第28話 白の女王の庭。亀とアキレスと赤の王
「ぐ……!」
疲労感と倦怠感。そして軽い眩暈。ナワキは歌舞伎町の裏路地に転がっていた。下手を打てば他のプレイヤーから次元おむすびを奪われる可能性があったのだが、どうやら茜はナワキを安全な場所に転送させたようだ。かと言って元の場所からそう離れているわけではないことがわかる。
「くそ。あそこまでショッキングだとは……全身にワイヤーくくりつけられてハチミツの湖の中に引きずり込まれるみたいな粘性抵抗があったぞ」
とにかく不気味だった。ただひたすら不愉快だった方がいくらか精神的にマシだったかもしれない。
だが目当てのものは手に入れた。
「これが次元おむすびか……実際に手にするのは初めてだけど」
ラップで包まれているわけでも、ノリが巻かれているわけでもない。白いおむすびがナワキの手に握られている。早食いしようと思えば十秒もかからないような大きさだ。
ちなみに次元おむすびは米を握ったものではない。米のように見える別次元のなにかを握ったものだ。それがなんなのか、具体的にゲーム中で説明されたことは一度たりともないが――
「……こっち見てる」
おそらく別次元に存在する人間の常識では測れない生物の卵だ。米のように見える粒、一つ一つの中にいるなにかの胎児がすべてナワキのことを無感情に見つめている。
(これを食べるのかぁー。設定上は物凄く美味しいって話だけど、これどう考えてもおむすびって味はしないよなぁー……すごいこっち見てる。すごいこっち見てるよコイツら! くそっ!)
なお食べないという選択肢は次元おむすびにはない。この卵は茜から買った二十四時間後に必ず孵化し、最後の持ち主の口の中へと高速で這っていくという習性があるからだ。
孵化した生物がどんな姿形をしているかは、流石に描写ができないらしくゲーム中で見たことはない。ただ吐きたくなるような見た目ではあるらしい。摂食した次の瞬間から吐いても吐いても出てこないという性質も持っているので、まったくの無駄なのだが。
(食わないわけにはいかない。じゃないと他の誰かに奪われるかもしれないし……大丈夫だ、味はいいって聞いてたじゃないか。俺なら大丈夫だファン冥利に尽きるだろうが大丈夫だって大丈夫)
「きゃああああああああああああああああっ!?」
「!」
裏路地に響き渡る女性の悲鳴。
ナワキの決断は早かった。
「もぐ」
あっさりと抵抗感のある見た目のおむすびを食し、悲鳴の方へ向かう。
◆◆
指名手配システムには弱点がある。それは現実であればまったく問題はないが、ゲームである以上無視はできない不具合だ。
簡単に言えば、指名手配ではない犯罪者をどれだけ捕まえたところで、懸賞金は貰えない。
現実であれば大して問題にはならない。懸賞金のかかっていない犯罪者は警察機関が捕まえればいいのだから。そうではない職種の人間が無理に手を出す方が間違っているし、なんなら現実の方の賞金稼ぎは危険な上に効率が悪いので、これまた推奨されたものではない。
だがここはゲームだ。すべては金額やステータスなどの数値によって決定される。裏を返すと、プレイヤーは益にならない慈善事業はやる必要が無いのだ。
ならば、と一プレイヤーとしてハグは思う。
(指名手配犯が増えてくれる方が個人的には大助かりなのよねぇ)
ハンディカムカメラを回しながら、近くの建物の屋根から事件を俯瞰する。
カメラの先にいるのは、一人の少女と犯罪者予備軍。
「ああああ~~~~~! いいッ! とてもいい悲鳴だぁーーー! それを追っているボクチンがとても強い存在になった気がするよぉーーー!」
「だ、誰かっ……誰か助けて! 誰か!」
その要望に応える者はいない。
ハグも応える気が無いし、しこたまキマった発言をしている殺人鬼予備軍も聞く気が無さそうだ。
(初犯とは考えられないけど、指名手配の顔写真の中にはいないのよねぇ。でもまあ、録画して警察に情報を流せば、ひとまずは指名手配確定でしょう)
ところで、ときに警察がメディアに流す犯罪の情報の量を操作するのは理由がある。メディアに取り上げられることを目的とする犯罪者が実在するからだ。
こういう手合いの犯罪者の場合、指名手配の懸賞金システムが更に犯行を煽ってしまう結果になりかねない。懸賞金を自分の価値だと見なし、それを上げるために更に過激な犯罪に走るという心理だ。
この世界の懸賞金システムは妙に犯罪心理学的な観点が欠如している。ゲームだからと言えばそれまでだが、これまで会ってきたNPCはみな完成度が高い。この瑕疵に気付かない方が不自然だ。
(あるいは本当にヤバい犯罪者は手配書を作っていない……? そっちを狩るシステムとかあるのかしら。あったら金になりそうね。どっちにしてもこの録画を警察に出せばそれなりの手がかりにはなるはず)
ハグは合理的だ。今追われている少女がプレイヤーだったとしたら全力で援護に入っただろう。だが見る限りではそうではなさそうだ。悲鳴を聞いてもゲーム用語の一つも出していないのでほぼ間違いがない。なによりPSIを使っていないし、デバイスも持っていない。
実のところNPCを慈善事業で助けることにまったくメリットがないというのは間違いで、ハグもその点は意識しているのだが、それを引き換えにしてもシチュエーションが美味しすぎる。
(そこそこ強力なサイキックですもの! いい動画になりそうだわぁー)
破裂音が路地裏に響いた。
少女の足に無数の穴が空き、鮮血が飛び散る。激痛のあまり立っていられず、少女は盛大に地面に倒れ転がった。
「ああああああああああああうう! 痛い! 痛いよお!」
「散弾状に吹き飛ぶエネルギー弾だ。光子の弾だから光速で飛ぶ……とはいかないが、まあ普通の銃並みの速度で足を吹っ飛ばすことくらいは可能なんだなぁーーー!」
もはや予備軍ではなく完全に犯罪者だった。猟奇的な表情を浮かべる彼の手の平には、球状の光が浮遊している。撃ちだされるのを待っているかのように。
「今、東京中に
「いや……いや、助けて……許して……」
「許す? 楽しいからやってるだけなのでっ! あなたはなにも悪くありませんそして死ねっ!」
会話がまったく成立していなかった。
そして、死ねと言っていながらも彼は止めを刺すつもりでPSIを撃ってはいない。
四肢を一本ずつ念入りに痛めつけるつもりのようだ。それこそ死ぬまで。
殺すつもりではある。だが一瞬で命を奪うような攻撃は絶対に繰り出さない。痛めつけるのだけが目的の下衆だった。
また爆音が鳴り響く。
(楽しみね。ああいう完全な悪を一方的に
その光景を見て興奮していたハグは、しかしすぐに違和感に気付いた。
(……当たってない?)
弾のすべての軌道が、被害者の少女を避けるように地面や壁へ着弾している。
撃った本人が散弾だと言っていたので、こんな器用なマネができるとは思えない。そもそも、そんなことをする理由がない。撃った本人も笑いを止めて、首を大袈裟に傾げていた。
「あっ」
それに気付いたのは、上からすべてを見ていたハグが先だ。散弾男は足音で遅れて気付き、振り向く。しかし――
「おらよぉっ!」
赤髪の少年の蹴りを避けることはできなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます