第30話


   30


 「お前、どうして呼び出されたのか分かっているか?」

 学年主任の西山明弘は二年B組の教室で、生徒の机を間にして手塚奈々と向き合っていた。体育の授業でクラスの全員が校庭に出て行った。今は二人だけだ。彼女は見学者リストに入っていたので都合がよかった。お好み焼き屋でのアルバイトを問い質してやるつもりだった。

「あたしの体操着が盗まれた件ですか?」

「なに? お前、そんなモノを盗まれたのか」その話は聞いていない。

「はい。体育の授業が終わって汗で濡れたままでした。でも翌日にはロッカーに戻してあったんです。なんか気持ち悪い」

「マジか? 誰だ、そんな事する奴は」

「男子の誰かじゃないかと思います」

「そうだろうな、きっと」変態じゃないか。いい女だから、そんな事をしたい気持ちになるのも分からないではないが。「二度と盗まれないように、しっかり管理した方がいいな」

「これで三回目です」

「えっ」

「もう困っちゃう」

「三度目なんて……。加納先生は知っているのか?」

「最初の時は報告しましたが、次からは面倒臭くなってしていません。いつも翌日には戻ってくるんです、だから……」

「そうか」呆れた。もう性犯罪だぞ、これは。「よし。四度目があったら、オレに報告してくれ」それしか言いようがない。

「わかりました」

「だけど今日、呼び出したのは別の話だ。お前、何か校則違反をしているだろう?」

 こうして近くで見ると本当に魅力的な女だと思えた。瑞々しい色気を全身から発散している。ナメクジみたいにジメジメした感じの大家の娘とは大違いだ。

「え、……さあ、なんだろう」

「とぼけても無駄だぞ。こっちには情報が入ってきているんだ」この言葉が効いたらしい。女生徒は顔を上げた。「正直に話せば悪いようにはしない」

「本当ですか?」

「もちろんだ。オレを味方だと思っていい。お前ぐらいの年齢になれば何かしらの過ちをして当然だ」

「じゃ、言います」

「よし」ますます気に入った。なかなか素直で性格はいい。

「原付に乗って友達の家やコンビニへ行くのは、もう止めます」

「は?」

「あの日は風が強かったんですよ。歩いてコンビニまで行くのがかったるくて、家にあったスズキのスクーターに乗りました。そしたら凄く楽ちんで、病みつきになっちゃったんです。すみませんでした。もうしません」

「お、おい」こりゃ、拙い。「お前な、それは校則違反どころか道路交通法違反だぞ。もし事故でも起こしたら取り返しがつかない。親は知っているのか?」

「母親はダメって言いますけど、父親は頼めば渋々ですがキイを渡してくれます」

「……マジかよ」これは大変なことを聞いてしまった。知りたくなかった。

 この女生徒の父親に電話して、娘さんにスクーターに乗らせてはいけません、なんて言ってみろ。返ってくる言葉は決まっている。うちの生活に口出しするな、だ。

 以前に、中学生の息子と毎晩のように晩酌を交わす父親に注意したところ、逆切れされて職員室まで怒鳴り込んできた。「お前らはガキどもに勉強だけ教えていればいいんだ。余計なことはするんじゃない」

 もう二度と、生徒たちの家庭とは関わりを持ちたくないと、これで決めた。連中が非行に走るのは、ほとんどが親に問題があるからだ。しかし何か不祥事が起きれば、マスコミは学校の責任を追及してくる。バカやろう。アホで道理が通らない親よりも学校の方が追求し易いからだ。

 いじめ問題は世間一般では、まるでそれが中学校でしか存在しなかのように扱われている。ふざけんな。いじめはどこにでもある。頭の回転の鈍い奴、運動の苦手な奴、力のない奴、気の弱い奴、空気が読めない奴、器量の悪い奴、要領の悪い奴、仕事のできない奴は、どこへ行こうがいじめに遭うんだ。指導する立場でありながら、ここ君津南中学校の職員室でも、いじめは大なり小なりあるんだから。

 「それじゃない。その件は聞かなかったことにする、いいな?」もし生徒が事故を起こして、学年主任のオレが無免許運転の事実を知っていたとなれば学校は責任を追及される。それは避けたい。「まだ他にもあるだろう。それを言え」

