第36話 小蟲のワルツ

 ツミナの自暴自棄の理由はわかっている。ナワキもこれは本当にまずいと察することができるほどに明確な理由だ。


 彼女はこの五日間、椿と喋っていない。


「ツミナ。もう限界だ。椿と電話しろよ」


 渋谷区の緑化区域を脱出し、安心できる場所まで避難したところでナワキは切り出した。だが、ツミナは首を横に振る。


「……今は無理だよ。僕はだからさ」

「わかるけどよ……」


 ツミナはこの世界では女性だ。当然、リアルの法螺貝慎吾と声質が根本的に違う。クリティカルコードと現実世界のネットワークは繋がっており、通話も可能だ。だが、この世界でツミナが椿と通話すればその声はツミナのものとなる。


「あの子なら別に、そんなこと気にしないと思うけど」

「本当にそうかな。割と泣き虫だし、そうは思えないな。僕は椿を一度たりとも泣かせたことがない。それだけが今のところの交際の中で唯一、僕が胸を張れることなんだ」

「だけどツミナ。お前、このままだとマジで早死にするぞ」

「統計学のとの字も知らないくせによく言う。なにを根拠に言ってる?」

「死にそうな顔してる」


 ナワキの指摘が予想外だったのか、一瞬だけツミナは止まった。その後、顔に手を当て感触を確かめる。


「そんな顔してた? 本当に?」

「こんなときに嘘なんか吐かねぇって」

「……ごめん。ちょっとリフレッシュする」


 ツミナはそこで諦めた。ナワキには一切の誤魔化しが通用しないことを再確認したとも言い換えられる。

 二人の会話に切れ目が入るのを、今か今かと待ち構えていたラファエラは、そこでツミナへ声をかけた。


「リフレッシュか。いいだろう! 私が付き合ってやらないこともないぞ? どこに行く? ゲーセンか? スウィーツバイキングか? ウィンドウショッピングか?」

「ごめん。先約があるんだ。ハグさんに呼ばれてるんだよ」


 高圧的な言い方ながらも目をキラキラ輝かせていたラファエラは、断られたことで一気に気持ちが萎んだ。飼い主が持っていたレジ袋から出てきたのが大好きなお菓子ではなくミントガムだった大型犬のような落ち込みようだ。


「そうか……」

「本当ごめんね。こっちのが先約だから。でもそうだな、また今度遊びに行こうか。三人で」

「む……三人だと遊びの趣きが変わってしまうだろう。ナワキにはナワキの良さがあるが、それはさておいてツミナと二人きりで遊びたいときもある。同性でなければ話せない話題もあろう」


 ラファエラの講釈を聞いていたナワキは、感心しきったようにツミナへ目を向ける。


「本当に随分仲がよくなったなぁ」

「他人事みたいに言うなよ」


 流石のツミナも堪忍袋の緒が切れてしまいそうだ。なおナワキには『自分とラファエラを二人きりにするな』と前にこっそり理由付きで伝えている。

 ナワキもツミナのことを最低限守ろうとはしているが、三人一緒だとどうしても、誰かと誰かが二人きりというシチュエーションが必ず生じてしまうのだった。


「じゃあ僕はハグさんと遊んでくるから。じゃあね」

「一つだけ聞いておきたい。浮気じゃないんだな?」

「僕とナワキじゃ、浮気の定義が違うよ。その質問は無意味だ」


 カチンとくる物言いだったが、ナワキは噛み付かずに質問を訂正する。


「浮気してるつもりはないな?」

「もちろんしてないよ。彼女とは楽しく遊んでるだけさ」

「……ならいい。あまり迷惑かけんなよ」


 その言葉には明確に答えず、ツミナは一人で帰り道とは別方向に歩いて行く。


「……アイツ大丈夫かな。ハグさんも心配だけど、アイツのが一番心配だ」

「今は放っておくしかあるまい? 自分の親友のことくらい信じてみせろ」


 結局はラファエラの言う通りだ。本人が大丈夫だと言っている限りは、ナワキは強く手出しができない。せめて大事になる前に自分で踏ん切りをつけてくれることを信じるだけだ。


