其の5
鞘戦死の報が舞い込んだのは、一揆衆と鞘部隊とのまる一昼夜に渡る攻防戦が終って間もなくのことだった。
父五良右衛門と共に村の損傷の状況を見回っていた丈八は、駆けつけた勘吉からその知らせを聞き、無言のまま鞘の遺体が運び込まれた日蓮宗の妙輪寺へ一目散に走った。
妙輪寺の庭には、既に黒山の人だかりができていて、鎧姿の兵士たちとか大勢の村衆とかの泣く声が聞こえてきた…。奉行の吉右衛門、棍剣神社の宮司の、加瀬弥一郎と倅の嘉之助の姿等も見られた。大勢の人々の輪の真ん中には桐の柩が置かれていて、その傍らには花束がひっそりと添えられていた。
丈八は放心したように、その柩に向かってよろよろと進んだ。両脚にあまり力が入らないのか、何度も尻餅をつきながら、その度に無言でよろよろと立ち上がり歩いた。堪らず嘉乃助が駆け寄って肩を貸した。
「鞘さんな…、戦死したか…。あん中に入っとらすか…」
「ああ、あん中に入っちょらす…」嘉乃助は弱々しく頷いた。
「鞘さんな亡くならしたか?」
「ああ、亡くならした…」嘉乃助が頷いた。
「この世じ最高の鞘さんな死なしたとか?」
「ああ…ぬしにとっちばかりじゃなか!おるにとっても、誰にとっても最高の鞘さんな死なした!」嘉乃助は少し苛立ったように答えた。
「こん世じ一番強か!鞘さんな、亡くならしたか?」
「ああ、鞘さんなこの世じ一番強かったばってん亡くならしたあ!!」嘉乃助は叫んだ。
「そるは嘘じゃあああああああああああーーーーーーーーっ!!」丈八も負けじと絶叫した。「こん世じ一番強かなる…殺さるっはずはななか……そ、そうじゃ…きっと卑怯な手じ殺されらしたん違いなか!そうじなかとしゃがあぎゃん強か鞘さんが、一体何じ死ぬはずのあろうかあああああああああーーーーーーーーーっ!!」
「丈八…」奉行がゆっくり近付いてきて言った。「ぬしん言う通りたい…。鞘殿はな、卑怯な手じ敵の手に掛かっち死んだのじゃ…」
「ああやっぱり!ああやっぱり!もう、ああやっぱりいーーーーーーーーっ!!」丈八の目が少し生き返った。「鞘さんな卑怯な手じ殺されたつばい!!ああやっぱり!もう誰かん負けち殺されたつじゃなか。やっぱり!!卑怯な手じ殺されたつばい。なあ、お奉行さん…鞘さんなさぞ大活躍しなさったこつでしょうなあ。やっぱり!!」
「活躍どころか…殿はな…」奉行の代わりに鞘の配下らしき鎧武者が答えた。「殿はな…、実に四千を超ゆる寄せ手ん人数の内の三千五百名までを、一人でお討ち取りになられたのだぞ!!」その武人は鞘のことを殿という言葉を使って敬意を表現した。「恥ずかしか話ばってん…。吾等配下二百ん精鋭ば合わせてたっちゃ、討ち取った数な五百足らずだったちいうのにじゃ…」
「一人で三千五百も!おおおおおおおお…そげな強か人なもうこの世にゃ現れん!やっぱり!!よそん異国にでんそぎゃんお人なおらん…。ああ、さすが鞘さんばい!!さすが鞘さんばい!!もう、やっぱり、さすが鞘さんばい!!鞘さんこそがやっぱりこの世の頂きばいっ!!」丈八は舌を噛み切らんばかりに絶叫した。だが柩のほうを見ると、悲しそうに指差した。「そげな強か鞘さんが、一体どぎゃんしたらこげなこつになっとか…?」
兵士は涙ながらに鞘の最期を語って聞かせた。 て
