其の3

 御興来の海岸に沿って続く丘陵を少し上ると雑木林がたち並んでいて、そこからさらに奥まった所に、その棍(こん)剣(けん)大神宮はあった。霜月の半ば頃行われる棍剣(こんけん)神社の例大祭である『骨棍祭(ほねこんさい)』は、宇土半島西域最大の祭りとして知られており、毎年近隣の村々から訪れる大勢の人々で賑わっていた。

 この神社に祀られておる御神体は通称『ほねこんさん』と呼ばれており、これはその昔、元寇弘安の役の折菊池武房や竹崎季長らとともに蒙古軍と戦った女武者の大腿骨であると、まことしやかに語り伝えられていた。神社の初代宮司である先祖の修験者が、その女武者が死んだ後にその骨を掘り起こして、そのあまりの太さと硬そうな様相に大変驚き試しに大岩にぶつけてみたところ、大岩は粉々に砕け散ったとかで、男は大いに畏怖し有難がってこれを村の守り神として祀るがために神社を創建して、以来約三百年の間大切に祀られてきたということである。

 この『骨棍祭』は霜月の二の午より三日間続けられ、その間本殿の桐箱から出された『ほねこんさん』は、飾り屋台の上に置かれた五右衛門風呂くらいの大きさの牛脂の入った鉄鍋に漬されておく。これは年に一度牛脂に漬しておくことで、骨の風化や老朽化を防ぐためだとも言われている。

 神社の広い境内には、びっしりと握り拳ほどの玉砂利が敷き詰められて、鳥居から本殿に続く参道の両脇に並ぶ石灯篭は、祭りのため色とりどりの幟や縄で飾り付けられて、その石灯篭の背後には多くの出店がずらりと立ち並んでおった。

 祭りの中心になる境内の真ん中にある飾り屋台は、三十畳ほどもあるような大きなもので、『ほねこんさん』の入った鉄鍋を置くためと、もう一つこの祭りの最大の呼び物である当の女武者が蒙古軍を撃退するという人形芝居を上演するためにも使われているのだった。

 またこのいにしへの女武者の人形は何故か太腿が途轍もなく太く造られていて、初めて見る見物人たちはその圧倒的な迫力にド肝を抜かれ、小さな子供なんぞはもう震え上がって中には泣き出す子供さえもいた。

 村の子供たちは親にせがんで買ってもらった菓子を食べながら、この女武者が太腿をゆっさゆっさと揺らしながら動く様子を、驚愕に眼を丸くして見ていた。

 勿論丈八、嘉乃助、勘吉三人の姿もそこにおった。

「かのやん、ぬしゃ宮司の倅じゃろ。おっどんと同じごつ見ちばかるおったらいかんばい。ちとどん親の手伝いなっとせい」

「うるしゃあ、もう…。こん祭りな村ん者がすっとだけん神社ん者な口な出さんと!!」

「うわあ~あん女武者ん腿な糞太かっ!!あん女武者ん腿なもう…糞太かあああああぁっ!!」勘吉が異常に太い人形の腿の動きを目で追いかけながら、我を忘れたような途轍もなく興奮しきった眼つきで、何やら自分の褌の中に手を突っ込んでそれをぐりんぐりん捏ねくり回していた。

「ときに丈ちゃん…、天草んほうで何やら戦ん始まったちいうばってん、それについては何か知っとるか?」

「うん、そういえば先だって何百何千て侍の、網田の湊ん方に向かってうじゃうじゃぞろびいち行きよったばい。すっとあっが戦ん行く軍てやつばいな」

「丈ちゃん聞くところんよるとな…、百姓やら浪人やらキリシタンやら島原ん者やら合わせち三万余りん者が一揆ば起こしたちゅうこつじゃ。だけんこるば討伐すっために幕府やら細川ん軍やら肥前や備後やらの合わせち十二万ばかるの軍がいま天草さん向かいよるらしかぞ」嘉乃助が説明した。

