第24話
24
『ぼくと付き合って下さい』
波多野孝行は書いた文を何度も読み返す。うん、ストレートで何か凄くいい感じだ。これなら上手く行きそうだ、きっと。
相手は同じクラスの篠原麗子だった。彼女の女らしい、ふくよかな容姿に強く惹かれた。長い黒髪と、それに合った優しそうな顔立ちも大好きだ。そのうち誰とでも寝るようになるに違いない手塚奈々や、男に対して見栄えしか求めない五十嵐香月の虚栄心とは対照的な女性。穢れない美しさ、純真無垢、それが篠原麗子だ。
中学二年に上がってクラスが一緒になる。彼女の身体が丸みを帯びていくに従って目が離せなくなった。なんて女らしくて美しい。ほかの女生徒とは別格の存在だ。憧れた。でも気持ちを伝える勇気はなかった。片思いだ。
波多野孝行は父親こそ君津署の刑事だが、本人は痩せていて存在感のない男子生徒でしかない。彼女とは挨拶をするぐらいでしか言葉を交わしたことはなかった。
驚いたのは、机に向かって自分の気持ちを文に表わそうとしていると、ドアを叩く音に続いて父親が部屋に入ってきたことだ。もう、びっくり。慌てた。女の子に手紙なんか書いていないで勉強しろ、と叱られるんじゃないかと思った。
「孝行」だけど声は怒っていなかった。
「……ん?」心臓ドキドキ。不審に思われないように、ゆっくりパソコンのカタログで机の上にあった紙を隠す。
「お前、去年だけど校外学習に行ったよな?」
「うん」
「その時にクラス全員で写真を撮ったか?」
「と思うけど」
「見せてくれないか」
「え、どうして」
「いいじゃないか。見たいんだ」
「今、どこにあるか分からない。探して持っていくよ」
「よし、そうしてくれ。急いでな」
「うん」
一体、何なんだよ。今になって去年の校外学習の写真が見たいだなんて。息子に対する嫌がらせか。あ、それとも……加納先生の写真が見たいのかな? すっげえ美人だな、なんて前に褒めてたからな。理解できない、うちの親父。
しかし関係ない話で本当によかった。もしかしてバレたのかなと一瞬だけど身が縮まる思いだった。
気を取り直して書いたを文章を眺めた。ボーイフレンド、ガールフレンドの仲になれますようにと願った。
初めて心から好きになった女の子だ。何とかして仲良くなりたいと、ずっと考えていた。
以前に篠原麗子への強い想いを、友達の新田茂男に話して、何かアドバイスをもらおうとしたが直前で気が変わった。よくよく考えてみると奴は女に全く興味がない感じなのだ。男らしいのは名前だけで、容姿は自分と同じように痩せて、なよなよしていた。
初めて相談した相手は転校生の黒川拓磨だった。下校途中で、お互いに好きな人がいるなら告白しようということになったのだ。
彼の口から加納久美子先生の名前が出てきたのには驚いた。「ええっ、それは難しいんじゃないのか。相手は歳の離れた教師だぜ。綺麗なのは分かるけど、中学生の男子なんか相手にするわけがないだろう」そう応えるしかなかった。
「きみが協力してくれるなら何とかなるんだ」
「え、オレが?」びっくりするような事を言ってくる。
「そうだ」
「オレなんか何も出来ないぜ。クラスの女の子とさえ、よく話したことがないんだから」
「わかってる」
「だったら、何で?」
「三月の十三日、その土曜日に『祈りの会』を開くんだ。それに出席して欲しい」
「祈りの会? 何だい、それって」
「ぼくの願いが叶うように皆で祈るのさ」
「皆って?」
「もちろん二年B組の生徒たちだ」
「全員が了解済みなのか?」そういう話がクラスで進行しているとは知らなかった。新田茂男は知っていたのかな、オレに話さなかっただけで。
「いいや、一人ひとりを説得している最中だ」
「……」じゃあ、無理だろう。わざわざ休みの日に、そんな馬鹿らしいことで学校に出て来る奴なんかいないぜ。
「どうだろう、出席してくれるかい?」
「来月の話じゃ、今から約束はできないな。ほかに予定が入っちゃうかもしれないし」馬鹿馬鹿しい。そんなものに付き合っていられるか。
「なるほど」
「がっかりさせて悪いな」
「いや、構わない。でも残念だな。ひとつ提案があったんだが、それは言わないでおこう」
「提案?」
「そうだ」
「え、どんな?」こいつ、興味を誘う言い方をするじゃないか。