「……じゃあラファエラ。どこかで遊んでから帰るか?」


 ナワキの問いに、ラファエラはきょとんとした顔になった。


「猛烈に疲れてるのなら直帰でもいいけど」

「いや?」


 ナワキの遠慮がちな言葉を、ラファエラは即座に切り捨てた。


「気が利くようになったではないか。そうだ。それでいい。私に退屈をさせるな、ナワキ。私の持ち主である限りそれは許さない」

「そうか。じゃ、遊ぶぞ。可処分の体力は残ってるだろ?」

「ククク……」


 彼女の笑みを見ながら、ナワキは不思議に思う。

 何故未だに、彼女は自分たちと同行してくれるのだろうと。


◆◆


「別に気付いてなくてもナワキなら問題はないけど、僕の言ったことを全然理解してないみたいだ」

「なんて言ったの?」

「ラファエラが僕たちについてきてくれる理由。彼女が飢えて欲しがってるものは単純に絆なんだよ」


 歌舞伎町の地下にある巨大ディスコ。そのカウンター席にツミナとハグは並んで座っていた。ツミナの方は薄着の、ほとんど水着のような姿で激しく踊る若い女子の胸に目を釘付けにしながら話している。


「考えてみれば物凄くわかりやすい女の子だった。僕たちに興味を抱いた理由も簡単。ナワキと僕が親友だったからだ。ナワキと僕が仲良くしている様を見て『自分も中に入れて欲しい』って単純に思ったんだよ。だって、初めて記憶した美徳なんだから」

「美徳?」

「友情……いやラファエラは最初、勘違いしてたな。僕とナワキが恋人じゃないかって。だから正確に言うと愛情かな。これも当然と言えば当然だよ。生態コードは蘇生された時点では知識以外の記憶が全損してる。つまり、あの時点で彼女は産まれたても同然。そのとき初めて目にした美徳に目を奪われても不思議じゃない。それがどれだけありふれた物であってもさ」

「ふうん。面白い仮説ね。彼女が飢えているものは絆、か。ありえない話ではないかもしれないわね。なにせ――」

「うっひょう! やっぱりこの店は最高だぁ! 汗で照明を反射する胸の谷間とかマジで最高! あー下半身にNPがどんどん溜まって朕の宝具が開陳チンしちゃいそう」


 ハグはツミナの顔を掴み、ゴキリと派手な音を立て、首を無理やり自分の方へ向けさせた。


「こっちを見て話しましょう」

「ごめんなさい」

「で。ええと、彼女が絆に飢えてるという話、ね。古参ファンの私の意見としては、充分考えられる可能性の一つと言ったところね」

「あれを演技でできるのなら大したものだと思うけど」

「随分と見てるのね」

「……見せつけられた、と言うべきかもしれないなぁ……」


 ラファエラと二人きりになる度、ツミナは友達らしいことを大量にやる羽目になる。ナワキと三人ならば精神的に相当楽だが、二人きりとなると苦痛そのものだった。

 記憶に残るのは大抵苦痛を伴う記憶の方だ。


「あの子、本当に僕のこと『女友達』だって認識してるみたいでさぁ……遊ぶ度に精神がゴリッと削れちゃうんだよね……」

「そんなにイヤなら離れればいいでしょう?」

「そうもいかない理由があってね。ま、ラファエラの近況報告はここまでにしようか。続きは先に済ませることを済ませてから」


 ツミナは一気に雰囲気を切り替えた。暗く冷たい笑みを浮かべる。つられてハグも薄く笑った。


「……準備、できた?」

「ええ。もちろんよ。あとはあなたたちのチーム次第、かしら?」


 これはデートという名目の打ち合わせだった。

 議題はボスの討伐についてだ。

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