「そらとつけむにゃあ人数な。まるじ関が原んごたる大戦じゃなかや。そうすっとしゃがな、ここは天草んすぐ隣村になるけんが、そらトバッチリば受くっかむ知れんぞ」

「うん、三角んほうさん半刻ばかし歩くと天草な目の前に見ゆっけん…うわあおそろしかこっちゃな!!」

「天草ないまは肥前の領地んなっとって代官さんの治めよらすたい。同じ肥前の島原とな結束しても、肥後領のここ宇土とな結束せんじゃろ。まあだけんが…大丈夫てな思うけんど…」

「そるよりか丈ちゃん、その一揆の総大将じゃがな、まだ十六歳の子供らしかていう話ばい…。どぎゃん思うな?」嘉乃助が得意そうに知識を披露した。

「はは、十六ならばもう元服しとっけん大人じゃろ。ばってん弱冠十六とはな…。で、そやつは何ちゅう名前のやつじゃろか?」丈八が感心したように頷いて言った。

「うんそやつじゃが、天草四郎っちゅう名前と聞く」

 途端に丈八は笑いを堪えてお腹を上下させた。

「丈ちゃん、何がそぎゃんおかしかつか?」嘉乃助が憮然として言った。

「かのやん、四郎さんならおらよー知っとるばい!おるは四郎さんとは小さか頃よう遊んだもんじゃ」

「えっ!」嘉乃助は目を見開いた。女武者の腿に熱狂的に見入っていた勘吉も、それにはビックリして丈八のほうを振り返った。

「まあ聞かするばってん…、おるが父つぁんと四郎さんの父親ん益田甚平衛な昔から親しゅうしとっ知己ばいた。そるで何年か前の四郎さんが宇土ん江辺村におった時分に、甚平衛さんんげにゃよう連れち行ってもらいよったと。四郎さんとなもういろんなこつして遊んだものよのう…」

「丈ちゃんそら力一杯すごか話じゃ!!じ、丈ちゃん、そんで天草四郎てなどぎゃん人だったか?」目を輝かせて勘吉が質問してきた。

「なんの、なんの、大したこつはなかたい…。あらおなごんごたるなよ~てした少年ばい。しかも一昨年会うた時にゃさらに綺麗か美少年になっとってな、おるよか二つ年上ばってん、四郎さんば見っとしゃがな、おら時々ちんちんのおっ勃つこつんあった。一方四郎さんがちんちんば見ると、こるがまた南蛮渡来の宝石んごつ綺麗かちんちんばしとらした」

「ば…、ちんちんも見たつな!!」勘吉は絶句した。

 丈八は得意そうな顔で続けた。

「四郎さんとな、そらいろんなこつばしち遊んだもんだよ。泥の団子ば捏ねちぶつけ合わしたり、二本の大根ばぶつけ較べたり、二匹んミミズん胴ば引っ掛けてそるば千切り合うて較べたり、蛙の股ばもうビリビリって裂き較べたり、ほーんにいろいろなこつして遊んだもんじゃ…」

「蛙の股て…ば、うわ、そらおっどんでんようせんごたるこつばしよる!!」

「馬鹿。そらおっどんでんしたこつのあるどが?勘吉ぬしゃ、もう忘れたとか?」

「あんれぇ…、そうじゃったかのう?何せおっどんな、実にいろんなモノや生き物ば、ぶつけ合うたり千切り合うたり潰し合うたりしてん、あんまり細まかこつまじはいちいち覚えとりゃせんばい」

「うん…、実にいろいろ較べ尽くした。勘吉、こん村の子供の遊びは、生まれてこの方生き物やモノの強さば較ぶるばかりじゃろがい?そっで、たいぎゃな太かほうの勝つばってんが、百回にニ回どま細かほうの勝つこともあったりしてのう…。どぎゃんした按配か、細かほう、柔かほう、薄かほうの、太かつ固かつ厚かつに稀に勝つことのあったのう!!そぎゃん時にゃおっどんなもうちんちんば馬んごつおっ勃てちかるもうバカんごつ興奮して騒ぎ散らかしたもんじゃのう!!」