「お互いの思いが叶うように協力し合うことさ」
「協力し合うだって?」
「うん」
「どうやって?」
すると転校生は答える代わりにポケットから折り畳んだ一枚の紙を取り出して見せた。「何だよ、それは?」
「触ってみろよ」
言われるがままに波多野孝行は差し出された紙を手にした。「へえ、なんか凄い紙だな」高価な和紙らしい。表面はザラザラしていて重々しい感じがした。
「だろう」
「うん。だけど協力し合う事と関係があるのかい、この紙が?」
「ある」
「どんな?」もったいぶってるぜ、こいつ。
「その紙に願い事を書くと叶うんだ」
「えっ、何だって?」
「聞こえただろ。今、言った通りさ」
「待ってくれ。もう一度、言って欲しい」
「願い事が叶うんだ、その紙に書けば」
「マ、マジかよ?」
「ああ」
「そんなこと信じられ--」
「信じられなければ、それでいいさ。そういう気持ちなら願い事を書いても叶うことはない」
「……」
「信じるってことが大事なんだ」
「つ、つまり、その紙に願い事を書いて信じれば、叶うってことなのか?」
「その通り」
「……」マジかよ。にわかには信じられない話だが、この重厚な紙の手触り感が信憑性を醸し出していた。無視できない。
「どうする?」
「この紙を貰うために、オレは何をすればいいんだ?」
「祈りの会に出席して欲しい」
「それだけか?」
「そうだ。ただし……」
「ただし、何だ?」きっと金だ。世の中、すべてが金で動いてる。
「自分の願いが叶うように強く信じるのと同じように、僕の願いが叶うように強く信じてくれないとダメなんだ」
「……」何だって? そりゃ、簡単じゃない。なにしろ、お前の相手は学校の教師なん︱︱。
「難しいのは分かっている」
「おい、相当に難しいぜ」
「じゃ、止めるか」
「いや、待ってくれ」篠原麗子と恋人同士になるチャンスかもしれない。ダメで元々だし、見逃すわけには行くもんか。
「やるのか」
「ああ」波多野孝行は決断した。
「出来るのか?」
「もちろんだ」
「もし同じように信じられないと大変なことが起きるぜ」
「え、……例えば?」
「きみの気持ちが、思ってもいなかった相手に伝わってしまう場合もあるんだ」
「別の女に、っていう可能性が出てくるのか?」
「そうだな」
「いやだ。オレは篠原麗子じゃない女には興味がない」
「だったら自分の為に、そして同じように僕の為に強く信じてくれないと困る」
「わかった、任せてくれ」
「大丈夫か?」
「心配しなくていい」
そう返事して転校生と別れた。魔法の紙が欲しくて、出来そうにもないなんて言えなかった。すぐに相当に難しいことだと、ひしひしと感じた。自分が篠原麗子と恋仲になりたいという気持ちは強くて、絶対になれると信じることはそんなに難しくもない。しかし奴の相手は加納先生だ。とてもじゃないが、二人が恋人同士になるなんて想像できるもんか。身長だって奴の方が5センチぐらいは低くないか。見た目にも釣り合いの取れないカップルだ。だけど、ここは努力しないと。自分の恋を成就させる為にも、あいつの思いが叶うように信じてやらないといけない。
波多野孝行は最後に、魔法の紙に書いた文の横に自分の名前を付け加えた。黒川拓磨の指示が、その紙を篠原麗子のではなくて、転校した関口貴久が使っていた空の下駄箱に入れろというものだったからだ。何でだろう? 不思議に思ったが言われた通りに実行することが大事だと考えた。そこで一応、念のために波多野孝行と署名を入れた。彼女が誰から思われているか、ハッキリと分かるようにだ。これなら間違いない。
明日の朝、下駄箱の中に魔法の紙を入れるつもりだった。篠原麗子がガールフレンドになってくれたら、二人でディズニーランドへ行きたい。どんなに楽しいだろう。そうだ、カメラが必要だ。どれを買えばいいのか、鶴岡政勝にアドバイスをしてもらおう。
映画も見に行きたい。ピクニックもいい。ショッピングも一緒にしたい。夏には海へ行こう。彼女の水着姿が見てみたい。きっと超セクシーだろうな。うきうきしてくる。波多野孝行の頭の中は、恋人同士で過ごす週末のプランでいっぱいになった。そこには一抹の不安も入る余地はない。
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