第8話 モンスター大地に立つ!

 肉刺谷竜まめたにりゅうは冷や汗をかいていた。年齢は今年で四十一。階級は警部。本人はそんなつもりは毛頭ないが、現場で活躍する大ベテランであり、男性の新入りや部下からは憧憬の眼差しを向けられることも間々ある。


 なんとなく刑事をやってなんとなく続けていたらいつの間にか歳だけ取ったようだと思っているので、あまり期待をされても困るのだが。


 例えばそう、こんなときはただの弱い人間でしかないと思い知らされる。


「警部ー。例えばこのまま全滅しても全力で命乞いすれば私だけは生き残れたりしませんかねぇ。あのバケモノって棒あると思います?」

「アレに向かって腰振れるってのか? 良い趣味してるねえ若いヤツは」


 そのバケモノから目を逸らし、同じバリケードに入っている部下に目を向ける。軽口を叩けるだけまだマシだろうが、つい最近刑事課に入ってきたばかりの新人、七宮六花ななみやりっかもまた眉を顰めていた。


 拳銃を持つ手をぼんやりと見て、誰かに祈っているようだ。


「やっぱあれっすよ。新宿中の来訪者ビジターの処理に強い装備ぜーんぶ持ってった公安のなんちゃら係が悪いんすよ。アイツらどこ行ってんすか、帰ってこないんすか」

「十分ニ十分じゃどうにもならないそうだ」

「つまり最低三十分か、連中が呑気なら一時間は時間稼ぎしろと? アレに?」


 六花はバリケード越しに相手を見る。バリケードの素材は、警察署に残っていたパトカーやら護送車やらを並べ立てて作った簡易なものだ。


 車は重い。だが、その重さが頼りにならないほど危険な相手だった。体長はおよそ三メートル。移動方法は二足歩行。かなり遠目で見れば人型だが、少しでも近づくと異形であることに気付く。そんなデザインの怪物がいた。

 左手は人間と同じく五本指だが、右手は人差し指が六花の身長を越えかねないほどの刃物じみた銀色の爪になっている。

 上半身の筋肉だけが異常に隆起しているのか、体毛一つない頭が間抜けなほど小さく見える。実際には普通の人間同様、頭蓋骨はバスケットボールより少し小さい程度の大きさだろう。


「……なんでセーフティにモンスターが」

「そこまで珍しいことでもないぞ新人。が普通の個体より強いヤツだと、セーフティの緑化抑制の力場を無理やり突破してくることがある。そういうのを処理するのも公安のナマモノ係の仕事なんだがな」


 当然だがナマモノ係というのは正式名称ではない。警察署内でPSI関連の仕事をする彼らのあだ名だ。


「……ああ。本当だ。歩いた跡の緑が急成長してますね。すぐに元通りの長さの芝生になっちゃいますけど」


 六花が一種感動したかのような口調で、遠目に見える怪物の足元を見ていた。緑が早送りしたかのように急成長し、そして足が離れると逆再生したかのように戻っていく様は、確かに見た目だけなら面白い。


「な。緑化抑制そのものは効いてるだろう。それを相殺できているのはアイツの体表を覆うわずかな力場の中のみだ」

「それに改めて見てみると……アイツ怪我してますね。もう誰か攻撃しました? 銃声しませんでしたけど」


 モンスターは右足をわずかに引きずり、体中からは何故動けているのか不思議なほどの血を流している。息も上がっているようで、苦し気に荒い呼吸を繰り返していた。


「街のこと探ってた刑事課のヤツが見つけたときには既にああだったってよ」

「へえ。来訪者ビジターと喧嘩してたとかっすかね」

「まず間違いなくそれだろうな。登場の仕方からしてふざけてたらしいぞ。空から降ってきたんだとよ」

「……冗談言えるのなら楽観していいんすかね」

「違う。本当だ。そして納得できる話ではある」


 肉刺谷は出来る限り順序だてて説明するため、一息置いてから話し始めた。


「おそらくヤツをボコっていたのは来訪者ビジターだ。それも複数。裂傷、熱傷、凍傷、打撲痕と様々な傷が見えるから、あの分だと三人以上だな。人気の少ないセーフティの端でヤツを早期発見した来訪者ビジターはヤツと交戦。死ぬ寸前まで追い詰めて、そこで油断して事故った」