「殿はな…、お一人で一揆衆んほとんどば討ち取られ、残り百名足らずになった残党ば、三角岳ん奥のほうまで追っていかれたとじゃ。そこにゃ村役ん一人の住居があって、そこでは宇土手永一番の器量良し、お律が大事ん育てられていた。進退窮まった敵は、そんお律ば人質ん取ったとじゃ。そこにおっ娘がそのお律たい!!」侍は柩の傍らで俯いている娘を指差した。
丈八もお律のことは知っていた。和風の面長美人で、礼儀正しく、その美貌は近隣の村にも鳴り響いており、熊本城下にもこれほどの器量良しはおらぬともっぱらの噂だった。
兵士は続けた。「そして人質ば取られてどうするこつもでけんごつなった殿ば、鉄砲ば持った浪人十数名が狙い撃ちしよったのじゃ。無論殿は、飛んで来た鉄砲ん弾ば全て大太刀で以て叩き落としちしまわれた。もうどれだけ敵が銃弾を浴びせたっちゃ、殿にゃただ一発としてかる当たらんかった。そん有様に恐ればなした敵の頭目は、お律の喉に匕首ば当てて叫んだ。「動くなぬしゃあ!!ぬしゃあ身動きひとつすっとしゃが、こん娘の命なもうなかぞお!」殿は動きば止むるしか致し方なかった。そして動きの止まった鞘様にやつらはもう弾の尽きるまで銃弾を浴びせた。すぐにおっどんが駆けつけちかる、敵ば残らず斬り捨てたが、ああ、鞘様な既に虫の息じゃった…。最早手遅れんごたる状態で、誰の目にも殿の命の火が消えゆくことはもう一目で見て取れた…」
丈八だけでなく、その場の全員がその話に耳を傾けていた。
彼はお律に目をやった。ああああああああっ…!!鞘様はこぎゃん娘と引き換えに命を落としたのか!!…娘の顔は確かに美しいが、天下に唯一無二の如きあの鞘の存在感に較べて、あまりにもつまらなかった。丈八は、その申し訳なさそうな表情が如何にもうわべだけのような気がして、嫌悪感を感じるのだった。
「殿はな…息ば引き取られる前に、三つのこつば託された…」侍は言った。
「まず自分の遺骨を、最期ん地となったこん村に埋めちほしいと申された」
「何と、この地に、鞘様の遺骨を!」村人たちは誇らし気に叫んだ。
「次に…」今度は郡奉行が懐から一通の書状を取り出した。「こるな鞘殿が最期ん力ば振り絞っちしたためた忠利公宛の書状で、宮本武蔵先生仕官の推薦状である。こるは拙者からしかと殿にお届けいたしておこう」
「おお、そげんこつまじっ…!!己がこるから死出の山さん赴こうちゅう時に、ああ…、そげなこつまじっ!!」
「いんや…鞘様な、恐らく武蔵先生に恋心ば抱いておられたに違いなか」
兵士が頷いた。「鞘様な、武蔵先生の死後な、自分の骨ば分骨しちかる先生ん骨と共に埋葬しちほしいとも言われておる」
「ああ、やっぱり…」
「そして最後ん鞘様の託された件は、吾々配下ん向けてのものであり…」侍は大粒の涙を流した。『あたどんな、うちん後ば追って殉死なんぞしたらいかんばい!うちがいままで貯めた金の仕舞ってある場所の地図ば渡すけん、部隊解散後はこるば皆で分けてから、今後立派なもののふとしていけるごつ名々有効に遣いなっせ!!』と実にこの世のものとも思われぬ愛情溢れる遺言ば残された…!!ここにおる二百ん精鋭な、いつでん鞘様ん一番間近じ仕えち、そん広大な器量に惚れ込んじ心底命を預けちおった者ばかるばい!鞘様にもしもんこつどがあったなるば、そら全員殉ずる覚悟じゃった。拙者とて鞘様んその命なくば、すぐにでんこん腹ば掻っ捌いち果てておったろうにっ…!!」
「おおおおおっ…………!!」
「お奉行様…」群衆にどよめきが走る中、丈八が吉右衛門に言った。「どうか鞘さんの顔ば、おるに拝ませちくだはりまっせ」
