其の2

 丈八たちの暮らす村にも、ようやく残暑が終わりを告げ、涼し気な秋が訪れようとしていた。宇土西域の手永を取り仕切っている惣庄屋の丈八の家は、海の幸や山の幸の収穫物の管理や、来霜月に行われる祭りの準備やらでそれはそれは多忙を極めていた。村の他の子供たちもこの時期には家の手伝いに掛かりきりで、例の山の廃小屋に集まって遊ぶゆとりなどなかった。父の五良右衛門に命じられて、丈八も朝から晩まで集荷所に集められた収穫物の管理にかかりきりになっていた。

 勘吉が、慌てた様子で仁蔵失踪の知らせを伝えに来たのは、先日の集まりから二ヶ月ばかり経った日のことだった。その日は、ちょうど仁蔵が元服を終えた次の日に当たった。

「ほう…、あやつが、仁蔵ん馬鹿やつが雲隠れしたてか…?」収穫物の在庫を帳簿と照らし合わせながら確認していた丈八は仕事の手を休めて、何か考え込むように呟いた。

「そうたい丈ちゃん、仁蔵な元服しちかる急におらんごつなったっぞ!」

「ふーむ、元服しちかる急にのう…」彼は腕を組んだまま、鋭く眼を光らせた。「こるは何かあるばい…。何かおぞましかもんの、きっとあるばい!!」

 丈八は失踪自体には少しも興味を感じなかったが、失踪の理由には何故か凄く興味をそそられた。すると好奇心が胸の内で一杯に膨れ上がってきて矢も盾も堪らなくなった彼は、帳簿をその場に投げ捨てて、勘吉と一緒に仁蔵が失踪した日に彼の家である郡奉行、小堀吉右衛門の屋敷に出入りしていた者たちの名前を目の色を変えて調べに走り回った。

 丈八と勘吉は、仁蔵の家に出入りした者たち一人ひとりにその日の様子などを尋ね回ったが、何故か、皆一様に歯切れの悪い曖昧な答えを返すばかりで、なかなか事件の真相に到達することはできなかった。やっと調べ上げた情報と言えば、①仁蔵の失踪前夜から、奉行の吉右衛門夫妻は忠利公肥後入部五周年記念の宴への出席のため登城しており、屋敷を留守にしていたこと。②その当晩屋敷にいたのは仁蔵、彼の姉の豊、そして下人の玉造の三人だけであったこと。③夫妻が帰宅するとすぐに屋敷の中は大騒ぎになって、医者やら何やら油壷を担いだ奉行の配下たちが大慌てで右往左往していたこと。④またその二三日前の夜、湊近くの蔵から仁蔵らしき若者が逃げ去るのを目撃した者があり、その蔵からは非常に強力な南蛮渡来の抜け荷の糊が一瓶紛失していたことなど…、とまあ断片的で実にまとまりのない情報ばかりであった。

「その糊ん話な聞いたこつんあっぞ。なんさま鍬の刃先ば柄にくっつくる時なんぞに使うもんでな、そるが一旦糊ん固まったなるば、もうどぎゃしこそるで岩などばブッ叩たっちゃ、決して刃先と柄な離れるこつはなかていうごつ、そらあむごうくっつく力ん強か糊ばいた!」丈八が勘吉に説明した。「そるで一体あやつは、そん糊ば何に使うたっじゃろか?」

「丈ちゃん、仁蔵ん馬鹿な糊ば盗んだっじゃろか?」勘吉が言った。

「こら、話ば元に戻すな!まあ…なんさまたい、やつなそん糊ば盗んじかる、何かしちかる、そしちかる行方ばくらましたとに違いなかぞ」彼は鋭く眼を光らせてそう推察した。

「ほんならば糊と、あん馬鹿がおらんごつなったこつにゃあ、何か関係のあっとたいね?」

「そこまじはようわからん…ばってんおるな、失踪とな別に、やつが糊ば盗んじかる何かしたこつんついても、むごう興味ば感じると…」

「油壷は…?油壷な何じ運び込まれたっじゃろか?」

「うーむ油壷か…話んよっとそるはあやつがおらんごつなっちかる、慌てち屋敷に持ち込まれたて話たい。そうすっとしゃがな、そら何かん後始末に使われたつかむ知れんばな…」

「丈ちゃん、すっと、話ばまとめるばってん、あん馬鹿な何かすっためあん糊ば盗んじ、糊ば使うたら何か都合悪くなっちかる、そうして雲隠れしち、そるじもって油が最後ん後始末ん使われたちいうわけかいな?」

「お…何か、核心さんだんだん近づいち来たごたる気のすっぞ!うむ実にもってまさにそん通りたい!!いままじ聞いた話ば組合わすっと、実にもってそぎゃんなる」

「いや丈ちゃん、おるにはまだぜんぜんちんぷんかんぷんじゃ…」そう言いながら勘吉は何かをハッと思い付いたように手を叩いた。「丈ちゃん!!おっどんなまだ医者んとこさんにゃ、聞きに行っとらんだったばなっ」

