第14話

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 君津南中学からの帰り道、市役所通りに出たところの交差点が五十嵐香月と佐久間渚、それに山田道子が立ち止まってお喋りをする場所になっていた。小学校の高学年から続く習慣だ。ここから三人は別々の道へと別れなければならない。背が高くて大人びた雰囲気を持つ五十嵐香月が中心的な存在だった。お洒落で、服のブランドとか流行に詳しかった所為だ。二人は服を買うときは香月に意見を求めた。 

 小学校の五年生だったと五十嵐香月は記憶している。忘れもしない。ここで山田道子が衝撃的な内容を口にした。それは「赤ちゃんの作り方なんだけど……」という言葉で始まった。

 それまで香月は性については無関心というか、全く考えたことがなかった。家でも二人の両親が性のことで何か言うのを聞いたことがない。そうだ。子供って、どうやって作るんだろう。と思ったのが最初の反応だ。さすがにコウノトリが運んでくるなんてことは、もう信じていなかった。ただし自分が知らない事を山田道子が知っているという事実は気に入らなかった。

 「あたし、男の人とセックスすると赤ちゃんが出来るって聞いたことがあるけど」と渚。

「そう。だけどセックスって一体何をするのか、渚は知ってる?」

「よくは知らない。男の人と裸で抱き合ってキスとかするんじゃないの?」

「それだけじゃないらしいのよ」

「何するの?」佐久間渚は興味津々という態度を隠そうともしなかった。

「それが、……あたし、びっくりしちゃって」

「何で?」と渚。

「昨日、たまたま森田先輩と杉浦書店で会っちゃって、それで教えてくれたんだけど……」

 え、森田って、あの森田桃子のこと? いつもヤボったい服しか着ていなかった、あのブス? 上総高校に進学して夏休み直前で中退してから、あちこちバイトを転々としているって聞いたけど。そんな女が……。

「それで」渚が先を促す。

「それがさ、あたし達のOOOに男の人の……」山田道子は声を落として言った。

「え、……そ、それってどういうこと?」

「わからない? つまりね、家のコンセントに掃除機のプラグを差し込むみたいな感じよ」道子の口調には、こんなこと何度も言わせないでという響きがあった。しかし例えは分かりやすかった。

「うそっ。そ、……それって痛そう」渚が驚きの声を上げる。

 香月は顔から一気に血の気が引く。もう少しで、ギャーッ、死んじゃう、と大声で叫ぶところだった。しかし心のどこかで合点がいく。だから、あんなふうに形が違っていたんだ、きっと。ずっと不思議に思っていた。だ、だけど……。

 小学二年生になるまで香月にとって、男の人にはシッポがついているという認識でしかなかった。幼い時にカブトムシのオスとメスを飼っていて、男女の体に違いがあることは知っていた。男はシッポでオシッコするんだと思った。その間違い正してくれたのが、当時は仲良しだった手塚奈々だ。

 「そうよ。それに森田先輩の話だと、あれは大きく硬くなるらしいの」

「マジ? それって」

「そう、あたしも最初は信じられなかった。だけど森田先輩は中学一年で初体験してるんだって」

「え、初体験って、……つまり生まれて初めてセックスするっていうこと?」と渚。香月が知りたいことを代わりに訊いてくれるので助かる。

「うん」

「それって、ちょっと早すぎない?」

「と思う。でも、あの森田先輩のことだから……」

 そうだ、有り得る話だ。彼女なら万引きで警察に捕まろうが、放火で捕まろうが、親殺しで捕まろうが別に大して驚きもしない。そういう女だった。

 山田道子は佐久間渚に向って得意げに話し続けた。いつもは二人からファッションとか勉強について教えを請う立場だが、この日は違う。

 それでさ、男の人って何か変な白い液体を飛ばすらしいのよ、と道子が付け加えた。ふん、まっさか。昆虫じゃあるまいし。香月は信じなかった。それは嘘だろう。道子ったら調子に乗っていい加減なことを言い始めてる。

 「香月も知ってたの?」いきなり渚が振り向いて訊いてきた。

「え?」

「道子が言ったことよ。ねえ、香月も知ってたの?」

「う、うん。……そりゃね」こう言うしか選択肢はない。知らなかったとは、この二人に向って口が裂けても言えるものか。

「何で教えてくれなかったのよ」

「だって、もう知っていると思ってたから」

「知らなかったわよ。もう、びっくり」

「ごめん」そう言いながら香月の両脚はスカートの下でガグカクと震えていた。

 信じられない。そんな野蛮で変態な行為から子供が作られるなんて。む、……無理、絶対に無理よ。あんなモノが自分の大切なところに入ってくるなんて。そんなことしたら、あたしが裂けて死んじゃうもの。それに道子の話だと、もっと大きくて硬くなるらしい。だったら尚更ムリに決まっているじゃないの。もっと小さくなるんだったら、それは分かるけど……。

