第10話 絶望の山へ
交渉は意外にも難航した。ツミナは決して常識外の値段を提示したわけではない。第一、ツミナとナワキのことを非合法に扱ったのは肉刺谷の方が先だ。常識外の要求をした相手に対して、常識内の報酬を提示したのだから、ツミナのやり口は良心的だった。
だが肉刺谷の方も事情がある。法の僕たる警察官が、仮にも一般人に協力を求めていいものか、という職のプライド――というわけではない。それも一応あるが命のかかった状況でそれを優先するほど愚かでもない。
一番の懸念材料は、相手の要求が『最初に要求したレベルで終わってくれるかどうか』というただ一点だった。
すべての
それを足掛かりにしてコネを作り、もっと大きな何かに
そして肉刺谷が肌で感じるイヤな予感。これは絶対に気のせいではないだろう。ツミナの瞳を覗き込んでいると、状況も相まって発狂しそうになる。
(こいつ……俺たちのことを人間だと思っていない!)
何人もの犯罪者を見て来た肉刺谷だからこそわかる。この少女は肉刺谷のことも六花のことも、一片たりとも考えてはいない。
この状況を楽しんでいる。交渉を楽しんでいる。何故か六花の容姿のことを褒めている。
「この服越しでもわかる巨乳加減……ああー……惜しいなぁ、性別が違えばなぁ……」
と無念そうに呟き、謎のムカつきを覚えた六花に握りこぶしを鼻っ柱へ叩き込まれたりもした(刑事なので本当はこんなことを表立ってしてはいけない)。
それでもツミナは上機嫌だ。浮世離れしているというより、明らかに周囲を他人事だとしか認識していない。
肉刺谷の答えは決まった。
「NOだ!」
「うそん」
「いいか、よーく聞け。今の俺たちの作戦は時間稼ぎを前提とした囮作戦だ。この作戦の失敗パターンは二つ。一つ目は時間稼ぎが完了する前に俺たちが全員殺されること。もう一つは時間稼ぎが終了する前にモンスターが俺たちを無視してどこかに行ってしまうことだ!」
一つ目の失敗パターンの問題点は説明するまでもない。二つ目の失敗パターンは、ツミナたちが介入した場合に起こる確率が高くなる。
「アイツが銃撃する俺たちから逃げない理由はたった一つ。足を負傷しているからではなく、俺たちが弱いからだ! 豆鉄砲程度は無視して俺たちのことを殺せると思っている! 無視はできるがそれはそれとしてウザいから始末してやろうと悠々自適にこっちを舐めて、その分他の人間を始末する優先順位を下げてんだよ!」
「……ああ。そうか。なら僕たちがアイツを半殺しにできたとしても、残った体力で逃げられたりしたら困るんだ」
「そうだ! 逃げた先で何かされたら困るからな! 足を負傷しているフリである可能性が消えない以上は迂闊なマネはするべきじゃない! 当然、アイツのことを一撃で殺してやるという保証があれば話は別だ!」
「……残念だけどないなぁ」
ツミナのレベルは初期値だ。死にぞこないだとは言え、成人男性の身の丈を遥かに超える大きさのモンスターを一撃で殺せる確約はできない。
「総じて言うならこういうことだ。今日会ったばかりの
「……うーん。余計なお世話だったかな」
「お前さんが本当に俺たちのことを思っていたのなら、こう言っておこう。気持ちだけは受け取っておくとな。留置所の修理費についてはまた別途の方法で支払ってもらう。
組織ぐるみで
別途の方法で償え、というのであればツミナにとって願ってもない話だ。これでツミナがロスを取り返すために無理をする必要は一切無くなった。
交渉そのものは成功したと言ってもいい。
(まー、それなら別にいいかなー。さっさと京太のところに戻って報告しよう……おっと?)