「じゃあ、板垣くんが学校に持ってきた光月夜也のアダルト・ビデオを黙って借りたことですか?」

「え、……光月夜也? あのロシア人とのハーフっていう--」しまった。口が滑った。

「そうです。やっぱり西山先生も知っているんですか。すっごく綺麗な--」

「バッ、バカ言え。し、知らない。そんなものにオレは興味はないんだ」

 あの板垣順平は学校にアダルト・ビデオを持ってきているのか。困った奴だ。よりによって光月夜也とは……。畜生。オレに馴染みのない女優だったらボロを出さなかったのに。『女教師 生徒の目の前で』に出演した三東ルシアに次ぐ好みのAV女優だった。

 「一日で返しました。でも最初に鮎川くんのリュックから探し出したのは山田道子なんです。あたしは、一緒に見ようって誘われただけです」

「もういい、それは分かった。違う。別の一件だ。心当たりがあるだろう」

「じゃあ、もしかして……」

「そうだ。その、もしかしてだ」もう早く言ってくれ。時間の浪費だ。早く本題に入りたい。

「関口くん達から万引きしたワコールの下着を買ったことですか?」

「……」えっ、相馬太郎だけじゃないのか? あいつが駅前のコンビニで万引きして捕まった時は、オレが燃費の悪いレガシィで駆けつけてやったんだ。叱ると、もうしませんと誓ったはずだ。まだ、あの連中は続けているのか。

「あたしだけじゃありません。関口くんたちが万引きした--」

「もういい、もう言わなくていいから。そのことは聞きたくない。それも違う」呆れた奴だ。叩けば叩くほど次から次へと埃が出る身とは、この長い脚をした手塚奈々ことを言うらしい。聞くだけ、こっちが困難な立場に追いやられていく。「オレが言いたいのは、お好み焼き屋でアルバイトをしていることだ」

「あ。それ、ですか」

「そうだ。れっきとした校則違反だろう。そう思わないか?」

「知りませんでした」

「知らなかったとは言わせない。ちゃんと生徒手帳に明記してあるからな。たまたま働いているところを、父兄の一人に見つかったんだ。しばらく止めた方がいいぞ」

「困ったな。オーナーに何て言おう?」

「学校で注意されましたって正直に言えばいいだろう」

「それが通ればいいんだけど……」

「どういう意味だ?」

「オーナーは木畑興行と関係がある人なんです」

「なに? ヤクザじゃないか」

「そうなんですよ」

「お前、どうしてそんなところで働き出したんだ?」

「森田桃子先輩の紹介です。先輩も中学二年の頃から、そこでアルバイトしてたって言ってました。あたしにピッタリな働き口があるって教えてくれたんです」

「……あいつか?」

 西山弘明は森田桃子が卒業してから、なんと千葉の栄町にある風俗店で顔を合わせていた。「あら、やだ。西山先生じゃないの」なんて気軽に声を掛けてきやがった。店の人に、知り合いなんですと事情を話して他のソープ嬢に変えてもらったのだ。まさかその話が手塚奈々に伝わっていたりして。背筋が寒くなる。この女生徒に伝われば学校中に広まるのは時間の問題だ。もちろん安藤先生や加納先生の耳にも届く。もはや身の破滅だった。

 「もう先輩は働いていません。オーナーと給料のことで喧嘩して辞めました。なんか千葉の風俗店に移ったとか、噂で聞きましたけど」

「そうか」良かった。まだ伝わってないらしい。「お前なあ、あんな先輩と付き合うのは止めろ。いかがわしい所でしか働けない女になってしまうぞ」

「別に付き合っていません。もう連絡は取っていないし。たまにルピタとかDマーケットで会ったりすると、向こうから声を掛けてくるんです」

「無視しろ。お前の為だ、それが」

「わかりました」

「お好み焼き屋のアルバイトはしばらく止めろ。ここだけの話だけど、ほとぼりが冷めたらまた始めていいから」 

「どうしよう。今月だけでも続けちゃダメですか」

「どうして」

「オーナーに借金があるんですよ」

「幾らだ?」なんて野郎だ。美人の女子中学生を借金漬けにして、強制的に店で働かせているらしい。西山明弘は犯罪の臭いを嗅ぎ取った。普通の人よりは少ないのは認めるが、それでも正義感が燃えたぎってきた。

 中国やインド、バングラディシュでは劣悪な環境で児童が、家計を助ける為に働かされて将来を奪われているのが現実だ。この手塚奈々というセクシーで可憐な少女を、過酷な労働から助け出してやりたいと思った。頭は悪いかもしれないが、その美貌を利用すれば玉の輿に乗れる可能性だってあるのだ。