「丈ちゃん、細かほう、柔かほう、薄かほうでん、太かつ固かつ厚かつに勝つことむあっけんが、むごー夢んあっとたい!!そらほのぼのした夢ばい!!おっどんな細かほう、柔かほう、薄かほうの中から、さらに按配の良さ気な細かほう、柔かほう、薄かほうば見つけち、そるば按配の憎たらし気な太かつ固かつ厚かつに挑戦させち、そしてかる心かる勝てち願うち、ちんちんば勃てながら応援しよったろがい?こん按配の良さ気な細かほう、柔かほう、薄かほうな…、果たしち太かつ固かつ厚かつに勝つることのでくる例の細かほう、柔かほう薄かほうだろか?て心配ば寄せちかるたい。そん時なこん世の人生じ一番興奮しかつ愉しか時だったち思う!大人ん男とおなごが、寝床じしよるこつとか、明から買うたご禁制の薬ば飲んじ得らるっ快楽のごたるとなんぞ、もうこんとつけむにゃ興奮に較べたる到底及ばんこつばい。おっどんなそん究極ん遊びば見つけた日本じ初めてん男たちばい!!こるにはもう誇りば持たにゃあ」嘉乃助が雄弁にまくしたてた。

「そるがたい、かのやん…」丈八が少し首を傾げて言った。「おると四郎さんの蛙ん股ば裂き較べた時にゃな、そぎゃん太かとか細かとかな一切関係のうしてな、…いつでん四郎さんが持つほうの蛙ん股ばかるが勝ちよったと。いつでんおるが持ったほうの蛙ん股ばかるが千切れちから四郎さんの持つ股ないつでん千切れんじゃった。百回中百ぺんともそぎゃんで、おるはそるについてもう不思議じしょうがなかったと」

「ふうん…」嘉乃助はそれについて腕組みをしながら考えた。

「丈ちゃん…、そるはおそらくバテレンの神通力の仕業によるものたい…バテレンな、支那の仙人と同じごつ神通力の使ゆると。バテレンなこるば『魔法』ち言よる。四郎さんが十六歳にして一揆の総大将になった理由も、そん『魔法』の賜物ち聞いたばいた」

「丈ちゃん、かのやん!!」突然勘吉が割って入った。「おるはあん女武者人形のとつけむにゃ糞太か太腿ば見とったら、あそこん鉄鍋に入っとる本物の骨ときた日にゃ、どんくらい頑丈なもんじゃろか?てもう試しちみとうしてかる堪らんごつなっちきてしもたばいた…。丈ちゃん、そしてかのやん。今夜にでんあん鉄鍋かるこっそり骨ば取り出しち、ひとつ試してみたらどぎゃんじゃろかな?」

「ば、馬鹿っ…!!」丈八が慌てて勘吉の口を塞いだ。「お、恐ろしかこつば言うな…。あるは村ん守り神の御神体ぞ。そ、そるに悪戯しとるとこどん見つかっちみれ。もう殺さるっどころじゃすまんぞ。そるこそきゃあ八つ裂きにされちしまうばい!!」 

 丈八と嘉乃助はいまの勘吉の発言を誰かに聞かれなかったか、用心して周囲を確認した。だが村人たちはそれどころではないといった顔付きで、皆揃って神社の入り口の鳥居のほうに視線を向けているのだった。

 すると鳥居から色めき立った役人や甲冑姿の侍たちがぞろぞろと入って来るのが彼等の目に映った。

「こらあ皆の者、祭りを一時中断せよ!!」役人たちが大声で怒鳴り付けて群集を蹴散らしながらこちらに向かって歩いてきた。

「何じゃあ、あっどんなえずかばい」

「折角こうしち楽しみよるとに、ケチんつく…」

 村人たちは不満気にブツブツ呟いた。

「皆の者ーーっ!!ただいまよりお奉行様よりの大事なお話がある!ここの飾り舞台を囲んで一同前に集まれーっ」彼等は、人形劇の一座を飾り舞台から追い払い、中の三名がその壇上にのぼり人々と対峙して立った。村衆たちは、その屋台を取り巻くようにぞろぞろと集まっていった。

