風に吹き飛ばされたみたいに体を浮かして、階段下の床に叩きつけられた。衝撃で近くにあったスタンド・タイプの灰皿が倒れた。大きな金属音。飛び散るタバコの灰と吸い殻。

 その音に、逃げようと必死だった古賀千秋が足を止めて振り返った。何事かと思ったに違いない。しかし一瞬で状況を理解したようだ。二階の踊り場で横たわっている小池和美に向かって、親指を立てて頷いて見せたのだ。顔には笑みが。そして走り去った。

 助けられた、と分かってくれて嬉しかった。小池和美は起き上がった。満足感でいっぱいだ。

 手柄を立てられた。上司を窮地から救ったのだ。これからはパシリじゃなくて対等に扱ってくれるかもしれない。

 それと無意識に、ドロップ・キックという難しいプロレス技が出せたことが驚きだった。何の練習もしていないのに、だ。風呂場の鏡の前で真似していた、ラリアットやエルボー・ドロップとは訳が違う。それに、あの場面ではドロップ・キックしかなかった。それも見事に命中だ。女の警備員は倒れたまま身動き一つしない。まさにKO勝利だった。あたしって何だか凄い。

 テレビで見ていただけなのに体は技を習得していた。才能があるのかしら、あたしって。

 人を階段から突き落とすって楽しい。何度でもやりたい。この場所から直ぐに立ち去るなんて、なんか勿体ない。ずっと勝利の余韻に浸っていたかった。カトーヨーカ堂の店長によるヒーロー・インタビューがあってもいいくらいだ。

 「見事なドロップ・キックでした。あの経験豊かな警備員を秒殺ですよ。今の気持ちを、お願いします」

「友達を助けられて嬉しいです」

「いつか決めてやろうと狙っていたんですか?」

「いいえ、無意識でした。だけどあの場面では、あれしかなかったと思います」

「今日の劇的な勝利は買い物客の目に焼きつきました。次の試合への意気込みを聞かせて下さい」

「今度は必ず得意のラリアットで決めたいです」

「期待しています」

「がんばります」 

 余計な空想に耽って、それが命取りになった。他の警備員たちが現場にやってくる時間を与えてしまう。

 小池和美は不意に男の警備員二人に体を押さえられた。あっ、何すんのよ? 力が強くて逃げられそうにない。もしかして捕まったんだ。こりゃ、マズい。

 何かドロップ・キックを浴びせた理由を、デっち上げなきゃならない。そう思ったが、すごく嬉しくて何も考えられなかった。プロレスって見るのも楽しいけど、やるのはもっと楽しいのがこれで分かった。店の事務所へ連れて行かれるというのに、小池和美の顔からは笑みが消えなかった。

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