吉右衛門は無言で柩を示した。
丈八は静かに柩の蓋を開けて、恐る恐る中を覗き込んだ。
その身体には無数の弾痕があったが、傷の損傷は、決して見る者を落胆させるものではなかった。不思議なことに顔には一発の弾痕もなく、その顔にはとても安らかな笑みが浮かんでいた。死してなお誇りあるもののふの魂と、当代希有な女性の魅力とが匂うように立ち籠めているのだった。
丈八は、何かを学び取ろうとするかのように鞘の顔に見入った。すると涙に濡れた彼の瞳にも、何か輝かしい光が差し込んできてみるみる晴れ上がっていくのだった。
「ありがとうございました…!!」丈八は鞘の遺体に向かって深々と頭を下げた。
「ち、父上っ…!!」嘉之助が棍剣大神宮の宮司・弥一郎に向かって言った。
「鞘様こそが…、鞘様こそが…、こん村ば救っちくれた守り神ばい!いま神社にはいにしへの女武人の骨が、えろう大層な御神体としち祀られちょるが、こるからはそん骨棍(ほねこん)ではなく、鞘様の骨をばこそ守護神としち祀るべきではなかか!?」
「……」
一瞬の沈黙の後、村人たちが一斉に拍手喝采した。
「そん通りたい!そん通りたい!鞘様な約束通り一名の死者も出さんじ村ば守っちくださった。もう鞘様こそが、鞘様こそが村の守り神ばい!!」
「しかも細川ん殿さんかる命令されてじゃなか!自ら進んじこん村ば守りん来ちくださったのじゃぞ!!おっどんなこらいくら感謝したっちゃもう感謝しきれんとばいっ!!」
黙ったままの弥一郎に一人の村人がいきり立って詰め寄った。
「弥一郎!!ぬしゃまさか鞘様から受けたこの恩ば無下にすっ気じゃなかろな?」
「……」宮司は憮然として答えた。
「いや…、無下にゃあせん、無下にゃせんが、そるはちと難しかかむ知れんばい…」
村衆はいきり立った。
「何?何や!?何が難しかてか?あん?ぬしゃあの糞おなごん骨ば捨てち、鞘様ん骨ば祀るだけんこつだるが!!何の難しかこつがあるかっ!」
弥一郎は困ったように答えた。
「そげんわけにもいかんじゃろう…。あん骨棍(ほねこん)な、そるは先祖代々三百年間もこん村の御神体としち大切に神社ん祀られちきとるもんじゃ!いまでは既に変えることのでけん揺るぎなか不動の伝統になっちしもうとる。そるば変えようてな、わし一人の一存ではできんこつばい。そるば変えるに当たっては、あの村ん長老たちの同意ちゅうもんが必要だということくらいわかるじゃろが…」
「あの長老たち…」村人たちの顔が暗く曇った。
「皆もよう知っとるじゃろう…。村ん長老たちが変化や新しいもんば好まんこつぐらい…。あん長老たちんとっては、先祖から受け継いだ伝統ば受け継いで、そして決められた通りにつつがのう行い、そるばそんまま次の代に伝えていくこつこそ世の中の全てであるとば。そるば変えようてな、どるだけ大変なこつか…、ぬしどんにでんようわかるじゃろうが!!」
「ぬぬぬっ……!!」
「しかしわしも、こんたびの鞘様から受けたご恩な、そげなもんよか、ずっと重たかこつと考えておる…。ぬしどんよ…、わしに時間ばちとくれんかい?必ずや長老たちば説き伏せち皆のそん希望ば実現させちやるけんが、わしに時間ばちとくれんじゃろうか…?」
「おう、どしこでん時間なやろたい!」
「じゃが、ちとでん早よせよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます