第37話 白鳥:掃きだめの湖出身

「正直に言うわ。私はプレイヤーの何人かを間接的に殺してしまった」

「……話の内容によっては、この場で手を切らないといけないな」

「構わないわ。判断はすべてを聞いた後でお願いね」


 ハグは酒のグラスの淵を撫でながら、ツミナの目を見て話しだす。綺麗な瞳だった。真っ直ぐで、罪悪感など欠片もない。

 ツミナにはわかる。共犯者として重要なのは理念の一致だ。その点においてはまず間違いなくハグとツミナの相性は最高だろう。


 なにせハグからは同類の臭いがするのだから。だ。


「プレイヤー全体の挙動を、私の広報で制限していることは知っているわよね? 当然、法的な拘束力もなにもあったものじゃないからあくまで要請でしかないのだけど。ボスを倒すことを私は『今はやめてほしい』と触れ回り、ほとんどのプレイヤーはそこに利益があるから従順に守っている。でもね、ゲーマーの行動すべてを管理しきることは私には不可能よ」

「それができたら、ハグさんは政治家にでもなるべきだね。公約は男女おしなべて全員全裸条例とかでお願い」

「国が滅ぶわよ。それで本題だけど、私の要請に逆らったプレイヤーは確実にいる。でもね、おかしいのよ。逆らったと思われるプレイヤーが全員行方不明なの」


 キン、とハグはグラスを指で弾く。


「渋谷の樹海は交信不可能ゾーン。唯一、コードによるPSI、大抵の場合はテレパシーでしか通信ができなくなる。当然、テレパスのような非戦闘系のサイキックがボスに挑むわけがない。要請がある以上は、それに大々的に逆らった後でプレイヤーほぼすべてから総スカンを食らわされるのが目に見えているわけだから、逆らうとしても情報が漏れないように単独犯で動くはずよ」

「逆らうっていうのはつまり、ボスに抜け駆けして挑むって意味だよね」

「そう。私はあえて逆らう人間が複数人出るような、僅かな挑発を文面に仕込んだ。結果は上々。ボスに単独で挑んだ誰かが、その情報をどこかに漏らしてくれるのを期待したのよ。『うっかりボスのテリトリーに入ってしまった。結果的に要請を無視する形にもなってしまって本当に心苦しいが、しかしあの情報だけはみんなに伝えないと危険すぎる』とか、そんな内容の言い訳付きでね」


 そこまで言ったハグは、明るくツミナに問いかける。


「さて。どんな問題が起こったか、わかるでしょう?」

「ボスに挑みかかったヤツは全員帰ってきていない。つまりってことだよね」

「私は仮説を立てたわ。タイムリミットの一週間の間に辿り着いたにしては中々の精度の仮説をね。殺されたから帰ってきていないのではなく、帰ってこれないから殺されたのだと。つまりボスの能力は名付けるとするなら『クローズドサークル』。相手を閉じ込めて殺すまで終わらないのなら、情報を隠蔽するのに最適。私たちはリスクの大きさすら知らないままボスを攻略することを強いられる。でも、攻略法はだからこそ目に見えているわよね」


 ツミナは思わず笑ってしまう。自身を誘った理由もそれだろうと推察可能だ。あまりにもわかりやす過ぎて呆れてしまう。


「大人数で攻略……だけじゃ足りない。大人数をかき集めて、二つのチームを用意する。そういうことでしょ?」

「クローズドサークルの中からボスを攻略する者たち、そしてクローズドサークルを外側から破壊する者たちの両方が必要よ。ちなみに、あとはあなたたちが頷けば最低限の人数は揃ったと言える段階かしら?」


 少し妙な話だった。ツミナの知っている情報からすると違和感がある。


「ナワキは、ハグさんがそんなことをしていると一言も喋ったことがない。まさか」

「当然、秘密裏に集めたに決まってるじゃない。あなたのゴミ能力なんか目じゃないほどの実力者を、私自身の足と肉声で集めたわ」


 見事な暗躍だ。ツミナも流石に舌を巻いた。だがツミナはそこで素直にハグを褒めなかった。


「ふふっ。やだなぁ、ハグさん。トラウマになっちゃった? もう一回味わうかい?」


 ハグはツミナのコードのことをゴミ能力と罵ったが、それは彼女にしては珍しく汚い言葉遣いだ。ツミナはその隙を見逃さない。

 怖がっていなければ、そんな悪口は出てこない。ハグは失言を悟ったのか、表情をゆっくり消した。対してツミナは笑顔を更に濃くしている。


「ふふふ。熱い夜だったよねぇ。ふふふふふ。ふふふふふふふふふ! もう一回があるのなら僕はそれでもいいけど?」

「……ッ!」


 プレイヤーのPSIの行使にはいくつかの段階がある。最初にガチャ。次に入手したクリティカルコードの装備だ。装備したクリティカルコードは大小も形状も様々だが、通常は肌のどこかに浮かび上がる。


 さて、ツミナはナワキとはいくつか違うところがある。ナワキは基本的に自分の感情に正直で、嘘もほとんど吐かない。吐いたとしてもそこまで気が利かず、すぐに露呈してしまう。


 ツミナは逆だ。いくらでも嘘が吐ける。気が咎めたとしても表情にはまったく出ない。ラファエラが彼女を女友達として信頼しているのは、彼女が正直だからではなく嘘が完璧だからだ。