びゅん、という風切り音。そして、臓腑を震わせるような衝撃が辺りに満ちた。
爆音。破片。そして肉片が舞う。バリケードの一部が破壊され、ツミナ、肉刺谷、六花の三人は目を疑う。
「ぎゃああああああああああ……ぐああっ!」
地面に転がる刑事は、地面に血をまき散らしながら転がったらしい。血の痕が道路に点々と、あるいは引きずったように残っていた。
痛みにもがいてる方は幸いだったのかもしれない。今の衝撃で、完全に動かなくなっている者も他に数名いる。意識を失っているだけだと信じたかった。
「……ああ。なるほど。あのフォルムだから勘違いしてたな。あのモンスターって斬撃を飛ばせるのか」
ツミナはバリケードから顔を出し、モンスターを見ながら頷いた。
斬撃を飛ばす。ゲームをはじめとしたフィクションならば御馴染みの演出だ。刀剣類しか使えない、あるいは使わないキャラが、銃や魔法などを扱うキャラと対抗するために使う、汎用的ながら最も現実的ではない能力。
このゲームの場合、それを実現するために使うガジェットは――
「あれがPSI……なるほど。確かに派手な演出だ」
斬撃を飛ばした当のモンスターは、振り切った後の爪をゆっくりと構えなおす。
どうも、刑事やツミナはすっかり勘違いをしていたらしい。
爪の射程は、見た目の印象よりも遥かに長い。更にツミナを含めたこの場の全員が、その範囲に完全に入ってしまっている――!
「バリケードの車ごと切り裂く威力……いや逆だな。バリケードのお陰で多少は威力が減ったのかな。じゃなきゃ車を破壊した斬撃で人体が真っ二つになってないのがおかしいから」
ツミナは未だに冷静だった。大怪我ではあるだろう。致命傷にもなりかねない。それでも、真正面から食らった刑事たちはまだ原形を保っている。
あまりの事実に肉刺谷は喉を震わせた。
「緑化抑制圏内で、PSIを行使するモンスター……緑化誘発体レベル3以上だと!?」
一年に一度出るか出ないかという大物だ。
公安の専門係に頼んだところで、一人か二人が犠牲になるか、さもなくば再起不能のダメージを受けかねないほどの。
遠隔の一撃でバリケードの一部を壊された刑事たちは、銃撃を途切れさせるほどに狼狽していた。
流石の六花も飄々とした態度を崩し、汗を流しながら苦し気に声を出す。
「どう考えても私たちの手じゃ余りますよ。有体に言えば、この場にいる全員もう殺されたも同然っす」
「ぐ……!」
何故このタイミングで。
運命を憎みかけたそのとき、悪魔の声が聞こえた。
「……考え、変わった?」
「くっ……!」
笑顔を深くしたツミナが、碧い瞳で無邪気に訊ねてくる。
例えばここで、肉刺谷が独断でツミナに頼ったとしよう。
上手く行けばよし、というわけにはいかない。その後ツミナが肉刺谷を、ひいてはそのバックにいる警察署をどうこうしようと考えてない可能性は否定できない。すべてが上手く行き、尚かつツミナが善良な
上手く行かなければ、当然ながら肉刺谷の責任問題だ。
それ以前に『自分が頼んだせいで人が死んだ』という事実に、肉刺谷の善性が耐えきれるとは思えない。それなら公安が予告したより早く来る可能性に賭けて、この場の全員でモンスターを食い止める危険の方がマシに思えるほどだ。なんなら、この場の全員を逃がして肉刺谷だけでモンスターを相手取っても構わない。それで時間稼ぎが成立するのなら、の話だが。
つまりどう転んでも勝ちの目が薄すぎる危険なギャンブルでしかない。ドン詰まりに等しい。神が呪わしくなるほどだ。
「僕たちのことは気にしないでいいよ。あとはあなたが頷いてくれるだけでいい。それだけで僕たちが戦ってあげるよ。さあ! さあ! さあ!」
「俺は……!」
「警部! またあの飛ぶ斬撃が来ます!」
六花の声に、ツミナと肉刺谷の両名は会話を中断させられた。
今度はどこを切ってくる。別のバリケードか。それとも、その辺りに転がされた刑事に止めを刺すつもりか――!
「ぐっ……!」
ここまでか、と肉刺谷が決死の覚悟を決めた瞬間だった。
その場にいたモンスターを含めた全員の意識の外からの攻撃が入ったのは。
ズドン、と勢いのある音が響きモンスターの体がぐらりと揺れる。斬撃は発射されたが、あらぬ方向へと吹っ飛び、壁や道路を傷つけるだけで終わった。
「な――!」
一番驚いていたのはツミナだった。今の攻撃を行ったのは他でもない。
「ナワキ! なにしてる!」
肉刺谷たちが捕まえた、もう一人の
彼は息を荒げて、あらんかぎりの声で親友に叫ぶ。
「もういい! ツミナ! 二人でこいつをボコ殴りにするぞ!」
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