「こらあ、後に回るなっ!この屋台より前にだけ並んで集まらんかっ!!」

 そして群集があらためて壇上の者たちを見上げて、おおっというどよめきのような声が起こった。

「み、見ちみれ!!おなごが侍ん格好しとる。おなごが侍ん格好しとるぞ。ど、どういうこっちゃ!?」

「しかもかつて見たこつもなか、夢んごたる別嬪さんばい!」

 その壇上に立つ三人は、向かって右側に郡奉行の小堀吉右衛門、左側に宇土手永の惣庄屋であり丈八の父親でもある橋本五良右衛門、そして真ん中に、小柄で細身の甲冑姿の女性が、凜と直立不動の姿勢で立っているのであった。

「お…、おるの五良右衛門とっつあんもおらす…!」丈八はゴクンと生唾を飲み込んだ。「ば…、ばってん、そぎゃんとよかあん女の人んほーが、実にまったく気になる」

「丈ちゃん、あん女人の顔形な、おるが頭ん中にある平家物語ん妓王と正に一致しとる!!」嘉乃助がガタガタ震えながら言った。「そ、そしてかるな丈ちゃん、真ん中に立っとらすとこば見っと、恐らくあら奉行さんよか偉か人ばい…」

「丈ちゃんあら…あっが、天草四郎じゃなかか?」勘吉が言った。

「いや、違う…まあ似ちゃおらすばってん、あん人な女で大人てすぐわかる。四郎さんがほうな男で子供てすぐわかる。そしてかのやん、あん人な、天草四郎や妓王となんぞさらに超えたところの究極の何者かに違いなか!!」

「究極の…すっと、仏御前?」勘吉が尋ねた。

「ボケ!」丈八は力一杯勘吉の頭をひっぱたいた。

 群集が一通り静まり終わると、郡奉行がおもむろに口火を切った。

「こうして皆に集まっちもらったつはら他でもなか。こるはこん村の存亡に関わる大事なことじゃから、皆心して聞くように…!!」

 村の存亡に関わると聞いて、人々は息を呑み話の続きを待った。

「先だって肥前の天草と島原んほうで、百姓たちん起こした一揆んこつは、皆も既に聞き及んでおることと思う。そしてこん一揆衆にキリシタンや浪人等も加わって、そん数は三万を超える数にまでに膨れ上がり、もう反乱は我が国最大といわるるほどまじ発展した。してそん一揆ん総大将だが、こるが天草四郎ちいうまだ十六の子供やつて言われとる!!」吉右衛門は五良右衛門を指差した。「皆の者…、してこん五良右衛門はな、そん四郎ん父親、益田甚平衛好次とは昔からぬ昵懇の間柄じゃったという。実質一揆ば陰で率いちょるそやつが天草ん国衆等と共に、先だってこん村の者も一揆に加わるようにとの勧誘に、五良右衛門のとこさん訪れたのじゃ。ではここのところは、五良右衛門からじかに話させよう…」

 吉右衛門は五良右衛門に促した。群衆の中から丈八の姿を見つけて、父親の威厳を示そうとやや緊張した面持ちで五良右衛門が話し始めた。

「えへん…、いまお奉行さんの申された通りで、おるは一揆ん首領格の甚平衛かる反乱に加わるようにとの誘いば先だって受け申した。無論おると甚平衛とな昔かる兄弟同然の間柄じゃったし…、し、しかしじゃ!!おるはそん誘いばにべものう断ったのである。そん理由はな、いいかもうそれは、ぬしどんもちーと考えちみれ!!五良右衛門のおる天草とここ宇土手永とは、すぐ隣同士ではあるばってんが、なんぞ管轄しょる藩も肥前肥後と違うちょるし、そるでもって肥後な年貢ん取り立てでん他ん藩よか緩やかじゃろう?だけんそるがたとえ親しか者の誘いといえども、ここん者ば巻き添いにするそげな戦に加わるわけにゃいかんちきゃあ思うたわけたい。どぎゃんか?おるは皆ば巻き添いにせんごつ断ったつじゃぞ!!」