 例えばツミナのコードの位置は、露出の高い胸元とかなりわかりやすい。それがラファエラに見せた一番最初の嘘だ。

 ツミナはそれ以前からコードを装備している。別れた後から、再開するまでの間に一度外して別の場所に移し替えただけだ。コードの付け替えにはリスクがあるという情報も、ラファエラを騙すのに役立った。


 最初に無かった場所にコードが現れれば、それ以前にはどこにも無かったのだという心理の盲点だ。


 次に、ラファエラに伝えたハグとのやり取り。あれはすべて真実だが、あえて話していないことがある。

 ツミナがハグと渋谷の樹海に入ったそのとき、ツミナが提示した条件は『おっぱいを触らせること』であり、ハグがその条件をあっさり飲んだのでツミナは渋々付き合わざるを得なくなった。


 それがすべてではない。ツミナはその時点で『ナノマシンコントロール』を装備していた。そして、ハグは油断していたのだ。まさか出会って数分で、自分のことをそこまで明確に害することなどないだろうと。


 ツミナの『ナノマシンコントロール』はつまるところ身体操作だ。自分の血中に発生したナノマシンを使って身体を操作する。相手にナノマシンを感染させる場合、指周りの血管をこっそり破裂させ、爪に血液を仕込んで引っかけば、相手の身体も自分の意のままに動かせる。


 つまり、それ以前に触れられる距離にいなければ意味がない能力だ。緊張感のあるサイキック同士の戦闘の場合は、そもそも相手に近付けるというのがレアケース中のレアケース。無能力者ですら銃が撃てるというのに。


 だがハグはよりにもよって、ツミナに触れられることを許してしまった。悪意の総量を計り間違えたのだ。

 結果としてハグはツミナの爪で胸を引っかかれ、交渉が成立したと同時に敗北した。

 あの夜にナワキとラファエラのいた部屋、そのドアの隙間にメモを挟んだのも外出してほしくなかったからだ。万が一、出入りするところをナワキに見られればきっと軽蔑されていただろう。


「『ナノマシンコントロール』の発動条件は平たく言えば、僕の血液を誰かの体内に混ぜること。物凄く限定的だけど、その分効果は絶大。初期レベルでも一切の抵抗を許さないってことはその身でよく思い知ってるよね?」

「……怒ってるの? 自分の能力をバカにされて」

「いやいやまさか! この能力がゴミであるということは僕も認めるところさ! レベルが上がっても『相手の身体に要求できる理不尽さ』の段階が上がるだけで、発動条件が緩和されたりはしないみたいだし! でもさあ」


 緩慢とした、それでいて嫣然とした挙動で、ツミナはハグの顔を撫でる。瞬きの間に近づかれたのかと錯覚するくらいの、不意の行動。避けられるはずもない。接近してよく覗き込めるようになったツミナの目は、ハグが映っているかどうかも怪しい。

 あまりにも深い闇だ。


ってことを知るには、初期レベルでも充分だったしさ」

「……ぐ……!」

「キミはちょっと臭いすぎた。『一緒に悪いことしましょう』ってことを隠しもしてなかった。脛に傷を持ったことを隠しもしていないヤツが、本当に悪いヤツにどんなふうに使い捨てられるか。よく考えた方がいいよ?」


 なにも言えなかった。あまりの屈辱に腸が煮えくり返る。

 しかし、だからと言って怒鳴り散らすのはマナー違反だ。相手を利用しようとしていたのはハグが先なのだから。

 なによりも、これはゲームだ。騙された方が一方的に搾取されるというのは事実。

 怒鳴り散らすことは簡単だが、それではなにも奪い返すことができない。一生搾取されたままだ。


「脛に傷があるのはお互い様でしょう。仲間と素直に信頼しあえる快感を知っているの?」

「……ないけど。キミは?」


 痛いところを突かれたらしい。ツミナはわずかに身を引いた。


「あなた以外とならいくらでもあるわよ。もっとも、私は自分が相手によこした量より、相手から多く貰っているだけ。相手にそれを悟らせていないのだから、それが続く限りは私も相手も幸せなのよ?」

「そういう形での信頼なら僕もいくらでもできそうだけど、御免だね。それじゃ相手が知らない内にどんどん不幸になっていくだけだから」

「自分は違うとでも言いたげね」


 ハグの指摘に、更にツミナは身を引いた。笑いも消えている。そして、ハグよりも遠いどこかを見ていた。


「違うね。僕は僕の好きな人たちが最終的に幸せであればいい。僕は刹那的な快楽があればそれで充分だから、悪いヤツらを食い散らかしているだけで満足できる」

「ナワキくんとラファエラのこと?」

「ラファエラはどうでもいいんだけど、あの子はナワキの幸せだから、そうも言ってられないだけさ」


 肩を竦め、ツミナは自嘲的に言った。もうすっかりいつも通りのおどけた雰囲気だった。


「……さて。ハグさん。僕たちの返答だけど……あ、僕がYESと言えばナワキはまず賛同するから、この場での僕の返答は僕たちってことで問題ないよ」

「どうするの?」

「YESだ。乗るよ、討伐」


 ツミナはそれだけ言って、カウンター席から降りて立ち去る準備を進める。


「危ないチームの方に僕を入れるのを忘れずにね」

「……ええ。もちろんよ」


 ハグもいつも通りの上品な対応に戻る。

 しかし、彼女と対峙する度に疑問に思う。


(……こんな悪意の塊と、どうしてあの子は親友でいられるのかしら)


 ツミナの病理を知れば知るほど、ナワキの不気味さが比例して吊り上がっていく。彼は一体、なにをどこまで知っているのだろうか。

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