「おおっ医者の浮丘さんか。こるはすっかり忘れとったな。ほな勘吉、早速行くばい!」丈八は勘吉の手を引いて駆け出した。「もう行くとな!もう…そぎゃん急がんじはいよ…、おるはもうついちいけんたいっ」


 半刻の後二人は浮丘が住む村はずれにある庵を訪ねた。医者は丈八の顔を見て「おお、こるは五良右衛門どんのとこん丈ちゃんじゃなかか。また今日はどぎゃんした風ん吹き回しで来たかい?誰か身内の具合でん悪うなったか?」とニコニコ二人を出迎えたが、丈八が仁蔵の失踪当夜に奉行屋敷であったことを尋ねた途端に鬼のような恐い顔付きで大声を張り上げた。

「そらあぬしどんの知ってよかごたるこつじゃなかぞ!こら、ぬしどんなあんまる大人の立ち入ったこつばっか詮索すんな!!いまはぎゃんして収穫期で村中やるばなし忙しか時期じゃけんが、もう子供な子供らしゅうちとでん家の手伝いなっとしとらんか!さあはよ去ね!!」

 二人は浮丘に追い払われてすごすごと退散した。

「糞…っ!」丈八は、腹立ち紛れに、お道端の地蔵の顔面に石を力一杯投げつけた。

「じ、丈ちゃん…こらあ、やっぱし何か知られちゃまずかこつんあるとかむ知れんばい…」

「あるある、勘吉露骨にある」

「丈ちゃん、おっどんなそるば知りたかなあ…」

 すると数を勘定するように指を折りながら、丈八が言った。

「勘吉、こるであの晩屋敷に出入りしとった者にゃ全部聞いち回ったこつになっどか?」

「まあ、奉行さんと奥方さんにゃまだばってん、こるはそもそも無理な相談たい。おっどんがザコが行ったっちゃまず相手にしちくれん。あと屋敷に仕えとる下人の玉造にゃ、まだ聞いとらんばってんが…」

「ああ玉造か…玉造なでけんばい!あやつは頭んちーとおかしか類いのバカじゃけん、何ば聞いたっちゃまともにゃ話きらん。話たっちゃ何言いよるかわからんし」

「待てよ、丈ちゃん」勘吉の目が怪しく光った。「そんなら玉造に、聞くとしゃが良か!!」

「勘吉…」丈八が苛立たし気に言った。「よかか、玉造な頭の足りんけん、まともにゃ話きらんっちゅうたろが」

「んにゃ丈ちゃん、玉造な頭ん足りんけんが却って良かとばいた!!」

「何?…て言うと?」

「丈ちゃん…、玉造な頭ん足りんけん、言うてよかこつと悪かこつの区別のでけんだるが?だけんうまく操っとしゃがな、もうヒョロって白状しよろばい。しかもあん晩のこつば一番詳しゅう知っとる人間な玉造んはずじゃけんが…」

「勘吉…」丈八は勘吉の背中を力一ド突いた。

「勘吉、おるないままじぬしば馬鹿ち思うとったばってん、見直したぞ!!ぬしゃよかとこん気が付いた!確かに玉造なるばヒョロって白状しょろうし、しかも仁蔵が雲隠れした晩のこつば一番詳しゅう見とる。もう確かにぬしの言うとおりじゃ」

「そるで丈ちゃん、やつん話なチンプンカンプンでようわからんとこのあるばってんが、まあそんなら心配せんちゃよか。馬鹿ん通訳なるばおるに任せときなっせ」

「わはは、馬鹿の気持ちは馬鹿んしかわからんてか!」丈八は笑った。

 一刻後、二人は少しばかりの準備を整えて奉行屋敷の裏の雑木林の中で落ち合った。彼等は、屋敷の全景を見渡せる林と畦道の間の茂みの中に身を潜めて、玉造が出てくるのをじっと待った。

「うわあ…蚊ん刺されち、目纏いに付きまとわれちかる、こりゃかなわん…」丈八は苛立たし気に虫たちを追い払った。

「ほいでもって、もう随分待っとるばってん、なかなか出ち来んばい…。腹ん減ったぁ…」勘吉も大きく溜め息をついた。

「勘吉、今日なもう出ち来んとじゃなかか?」

「んにゃ丈ちゃん、やつは昼かる夕刻の間ぬ必ず一回な屋敷んゴミば捨てん出ち来っと」

「よう知っとるな。そういやぬしゃ奉行所ん手代の倅じゃったたいな…ほんなら勘吉、ちびっと腹ごしらえでんしとくか?」丈八は傍ら脇に置いてある二つの風呂敷包みのうち一つを解いた。「ささ、勘吉喰え」

「にぎん飯ね。いただきまっす…おっ、赤ぐちの甘露煮もあるね」

「勘吉、遠慮せんじ食えよ!」

 勘吉は、かつれたようにガツガツとおにぎりを頬張った。「そんもういっちょん風呂敷包みに入っとるとな何ね…?」

「こるはなあ…、玉造ば餌じ釣ろうち思うちかる持っち来た焼酎たい。何せ下人ちいう輩はな、どやつでんこやつでん焼酎が大好物ち昔かる相場ん決まっとるもんじゃけんが」

「ふうん焼酎かぁ…おるも一度焼酎ば舐めてみたこつのあるばってん、辛ろうしち飲みきらんじゃった。大人どま、よーこぎゃんもんばええくりょうもんたい…」

「勘吉、おるはもう、大人と同じくらいええくりょうばい!ばってんが、まだ味な美味かて思わん…。やっぱどぎゃんしたっちゃ焼酎の味ちゅうもんは大人にならんとわからんもんばい…」

