第三章 カエルを殺す。恋人を宥める。衣食住を手に入れる。淡い初恋へ花束を(I love you)
アバンタイトル
夜の千代田区。ハグは軽い足取りで建物の外へと出て、背伸びをする。
「留置所の椅子はもっと柔らかい素材に変えるべきだわ。お尻が痛い」
「お疲れ様です。ええと、私もハグさんとお呼びしても?」
傍らには昼間にナワキと一緒に助けた少女。背は小さく、中学生くらいだろうか。優しそうな丸顔が印象的だ。名前は
「ありがとうね。あなたのお父様のお陰で私も完全に自由の身よ」
「い、いえいえ! 私こそ! 命の恩人にこんな手間をかけさせてしまって」
「それはあなたのせいじゃないわ。あと、あなたのことを直接的に助けたのは……」
「あの赤髪の人、ですよね」
ハグは芝居がかった仕草で鷹揚に頷く。
「会いたいのなら呼び出すこともできる。そのための人脈ですもの」
「えっ……!」
鳴海はそこで息を詰まらせた。顔もわずかに赤く染まる。
ハグはあまりの容易さに大笑いしてしまいそうだった。
(激チョロ……!)
「い、いえ。それは……!」
「遠慮しなくてもいいのよぉ。あなたは私を助けてくれた。多少の協力くらいならしてあげられるわ……?」
「きょ、協力って! 私はただあの人にもお礼を言いたいだけです!」
「あら? 他になにがあると?」
「……いじわる、ですね」
ハグはあえて彼女にしていないことがある。自分自身の悪性を取り繕って隠すことだ。明らかに相手の弱いところを暴き立てて、それを否定せずに煽り立てるような言動。
悪魔のような囁きを繰り返す者と、それを跳ね返せない者。後者がうっかり悪魔の提案を利用しようと思い立った瞬間、その関係は一気に共犯関係へと転がり落ちる。明確な犯罪か、あるいは台所に親が隠したおやつを盗み食いするような可愛い悪戯に至るまで、悪意を共有してしまえばもう引き返せない。
三人以上の共犯関係ならば空中分解の確率は指数関数的に上がっていくが、一対一の二人きりの共犯関係は、地球上のどの絆よりも固い。
当然、間に存在する悪意の量を上回る提案もできないが、逆に言うとそれ以前の常識の範囲内で収まる要求であれば通し放題だ。
(彼女はこの甘い共犯関係に必ず飛びつく。そしてそれを、自分の当初の目的以外に転用しようとも思わないほど善良! 容易すぎる……!)
あまりにも簡単だった。おっぱいを対価にして共犯関係を結んだ悪魔のような金髪女に比べれば百億倍簡単だ。
(……今思い出すだけでも虫唾が走るわね。あの女を人間だと思ってないような変態野郎)
ふと意識がツミナの顔に移ってしまう。あの絶望に染まり切った暗い暗い奈落の底のような顔色が、頭蓋の裏にこびりついて取れない。
とは言え、これはゲームだ。駆け引きに負けたならそれまでの話。意識が他の方向に飛んで行ってしまうのを、ハグは引き戻して集中する。
「無償で私を助けるなんてありえないでしょう。別に恥じることじゃないわ? あなたは、私に、なにをしてほしいの?」
「あ、あう。えっと、その……」
「あまり私の娘をいじめないでほしいな」
遅れて建物から出てくる影があった。高そうに仕立てられた真っ黒なスーツに身を包んだ、中学生の父親だとは思えないような若い男だ。眠たげな眼差しに、少し猫背。やたらダウナーな雰囲気を纏った、それでいて気品のある妙な色気が漏れている。
「それ以上鳴海を虐めてる姿を見てると……吐いてしまいそうだ。うっかりキミにありえない冤罪を吹っかけてぶっ殺してしまいたくなる……バラバラにして東京湾にばら撒いて新聞の一面を飾ってもらうってのもいいかな……はあ……」
「もう! お父さん! そういうジョーク笑えないからやめてって言ってるでしょ!」
プリプリ怒る鳴海の傍で、笑顔を崩さずハグは思う。
(明らかに
「とは言え、キミが鳴海を助けてくれたことは確かだ。礼は……しなくてはならないだろうな? なにがいい?」
「仕事よ。私はそれが欲しいわ」
ダウナーな気配が、更にクールダウンしていくのを感じる。ハグを品定めするその眼は、肌に押し付けられた氷の破片のようだ。
気配がカタギのそれではない。身に纏っている服から見ても、只者ではありえなかった。
「いいよ別に。私は。キミたちサイキックなんてどいつもこいつも同じゴミにしか見えない。区別が付かないんだ。燃えるゴミと燃えないゴミの区別と同じくらいどうでもいい」
「もう! お父さん! 分別適当だと、またお母さんに怒られちゃうよ!」
「それ以前にゴミ扱いされた私に対してのフォローが欲しいわね」
「あっ、ご、ごめんなさい!」
鳴海が大袈裟に頭を下げるのを制しながら、ハグは続ける。
「報酬はひとまず情報。あと衣食住の保証よ。ふふっ、随分とふざけた街ね、ここは。正当防衛だから保証が付けば無罪放免、即釈放? そんなのありえないでしょう。私の身元が保証されたから釈放されたのではなく、死んだヤツがサイキックだったから私の罪は軽いだけ」
「そうだなぁ? そうかもねぇ。だってキミたちゴミだもん。彼女の護衛を頼んでたサイキックも、途中から飽きてどっか行っちゃったみたいだし。始末する前に頭がカチ割れて昏睡状態になってくれたのは手間が省けたけど」
「え。なにそれ」
「頭がカチ割れたところまでは私の関与外だよ?」
謎の言い訳だったが、ハグは流すことにした。
「更にセーフティの中にいる誰かに保証されれば、もっと罪が軽くなる。これは裏を返せば、サイキックはセーフティの中にいる限り、住人の顔色を窺うことを強制されるに等しい」
「うん。私と私の娘に尽くしてくれるかな」
「ふふっ。それだけじゃないわ。もっと大きいことをしてあげる」
「ん……?」
「そうね……例えば……」
相手に匹敵するような闇を抱えた表情で、ハグは告げる。娘に続き、親に悪魔の契約を。
「……あなたの指示したタイミングで、渋谷区を解放するというのはどう?」
「へえ」
鳴海の父親は、そこでやっと笑った。
彼の名前は
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