第35話 すばらしき恩寵。恩寵が読めないなら『しはい』と読むといい
クリティカルコードへのプレイヤー閉じ込め事件発生より五日。
新宿区の茜大量発生イベントは終了した。だが、渋谷区のイベントは未だにボスを倒す者がいないため継続中だ。
ボスのいる位置はほぼ特定できているが、渋谷区のイベントは『開催されている間、渋谷区での獲得経験値が五倍』という美味しすぎる特典がある。
これに目を付けたハグを始めとする影響力の高いプレイヤーが、限界までボスに手を出すのはやめにしようと広報活動を行った結果だった。
もちろん、ゲーマーをこれだけの指示ですべて動かせるはずはない。おそらく何人かはボスに挑みかかっただろう。そのすべてが知らずに返り討ちにされていたから、未だにイベントが続いている。そうナワキは推測していた。
ともあれ渋谷区は今のところ絶好の狩場だ。経験値が上がるのなら、狩れるだけ狩っておきたい。ゲームにおいてレベル不足は死活問題だ。
ナワキは地面に転がったモンスターの死骸を漁りながら、自分の体の調子を確かめる。
「……ちょっと奥まったところまで行っても余裕だな。この調子だと」
「フン。まったく。通常のサイキックというものは脆弱で困る。ただ確かに最初よりは見られるものになってきたな?」
樹海と化した渋谷区の中は、薄暗いと言えないまでも空が葉や枝で隠れ、空が狭い。平たく言えば嫌らしい閉塞感がある。
その中にあって変わらず堂々と背筋を伸ばし、空間そのものを隷属させるような美しさを持った少女が歩いている。
憎まれ口を叩く彼女は、自信満々な笑みを浮かべナワキのことを見ている。なんらかの反応を期待しているようだが、ナワキは首を傾げてしまった。
「褒めてるんだよな?」
「……わかりづらかったか?」
「あ、あれ。褒めてなかった?」
「前よりよくできるようになりました」
「褒めてたんだな!? ごめん鈍感で!」
プイ、と少し顔を赤らめ、ラファエラはそっぽを向いてしまった。
こういうとき、ナワキの親友であればもう少し気の利いた返しができるのだろう。
そこまで考えて、視界にその親友がいないことに気付いた。
「……そうだ。ツミナはどこだ? 乱戦になってる内に見失っちまった。そんなに離れてないと思うんだけど」
「あっちの方だな。今回は大丈夫だぞ?」
「そうか。ならいいんだけど。心配だからさっさと様子を見に――」
ズズン、と地響きが鳴り響く。
「……またアイツか? この地響き、大丈夫って感じじゃないな」
「急ぐぞ! ナワキ!」
慌てていたのはラファエラの方だった。この五日間で、ツミナのことを相当気に入ったらしい。
タン、タンと軽快な音を靴で鳴らしながら、ラファエラが先行する。適確に木の根が露出して硬くなっている地面を、適確な角度で踏み台にしているらしい。
人間ならばありえないセンスだった。手口が獣に近い。ナワキもマネをしようとするが、数歩で足首を挫きそうになった。
「無理をするな! 先に私が辿り着ければなんとかなる! 後から来い!」
「ごめん!」
しかしラファエラの姿が見えなくなる前に、目的地に辿り着いた。そこにいたのは、全長三メートルほどのクマ型モンスター。だが既に首の関節が捻じれて折れており、死んでしまっている。
顔には血がべっとりと付着していた。
ラファエラはしゃがみこみ、血のついたクマの顔面を素手で拭う。
「……返り血だ。このクマの血ではないな」
「ツミナか。また無茶な戦い方を……」
ナワキは苦虫を噛み潰したような顔になり、近くの木を苛立ちのまま蹴りつけた。直後、驚いたような声がしなって揺れる木の上から聞こえる。
「うわっ……わ!」
「降りて来い。説教タイムだ、この野郎」
「ツミナ?」
ラファエラが疑問形の声を出した直後、ツミナがふわりと落ちてきた。予想通り、右腕には深い噛み痕が刻まれていた。ほぼ食べ残しに近い状態で、まともに機能していないようだ。コートごと噛まれたので白い袖に血の模様が痛々しい。
「……ツミナ。またそんな無茶な戦い方を。いつか本当に死んでしまうぞ」
「これでも計算はしてるさ。持ってきた活性剤の量には余裕があるよ」
ラファエラの心配もどこ吹く風で、ツミナは屈託なく笑っている。確かに活性剤の量が揃っていれば、仮にどれだけ瀕死に近い状態であろうと五体満足で傷一つない状態に戻ることはできる。
しかし、ツミナはあえて考慮していないことがあった。単純に、無茶な戦い方をすると痛いのだ。後で傷が元に戻るのだとしても。
ナワキはツミナの胸に刻まれたコードを眺め、溜め息を吐く。
「……テメェのPSI、やっぱりかなり使い勝手悪いな。次の十連ガチャでいいヤツが当たればいいんだけど。なんだったか、コードの正式名称は。ええと……」
「ナノマシンコントロールだよ。僕個人としては、ネクロマンサーとかそういう系統のなにかにしか見えないけど」
ツミナが左手の指を弾くと、死んでいたはずのクマ型モンスターが立ちあがった。捻じれた首はそのままだ。
「レベルが上がって、ナノマシンが取り付いた相手をただ操るだけじゃなくって、生身なら無理な挙動もさせることができるようになったんだ。首の筋肉だけを使って頸椎を折ったりさ。ひとりでに首が一回転する様は結構面白いよ」
「でも一体だけなんだろ。操れるの」
「まあね。相手が大多数の不良グループとかだったら、ステータスで負けた時点で僕の袋叩き決定だ。なにせ操れるの一体だけだし」
「ついでに、ナノマシンを相手の体内に叩き込まないと使えないんだろ?」
「そこら辺に関しては、色々と抜け道を用意してるさ。僕も成長したからね」
左手でポケットをまさぐり、活性剤を取り出して自分の首に注入する。一回では量が足りないので右腕の傷がすべて消えたりはしなかったが、ひとまず動かせる程度には再生した。
「さて。どうする? まだ余裕あるけど」
「帰るぞ」
ナワキの言葉に、ツミナは目を丸くした。
「まだ行けるだろ?」
「ツミナ。私も賛成だ。一度戻ろう」
ラファエラまでナワキに同調する。ツミナはなにか反論しようとしたが、途中でやめてわずかに俯いた。
「……僕のせいかな」
「そうだな。でも微妙に違う。半分は状況のせいだ」
ツミナの反省を、ナワキはできる限り正しい方向へ修正した。
最近の彼女は焦っている。体のどこかを犠牲にしてPSIの発動を強行するという行動は、これでもう三回目だった。
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