 村人たちは一斉に拍手した。

「五良右衛門さん、よう断ったな!!」

「おかげで、おっどんな戦禍ば免れたばい!!」

 奉行が遮った。「ところがじゃ…、事態な却って裏目に出てしもうて…」重々しく吉右衛門が続けた。「一揆方さん送り込まれちょる細川討伐軍の間者から聞いた報告によるとじゃ、断られたこつば大変腹立てた甚平衛等が、裏切り者の村と言うてこん村ば襲撃すっ計画ば立てとるこつのわかったとじゃ。現にこうしておる間にも、いまこうして見ゆる目と鼻の先ん大矢野にゃ四千余りの一揆勢が集結しており、今日明日にでんこん村に攻め入って来ようとしておる」

 人々がざわめいた。

「そ、そら大変なことぬなったたい!!」

「四千もん大軍に攻め込まれたならば、おっどんな皆殺しんさるっ他はなかぞ!」

「お奉行さんの手勢なせいぜい百五十余り…こらぁ焼け石に水じゃ…。こ、こら、もうどうにもならん…!!」

「それんしてん」…一体何じこぎゃんこつになっちしもうたつかのう?」

 人々は憎々し気な目を五良右衛門に注いだ。

「そうたい…!!ぬしが一揆の誘いば断っけんが、こぎゃんこつになっちしもうたろが!!おいっ、五良右衛門っ、何でおっどんに無断で一揆の誘いば断ったか?何でおっどんにゃ一言も相談せんじゃったか!?ぬしゃあ、もう死んじ詫びれ!」

 唐突に一人の屈強な村人が五良右衛門めがけて勢いよく飾り屋台の上に飛び上った。「ぬしゃあ、ぶっ殺しちゃるう!!」

 すると例の甲冑の女性が素早く男の背後に回りこんで羽交い絞めにすると、『あ~らよいよいよ~~い♪』と男をよちよち歩きさせて群集の中に戻した。

「ご、ごあああああああああーーーーっ!!」続いて同時に四、五人の村衆が飾り屋台に猛突進した。すると女は今度も男たちの背後に軽やかに回りこみ、男たちを束ねて『あ~らよいよいよいよいよ~い♪『と歩かせて群集の中に戻したのだった。

「な、何ばふざけよっかっ!!ぬしたちゃ、奉行側んサクラかぁ!?」大勢の村人たちが情けなく女に手玉に取られた男たちに罵声を浴びせ掛けた。

「い、いや違う…!!おっどんな本気じ殺そうち思うて五良右衛門ば殺しに行ったつ!ばってんが、あんおなごん掴まるっとしゃがな、人形のごつ操らるっ他、どぎゃ~ん力ば込めたっちゃどぎゃんもこぎゃんもでけんかったつじゃ…まるじ羆ん逆らう蟻んごつ、何もでけんかった…もう訳くちゃわからんたい」

「……………」

「おいっ、村人どんよ!!」女武者がついに口を開いた。「あたどんな、ちいとばっかふざけすぎとりゃせんか!?」肥後弁丸出しのその女は、早春に囀る鶯のような高らかな澄み切った声で喋り出した

「ほら、あたどんな、さっきゃあ大層五良右衛門のこつば褒めとったじゃなかか。そーん口の乾かんうちにもう貶すてなどういう了見かいた?そら、あんま身勝手すぎっぞ!!あたどんななぁ、もしも一揆ん加わりどんしたなら、最後にゃあ幕府軍てろん九州の諸大名軍てろんに捕らえらちかる全員打ち首んされちしまうどぞ!!そん道理がわからんて言うか?あ~~~ん?」