 家に帰っても、ずっとその事を考え続けた。夕飯は大好きなスパゲティ・ナポリタンだったけど、ゴムひもを食べている感じしかしなかった。フォークにパスタを絡めながら、このぐらいの太さだったら何とかなりそうだけどと考えた。

 無理、無理、無理、無理。あたしは母親になれない。セックスなんて絶対に怖くて出来ません。それが結論だった。

 以来、山田道子を見る五十嵐香月の目には、この女によって自分は家庭を持てない女だと分かったんだという思いがあった。それは中学二年になるまでの三年間ずっと続く。


 「道子、今日は黒川くんと仲良さそうに話してたじゃない」と佐久間渚。お喋りは昨日に続いて転校生の話から始まった。

「え、そんなことないよ。ただ宿題のことで向こうから訊いてきただけだもん」

「すっごく楽しそうだったわよ」

「もう、やだ。よしてよ、渚」

「あはっ。赤くなってる、道子ったら」

「からかうからでしょう」

 山田道子が転校生の黒川拓磨に好意を持っているのは三人の間では秘密ではなかった。しかし香月のような美しさ、渚のような可愛さを持たない道子は恋愛に対して積極的になれない。「だったら、渚はどうなのよ。佐野くんとは上手く行ってるの? 最近は交換日記やってないみたいだけど」と道子の反撃。

「……、変わりないよ」

「あれ、声が小さい」香月が鋭く突く。

「そうだよ。渚、どうかしたの?」

「大丈夫です。上手く行っています。心配しないで」今度は声が大き過ぎた。何か変、と二人が気づく。

「渚、話しなよ。何かあったんだろう?」

「何でもないったら。本当に大丈夫なんだから」

「もしかして、また下着泥棒?」

「ううん。最近はないよ」

 佐久間渚は中学二年の夏休みごろから、何度か干してあった下着を盗まれる被害に遭っていた。母親のサイズが大きい方はそのままで、渚の可愛い絵がプリントしてあるブラジャーとパンティだけがなくなった。お揃いで三人が買った赤いチューリップ柄の下着は難を逃れているが、香月と道子から絶対に盗られないようにと注意を受けていた。

「じゃあ、何よ」

「何でもないったら」

「本当?」

「うん」

「じゃあ、いいよ」話したくないらしい。今日は聞き出すのは無理みたい。

「ところで、まだ電話してくる?」渚が香月に話しを振った。

「あいつ?」

「うん」

「してくるよ。しつこいったらありゃしない」

「なんて?」

「富津中との試合を見に来ないか、だってさ」

「来月だっけ? やるらしいね。香月は何て答えたの?」

「決まってんでしょう。サッカーの試合なんか見に行くもんか。くっだらない」

「じゃあ、断ったの?」

「もちろんよ。もう電話してこないで、って言ってやったわ」

「よく言える、そんな酷いこと。香月らしいけど」

「どうして?」

「だって板垣くんにはルピタで散々、服とか買わせたじゃない」

「違う、違うよ。あれは板垣の奴が勝手に買ったの。あたしは貰ってやっただけ。でもセンスがなくて気に入らないのばっかりなんだから」

「あれ? この前だけどブルーの水玉模様のワンピースを着ていたじゃないの。すっごく似合っていたよ」

「ああ、あれ? ……うん、あれだけだね。あたしが着られるっていうのは。でもさ、もう板垣順平の名前は聞きたくないの。あいつの話しを持ち出さないでほしい、お願い。あの時はワールド・カップ熱に浮かれちゃって、ちょっと付き合っただけなのよ。ジャマイカ戦で日本代表が負けて目が覚めたわ」

「わかった。もうしない」と渚。「あ、さようなら。秋山くん」

 三人の前を同じクラスの男子、秋山聡史が通り過ぎていく。佐久間渚の言葉に軽く会釈を返す。が、五十嵐香月と山田道子の二人には目もくれない。男子にしては小柄で学生服とカバンが大き過ぎるという印象が強かった。

