第12話

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 オレらしくなかった。オレがするような事じゃない。キャプテンの佐野がすべき事だろう。

 板垣順平は行動を起こすのに時間が掛かった。他の生徒に頭を下げるような行為はしたことがない。サッカー部のエース・ストライカーで、身長は百八十センチを超える。学校での存在感は抜群で、いつも周囲の注目を集めていた。こっちが知らなくても多くの生徒が会釈する。とくに女生徒からされると嬉しい。可愛かったり、美人だったりしたら尚更だ。しかし笑顔は見せない。常にクールを装う。

 下校途中、前方に転校生の姿を認めた。ショルダー・バッグを重そうにして歩いていた。体育の授業で見せてくれた、あのヘッディング・シュートの興奮が蘇る。あれは本当に凄かった。よっぽどの運動神経がないと出来ないプレーだ。身長は百六十センチぐらいだろうか、身体つきも痩せて華奢だった。それでいてゴール前に走り込んだ俊敏な動きとジャンプ力。人は見かけによらないと言うが、その通りだと実感した。

 さっそく休み時間にサッカー部のキャプテンである佐野隼人に、あいつを入部させようと提案した。ところが返ってきた言葉は、『うん、そのうちな』という乗り気のないもので、がっかりした。

 劇的なゴールを決めた転校生が、今こうして目の前を一人で歩いている。自分が声を掛けて、サッカー部への入部を誘ってみようかという気になっていた。

 三週間後には富津中学との練習試合がある。前の試合では2-3で逆転負けていたので、次の試合では絶対に勝ちたかった。

 その自信はある。なぜなら前回の試合では彼らの技量に負けた訳ではないという気持ちがあるからだ。個々のテクニックとチームワークは君津南中の方が上だ。

 負けた原因は一つで、それは富津弁だ。試合が始まると直ぐに、恫喝するような汚い言葉が飛び交い始めた。相手チームが仲間割れでも起こしたのかと思った。彼らが彼らなりに普通に意思を伝達しているだけだと知るまで時間が掛かった。けんか腰に喋ってるとしか感じられないのだ。観客の富津弁での声援も独特のものだった。いつものプレーが出来ない。方言に翻弄されて敗れた試合だ。

 鶴岡政勝はビビッて動きに精彩を欠く。クリアミスして失点。あのバカは役に立たない。司令塔の器じゃなかった。

 自分は自転車での転倒事故から体が完全に回復していなかった。前の試合は欠場を余儀なくされて感覚も鈍っていた。

 次の試合は君津南中学で行われる。絶対に2点差以上のスコアをつけて相手をギャフンと言わせてやりたかった。もしチームに転校生が加わってくれたら、もう鬼に金棒だ。

 板垣順平は歩調を速めた。「おーい」

 声を掛けると転校生は振り向いて、怪訝そうな顔を見せながらも足を止めてくれた。追いつくと同時に相手を褒めた。「さっきのヘッディング・シュートは凄かったじゃないか」言いづらくて舌を噛みそうだった。褒められることには慣れているが、飼っている犬のルルを別にして誰かを褒めることはした記憶がない。

 「ありがとう。だけど君が精度の高いクロスを上げてくれたから出来たプレーさ。感謝するよ」

「あはは。そんなことねえよ」その謙虚さ、気に入った。なかなかいい奴らしいな。こりゃあ、幸先いいぜ。「家はどこだい?」

「大和田だよ」

「そりゃあ、ちょっと学校からは遠いな。自転車通学の許可が下りるんじゃないの? 加納先生に頼んでみたら」

「うん。ほかの奴からも同じことを言われた。考えてみるよ」

「そうしろ。オレの家も学校から近いとは言えないけどな。途中までは一緒だ。実は話があるんだ」

「何だい」

 板垣順平は転校生と並んで歩き出した。身長で二十センチも違うとかなりの体格差だ。こんなに小さい奴が、よくもあんなプレーが出来たもんだと再び感心する。が、バルセロナのメッシとかイニエイタにしても他のサッカー選手と比べると小柄な方だった。それに気づいて身体の大きさは関係ないと納得する。相手のショルダー・バッグのチャックが開いていて中身が見えていたが、無視して入部の誘いを開始した。「前の学校では、サッカー部だったのかよ」もしそうなら話は早い。