「あ、あんた、一体何者じゃ…?」村衆たちは一斉にその娘に不審の目を向けた。

「申し遅れたが…」奉行が答えた。「皆に紹介しておこう。こんお方は一揆討伐軍の指揮官の一人で、細川軍の侍大将ば努められとる、鞘殿じあるっ!!」

「げっ…、おなごが侍大将!!」

 目を丸くする丈八に、嘉之助がそっと囁いた。

「侍大将ちゅうとはな、ほんなこつの実力者ばい。武将なら家柄や血筋なども関係すっけん、必ず実力等ん備わっとるわけじゃなかが、侍大将てな一国で一番腕が立って侠気ん勝れた者のなるもんじゃっけん、侍大将こそは、そん国で名実ともに一番強か豪傑中の豪傑ばい」

「あの優しそうな目ばした女の人がそうか…」丈八は感激したように頷いた。

 奉行が続けた。

「そもそも鞘殿ん生まれは朝鮮国である!御父上、は先の慶長の役で討ち死にした其国の猛将なのである。その武勇と人徳んいたく感じ入られた小西行長公が、生まれたばかるの遺児・鞘殿ば養女としち引き取って日本さん連れち帰ったのじゃ。そしてそん子ば鞘と名づけられて大事ん大事ん育てなさった…。実に鞘殿はな、幼か頃かる剣術ん修行にそれはそれはもう打ち込んじおられて、類い稀な天分にも恵まれちかる、六つん時にゃ既に大人ば打ち負かすほどん腕前になっておられたのだ。そして行長公ん死後は、何でも筑前の黒田家預りとなりしばらく家臣等ん剣術や兵法ば教えちおられたそうである。また我が忠利公の肥後国ん入国をきっかけに、その腕ば大層見込まれた殿さんのたっての願いで、細川家剣術指南役として熊本城下に迎え入れられ、いま現在ん至っちおられるというわけじゃ!!してこんたびの戦ではな、こん村の危機ば聞きつけられて大戦の真っ最中にもかかわらず、二百ん精鋭ば引き連れて駆けつけち来られたのじゃ!さ…、皆の者お礼ば申し上げんかっ!!」

「二百…」不満そうな声が洩れた。「たった二百じゃどうにむこうにむならんばい…」

 吉右衛門が続けた。

「鞘殿はな、宮本武蔵の細川家剣術指南役としての御審査の先だって熊本城内じ行われた折、そん折相手役としちかる武蔵殿と立ち合われとる。そしてかる驚くな!!何とあん武蔵に一本勝ちばされておらるるとぞ!!どうじゃ驚いたか?」

「ばーーーっ!!あ、あん宮本武蔵にな!あらあそら日本一ん武芸者じゃろが!!うわあ、こらあきゃあ魂ぎゃあたばいっ!!」

「すっとしゃが…、鞘様が日本一ん武芸者ちゅうこつになるわけか…」

「ふん、到底信じられん話じゃが…ばってん相手な四千もの大軍たい!どぎゃん腕が立ったっちゃこらもうどぎゃんむならんぞ!おいっ、鞘さんとやら、勿論何か確実な策があっちかるおっどんば助けん来ちくれたのじゃろのう?まさか何~も策なしに、ただ手ぶらでぶら~っと来たわけじゃああるまいのう?」

 鞘は笑って答えた。

「策ななか!!何~も策なしにた~だぶら~っと来た!!」

「馬鹿か!!ぬしゃ!もうきゃあれ、もうぬしゃいらん、きゃあれ!」

「おのれ…、きさん誰ん口きいとるとかっ!!」太刀を抜いて男を斬り捨てようとした奉行の腕を素早く掴んで鞘が言った。

「ふふふ、実ば言うとたい…、奉行さんの話にゃちーと誇張のあると。正確に言うとしゃが、一本勝ちじゃのーして、うちが終始勝負の場ば圧倒しとったちゅうだけ。武蔵先生な、深ーう剣の奥義ば極めて、うちなどん及びもつかん、そうにゃ高か境地に達しておられるけん。一方うちの剣法は、もうこるが生まれつきん天分に頼っただけの仕様むないもんじゃ…。そぎゃんわけであるけん、うちなもう先生ん仕官のできんじゃったこつが残念でな、此度ん一揆討伐じかる先生にうんと手柄ば立てち貰おうて思うて、いま武蔵先生ば私ん軍の副将としちかる迎え入れて活躍して貰いよると。…先生の仕官の実現すっとほんによかこ~つ!!」

