第46話 インカムへレクイエムを。あばよ!

「あはははは! くっだんね! なにこれ! お茶で霧を作ったからなんだって――!?」


 大爆笑していたアルタ山は途中で顔を引きつらせた。

 変化はわかりやすかった。。せいぜい自分の手足を確認できる程度の濃い霧だ。


「セノ! 外から確認! どの階からどの階まで霧がかかってる?」

『……五階から最上階の八階まで! 鳥の視覚共有が役に立たなくなった!』

「……まずくね!?」


 視覚が届かなければ、この建物でアルタ山が取っていた有利がすべて消えるも同然だ。それどころかラファエラの姿すらも見えない。

 殺すわけにはいかない相手で、自分自身の能力が爆発という細心の注意が必要なものなのだから、安易で適当な起爆はできなくなった。


「……お茶の霧なんて長持ちするとは思えないけど。セノ! ナワキくんのペットボトルの残弾はあといくつ?」

『霧が晴れた後で、あと三回は同じ範囲を霧にまける程度かな……』

「冗談じゃん!? いくらなんでも買い込みすぎ――」


 うろたえている最中、アルタ山の全身に、今までの人生で味わったことのないような苦痛が走った。


「痛ぃぃぃってぇ!」


 そう声を出してみるものの、具体的にそれがどんな感覚なのかはわからない。ただ自分の中の大事なものが無遠慮に削り取られたような実感があった。二度と味わいたくないような恐怖を、アルタ山の精神に刻み込む。


『たっくん!』

「……そうか。有利が消えただけじゃない……霧の中でならラファエラは最強だ……!」


◆◆


「私の蟲はPSIホーミング。霧がかかってても問題なく、貴様の髪を追尾する」


 ラファエラ自身もほとんど視界が閉ざされている。自分自身のPSIの影響で得たPSI探知能力も、精度が荒すぎて話にならない。だが百紅蟲の女王ルビーベルトクイーンの精度は段違い。

 物理的な障害が無い限りは確実に相手のPSIか、その原液となる精神力を探知し襲い掛かる。


「視界を閉ざした以上、もうどの方向に髪を引っ込めて、どこを自切すればいいという段階の話ではなくなった。さあ、どうする?」


 ラファエラの最後の策は『ナワキのサポートを待つこと』だ。期待には期待以上の成果で応えたかったのだが、こうなってしまっては仕方ない。

 自分の力不足を認められず足掻く者は、自分の能力以下の無様な末路しか待っていないのだから。助けが期待できるのなら、助けを待つのが最善の策だ。


「攻撃速度が最遅のイモムシで攻撃してやってる。さっさと引っ込めなければスズメバチに切り替えて本当に殺すぞ」


◆◆


「もういいじゃん。こうなったら仕方ない。陣取り合戦は向こうの圧勝ー」


 アルタ山はそう言うなり、セノーになんの報告もせずに、建物に蔓延らせていたすべての髪の毛を自切した。

 ラファエラの視点からすれば、目の前の髪の毛に対して急に蟲が寄り付かなくなったように見えるはずなので、勝負の方針を変えたことに気付くだろう。


「あー、頭軽くなった。タイマンするのならこれくらいのがちょうどいい」

『……大丈夫? 生態コードって強いんでしょ? まだそこまで徹底的にボロボロにしたって感じじゃないし……』

「でもやるしかないじゃん。というかやりたいからやったんじゃん。セノは撤退していいよ。あ、そうだ」


 アルタ山の決心は軽いが、固い。仮に友達からなにを言われたとしても、セノーにはどうすることもできないだろう。

 だから――


「もし私が死んじゃっても私の自業自得だから気にしないでね」

『……ええ?』

「いや相手ラファエラだし。なんかの事故で、勢い余って死んじゃうかもだし。今のうちに言っておかないと」

『いや、それはそうかもしれないけど……そうなる前に土下座して謝ってでも降参してよ?』

「限界までやるまでそれはイヤだ」


 インカム越しに、呆れたような溜息が聴こえる。


「……会って五日しか経ってないけど、本当に楽しかったじゃん」

『これからも楽しくなるんだよ。死んじゃっても復讐とかしないよ? むしろ一生かけてたっくんのこと呪ってやる』

「怖っ! 愛情重っ!」


 間違っても死ねなくなった。


『あと仕事。本当ならこっちのが本命なんだからさ。ナワキかラファエラに訊きたいことがあるでしょ』

「そうだった……でもそれセノの都合じゃん?」

『コイツらかもしれないって選んだのはたっくんでしょ』


 そこで、セノーは一つ思い当たったことがあったのか話題を変えた。


『ありがとう。確信に至った。。たっくんは充分役目を果たしたよ』

「……なんか死にゆく部下にせめてもの激励を送る悪の組織の上司みたいな台詞じゃん」

『そう? いや私は正義の味方のつもりだけど』


 暇になった途端、どうしようもなかったので会話をしていたアルタ山だったが、それ故に気付くのが遅れた。変化が緩慢だったのも一因かもしれない。


「おい」


 霧が予想よりも早く薄くなっている。それなりの距離離れているはずなのに、人影が認識できる程度には。

 声をかけた人物は、床を蹴り霧を裂くように一気に距離を詰め、拳をアルタ山の顔面に叩き込もうとした。

 アルタ山は軽く避け、髪の毛で襲撃者の身体を絡め取ろうとしたが、避けられてしまう。距離を取るのも一瞬だった。


「……私がいるというのに随分と余裕じゃないか。不快感が頂点に達したぞ」


 今の距離なら表情も辛うじて認識できる。当然ラファエラだった。だが、先ほどより薄くなったとは言えまだ霧は濃い。こんなに早く来れるとは予想外だった。


「もうちょっと時間があると思ったんだけど」

「バカめ! ナワキと私もそれなりの時間過ごしたのだ! 霧のノイズの影響は、慣れてない貴様らよりも遥かに薄い! それまでに何着も服が汚れたがな! 私が怒るまでは大変だったのだぞ! アイツ、コーラとかジンジャーエールとかを好んで霧化してたからな! 『コーラ味の霧とか面白いな』とか言って!」


 わざわざお茶を霧にしたのはそのためか、とアルタ山は納得する。流石にアルタ山もコーラでベタベタになるのは勘弁願いたかった。


「……いや今のお茶の霧も相当酷いがな! 匂いが! くそ、外に出たら覚えていろよナワキ! 説教第二ラウンドだ!」

「それは無事に外に出れたらの話じゃん。殺す気はないとは言え、立ち上がることができないくらいガクガクになるまで遊んでほしいな」


 またもや挑発。逃げる追わせるの必要がもうないので、本当に挑発以上の意味がない言葉だ。アルタ山が自分自身を興奮させるための言葉だ。

 それを受けたラファエラは、一瞬で表情を消し、極寒と言えるほど冷たい眼でアルタ山を射貫く。


「……ああ。そうだな。いや、確かに。説教第二ラウンドは保留か。貴様で私の怒りのすべてを清算するからなァ!」


 正攻法。タイマン。ガチンコ勝負。壊れないよう、インカムをポケットに仕舞おうかと耳に手を伸ばしたアルタ山は、そこでやっと気付いた。


「探し物はこれか?」


 インカムが取られている。最初の顔面を狙った一撃のときに――!


「私よりは遅いぞ、貴様は」


 グシャリと、握力でインカムが潰される。

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