第58話 ツミナのメンタル回復に寄せて
「さて。白状しちゃおうか。僕は別に椿があの部屋にいたことを知ったわけじゃない。ただたまたまあそこに居合わせただけというのが正直なところだ」
「居合わせただけ?」
「僕の目的は売人の処理だよ? その過程で誰が犠牲になろうと別にどうでもいいさ」
冷淡だ。しかし、このどうでもいいという発言の真意は手段を選ばないという意味ではなく、捜査の過程で加害者が被害者をいくら増やそうと、最終的に処分できればそれでいいという意味だろう。
そういうことはラファエラにもわかる。彼女は積極的に被害者を増やそうとは思わない。
「椿があの部屋でぐったりしていることに気付いたのは売人の頭に鉄アレイをフルスイングした後。『あれ? 今ぶん殴ったヤツの下に誰かいるなー』って思ったら、下着姿の女の子だ。それはそれはびっくりしたよ」
なんとなく嘘臭い。びっくりした、と言ってもきっと微かに眉を上げた程度だろう。
「ま、相手は単独犯だったから、それはひとまず置いといて下っ端を拷問。情報を引き出せるだけ引き出した後は退散しようとした。そのときだよ。去ろうとした僕の足を、床を這いつくばる椿が掴んだのは」
「……なんのつもりだったのだ? 椿は」
「要求は端的だった。『助けて。私を置いてかないで』。これだけ」
ツミナは懐かしさに目を瞑る。
「警察を既に呼んだことは、椿はきっと知っていたはずだ。目の前で、その下っ端のスマホ使って呼んだんだからさ。あとは拷問で息するズタ袋と化した売人と一緒に、その部屋で眠ってるだけで救助は完了。薬も無理やり投与されたことにしてしまえば、きっと誤魔化せる範囲だった」
「それでも助けてと言ったのだろう? 貴様はどうした?」
「ゲロ吐くほど面倒だったけど助けた。当然だろ。助けない理由の方がない……とか善人全開なことは僕には口が裂けても言えないけど、助ける理由が一つだけあったんだ」
ラファエラが小首を傾げると、ツミナは目を開いて自嘲気味に言った。
「貴重な情報源その二。期待薄なのはわかってたけどね」
「……本当に最低だ」
きっとツミナはこう思っていたのだろう。売人すら知らないことを、ただ薬を買っていただけの女の子が知るべくもない。
ただ、売人の方は恐らく椿のことを知っている。薬を安全に売りつけられる弱い女の子として。
その時点での椿に情報は期待できなくとも、囮や釣り餌くらいの役割はこなせると踏んだのだ。
「まー、仕方ないから僕の家に連れ込んで、風呂に入れたり服を調達したり、事件とは関係ないものも含めて話をしたり……僕自身の目的のために椿に世話を焼いた。椿もやられっぱなしは性に合わないって、僕に協力することに積極的だった」
「……それは……」
「怖くて訊ねたことはないよ。『キミが僕に協力してくれるのは、本当に僕のため? それとも薬のため?』なんてさ」
そういう危ない薬には総じて依存性がある。薬に行動力を奪われるほどに溺れた椿が、本当に善意でツミナに協力していたのか。
おそらくツミナは正しい。それは絶対に訊ねるべきではないだろう。
「……ま、大丈夫だよ。今の椿は僕が紹介した匿名性の更生プログラムを受けて、それなりに立ち直ったんだ。ナワキもきっと彼女が元ジャンキーだったなんて想像もしてないよ」
「肝心なところをまだ聞けてないな。それで? 貴様は椿とどうなった?」
「あの共同生活を経て信じられないくらい惚れた。あ、僕の方がね? なので、椿の方にも僕のことを好きになってくれるよう頑張った」
「……は、はあ……なるほど」
まだ蘇生したばかりで、男と女の熱情に疎いラファエラは気の抜けた返答をするばかりだった。質問をしたのは確かにラファエラなのだが、答えを聞いてもピンと来ない。
それを察したツミナは、軽く笑ってから補足をする。
「多分あの当時の僕の脳味噌をスプーンですくって舐めてみたら甘い味がしただろうな。そのくらい僕は椿にデレデレだったよ。肌に触れたい。唇を重ねたい。誰よりも近くで椿の声を聞いていたい。それらの欲求を満たすには椿と両想いになるのが一番手っ取り早い」