「いいや」

「……」残念。そう上手く話は運ばないらしい。最短で、周西小学校の前を通り過ぎるまでに話は決まるかもしれないと期待したのだったが。

「部活はしていなかった」

「おい、おい」意外な答えが返ってきた。ちょっと待て、あの運動神経を眠らせていたっていうことか? まさか。「でも、何か運動はしていたんだろう?」そうでもしなけりゃ、あんなヘッディング・シュートは出来るもんか。

「ううん、別に」

「マジ? それで、あのプレーかよ。ちょっと信じられないな。すごいの一言だよ、本当に。ところで、こっちの中学では何か運動部に入るつもりはあるの?」

「わからない」

「どういう事だよ、わからないって? その運動神経を、どこかの部活で生かすべきだろう」

「そうかな」

「そりゃ、そうさ。もったいないぜ」何なの、この欲のなさ。理解できねえ。サッカー部に入って、今日みたいなゴールを決めればオレみたいにヒーローになれるっていうのに。

「ところで、ちょっと訊きたいんだけど」

「なんだよ」何でも教えてやるぜ。君津南中じゃオレが一番顔が広いんだから、という気持ちだった。

「ここでは映画同好会っていうのがあるって聞いたんだけど」

「はあ?」予想もしていない質問だった。自信が崩れる。そのカテゴリーは守備範囲外だ。

「映画同好会だよ」

「止めとけ」

「どうして?」

「女しか入っていないぜ」

「それがどうした?」

「B組の五十嵐香月と佐久間渚、山田道子の三人が始めたクラブなんだ。じっとして、ただ映画を見ているだけだぞ」そんなのに興味を持つなんて、どうかしてるぜ。

「だから映画同好会っていうんじゃないのか?」

「ん……ま、そうだけどな。しかし退屈だろう、二時間近くも動かないで座って映画を見ているなんて」

「映画は嫌いなのか?」

「好きじゃない。『タイタニック』を見に行ったけど字幕が早くて読むのに疲れた」

 渡辺香月と二人で初めて出かけたのが、その映画鑑賞だ。三時間近くも彼女の肩に腕を回していられたのは感激だった。香月の艶のある長い髪から漂ってくる甘酸っぱい香りに酔いしれた。座席から身を起こしたのは一度だけで、ローズがジャックの前で服を脱いだ時だ。香月に振り向かれて照れ臭い思いをした。あの頃に再び戻れたらいいのにな、と思った。

「誰と行ったんだよ?」

「え?」その質問も意外だった。

「誰と『タイタニック』を観に行ったのか訊いているんだ。まさか一人じゃ行かないだろう、あんな映画。ましてや好きでもないのにさ」

「うん。友達とだよ」

「女とだろ、一緒に行ったのは?」

「……」

「デートだったんだろう」

「よく分かるな」こいつ、なかなか鋭い。

「そりゃそうさ。誰だ、相手は?」

「誰にも言うなよ」声を落とす。もう学校中に知れ渡っていたが、お前だけには教えてやろうという態度を装う。

「もちろんさ」

「五十嵐香月だ」

「へえ。なかなか美人だよな、彼女は」

「まあな」心の中では、すっげえ美人だと絶賛している板垣順平だった。

「まだ付き合っているのか?」

「いいや、もう別れた。オレが振ったんだ」ここは声のトーンが高くならないように慎重に言葉を口にした。悔しさが滲み出ては威厳に傷がつく。

「どうして? もったいないじゃないか、あんなに綺麗な女を」

「いやあ、しつこくて参ったよ。毎日、電話してくるんだ。勉強も手に付かなかったぜ。女って、みんなあんな風なのかな」まったくの嘘で、香月から電話がないと不安で何も手に付かなかったのが事実だった。

「ふうむ」

「まさか五十嵐香月に気があるんじゃないよな?」もし、そうだったらヤバイ。よりを戻したいと願っている自分にとってライバルが一人増えることになる。負けるとは思わないが競争相手は少なければ少ないほどいいに決まっている。