 「あんな奴に何で挨拶するのよ? 渚は」秋山聡史が十分に遠ざかってから、意外という感じ香月が訊く。

「いい子だよ、秋山くん」

「そうかしら? なんだか陰気で気持ち悪いけど」と道子。

「無口で大人しいから、そう見られちゃうかも」

「あたし、あの子が笑ったところ見たことない」香月が言う。

「あたしも」

「去年だけど、乗っていた自転車がパンクして困っていたのを助けてくれたことがあるんだ」と、渚。

「へえ」

「どうやって?」

「その場で秋山くんが修理してくれたの」

「え。あの子が近くにいたの?」

「そう。たまたま通り掛かったみたい」

「ラッキーだったじゃないの、渚」

「うん」

「そんな技術を持っているんだ、あの子」

「すぐに簡単そうに直してくれたよ」

「ちょっと驚き」

「じゃあ、挨拶するのは当然かもね」

「で、しょう」二人を納得させたことに気を良くした佐久間渚は、別の話題を持ち出した。「ところでさ、今日の体育の授業で転校生の黒川くんが凄いシュートを決めたらしいよ」

「ヘッディング・シュートでしょう? あたしも聞いた」と道子が即座に応える。

「またサッカーの話? もう聞きたくない」と五十嵐香月。

「大丈夫だよ。あいつの話はしないから」

「頼むよ」

「ちょっと、いい? あたし、香月に訊きたいんだけど」山田道子が真面目な口調で言う。

「何よ?」

「香月は黒川くんのこと、どう思っているの?」

「どういう意味?」

「どういう意味って、つまり好みのタイプかなって訊いているんじゃないの。とぼけないで」

「ふっ、よしてよ。全然タイプなんかじゃないわ」そう言うと山田道子の顔が嬉しそうに微笑んだ。

「本当?」

「うん」当然と言えば当然だが、山田道子が香月の気持ちを尊重するところは好ましい。

「よかったね」と、佐久間渚。五十嵐香月が仲良くなりたいと思う男子には近づけないという暗黙の了解が出来ていた。

「うん」山田道子が大きく頷く。

「ねえ、だったら黒川くんに手紙を出してみたら?」

「ええっ」驚く山田道子。「……そんなこと」

「そうだ。いい考えじゃない」と、香月が続く。

「無理だよ、絶対に」

「大丈夫だと思う、今日の雰囲気なら」と、佐久間渚。

「え、……いいよ」

「でも仲良くなりたいんでしょう?」

「そりゃあ、……まあ」

「だったら行動を起こさなきゃダメよ」香月が畳み掛ける。

「何て書けばいいのか分からないもん」

「友達になって下さい、でいいのよ」

「え、だって、もう友達みたいなもんだよ」

「バカねえ、道子。わざわざ手紙で出すことに意味があるんじゃないの。親しい仲になりたいっていう意思が伝わるのよ」香月のアドバイスが続く。

「……でも」

「でも、何よ?」

「あたしなんか相手にしてくれないと思う」

「行動を起こさなきゃ分からないじゃないの。そんな消極的な態度じゃダメよ。ダメで元々っていう感じで手紙を渡せばいいの」

「香月の言う通りだわ。道子、あたしが代わりに手紙を渡してあげてもいいよ」と渚。

「……」

「ついでに渚に返事も聞いてもらえばいいじゃない」

「……」

「どうする、道子」

「本当に?」

「うん。道子のためならやってあげる」

「ああ、ダメ。自信ない」

「仲良くなりたくないの?」

「なりたいけど……。もし拒否された耐えられそうもない」

「じゃあ、このままでいいの?」

「……わからない」

「あの黒川くんが酷い言葉で女の子を失望させるような事を言うとは思えないけど」と、渚。

「そうね。なかなか彼は優しそうだよ」香月が続ける。

「わかった。待って。家に帰って考えさせて、お願い」

「いいよ、そうしな。一人になって、試しに手紙を書いてみるといい。いい文が書けるかもしれないじゃない」

「ありがとう。そうする」

「ところで、……あたし、そろそろ帰らないと」渚が言う。

「え」と、道子。

「どうして?」渚が続く。二人とも驚きを隠さない。いつもより三十分ぐらい早かった。

「ごめん。親が家庭教師を雇ったのよ。今日が初日で、早く帰って色々と準備しないと」

「男の人? 大学生?」

「そうみたい」

「へえ。だったらイケメンだといいね」

「期待はしていないわ」

「わかった。じゃ、また明日ね」

「うんバーイ」

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