 「十五万円ぐらいだったかな」

「えっ、そんなに大金を……」とても立て替えてはやれない。大家の娘との付き合いがあるし。

「そうなんです」

「とても一ヶ月ぐらいバイトしたって返せる金額じゃないだろう」

「いいえ、そんなことありません。上手くやれば……」

「上手くやれば? お前、時給は幾らで働いているんだ?」きっと安い給料でこき使われているんだろう。可哀想に。

「三千円です」

「えっ、……そんなに?」

「はい。あたしが働くようになったら店の売り上げが倍増したらしくて。最初は山崎先輩と同じで千五百円だったんですが、あたしだけ次の月から二倍に昇給してくれました。うふっ」

「……」オレは時給で換算して三千円も貰っているだろうか? 西山は自分の給料と、目の前に座る女生徒が受け取るアルバイト代を無意識に比較した。

「最近はオーナーが頻りに、あたしに言ってくるんです」

「何て?」

「あと三センチだけスカートの丈を短くしたら、時給を五千円にしてやるって。もう今だってパンティが見えそうなくらいなのにですよ。男の人って本当に、すごくエッチ。でも借金を返すためなら仕方ないかなって思ったりします。それにスカートが短いと、お客さんがチップを弾んでくれるんです。えへっ。千円なんてザラで、たまに五千円とか一万円だったりして」

「……」

 なんてこった。オレが主任手当てとして貰う五千円なんて、この脚の長いバカ娘にしてみれば、たった三センチだけスカートの丈を短くすれば一時間で得られる金額らしい。なんか情けない。すごく寂しい。これが、この世の現実なのか。

 金が無くてレガシィに給油するのも毎回20リットルづつと気を使いながらだった。満タンするなんてボーナスが出る月の、年に二回だけだ。この十四歳の娘は脚が長い理由で、倹約とか節約を常に強いられる苦労をしないで済んでいる。

 「お金をオーナーから借りた理由なんですが、ファッション雑誌に載っていたシャネルの財布とグッチのバッグが欲しくなったからでした。それと店の仲間とディズニーランドへ行って派手に買い物をしちゃったんです。あはっ。楽に稼げるもんだから、つい--」

「いい加減にしろっ」怒鳴った。

「え?」

「もう黙れ」聞いていられなかった。

 西山明弘の頭の中にスーパーいなげやでの怒りが蘇る。去年の暮れだ。大家の娘が作る不味い料理にはうんざりしていた。正月ぐらいは美味しいお雑煮を作って食べようと、食材を買いに行ったところが、かまぼこが千円近くもするのに驚かされた。いつも夕月は百円ぐらいで買えるのに何で? 仕方なく店を出て、周辺のスーパーを全て回ってみた。ふざけんなっ。どこにも安いかまぼこは無かった。こんな高いかまぼこには手が出ない。業界が談合して消費者に安いかまぼこを買わせなくしているのだ。正月なんで貧乏人から一儲けしてやろうという魂胆らしい。そんな卑劣なことが許されるのか? 三が日が過ぎた頃に、やっと安いかまぼこが店の商品棚に姿を現す。それを見て再び怒りに火がつく。畜生、オレをコケしやがって。こうなったら意地だ。もう二度とかまぼこは口にしてやるもんか。

 もしかして話し合いの場所は、手塚奈々がアルバイトをするお好み焼き屋だったりして。いや、きっとそうだ。この女子生徒は長いセクシーな脚を露わにして、業界の連中からたんまりチップを貰っているに違いなかった。反対に安月給で働かされる中学教師のオレは不利益をこうむっている。バカヤロー。「オレはな、お前たちのお陰で、かまぼこ無しのお雑煮しか食えなかったんだからなっ」いなげやでの怒りは目の前の女生徒に向けられた。 

「え、かまぼこ? お雑煮? どういうことですか?」

「うるさい。いいか、お好み焼き屋のアルバイトは永久に禁止だ。罰として一ヶ月間のトイレ掃除を言いつける。分かったな」

「え、どうして? 正直に話したら悪いようにはしないって、さっき先生は--」

「バカっ。そんなことオレが言うもんか。校則違反は厳しく処罰する」

 こんな不条理な話があるか? 世の中、間違っている。こんなことだからデフレ経済から脱却できない、それで国の借金が一千兆円にもなろうとしているんだ。

「先生、待ってください。なんか話が違いませ--」

「黙れっ。とっとと校庭へ戻って体育を見学してろ」

 西山明弘は席を立つと女生徒を残して、さっさと教室を出て行った。手塚奈々とは二度と話をしたくない。出来ることなら二度と顔も見たくなかった。あんなバカ娘はスズキのスクーターに乗っているところを大型トラックに轢かれりゃいいんだ。

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