第30話 おっとり殺意のファフニール
銀色の女が降ってきた。今の今まで存在に気付かなかったということは、ビルの屋上から飛び降りてきたのだろう。室外機などを足場にして衝撃を殺してきたのかもしれない。
長い銀の髪をなびかせながら、女は笑っている。
「アンタは……」
「状況説明は後。さっさと逃げなさい。誰かを庇いながら戦うなんて器用なマネ、私にはできないの」
「アイツが逃がしてくれると――!」
思うか、と反論しようとした。その前に女は振り向き、抱いているものをナワキに見せつける。そういえばなにか大きなものをお姫様抱っこしているように見えたな、と片眉を上げていたが、そこにいたものを見て思考が固まる。
「え? あれ? え?」
困ったような笑顔で周りを見回す着物の少女。この長い二股の髪は見間違えようがない。天現寺茜だった。抱かれるのに邪魔にならないため、背負っていたカゴを今は正面に抱いている。
「あかねちゃんじゃないか!? どこで!?」
「屋上にたまたまいたのよ。ボーナスキャラですもの、どこにでもいるんじゃない? ともかく、彼女を頼りなさい。その子も付き添いでって言えば、別に買える次元おむすびが増えたりはしないけど、連れて行くことは可能よ」
茜を降ろし、銀色の女は再度散弾男に向き直った。もうこれ以上の会話はするつもりがないらしい。
確かに茜が連れて行く次元トンネルはこの世のどこでもない場所だ。一度入り込めば何人たりとも追跡は不可能。これ以上ないくらいの安全圏だった。
時間はない。もう頼むしかなかった。
「あかねちゃん! 次元おむすびを買いたいんだけど!」
「え。ああ、そう、ですか? お客さんですね?」
「この子も付き添いで頼む!」
「わかりました!」
ビシリ、とまた空間にヒビが入る。
声が多重に聞こえる演出はそのままだが、切羽詰まっていることは理解できているのだろう。不気味さはそのままに、転送の準備が早回しで行われる。
「逃がすかぁーーー!」
「攻撃してもいいわよ。もう無駄だから」
銀色の女は数歩、射線から外れるように横へ歩いた。右腕の再生が終わった傍から、男の散弾が弾けてナワキたちに向かう。
しかし今度はどこにも着弾しなかった。守るように発生した次元のヒビの隙間に、弾丸が一つ残らず吸収されて消えてしまう。
「なにっ……!?」
「お客さんにちょっかい出しちゃ、めっ、ですよ」
軽く、本当に軽く叱りつけた茜は気を取り直し、笑顔を元に戻して明るく言う。
「それじゃあ行きましょうか。二名様、ごあんなーい!」
「ぐあああああああああああああああああっ!?」
「きゃああああああああああああああああっ!?」
またあの不気味な感覚にナワキは叫ぶ。少女の方は産まれて初めて味わう空間系能力独特の浮遊感に悲鳴を上げる。
かくして、二人は茜に連れられ安全などこかへと吹っ飛んでいった。跡形もなくその場から消えて、最初からそこには誰もいなかったかのようだ。
「……ちぇ。逃がしちゃったか」
「あら。もっと悔しがってくれると思ったのに。つまらないわね」
銀色の女、ハグは煽るような言葉で悪意を示す。
しかし散弾男は意に介さなかった。邪悪に口元を釣り上げ、目の前の新たな獲物の綺麗さにうっとりしている。
「お姉さんも綺麗だしさぁ。今度はキミがボクチンの相手してくれるんだよねぇーーー!?」
「そうね」
「最初からフルスロットルだ! 芋虫にした後念入りに犯してやるぅぅぅ! うひっ、うひひひひひひひ!」
「……もういいわ、あなた。単体では面白くもなんともないんですもの」
「もぐぜぇーーー! 超もぐぜぇーーー!」
散弾男は、またしても光弾を呼び出し発射準備を整える。宣言通り、ハグの四肢を一本ずつ台無しにするつもりで。
ところで、PSIを発動するには必要なものが二つある。一つは入れ墨のような形の文字列クリティカルコード。そしてもう一つはファンタジーゲームにおける
これが尽きた場合はサイキックは通常の攻撃しか行えない。あらゆるキャラはPSIを無限には使えないのだ。
「遊び過ぎたわね。もう節約モードかしら?」
「……ひひっ」
――私も似たようなものだけど。
実はツミナと一緒に渋谷を探索したときのまま、SPがほとんど回復していない。ゲーム的なHPが満タンならば少しずつ自然回復していくシステムなのだが、この自然回復の速度は決して早くはなかった。
(それでもあの酔狂に魅せられたのだもの。勝負は一瞬で決めてみせるわ。ゴリ押しでね)
「ボクチンのPSIと、お姉さんのPSI、どちらが強いか比べっこも悪くないなぁぁぁぁぁ! ひ、ひひひひひひひひひゃあああああああああああっ!」
ハグにとって心地いい緊張感だった。彼女は散弾を迎撃するためにPSIを――
「お?」
使わない。あっさりと散弾はハグの右手に着弾する。一瞬で穴だらけになり、夥しい量の血が流れ出て地面に血だまりを作る。
だが銀色の女は痛みに顔をわずかに歪めたものの未だに笑顔だ。
何故?
そう考えることはなかった。そのころにはもう考えるだけの脳細胞が全焼していたからだ。
自分の身を守るためのPSIは確かに使っていない。だが迎撃のPSIは使っていた。それだけの話だった。
「バカね。中々の威力だったから、心臓を狙っていれば死なずに済んだのに」
散弾男は燃え上がっていた。既に無事な場所はないくらいに、ありとあらゆる体の部位が青色に炎上している。それだけではなく、地面も壁も焼け焦げたかのように真っ黒に染まり、ところどころ同じような色の炎が揺らめいていた。
もう見飽きた光景なので、ハグはそれに目を向けていない。自分の傷ついた右手をぶらぶらと揺らして興味深く観察している。
「ふうん。私のPSIって防御には向かないのね。貫通力のあるPSIは相殺できないみたい。当然かしら。ただの吐息強化だし。勉強になったわ」
ハグの装備しているPSIの内、主に攻撃に使われるのはたった一つだけ。『吐息強化』という、吐いた息のなにかを極端に強化するPSIだ。
ハグはこれを使って息の温度を自由自在に調節し、人間の息としては不可能なほどの遠くまで攻撃することができる。
今現在、散弾男の死体を燃やしている青い炎は吐息に含まれている『温度調節のPSI因子』だ。これが含まれている息は最大千五百度まで加熱できる。射程は無風状態であれば十メートル前後と長めな方であり、まともに食らえば人間ならばひとたまりもない。
一本道の路地であれば猶更危険だ。距離にもよるが、間合いさえ意識すればハグは自分の吐息で道の幅すべてを燃やし尽くすことが可能となる。回避難易度が凄まじく高く、散弾男がこれに気付けたとしても避けられたかどうかはかなり怪しかった。
立ったまま炭になっていた散弾男が、崩れるように――多分実際に崩れている――倒れ伏す。そのときの音で、やっとハグは死体に顔を向けた。目を丸くし、呆然と呟く。
「……逃げるべきかしら?」
ことの重大性の認識に頭が向かうのに、少し時間がかかった。彼の命を奪ったことについて、あまりにも興味がなかった故に。
ハグと一緒に組んでいたツミナは、渋谷を散策しているときに彼女のPSIを呆れ気味に評した。おっとりとした、言い換えれば隔世的な彼女にぴったりな言葉だ。
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