第32話


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 計画では決行の日は三日後だった。いくら何でも十日ぐらいは掛かるだろうと篠原麗子は見込んでいたのだが--。

 決めた、今夜やる。

 義父は撒いたエサすべてに飛びついてきた。こいつって警戒心とかないの? と心配するほどだった。わざと騙された振りをしているんじゃないかしら、と不安を感じたことも。でも転校生の黒川くんは「大丈夫。そのまま進めて」と言ってくれた。

 男って、こんなにバカだったの? それとも、こいつだけ? だけど木更津高校を卒業してんだよ、こいつ。

 仲が悪かった子が急に態度を変えて優しくなったら、あたしなら何か変だなと感じて警戒するけど。それが普通じゃないの。

 始めは朝の挨拶からだ。そして笑顔。積極的に声を掛けた。向こうが馴れ馴れしく、自分の肩とか背中とかに触れてきても嫌がる様子は見せない。こっちも義父の背中を、ふざけて後ろから押してやったりした。喜んでる。ケラケラ笑っていた。

 母親が入浴している時を見計らって、下着姿でキッチンまで行って冷蔵庫からアイスクリームを取り出したりした。呆気に取られている義父に向かって、「きゃっ。まさか居ると思わなかった。ごめんなさい」と言って慌てて二階へ上がって行く。

 お尻の丸みを強調するように前屈みの姿勢を奴の目の前でして見せたり、ショートパンツにタンクトップという姿でリビングに降りてきたりした。黒川くんのアドバイスを忠実に守った。

 お色気作戦は効果抜群。ニヤニヤしながら、麗子の身体に熱い視線を送ってきた。もう目が釘付けと言っていいくらいだ。

 決行を決めた夜、義父が用意したホット・ミルクを手に取りながらウインクして見せた。そして小声で言葉を添えた。「パパ、どうもありがとう。上で待ってるわ」

 義父は目で母親の姿を探して、今の会話に気づいていないことを確認すると黙って頷いた。

 母親が夜の仕事に出て行くと、奴は間を置かずに部屋の中に入ってきた。麗子は寝た振り。

 布団の中に手が入ってきて早熟な十四歳の身体を触りだす。耐えた。まだ早い。どんどん義父は大胆になっていく。

 いやらしい手が麗子の太ももを伝わって、股間に届きそうになった時に行動を起こした。寝返りをうって義父の方を向く。手を伸ばしてジャージの上から男の股間に触れた。

 うわっ、すごく固い。これは、びっくり。ここまでとは思いもよらなかった。オッ立つって、このことだったんだ。なるほど。サラミを薦められたのも当然だ。こんなになってたら、普段の生活にも支障をきたすんじゃないかしら。男って大変。

 しっかり練習を積んだ。サラミを買うのに一万円ぐらいは使ったはずだ。Dマーケットの精肉コーナーで適当と思うソーセージを選んでいると、後ろから店員のオジさんに注意されてしまう。

 「お姉ちゃん、むやみやたらに商品に触っちゃ困るな」

「あ、すいません」固さを調べていたのを見られたらしい。

「どんなのを探しているんだい?」

「いえ、……そのう、しっかり固いのが欲しいんです」

「固いの? それならこれかな。すごく美味しいよ」

「いえ、別に美味しくなくてもいいんです。固くて、適当に太ければ」

「固くて太い? へえ、一体どんな料理に使うんだい?」

「あ、いえ、まだ料理は決めていなくて。それなりに歯応えがあれば嬉しいです」

「ふうむ。じゃあ、これなんかどうだい? まあまあの味だけど値段が安いよ」

「あ、もう少し長い方がいいかも」

「え? これじゃ、短すぎるってことかい?」オジさんの訝しげな顔。

「……はい」か細い返事が精一杯。ああ、言うんじゃなかった。あたしって、バカ正直だから。

「そうか、なるほど」表情が笑顔に変わった。「お姉ちゃんは味は気にしないけど、固くて太い、それに長いソーセージが大好物なんだね」店員のオジさんは全てを理解したみたいに大きく頷くと、篠原麗子の下腹部に視線を集中させた。「分かるよ。オレも、あんたぐらいの年頃はそうだったから」

「……」自分でも顔が真っ赤になっていくのが分かった。

 違います。オジさんが想像しているようなことじゃありません。これは仕返しなんです。あたしは母親に元に戻ってもらって、二人だけで幸せに暮らしたいんです。それに、あたしとオジさんを一緒にしないで。そう声を大きくして言いたかったが、中学生の自分は我慢するしかなかった。

 「だけど、そういう事ならソーセージなんかじゃ意味がないさ。オレだったらサラミにするな。ほら、これ。固さといい、太さといい、長さだって、お姉ちゃんの可愛い手にしっくりくるんじゃないかな。どう? 握ってみるかい。もうバナナとかキュウリなんかは試してみたんだろう? えっ、まだだって? へえ、驚いた。最初からソーセージを選ぶなんて、お姉ちゃんは目の付けどころが人と違うな。素人っぽくないよ。かなり研究しているみたいだ。感心する。ああいう生モノはダメなんだ。長持ちしない。使えば摩擦で熱くなるからだけどさ。それに手に馴染んできたと思ったら、腐って使いモノにならないなんてことがしょっちゅうなんだ。それで男のオレが言うのも何だけどさ、こういうのは人によってサイズ的に微妙な好みの違いってのが出るらしいんだ。どんな風に自分が使うのか想像しながら探すのが一番さ。たっぷり時間をかけて感触を確かめてみたらいい。ここでオレが、ずっと見ててあげよう。ほら」