「……ん、んん……」
「なので、僕はあの手この手で椿を口説き落とした。まず一手目に告白。『ヤりたいから付き合ってください』と正直に言った」
「んん!?」
「快諾してくれた」
「あの手だけで終わっているではないか!? この手はどこに行った!?」
それ以前に、やはり告白にはデリカシーの欠片もない。ツミナらしいと言えばそれまでだが。
「その椿とは、どのような女だったのだ? 一体どこに惚れたのだ」
「見た目」
「……身も蓋もない」
「あとオマケに、僕好みの性格と僕好みの体温と僕好みの肌触りと僕好みの声色と僕好みの息遣いと僕好みの挙動と味と頭の良さと……」
「最初から全部と言った方が早いではないか!? そこまで言ったら!」
もう十二分にわかった。ツミナには椿が必要だ。おそらくこのまま放置していれば、ツミナは半年も待たずにどこかでモンスターに襲われるなりして死んでしまうだろう。
人間には立ち上がる力がある。仮に愛する者を失ったのだとしても、その心の傷は時間が解決する。
それは無情には違いないが、人の困難へ立ち向かうための最大の力だ。
ただし例外がある。立ち上がるための動機が愛する者のためだった場合だ。
立ち上がることは可能だとしても、その理由が根本から折れれば話にならない。
「……アイツが貴様好みの性格をしていたのだとしたら、だ。アイツが何故逃げたのかも見当が付かないか?」
「理論上、わかるだろうね」
「つまり実際にやる気はないと?」
ツミナは頭を抱え、絞り出すように言うしかなかった。
「怖くてできない……僕は僕のことをそこまで信用できないんだよ……僕が椿を好きな理由はいくらでも答えられるけど、椿が僕を好きな理由なんて見当も付かないんだからさ……」
「……私にはわかる気がするぞ」
「は?」
ラファエラはトングで焼肉を取りながら、ツミナに滔々とした口調で告げる。
「まあ安心しろ。私は貴様のことをよく知っている。この五日間で見つけた貴様の美点は……数少ないが確かにあるぞ?」
「……」
――安い気休めを言う。所詮はNPCか。
ツミナは心の底でラファエラの言葉を切って捨てていた。それを知ってか知らずか、ラファエラはすべてを見透かしたような顔で笑う。
「ナワキはいつでも正しい。だから、アイツが椿の元に走ったのなら、そこにはきっと意味がある」
「……それは……」
その点だけはツミナも認めるところだった。だがその結果、ツミナにとってすべてが都合よく進むとは思えないだけだ。
「なあツミナ。貴様は自分のことをもう少し高く評価すべきだぞ。そうしなければ周囲を評価するときに支障が出る。聞けば椿のことを信用できてない理由はまさに自分を信用できてないからというただ一点だけではないか」
「……」
「……あと肉を食え。私だけでは少し多い」
テーブルの上に並んでいる輝かんばかりの肉の群は、確かに一人分で食べるには遥かに多い。二人分でも食べきれるかどうかという量だった。
「まあ無理すれば私一人の胃に詰め込めないことはないが……」
「え? エグくない……?」
流石に沈鬱極まれりなメンタルのツミナも素で反応してしまった。
◆◆◆
一方そのころ。マルゴ、セノー、ナワキのチームはホテルの一室にて大騒ぎしていた。主にマルゴのせいで。
「やめっ……やめてええええええええ! お姉ちゃん、考え直してぇぇぇ!」
「大人しくしなさい。私はなにも間違えない。考え直す? その余地がない」
マルゴは頑丈な手錠でセノーをベッドに繋ぎ、その服をハサミでズタズタにした上で彼女を犯そうとしていた。
それを遠目で見ていたナワキは天井を仰ぎ見て、遠い目をしていた。
――慎吾。やっぱ俺に椿は手に負えない。
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