第38話 裏切りの炎は地獄のように我が心に燃え

 早めに渋谷での探索を切り上げ、ナワキとラファエラは夕方になるまで遊び尽くした。二人でゲームセンターに行ったり、映画を見に行ったりと、VR空間内の新宿も中々楽しい。今はチェーン展開しているカフェに向かい合って座り、これからどこに行こうか雑談を交えながら相談しているところだった。

 問題がたった一つあるとするなら――


「本棚が欲しい」


 ラファエラがふとこう漏らした通りだ。買い物がまともにできない。ナワキたちには腰を落ち着けられるような拠点がホテルしかない。

 自分の家ではない以上、そこに運べる荷物の量にも限界がある。さもなければチェックアウトのときに、一々引っ越し業者を呼ばなくてはならなくなってしまう。


「まあ、だよな……ラファエラは生物の図鑑とか好きだもんな……」

「好きではない。私の能力は蟲しか出せないのと関係がある。要は知らない生物を模すことは極力したくないのだ。挙動がおかしくなってしまうから」

「そうか。そうかー?」

「……よせ。やめろ。その疑いの目をやめろ! 別に好きじゃないってば!」


 珍しく顔を赤くし、慌てた様子のラファエラに、ナワキは思わず笑ってしまう。

 別に好きでも問題はないというのに。


「わ、笑ったな貴様! もういい! 次の狩りのときには使ってやるぞ! 貴様らの目の届く範囲で、あの蟲の巣をな! 具体的に言うとゴキブ――!」

「それだけはマジで勘弁してください!」


 ラファエラの能力は蟲(と本人が認識しているもの)であればなんであれ出すことができる。蜂でも、蟻でも、カブトムシでも節操がない。現実では嫌悪の対象である黒くて油ぎったアレすらも出せる。普段はナワキとツミナの両名が頭を下げてやめてくれと言っているので、やっていないだけだ。


「ふん。蟲の女王たる私をあまり不快にさせるなよ。今日の映画も、まあ不満というわけではないがちょっと内容が薄味だったしな」

「ああ、それは同意するけど……」


 版権の問題だろう。所詮ここはゲームだ。いくらなんでも、ゲーム中に登場する映画作品にそこまで力が入っているわけがない。ゲーム上での設定だと『滅びかけた世界でそこまで面白い映画が作れるはずがない』といったところだろうか。


「……やっぱりこの世界そのものは面白くても、娯楽全般は外の世界のが上だよなあ」

「横流しはできんのか?」

「恐ろしいこと考えるな……あ、いや、横流しなんてしなくとも無料動画サイトくらい見れるか。合法的なものに限っても結構面白いの揃ってるはずだし」

「……貴様。自分で言っていて気付かないか? わざわざ序詞に合法的な、などと言うのは違法なものも知っていると自分で白状してるも同然だぞ」

「そういう悪い遊びはツミナに聞いてくれ。あ、いやごめん訂正する。ツミナには聞くな。加減をたまに間違えるからな、アイツ」


 あれでもツミナは、ラファエラに対しては相当手加減している方だ。彼女は気遣いするのが大嫌いなだけで、気遣いそのものを知らないわけではない。

 だがいつ我慢の限界が来るかわからない。ナワキもそのことをツミナ本人から忠告を受けているので、ラファエラと彼女を二人きりにさせる時間は少なくさせるように裏で立ち回る必要がある。


「……ふむ。ま、その話は後回しだな。ツミナがこの場にいない以上、それ以上はなにも言えない。言ったところで無駄であろうさ。話を元に戻すぞ。本棚が欲しい。本棚が買えないというのなら、その原因を取り除きたい。ああもう、まだるっこしい! 拠点を買えナワキ!」

「それは……」

「金がないなどとは言わせないぞ。あるはずだ。なんならホテルを拠点にこのままずっと過ごすよりかは経済的であろうが」


 またしても正論だった。今のところのナワキたちの活動は、ギリギリのところで黒字という状況だ。これで拠点に支払うコストが減ってくれれば、確かにそちらの方が余程いいだろう。


「……保証人がいないんだよなぁ」

「賃貸か?」

「微妙に違う。仮に土地を買ったところで、だ。保証人がいないと俺たちサイキックはまともにセーフティで住めないんだよ。前のハグさんの騒ぎ、覚えてるだろ?」


 滞在するなら問題はない。だが住むとなるとセーフティ側の保証人は必要不可欠だ。さもなければ小競り合いを起こす度に追放するかしないかの騒動に巻き込まれ、煩わしいことこの上ない。

 実際に追放されればプレイヤーたちにとって致命的な上、その場合財産がどうなるのか考えた場合、恐ろしすぎて眩暈がしそうだ。


「その辺りはハグさんが……俺たちのチームではツミナが色々やってるところだ。拠点について考えられるようになるのはもうちょっと後だな」

「我慢できんな」

「そう言うなよ。時間は早くもならないし遅くもできないだろ?」

「感覚を高速化できる貴様がそれを言うか……いや違う。この状況が辛いというのは確かだが、我慢できないほどではない。私が言っているのはサイキックを徹底差別するこの世界のことだ」