「こらぁ、内輪ん話なんぞすな!そぎゃん話などうでんよか!こら、ぬしゃおっどんの命ばどう守ってくりゅっとか、聞かせれ!」

「あたぁ~こら…」鞘は自分のおでこをポンと叩いた。「つい自分のこつばっか話しちかる、うちときたら自己中心なおなごじゃある…ばってん心配せんちゃよかぞ。大船に乗った気分でおりなっせ!」

「な…大船てか…」男は言葉を失った。

「あんお姉ちゃん面白かぁ!!」勘吉が、愉快そうに言った。「………」しかし丈八と嘉乃助は無言のままで固まっていた。

「ほーんならいまかる、うちがあたどんにちと面白か出しもんばお見せしよう」鞘は吉右衛門と五良右衛門に屋台から降りるように命じ、一人その壇上で皆に向かって叫んだ。

「あたどんよ!!見る通りこん境内にゃそうにゃふとか玉石のいっぴゃあ敷き詰めちある。さああたどんよ、そん石ころば、いっちょ私に向かってどんどん投げつけちみれ!!」

 村衆たちは当惑顔で尋ねた。

「そるは、どうにもこうにもまずかばい…ここに転がっとる玉石などるもこるもそうにゃ大きかろが?。そぎゃんこつばすっと当たり所ん悪けりゃ死んじしまうぞ!!」

「もう、よかけんはよ投げれって!もーイライラする!!」鞘は腹を立てて怒鳴った。

「皆の者、遠慮はいらん!鞘殿の腕前ときたら盤石ぞ。さあ鞘殿の申す通り皆で一斉に石をお投げしろ。そらあもうどぎゃん力一杯投げてもよいのじゃぞ!!」吉右衛門が言った。

「そ、そんなら遠慮せんでいかせちもらうばい…。死んでむ知らんけど…」

 鞘は鞘をつけたままの小太刀を腰から外して構えた。

 村衆たちは一斉に石を投げ始めた。最初は屈強な若い衆だけが投げていたが、次第に興奮してきたのか男も女も子供も年寄りも村のすべての者が一斉に女武者に向かって石を投げ始めた。ゆるやかな放物線を描いて飛んでくる石もあれば、空気を劈きながら弾丸のように一直線に飛んでくる石もあり、同時に数百個もの石が次から次へと鞘めがけて飛んできたが、鞘はそのすべてを目にもとまらぬ高速の太刀捌きで弾き返すのだった。しかも弾き返した石礫が群集に当たらぬよう、鞘はすべてを後方へ弾き返していた。

「ややや、当たらんっ…!」

「ひとつも当たらんばい!!」

「に、人間じゃなか!!あら人間じゃなかばい!!ば、化け物じゃあああっ!!」

 頃合いを見て、奉行が人々を制止した。

「はあ…もう動きんあまりに速すぎて、何やら稲妻んごたるとがピカピカしよるとしかおるには見えんじゃったばい…」

「いや、おるにはピカピカも何も見えんじゃった」

「ふふふ…あたどんよ、実はな…、実はいっちょだけ当たってしもてな…」鞘は赤く腫れ上がった手首を差し出して皆に見せた。「何か、うちないつでんぎゃんしてヘマばっかすると…」村衆たちは爆笑した。

「さあさあ、あーたどんよ、まだあるばい。次なる出しもんは『綱引き』だ」鞘は役人たちや自分の配下たちに命じて、祭りの飾りつけに用いられている太い縄をはずさせ、その縄を地面の上に真一文字に敷いた。

