第31話 弦使いの恩返し

 新宿と原宿の間を移動するのは電車を使えば簡単だが、歩きで行くとなるとそうはいかない。この世界の電車の仕組みがいまいち不安だったので、ラファエラは朝に原宿へ訪れたときはタクシーを使っていた。

 だが電車は渋谷を避けた特殊ダイヤで運行しているようで営業自体はしているらしい。


 つまり、多少動きづらくなったところで帰るのに支障はない。電車が使えるのだから。


「なんであそこまで食べられるの?」

「美味しかったからな。やはりこの国は食糧が美味い」


 電車に揺られながらツミナは若干引き気味だった。

 ラファエラは一つの店で大量に注文して暴食の限りを引き起こす、というマネは流石にしていない。

 だが話をして上機嫌となった彼女はツミナを連れ回し、適当な店に突っ込んでは気になる料理を注文。食べ終えたら別の店を物色して注文。更にそれが終わったら、ということを数度繰り返した。


 当然その間もずっとラファエラは話をし続けた。ツミナにも話をすることを強要し(性別の話題は器用に避けて)ナワキとの思い出話を多数放出する羽目に陥った。


 うんざりだ。ラファエラは終始楽しそうだったが、それに付き合わされたツミナは堪ったものではない。露骨にそんな顔をしたらきっとまた彼女は不機嫌になってしまうので、鉄の精神力でもってそれだけは悟らせまいと生理的反射反応までコントロールし、ついに彼女との接待を完了させたのだ。


(椿に会いたい。恋愛的にまったく好きじゃない女の子とのデートってひたすら苦痛でしかない。椿に会いたい。椿に会いたいよぉぉぉ……)


 というツミナの本音をまったく知らず、ラファエラは膨れ切った腹を撫でながら満足気に感想を述べる。


「楽しかったぞ? また遊ぶときは誘ってやろう。喜ぶがいい!」

(遊びの対価として尻揉んでやろうか)

「次もまた原宿だな。腹具合を見て見送った店がまだあるのだ。ふふふ」

(トンデモナイゼ! ヴァ……いやなんでもない)


 勘弁してもらいたい。こんなことが一年以内にあと三回もあったら、おそらくツミナは苦痛のあまり発狂してしまうだろう。

 身体の造形はともかくとして人格がまったく驚くほどタイプではないのだから。しかも相手は徹底的に自分のことを女性として扱ってくる。男性として見てくれたのであれば『モテる男は辛い』というノブレスオブリージュとして流せたのだが。

 当初思っていたより、ツミナは女性としての自分にダメージを受けていた。親友をからかいたいがために女性アバターを選択したのがすべての間違いだった。


 そう。自業自得という意識はある。故にツミナは――


「ふふっ。ありがとう。僕の方も凄く楽しかったからさ。次があるんなら是非誘ってほしいな」


 自分で自分の頸動脈を掻き切るようなことしか言えなかった。とにかく現実に帰って恋人のことを抱きしめたい。それが無理ならせめて一人になって泣きたい。

 育児ノイローゼってこのくらい憂鬱なのかな、と益体もない想像に頭が行った。そのとき――


「ん……」


 ツミナのデバイスに通知が鳴った。

 ハグと組んだときに、夜の新宿駅で機能を拡張したデバイスには、フレンドとのチャット機能が搭載されている。

 わざわざこんなことをせずともネットと繋がれる以上、現実のSNSで連絡は取れるのだが、即効性がないとのことで無理やり押し付けられた機能だった。


 ハグから押し付けられた機能なので、今のところ連絡相手はハグしかいない。


「どうした?」

「……またデートのお誘いさ。昨日僕と熱い夜を過ごした女性からね」

「ほう。モテる女は辛いな」


 ――本当にね!

 他人事のように言うラファエラの唇に舌を入れてキスしてやろうかと思った。かなり限界が近い。ストレスのあまり、自分で買ってあげたラファエラの服を自分で破いて身も心も思い切り汚してやりたくなる。

 それこそ今までの苦労を水の泡にするマネなので絶対にやらないが。


「場所はちょうど新宿区か……ちょうどいいな。軽く行って軽く遊んでくる」

「私もついていくぞ」


 耳を疑った。


「……ええ?」

「なあに。遠慮することはない。今日のお出かけの、ささやかな礼だ」

「……」


 得意気に微笑むラファエラは綺麗だが、そろそろ鉄の仮面にヒビが入りそうだ。


(マジで犯してやろうかこの子)


 実のところ、ツミナは恋人の椿が好きで女性の体も大好きだが、善意を強要するタイプの行為は反吐が出るほど嫌いなのだ。あえて嫌われてやろうかと夢想する程度には。


(ナワキに会ったら全力で尻を叩こう。疲れたよパトラッシュ)