「なんとかするよ」


 あっさりとナワキは言う。迷いも躊躇いも一切なく、不可能なのではないかという疑いもない目だった。


「ゲームの目的の内に、それも含まれてるんだろ。この状況はあまりにも酷いからな。俺たちでこの世界を変えてみせる。それがゲームの醍醐味だろ」

「世迷言を、と普通ならば言うだろうな。だが貴様たちには私がついている。この手を切らないというのであれば、それもまあ現実的な話ではある、か」

「……切るわけないだろ」


 おや、とラファエラは思った。その声に滲む色は不満によく似ている。妙に思って顔色を窺うと、そこに浮かんでいたのは悲しみだった。


「……そういえば、延び延びにしていた質問がいくつかあったな。私は……いや、前の私は貴様とどういう関係だったのだ?」

「恥ずかしいから絶対に言わない」

「そうか。ならば勝手に想像するとしよう」

「は?」


 なんかとても頭の悪い発言が聞こえた気がした。


「そうだな。私は……ナワキの姉ポジかなにかだったはずだ……あるいは母代わり的な……生態コードは蘇生する度に肉体年齢は最適化されるし、加齢の速度も三倍程度は遅いから……ツミナに続く第二の幼馴染だろう! 当然、私の方が立場が上だったはずだ!」

「徹底的に俺の方が下かよ!」


 ナワキが八歳だったときからラファエラはこの姿だったので、まったくの間違いというわけではないのだが。


「よし。姉らしく貴様のことを扱ってやろう。後で焼きそばパンでも買ってくるがいい」

「パシリじゃねーか!」

「……あっ……私個人で動かせる金がないな……仕方がない。後で私の肩を揉むがいい!」

「揉っ……いや必要ならやるけど、俺別にお前に姉属性は求めてないから!」

「弟よ!」

「話聞けよ女王様!」


 ラファエラがナワキのツッコミを聞き入れることはなかった。逆に、鋭い視線で彼を射貫き返す。


「……アンフェアだと言っている。貴様が事情を話す気がないのなら、私とて貴様の望む関係を構築する気などない。さらさらない」

「ぐ……」

「フン。だがまあ、今までのやり取りでなんとなくわかったぞ。私とて無為にこの五日間を過ごしていたわけではない。以前の私と、ナワキの関係とはつまり……」


 ナワキは凹んでいた。ラファエラの言っていることは、見方を変えればただのブラフでしかない。今のラファエラには前のラファエラの記憶など手に入れようがないのだから、前のような関係を構築する努力そのものが必要無い。

 今のラファエラとは、今のナワキと構築できる関係しかない。そうあるべきなのに、ナワキは今のラファエラの言葉を聞いて少し落胆してしまった。


 前の関係を少しでも取り戻したいと思っている証拠だ。


(そんなの不可能なのにな。今を生きているラファエラに失礼だし、さっさとこの話題は切り上げて――)

「恋人だな!」

「ぶうううううううううううっ!」


 口から飲んでいたはずのカフェオレがすべて鼻から逆流した。

 その様をきょとんと見ていたラファエラは、テーブルに身を乗り出さんばかりに興奮し、満面の笑みになる。


「正解か!」

「ごほごほっ! ぶ、ぶああああっ……は、鼻に激痛が……! がっ、ぐぎゃっ!」

「ふっ。前に貴様は言っていたな。ムカデが格好いいだのどうのこうの、よりによって私に向かって。つまり前の私は貴様に肌を見せることを許していたのだ! そうであろう!」


 設定資料集で見ただけだ。おそらくファンなら全員知っている事実だろう。

 ドヤ顔で語る推測は間違いだらけだが、ナワキにはそれを否定するだけの力がない。未だにむせていた。

 しかし、ラファエラは容赦しない。むしろ面白がってナワキに追撃する。


「まあ? むかしはどうだったかは知らんが、今の私は貴様のことをそうは見られないので? そういう対象としては論外と言わざるを得んな?」

(……二重三重でメンタルに攻撃するとか悪魔かコイツ!)

「前の私のことを話すというのなら話は別だがな」

「ッ!」


 ふと、理解してしまった。ラファエラの推測に足りないものがなんなのかを、正確に把握できてしまった。


(コイツ、まさか。いや、そうとしか考えられない!)

「ククク。いつまでむせている? そら、ナプキンをやろう。さっさとテーブルとか服とか顔とか拭くがいい」

「……あ、ありが……とう」


 ラファエラからナプキンを受け取り、笑顔の彼女を見てナワキは確信する。


が抜けている……!)


 つまりそういうことだった。彼女にはナワキとツミナに対する敵意はない。前はどうだったかは知らないが、今はまったくないのだ。頭の隅からも発想が抜け落ちるほどに。

 人に裏切られたとき、一番心が傷付くのはどんなときだろう。

 そんなのは決まっている。裏切るはずのない人間に裏切られたときだ。


 裏切りによる悲劇は大抵、絶対の信頼から産まれてくる。

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