第26話 おむすびころりんすっとんとん。次元の穴にご案内
結果だけ見ればラファエラの予測はまったくの大外れだった。新宿区のミニイベントに参加するには最低でも二百円が必要だが、既にナワキのポケットには現金で約十万円が入っている。
確信があったわけではない。それでもどうにかできるという予想はあった。
なにかある度にラファエラに窘められているが、この世界がゲームであることそのものは変えようのない事実だからだ。
ところどころのギミックは、プレイヤーにとって甘く設定されている。
例えばナワキのレベルは現状21だが、先ほど捕まえた食い逃げジョナスはレベル10にも満たない(ステータスが見えないのであくまで体感だが)。
初期レベルのプレイヤーでも複数で袋叩きにすれば充分無力化が可能だ。ナワキの現状のレベルなら単独でも問題が無い。
「よし」
買い物を済ませ、気持ちを切り替えた。これでやっとミニイベントに本腰を入れることができる。
(探すか。一つ見つかれば上々。二つ見つかれば最上ってところだ。頑張ろう)
ポケットに入れた髪飾りを弄び、ナワキは周囲を注意深く観察しながら歩く。
新宿区のイベントの概要は、ほぼ歌舞伎町での人探しに終始する。クリティカルシリーズを一作でもやっていれば確実に見たことのある有名な女性だ。
シリーズを通し、遭遇できれば莫大な恩恵を受けられるボーナスキャラとしてのポジションを確立しており、人気はとても高い。
ナワキも当然、顔と声は知っているのでどうにか探そうと意気込んでいた。
(でも歌舞伎町そこそこ広いしなぁ。一人だけじゃ厳しいかも)
弱気になったナワキはそう思う。だが――
(慎吾を連れてくればよかった……無理にでも)
発言の上では間違いなく拒否していたラファエラに頼る発想はまったくなかった。今ごろ彼女は東京のどこかで買い物でも楽しんでいるだろうと信じて疑ってもいない。
蘇生してしまった以上、ラファエラの幸せを本気で願っているが自分自身が直接的に幸せにできるなどとは微塵も思っていなかった。ラファエラの強さをなまじ知っているだけに、放っておいても勝手に幸せを手にできるだろうという過分な信頼がある。むしろ干渉しすぎて邪魔になる方がナワキにとっては恐ろしい。
(早く強くならないとな。ちゃんと生き残るために)
強くなりたかった。こんなことに巻き込んでしまった親友のために。そして、ラファエラの足を引っ張らないために。
ナワキは目当ての人を探すために走り出す。
◆◆
新宿区のイベントの正式な題名は『歌舞伎町次元トンネル開通! あかねちゃん大量発生!』という明るさを前面に押し出したものだ。
内容は簡単。普段はクリティカルコードの世界のどこかに低確率で存在するボーナスキャラ『あかねちゃん』が、この日だけ歌舞伎町で大量発生するというものだ。
あかねちゃんはゲームで言うショップキャラであり、たった一つの物しか売らない。それは彼女しか取り扱っていない超レアアイテムで、名称は次元おむすびという。
「で。なんでプレイヤーはこれを全力で探そうとしてるわけ?」
ナワキはふと足を止めてしまった。近場でプレイヤーらしき女性二人組が話していたからだ。
なんとなく、ああいうクリティカルシリーズ初心者の素朴な疑問は耳に入れたくなってしまう。ファンとなってしまえば当たり前だが、よく考えればおかしい恒例行事の違和感をああいう初心者は時たま指摘してくれる。
もう片方の女性は、クリティカルシリーズに詳しそうだった。よどみなく質問に答えている。
「この世界のPSIはクリティカルコードを装備して使うってのは前に説明したじゃん。で、この装備したコードにはレベルがあるってわけじゃん。あかねちゃんを捕まえて次元おむすびを売ってもらえれば、コードのレベルを一気に引き上げることができるってわけじゃんよ」
「モンスターを倒していけば勝手にレベルは上がっていくものじゃない?」
「少し違うじゃん。このゲームにおいてアバターのレベルと、コードのレベルは別物で、モンスターをいくら倒そうがコードのレベルとは全然関係ないじゃんよ。コードのレベルを上げるのは、そのコードの使用頻度。つまり慣れって設定じゃん」
クリティカルコードのアバターステータスには特殊攻撃力や特殊防御力の類はない。PSIの防御は基本的にPSIでしか行えないし、PSIの強さはコードのレベルに完全依存だからだ。
「へえー。コードのレベルと私のレベルって別なんだ。じゃあ今持ってるコード、出来る限り満遍なく全部上げたいな」
「それ無理じゃん。最初に説明したじゃん。装備したクリティカルコードを一度外すと、コードのレベルは完全リセットされてゼロに戻ってしまうって言ったじゃん」
「ええっ!?」
クリティカルシリーズの初心者がまず最初にやらかす罠だ。コストを考えるなら能力の付け替えは育っていない内にしか行えない。育ってしまった後にコードを付け替えたくなってしまった場合は、それまでに積んだ努力が水の泡になってしまう。
よってプレイヤーは出来る限り早い内に、自分がどんな能力を使いたいかを決め、そのコードとずっと付き合う覚悟を決めるのがセオリーとなる。
「当然だけどこの仕様上、あかねちゃんの次元おむすびを食べたときにコードを装備していなかった場合、レアな次元おむすびが一つ無駄になってしまうじゃん。コードの装備、まさか忘れてないじゃんよ」
「だ、大丈夫大丈夫! 装備自体はしてるよ! で、でも……そっかー。一度決めたらそうそう外せないんだね、これ」
「本当にどうしてもってとき以外、コードの付け替えは行うべきじゃないじゃん。選択肢として目の前にあるってことは覚えておくに越したことはないけど」
へえ、とナワキは感心した。
随分と親切だ。説明がわかりやすい。彼女たちもリアルでの友達なのだろうか、と無駄に興味をかきたてられてしまう。
立ち去るタイミングを逃してしまった。聞き耳はまだ立っている。
「……でさ。あかねちゃんを見つけたら、私はどうしたらいいの?」
「できる限り至近距離から話しかけて、次元おむすびくださいと言えばいいじゃん。ただし、その前に覚悟は必要じゃん」
「覚悟?」
「だって彼女の接客は――」
「ま、いっか。話しかければいいんだね、普通に。あかねちゃーーーんっ!」
――はあ!?
その場にいた何人かが、その声の方へ振り向く。言うまでもなく全員プレイヤーだろう。
(まさか、見つけたのか!? どこだ!? どこに……!)
「はあーい! 呼びましたかー?」
ばさぁ、と彼女たちの近場の壁が剥がれた。遠目ではさっぱりわからなかったが、どうも目の錯覚を巧妙に利用した布由来の隠れ身の術を使っていたようだ。
「はあああああああああああああっ!?」
一部始終を見ていたナワキは思わず大声を出してしまう。他のプレイヤーたちは口をあんぐり開けていた。それくらい荒唐無稽だった。
いや、彼女はシリーズを通して見てもこのくらいふざけたことをする。最初の方はそうでもなかったのだが、スタッフに愛されすぎた結果、登場シーンが段々エスカレートしてきたのだ。
それでも今回のこれは頭一つ分突き抜けていたが。
ボーナスキャラ『あかねちゃん』は見慣れた姿だった。和服で背中に藁で作ったカゴを背負い、人好きのする笑顔を浮かべた若い女性。年齢はおおよそ十代後半。長い茶髪をゆるく二股になるように、布で縛っているのが特徴的だ。
「お客さんですか? ええと、次元おむすびですよね。会話、ずっと聞こえてましたよ」
「知ってる知ってる。段々私たちに近づいてきてたよね」
「えへへ、バレちゃいました」
「な……な、が……じゃんっ……!」
世話焼きの方の女性は『あかねちゃん』と、今はもうお客さんと認識されている女子を交互に見ている。
ナワキは心中を察した。世話好きの女性の方の話は、まだ途中だったのだ。一番大事な部分が抜けている。
「あーあ……やっちゃったじゃん」
「え? なんで? 一個おむすびゲットだよ?」
「言い忘れてたけど、彼女の店は次元トンネルの中にあるんじゃん」
「んえ? えっと、よくわからないけど、それが?」
「……トラウマになりたくなかったら目を瞑ることをお勧めするじゃん。あとは知ーらねっ」
世話好きの女性はお客さんと化した女性から急いで距離を取る。残された方は小首を傾げるばかりだが『あかねちゃん』のことを知っているプレイヤーたちは、揃って溜息を吐いていた。
――ああ、可哀想に。
「お客さんですか?」
「ん? うん。次元おむすびをください」
「お客さんですね」
「え? えと……次元おむすび……」
「お客さんだぁ」「お客さんだよぉ」
「んえっ」
同じ声が同時に、別の方向から聞こえた。
そう気付いた次の瞬間には、客と化した彼女は取り囲まれていた。
「おむすびころりんすっとんとん」「お客さんでーす!」「わぁい」「おむすびおとせばよいうたが」「おひとり様ですか?」「長くて綺麗な髪」「久しぶりだから張り切らなくっちゃ!」「おむすびころりん、こんころりん」
「……ひっ!?」
ミシリと、彼女の周囲の空間が歪む。
歪んで、宙に暗い穴ができた。そこから見えるのは、無数の眼球と口と鼻と手と――とにかく色々ありすぎてわからないが『あかねちゃん』の体のどこかだ。
そのすべてから『あかねちゃん』の声が漏れ聞こえる。
「念のため気休め言っておくじゃん。一応、無害じゃん? 一応」
「一応ってなに――むがっ!?」
冷たい手が穴から伸びて、彼女の頬を優しく撫でる。
目の前の『あかねちゃん』は変わらず笑顔だ。両手もきちんとそこにある。にも関わらず、腕は後ろの穴から伸びてきている。
「ひっ……!?」
穴から覗く眼が、にまりと笑う。
『あかねちゃん』の接客のときに発生する現象、
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