「いいや、興味ない。もっと魅力的な女がいる」

「えっ」聞き捨てならない言葉が耳に届く。「誰だい?」

「……」

「おい、教えろよ。オレだって秘密を打ち明けたんだぜ。その女ってB組にいるのか?」

「うん」

「誰だ? うちのクラスには不思議なくらい綺麗で可愛い女が揃っているのは事実だけどな。わかった、篠原麗子か?」

「違う」

「じゃあ、佐久間渚だ。でも彼女は佐野隼人と交換日記している仲だから〡〡」

「それも違うな」

「奥村真由美だろ?」

「ううん」 

「待てよ。まさか、手塚奈々かよ?」あの軽薄な女を選んだとしたら、こりゃ笑える。お前も手塚の長いセクシーな脚に心を奪われた男の一人になるわけだ。

「いいや」

「え、じゃあ誰だよ。目ぼしい女は全て言ったぜ」

「一人、残っている」

「はあ? わからねえな。五十嵐香月、篠原麗子、佐久間渚、奥村真由美、手塚奈々のほかにも誰か魅力的な女がいるって言うのか?」

「そうさ」

「B組だよな?」

「うん」

「さっぱり、わからない。教えろよ」

「いいよ。でも条件が一つある」

「なんだよ」

「その女とオレが仲良くなれるように祈って欲しいんだ」

「祈るって、どう?」

「難しいことじゃない。ただ心から願ってくれたらいいのさ」

「いいけど。そんなんで効果があるのか?」

「ある」

「……」すっげえ、自信あり気じゃねえか。理解できねえな、こいつ。ちょっと不気味な感じ。関わりを持たない方か無難かもしれない。でも、その女の名前は絶対に知りたい。「教えてくれ。願ってやるから」

「本気か?」

「ああ、もちろん」それは嘘。ただ本気で知りたいだけ。

「加納久美子」

「えっ?」

「驚いたのか?」

「あ、当たり前だろう。先生じゃないか。歳が違い過ぎるぜ。無理だよ、そんな……」こいつ、バカじゃないの。その言葉は、あの見事なヘッディング・シュートに免じて口には出さなかった。けど、サッカー部へ誘う気持ちは一瞬にして消えた。付き合っていられねえ、こんな奴とは。

「それがどうした」

「オレ達みたいな子供を加納先生が相手にするもんかよ」

「恋愛に歳は関係ないぜ」

「そうは言っても、それは大人の世界の話だ。無理だ、諦めろ。お前と加納先生では釣り合いが取れなさ過ぎるぜ」

「君がオレを信じて願ってくれたら何とかなるんだ」

「……」バカらしい。なんてこった。キャプテンの佐野隼人は正しかった。オレが間違っていた。こんな奴をサッカー部に入れたら大変なことになりそうだ。試合に勝つために練習しないで祈祷でもしかねないぜ。これ以上もう話すだけ時間の無駄に思えてきた。「あれ?」

 数百メートル先に同じ中学の生徒が何人か歩いているは知っていたが、それが全員B組のクラスメイトであることに気づく。

 「うちのクラスの連中だよな?」転校生も気づいたらしい。

「ああ、そうだ。でも……、変だな」

 B組で不良グループと思われている山岸涼太、相馬太郎と前田良文の三人に意外にも土屋恵子が一緒だった。不思議な組み合わせだった。学校では口を利いてる姿を見たことがない。しかも山岸と前田の家は逆方向のはずだ。こっちが後ろから歩いてくるのに気づいたらしい、連中は周西小学校の隣にある公園の中へと足早に入って行く。

「どうして?」転校生が訊いてくる。

「いや、なんでもない」こんな事、一々説明していられるか。連中のことなんかオレには関係ないし。「用事を思い出した。オレ、急ぐから」そっけない口調だった。もう構うもんか。こいつとは二度と話さないかもしれないし。

「じゃあ、また明日」

「うん」

 板垣順平が歩調を速めようとした時だ、転校生が抱えたショルダー・バッグの中にCDケースが入っているのが見えた。それだけなら何でもなかった。だけど、そこに『バイタル・ハザード 3』という文字が書かれていたのだ。『2』は知っているが、まだ『3』は発売されてないはずだった。見過ごせない。「それ、何だよ?」

「え?」

「そのCDケースだよ」

「ああ、これか。『バイタル・ハザード』の新しいやつだよ。試作の最終段階で、試しにプレーしてれって頼まれたんだ」

「……」ええっ、何だって? 耳に届いた言葉が衝撃的すぎて百八十センチの体が硬直。

「ゲームはやるのか?」転校生が訊く。

「え?」

「ゲームは好きなのか?」

「おい、……あのな」転校してきて間がないから仕方ないか。そんな質問をする奴は学校中に一人としていない。オレからゲームを取ったら何も残らない、そういう覚悟でコントローラーを操作する板垣順平だ。そんな質問はオレに対する侮辱でしかない。しかし、ここでは敢えて文句は言わずにおく。もっと重要な解決すべき問題が持ち上がったからだ。「誰に頼まれたんだ? 試しにプレーしてくれなんて」

「父親がゲーム関係の仕事をしているんだ。それで発売される前に不具合とかがないか調べる目的でプレーを頼まれるのさ」

「マジかよ。すっげえな」

「この『バイタル・ハザード』の新しいやつは前作よりも面白くなっているぜ」

「どう?」

「プレイする度にゾンビやアイテムの配置が違う。それに敵の攻撃を瞬時に避けられる『緊急回避』や、一瞬で後ろを向く『クイックターン』ていう操作が追加されているんだ」

「……」

「イージー・モードだと最初からアサルトライフルが用意されていたり、初めて﹃バイタル・ハザード﹄をプレーする奴にはやり易いはずだ」

「面白そうだな」

「ああ」

「でも、どうして学校になんか持ってきたんだ?」

「鶴岡に貸してやったのさ」

「えっ、鶴岡って、……あの政勝か?」思わず声が大きくなった。

「そうだよ」

「……」

「どうした?」

「信じられねえ」ほとんど独り言に近い。

「何が?」

「いや、何でもないけど……」これについても話が長くなるので説明できなかった。

 板垣順平は裏切られた思いで怒りを感じていた。ふっざけた野郎だ、あの鶴岡は。『バイタル・ハザード 3』の試作品を転校生から借りていながら自分には何ひとつ言わなかった。クラスは一緒だし、同じサッカー部員でもあった。一日に話す機会は何度もある。  

 富津中との試合で奴がミスして逆転負けするまでは、チームの左サイドバックとして信頼していた。部室でナムコの『鉄拳3』について話をしたのは昨日じゃなかったか? 確かそうだ。それなのに『バイタル・ハザード 3』のことは黙っていた。鶴岡政勝に対する考え方はいっぺんに変わった。「それを、オレにも貸してくれないかな?」気を取り直して転校生に訊いた。

「いいよ。本気で願ってくれるならな」

「え? 何を」

「忘れたのか? さっきの約束だよ」

「あっ、ああ。い、いや、忘れてなんかないよ」すっかり忘れていたぜ、そんなバカバカしいこと。

「祈ってくれるよな」

「もちろんさ」

「それならいい。貸してやるよ」

「いつ返せばいい?」

「いつでも構わない。飽きたら返してくれ」

「本当かよ?」それじゃあ、貰ったも同然じゃないか。

「ああ」

「ありがとう。悪いけど、用事を思い出したから急いで帰るよ」

「わかった」

「また明日な」

 板垣順平は走り出した。用事なんかなかった。ただ早く家に帰って、この『バイタル・ハザード 3』で遊びたいだけだ。

 理解できないところはあるが、父親がゲーム関係の仕事をしているなんて凄い。これからは新作のゲームを発売前にプレーさせてもらえるかもしれない。サッカー部に入らなくても、ずっと仲良くしていくべき奴だ。順平の友達ランキング・リストに転校生の黒川拓磨が赤丸初登場で一位に君臨する。それまで長く一位をキープしていた親友の佐野隼人は二位に転落した。

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