「さーあ、こるから、こん綱ば使うて、うちとあたどんとどっちが力ん強かか、力較べばしようじゃなかか!!」

「力較べ…、もしや、そらあた一人とおっどん全部とかい?」屈強な若者が者が目を丸くして尋ねた。

「そぎゃんたい。うち一人とぬしどん全部と、どっちが力ん強かか較ぶっぞ。他にあるか?」

「うーん、どうも………」

 鞘はてきぱきと村衆を指示して、前から綱を持って順番に並ばせた。だが綱は思いの他短いようで、

九十名程度が並んで持つともう他の者が持つ余地がなくなった。

「鞘殿、この縄の長さでは、こるだけの人数が限界のごたるですばい」奉行が鞘に言った。

「奉行殿そうですね…この人数じゃまず勝負になりませんが、とりあえず始めましょうか…。ほらほら、あたはもうちと前に詰めれ!そこんあたもほーらそこん空いとるとこば握れ!そっちんあたもぞ…そうそう。よーしよし、そるでよかそるでよか…」しかし鞘が命じて効率良く並ばせても百二十名ほどが持つのが精一杯だった。

「まあ、ほんなら始むるばってん…、他のただ見とるボケもちょっと聞いてくれ。綱持っとる者たちが私にズルズル引きずられ始めたらならば、加勢に加われ。たいぎゃな窮屈で握り辛かろばってん、そこんところは他の者の身体ば掴んだりしちかる臨機応変に加勢ばせい」

「はあ………」皆は驚き呆れたように鞘の顔を見るばかりだった。

 奉行の号令によって、百二十対一の綱引きが始まった。同時に鞘が三尺ほど引き飛ばされたが、着地点に足をめり込ませるようにして踏み堪え、そしてそのまま幾呼吸かの膠着状態が続いた。しばらくの力の均衡の後、地面を踏みしめながら、鞘が一歩一歩少しずつ後ずさり始めた。「ややっ…!」鞘が一歩後ろへ下がる毎に、その歩幅の分綱を持った村衆たちは後傾姿勢のままずるずると前に引きずられた。「やややっ、ややっ…これは!!」彼等は額に青筋立てて懸命にもがいたが、その力は空回りし、まったく鞘の後退に抗すること適わなかった。「な、何ばしちょるとかあ!!大の男がおなご一人ん引きずらるっち…何たるこつかいこるるるるるあああああああっ!」人々は癇癪を起こして次々と綱引きに加わっていき、総勢二百名余りが必死で綱を引き返そうともがいたが、人数がいくら増えても鞘の後退を食い止めることはできなかった。徐々に加速がついていって、二百名の者たちは雪崩のように前につんのめり折り重なって倒れ込んでしまった。

「う、うわっ何とも…!!」

「ど、どぎゃんなっとるとや?何でこうなるんじゃ!」

「ち…、畜生、畜生…!!」屈強な若者が見事に発達した自分の力瘤を見詰めたまま、悔しがって泣いていた。

「さ、鞘さんの強さな…」一人の老いた村役が言った。「もはや神仏の如きものじゃ。こ、こるならば宮本武蔵ば圧倒したっちゅう話も頷くる」

「ばってん…、こん強か鞘さんに一本負けせんじゃった宮本武蔵もたいぎゃ凄かち思う」別の村人が言った。

「うん、こん鞘様が村の味方になっちくれるて言うなら、こげんな心強かこつはなか。こるならば四千ん大軍にでん、勝つる」皆は口々に言った。「ほんとじゃ…。こっだけの速さと力のあるならば、どぎゃしこ寄せ手がぐっさ来たっちゃ、まるじ草でん薙ぎ払うごつ斬り散かすこつのでくるばい!」

 鞘は笑顔で皆に言った。

「さて、いまかる我等二百の精鋭が、誠心誠意こん村ばお守りする。またうちは、ここんおる村人どんにこん村から一人の死者でん出さんて約束ばしよう。あーたどんよ、安心しちかる、こるまじと変わらん暮らしば続けちはいよ。祭りでんこんまま続けてよか!」

「二百の家来ないらん。もうあんたひとりでよかばい」

「あはは…」鞘は苦笑した。「そうもいかんぞ…、戦ば舐めちゃいかん!配下ん者にはうちの援護と、そるでもってうちが討ち漏らした敵の村さん入り込むとば阻止する任に当たっちもらうけん」

 丈八、嘉乃助、勘吉の三人は化石の如く立ち尽くしたまま、その姿に魅入っていた。

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