第50話 残酷、悪意、善意、偽善のカプリチオ

「遅いぞツミナ! 今までなにをしていた?」

「ハグさんと一緒にキミらの戦いを観戦してたよ。さっきまでは手出し無用だったからハグさんに介入を止められてたんだけど」


 予想外の答えだった。ラファエラは目を丸くする。素直に遅れたことを謝罪したのならば文句の一つでも言っただろうが、これでは逆に怒る気にもなれない。


「……まったくお前と来たら。もっと早く手助けできたのならさっさと来い。とても疲れたぞ?」

「ごめんね。そら、アルタ山だっけ。これ、ハグさんから」


 ツミナは手に持った活性剤をラファエラに向かって投げ、空いた手でコートのポケットからデバイスを取り出した。


『おイタがちょーっと過ぎちゃったわね』


 そこから流れてきたのは、ハグの声だ。


「……ハグさん。これは一体どういうことです?」


 アルタ山は敬語だった。だが形だけの物で、声色から不満を隠していない。


『私も最後の最後まで傍観してようかなーとは思ってたわよ? でもね、流石に相方のセノーちゃんからストップをかけてくれって言われちゃあ、ねぇ?』

「セノが? バカな……!」

『あなたのことをよっぽど心配してたんでしょうね。青い鳥を撤退させた直後あたりから、私に向けてメッセージを飛ばしていたわ。内容はあなたの命の保証。つまり実質的な投了リザインよ』


 名目上はアルタ山の第一印象とは正反対ということだ。ツミナはアルタ山を助けるために現れた。争いを止め、ラファエラから殺されるという結果を防ぐために。


「ちょっと待ってくださいよハグさん! 私は負けてません! 見てたのならわかるでしょう!?」

『それでも相棒の方が降参! と言えば私はそれに従うわ。助けを求められて、その手を跳ねのけるような人でなしではないの。私は』

「でもぉ……!」

「ハグさん。埒が明かない」


 暗闇の向こうから聞こえるツミナの声は、冷えていた。

 直後、バランスが崩れてアルタ山の身体は床に転がった。アルタ山はそれを、なにか巨大な怪物によって床に押さえつけられたように感じた。


 次にアルタ山の人差し指の皮が。ラファエラにはハッキリと見えた。それはリンゴの皮を剥くように綺麗な切り口で、皮膚がひとりでに渦状に剥けていた。


「ぎゃうっ!」

「死ぬのを怖がらない相手をするのが恐怖? 安い人生観だ。往生際が悪いのなら僕が教えてあげようか?」

「なっ……に……!?」

「死ぬより酷い目に遭うことが一番の恐怖だってことをさ。


 パン、とツミナは両の手を合わせた。それを合図に、アルタ山の人差し指だけではなく、左手のすべての指が同じように剥けていく。

 綺麗に。美しく。悍ましいくらい几帳面に。


「ぎっ……ぎゃあっ……ああああああああああああっ! 痛い! 痛い、痛い、痛いいいいいいいいいい!」


 絶叫するアルタ山の脳裏にあったのは、恐怖よりまず先に疑問だ。


 なんだコイツは。助けに来たのではなかったのか。

 何故自分にこんなことをする?


 いや、そもそも。人に対してここまで悪意を振りまける人というものが、本当にこの世に実在していたのか?


 NPCを人間扱いしていないプレイヤーはいくらでもいる。それは理屈としては理解できる。だが同じ人間に対して、ここまで酷いことができる人間がすぐ傍にいるという現実がひたすら受け入れがたい。


 今、アルタ山が受けているのは高純度にして人生初の、混じり気がまったくない悪意だった。

 殺人鬼や犯罪者の存在は、テレビやゲームなどの窓の向こうの出来事だと思っていたのに!


「キミはまさに試合ゲームをしていたつもりだったんだろうけど、その認識は変えて貰わないとね。人によって恐怖の尺度は全然違うんだ。あとなにより」


 ツミナは言葉を切って、ラファエラの方を一瞥した。流血や破けた服、汚れなどの状態を把握した後、すぐに目線をアルタ山に戻す。


「彼女はナワキと僕の仲間だ。ここまでズタボロにした礼は返す。で」

「ひっ……! や、やあっ……!」

「あれ。ラファエラ? なんか言った?」

「ッ!」


 アルタ山の短い悲鳴を無視していた。それもわかりやすいよう、あまりにも露骨に。

 その様子を見ていたラファエラは、あまりのことに呆けていた。いつもおどけていたツミナの顔から、あそこまで表情が消えたのは初めて見る。


 ラファエラの背筋にも、恐怖の寒気が走った。


「ま、いっか。ひとまずこの子の綺麗に焼けた皮膚、丸っと全部剥がしてうちの剥製にしちゃおう。僕の好きな飲み物は女の子の乳首です」


 べりい、と一際大きな音が響く。皮膚を剥がす音のはずだ。だが、当のアルタ山には更に大きく聞こえる。

 音が骨を伝わるほどに深いところが、剥がされた。目が見えなくてもそれくらいはわかる。

 なるほど、確かにこれは恐ろしい。自分で自分の右手を吹き飛ばす程度ならなんでもないが、他人に自分の身体を好きなようになぶられるというのは。


 何よりも。


 それをなんの臆面もなく実行できるような腐った人間が近くにいるという事実がとにかく怖い。


「あああああああああああああああああああっ!?」

「もう充分だ! やめろ忌々しい!」


 ピタリ、と左手の侵蝕が収まった。身体に刺さっていた冷たい気配も和らいだ気がする。

 溢れる涙と、上がっていた息。それと鼓動を早めた心臓のせいで頭も痛い。それでも闇の向こうから聞こえてきた声が、誰の物なのかはわかった。


「やめてくれ。私のせいでそんな残酷なマネをしているツミナは見たくない」

「……はあ」


 溜息を吐いたツミナは、アッサリと自分のPSIを解除した。アルタ山の瞼が開くようになり、目の前が見えるようになる。

 信じられないことが起こっていた。


「……ナワキがここにいたら、こうしてただろうからな」


 ラファエラは、這いつくばったアルタ山の背中に活性剤を刺していた。それはツミナが渡した活性剤だった。

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