「事故? 返り討ちとか?」

「違う。とどめのつもりで放った大技で、ヤツは吹っ飛んだ。おそらくそこで来訪者ビジター全員はヤツを殺したと思い込んだだろう。実際にはギリギリ生きて、俺たちの前に落下。そして現在に至るってところだ」

「じゃあアイツ死にかけってことじゃないっすか!」

「そうなんだよなー。実は俺アイツのこと図鑑で見て知ってるんだよ。ツインフィンガーっていうタイプのモンスターで、実際には左手にもアレと同じ巨大な刃物があるデザインのはずなんだが……」

「……ないっすね。そんなの」


 オペラグラスでもあれば左手の人差し指が折れた痕でも見つかるかもしれないが、そんな気の利いたものは慌てていたが故に持ってきていない。


「あ、あれ。じゃあ本当に楽観していいんじゃ」

「あのサイズのモンスターだと、対PSI加工していないただの豆鉄砲じゃダメージにならん。今の俺たちが持っているのは予備の予備の予備の装備だ。PSIエネルギーを前の戦闘で使い切ってくれたのなら望みはあるが……」

「いっそのこと放置でいいんじゃないっすか。足が負傷してるのならどっち道、攻撃力がどれだけ高かろうが脅威じゃないっすよね。逃げ切れるんだから」

「警察全体のマニュアルだ。緑化作用がレベル2以上、つまりああいう『緑化抑制の力場を中和して移動できるモンスター』を見つけた場合、公安のナマモノ係でなくとも可能な限り対処しなきゃダメなんだよ。それと、それ以外に最大の理由がある」

「それは?」

「……周辺にいる一般人の避難が済んでねぇ」

「あー……それじゃあしょうがないっすねー……くそ。なんでよりによって中側に吹っ飛ばすかなぁ……」


 敵は一体。しかも死にかけ。ただ装備の貧弱さ一点のみで、状況はひたすらに絶望的。六花は軽く眉根を揉んだ。本拠地である警察署がすぐ近くにあるだけに、あまりにも間抜けな話だった。


「時間稼ぎの策とかあるんすか?」

「ないな。ただヤツの標的が、俺たち以外に向けられないように必死にアピールするだけだ。とにかく負傷した足を重点的に狙え。俺たち拳銃組はもっとアイツを引き寄せてから発砲だが――」

「撃てーーーッ!」


 会話を引き裂くような発砲音。急だったので耳が鳴り、肩がびくりと震える。軽く目の前も白くなった。


「……もっと射程の長い銃を持ってるヤツが先に撃つ。俺たちの出番はもっと後だ」

「了解っすー。無駄な足掻きだと思うんすけどねー。ナマモノ係まだかなー」


 もっとも、拳銃がピンポイントに足に当たるような距離にまで相手が近づいたときには、同時にあの巨大な爪の届きかねない範囲ということでもある。

 硝煙の匂いに包まれながら、肉刺谷は冷静に勘定をはじき出す。


「こりゃ一人や二人死ぬかもな……場合によっては俺たちが」

「そういえば、さっき私たちが捕まえた来訪者ビジターは? 釈放を条件に使ってみたらどうっす?」

「もう遅ぇよ。『正当な手続きを踏んだら釈放』って言っちまった」

「そのことなんだけど」


 六花と肉刺谷は揃って固まった。背中越しに、綺麗に通る少女の声が聞こえて来たからだ。

 同時に振り向く。そこにいたのは、先ほど留置所に叩き込んだはずの金髪の少女だった。


「こっちにメリットがあるのなら、引き継いで戦ってあげるよ?」

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