「い、……いいです」もう帰りたい。

「触ってみなったら、お姉ちゃん」

「い、いや」オジさんたら、黒くて太いサラミを持って、その先端を麗子の身体に当たりそうなくらいに近づけてくる。

「そう言わないで。ほら」

「いや、……いやです」そんなモノで、あたしを突こうとしていた。後ずさりするしかなかった。そこへ白いエプロンをした太った男の人が、お店の奥から現れた。サラミを持ったオジさんが身を引く。助かった。でも何かイヤな予感が……。

 「おい、何してんだ」

「あ、店長」

「どうした?」

「はい。この綺麗なお姉ちゃんなんですが、実はですね……」

 恥ずかしい。これまでの経緯を一部始終話し出す。固くて太い、を何度も繰り返して強調するので身が縮む思いだ。

「どれか丁度いいのを選んでくれなんて、こんなに綺麗な女の子から頼まれて面食らっちゃいましたよ。商品を棚に並べていたら、いきなりですから。あっはは」

 えっ、そんなこと言ってない。ひ、ひどい。オジさんの嘘つき。

「わかった、そういうことか。お姉ちゃんは澄ました顔をしているけど、隅に置けないな。あははっ。あっけらかんと恥ずかしい事を口にして、オレたちを慌てさせるんだから。よっぽど、そういうことが好きらしい。だけど、こいつの言う通りだ。そのサラミだったら絶対に間違いない」

「……」ああ、困った。この店長っていう人、すごく声が大きい。それで特売でもやっているのかと、まわりに買い物客が集まってくる。麗子は身体を小さくして頷くだけだ。早く解放されたかった。

「どうしました? 万引きですか」紺色の制服姿の警備員だった。人だかりに気づいて急いでやってきたらしい。

「違う、違う。そんなんじゃない。この、お姉ちゃんが……」

 ああ、いやだ。また一部始終を話し出す。でも今度は声が大きい店長の番だった。警備員だけじゃない、まわりの人たちにも聞こえるように説明する。

「そりゃあ、お姉ちゃん、サラミしかないよ。なあ、みんな」

 警備員のオジさんも納得した。余計な事に、まわりの人たちに同意を求めたりして。

 「わかりました、サラミにします。サラミを買います」この場から早く立ち去りたくて篠原麗子は言った。

「そうさ。それが一番いい」と、警備員の人。

 すると店長が、「お姉ちゃん、楽しいことに一生懸命な姿勢が気に入った。よっしゃ。十本買ってくれたら一本サービスしよう」、と言い出す。

 え、そんなにいらない。一つでいいです。だけど周りの人たちが拍手で応えてしまう。次々と声も上がった。

「さすが店長、太っ腹」

「気前がいいんだから、この人は」

「男の中の男っていうのは、あんたのことだな」

「肉屋の店長にしておくには勿体ないよ」

「良かったねえ、お姉ちゃん」

「あんたが、うらやましい」

「やっぱり可愛い顔してると得だな。ラッキー」

 そんなに欲しくありません、と正直に言えない状況に追い込まれていく。「じゃあ、十本買います」としか返事ができなかった。

 十一本のサラミを抱えてレジへ向かう篠原麗子の後ろ姿に、店員のオジさんが声を掛けた。「お姉ちゃん、またおいで。いつでも相談に乗るから。えへへ」

 Dマーケットの精肉コーナーには、二度と近づきたくないと思った。

 こんなことで思っていた以上の出費を余儀なくされた。失敗は許されない。

 ここまでが限界。もう義父に身体を触らせたくない。そのためには麗子の方が大胆になるしかない。ジャージを下ろして固くなったモノを外に引っ張り出す。なんなの、これって。気持ち悪いけど我慢して顔を近づけた。相手も下半身を前に突き出してくる。篠原麗子は目を瞑って素早く銜えた。口の中がいっぱいになった。やっぱりサラミやソーセージとは感触が大きく違う。

 「う、……う」

 さぞかし気持ちいいのだろう。義父は呻き声をもらした。気が緩んでいることは間違いない。ちょっと愉快。だって、これから大変なことになるのも知らないで快楽に身を委ねているんだから。作戦は大成功。黒川くんのアドバイスのお陰だ。お返しに彼の『祈りの会』には出てあげよう。篠原麗子は満身の力を込めて一気に顎を閉じた。

 ギャーッ、ギャー、ギャー。

 ハゲた中年男の断末魔の叫び声が夜の静けさを破った。最初に反応したのが隣の家で飼われていたイヌたちだ。異様な叫び声に驚いて吼えた。一匹が吼えると二匹目が続き、すぐに大合唱になった。それが他の家で飼われているイヌへと伝染する。君津市中野地区で飼われているイヌすべてに広まるのに時間は掛からなかった。

 吼え続けるイヌ、怯えて逃げ回るネコ、それを止めさせようとして慌てる人間たち。各家の中が大混乱。階段から足を踏み外す者、倒れてきたタンスの下敷きになる者、多くの人が怪我をした。何人かは重傷で救急車を呼んだ。地域に住む全員が暖かい布団から叩き出された。パジャマ姿で何事かと玄関の外へ出て行く人も少なくなかった。

 「ああ寒い。何なの、これって?」

「いや、知らない」

「起こされちゃったじゃない」

「泥棒か?」

「放火じゃないかしら?」

「テロかもしれないぜ」

「だったら早く君津南中学に避難すべきだ」

 しばらくして救急車のサイレンが聞こえてきた。それに合わせてイヌたちは遠吠えに変えた。坂田地区と北子安地区のイヌたちにも届きそうだった。消防車とパトカーも市内を走り回った。すべてが落ち着くまで朝日を待たなければならなかった。

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