◆◆


 現場近くに到着したらパトカーがいて、手錠をされたハグが以前会った刑事の六花に連行されていくところを目撃した。


「はーいキリキリ歩くっすー」

「待って。待って待って。私の身元を保証してくれる人がもうすぐ来てくれるはずなの。それまでこの場で待って本当」

「私が好きなものは注文後に短時間でモノを出してくれるファストフードと、サイキックの要求にNOと答えてやることっす」


 パトカーに乗るか乗らないかで、二人は軽くモメていた。

 それを遠目で見ている野次馬の中にツミナとラファエラがいる。


「物騒だな。それにしてもあの女、どこかで見た気が……」

「し、知らないなぁ」


 ツミナは嘘を吐いた。そろそろ精神の糸が切れてしまいそうだ。普段と比べ物にならないほど嘘の精度が落ちてしまう。

 その光景を見ていたラファエラは『ああ』と声を出した。


「そうだ。思い出したぞ、昨日のモンスター騒ぎのときにいた巨乳刑事ではないか。口と態度が物凄く悪かった」

「あ、そっちか」

「そっち?」


 平常時であればまず起こらない失言。

 ラファエラは耳聡く食い下がる。


「……まさか貴様の知り合いとは……」

「ラファエラ。告白するよ。僕は悪い人間なんだ。だから知り合いのピンチに見て見ぬフリを決め込むこともあるんだよ。ラファエラも同じ状況になったら僕を遠慮なく見捨てていいからね?」

「そうか。状況が状況だから特段それを責めたりはしないが……」


 ちょい、とラファエラが指さした方向を見る。

 ツミナに向かってハグが大きく手を振っていた。無人島で三ヶ月サバイバルした局面にたまたま通りがかった船を見つけたような安心しきった笑顔で。


「気付かれているな?」

「ラファエラ。今すぐ僕を殺してくれないかなぁ。武器は買ってあげたよね?」

「味方を殺す武器など持ち合わせてはいない」


 殊勝な心掛けに、ツミナは涙が出そうだった。早く帰って眠りたい。


「ツミナちゃーん!」

「名前まで呼んでるよ!」


 ラファエラはツミナ側があえて悟らせないようにしていただけだが、ハグの場合は違う。意図的に迷惑をかけて、それを悪いと思っていない。

 こうなったらもう無視も難しかった。六花の視線もツミナの方へ向いている。


「前の害虫サイキックどもじゃないっすか」

「相変わらず口の悪い。まあ害虫は害虫だが」


 ラファエラはツミナの手を取り、引きずるように六花の前へ歩み寄った。六花は呆れたように肩を竦め、首を軽く横に振る。


「保証……身元の保証、ねえ? コイツの言によると事件は正当防衛で、うちの鑑識を呼べば真偽はあっさり確認も取れる。保証さえしてくれれば即釈放でも問題はないんすけど……」

「僕たちは来訪者ビジターだから保証なんてハナから無理、だよね?」

「は?」


 虚を突かれたラファエラの顔を見て、愉快そうに六花は笑う。


「流れ者同然のアンタらに、一体どんな保証ができるって? バカも休み休み言ってほしいっすよ」

「……バカな。そんなの不当逮捕も同然ではないか!」

「釈放はするっすよ。ただし、すぐにセーフティからは出てってもらうっすけど。最低一ヶ月は強制退去処分っすね。その間にセーフティへ侵入したのを警察が見かけたらそのときはいよいよ正当に逮捕っす」


  最低一ヶ月はセーフティに入ることを禁ずるという処分は、おそらくこの世界の常識に照らせばそこまで重大なものではないのだろう。通常の来訪者ビジターは元からセーフティの外で暮らしている設定だ。

 だがプレイヤーにとってはそうではない。外での生活のノウハウは圧倒的に不足している。このままハグを放っておけば彼女はどこかで野垂れ死にだ。


「ツミナ。どうにかできないのか? 放っておくにはあまりにも不快だぞ、これは」

「僕もそう思い始めたところだけど、打開策がないな。せめて僕たちの味方になってくれるセーフティ側の人間がいればいいんだけど……」


 ツミナの分析に、ラファエラは歯噛みする。

 だが元からハグは、ツミナにそんな役割を期待したわけではなかった。


「ツミナちゃん、あのね。連絡を取ってほしい子がいるのだけど……」

「見つけたーーーッ!」


 野次馬の隙間から漏れるような大声。

 声の方に全員が顔を向ける。そこにいたのはナワキと――


「……ごめんなさい。ツミナちゃん、無駄足踏ませちゃったわね」

「ナワキ?」


 ツミナが首を傾げ、ラファエラが瞬きを数回する。


「……ナワキ。誰だ? その背負っている少女は」


 息の乱れたナワキは、ラファエラの質問にしばらく答えられなかった。

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