 玉造が屋敷の門から出て来たのは、日が落ちかけた申の刻にさしかかった時分であった。玉造は背に大きな壷を背負い手には陶製の瓶を引っさげて、びっこを引きながら林の奥のほうまでゆっくりと歩いて行った。二人はしばらく間彼の後をつけて、誰にも出会う心配のない奥深くまで来たところで玉造に追いついた。

「玉造さん、玉造さん!!待っちはいよ」丈八が玉造のすぐ背後から声を掛けた。

「わっ!!」玉造は、大きく弾けるように飛び跳ねながら声のした方を振り返った。

「わっ、ビックリした!」下人は目を白黒させながら二人を見た。「お、おおっ!!…何やる見覚えのあるからいも唐辛子すっぱーい!!そん顔と肘な五良右衛門んとこの丈八か…。してそっちんいかにもザコザコザコ毛虫陰金田虫なよう知らんぽーい。ばってん、もう追い剥ぎでん出ちきち足首ん切腹ばあん竹箒んなほんにお姫様んごつぴゃ~してきゃ~てして印繰り門繰りじごじごじごの、じごらっぱ!!」

「けっ、ぬしにザコち言われとうはなか!何かぬしゃ、馬鹿ん下人のくせして。おるな、こう見えたっちゃ手代ん倅ばい!」勘吉が喰って掛かった。

「勘吉やめ、やめんか…」丈八は、勘吉を制して、玉造に向き直った。「ところで、おい玉造さん…、そん壷と瓶にゃ何の入っとるとかいた?」

「こるか?そるか?どっちか?瓶などっちかあっちゃこっちゃ、ブ~ン蠅ブ~ン隈ん庄んごたる焚火さんついた…。あっちゃんこっちゃんぴゅ~ろひょろドロドロん鼻水んベターッちくっつくけん、あーら十六夜十六夜玄の丈♪こるかるすっばいゲンゴロウ」

 勘吉が通訳した。

「玉造な、瓶んほうにゃ例の南蛮渡来ん糊の入っとって、壷んほうにゃあん晩屋敷ん持ち込まれた油ん入っとるて言いよる。そいでこるから、その瓶と壷ば、林ん奥のほうさん捨てに行く途中じゃって」

「成程…そるがあん時ん油と糊ちゅう訳か…!!」丈八はニヤリとほくそ笑んだ。

「玉造さん、油と壷な何に使われたつな?」彼は単刀直入に質問した。

「ぐえっ!!ぐえええええええっ!!」彼は蛙の潰れたような声を喉から絞り出した。

「ぴーーっ…ぴーっ恐ろしかこつば耳かる聞くなぴぇ~~っ!鼻かる耳かる聞くと…、そらおるは奉行さんかるつんかぐるごつきゃあ殺されっしまう!!」

 これは丈八にも大体わかった。玉造はあの晩の出来事を奉行から口止めされていて、もしも他人に喋ったら命を奪うと脅されているようであった。

「玉造さん、鼻から鼻水ん出とる…」勘吉が恐怖で鼻水をブクブク吹いた玉造の鼻を手拭いで拭き取った。

「玉造さん、心配いらん…。ぎゃん林ん奥まじな誰でん入って来はせんけん。勿論おっどんも誰にも話さんけん、安心しち喋んなっせ」

 玉造はなおも用心深く辺りを見回した。「ほ、ほんなこつかね……鳥でん夜じ聞いとらんどか?石でん昼じ聞いとらんどか?西に。お地蔵さんでんどこでん聞いとらんどか?」

「馬鹿!お地蔵さんがどけあっか!!」丈八は大声で怒鳴りつけた。

「なあ、玉造さん…こん焼酎ばやっですけん、あん晩屋敷じあったこつば喋っちくださりまっせ」丈八は風呂敷包みを解いて、焼酎瓶を玉造の目の前にぶら下げた。

「ば…そっばくれっ!!くれくれおるん喉にくれくれタコちゃ~ん!!そうすっとしゃがないっときばかるあっちゃんきゃあして、犬んごち舞い舞いすっけん。猿でん木かる落ちて犬も池さんはまろたーい!」

「喋ったらやる」

 玉造は再び辺りの様子を覗いながら言った。「よし…、実ん気風じ喋っちやる。口からぞ、鼻からじゃのうして口からぞ。誰にも山から言うなよ。海からもぞ」

 玉造は支離滅裂に語り始めた。

「おるなゴミば集めちかる、ふとか枝な地べたんくべちかるブブタンタン沸かしよった。庭じばーい。仁蔵さんなこら何か部屋じずっとちんちんいじりよらしてトロんネバネバしとった。豊ん嬢さんと隼人んとこに山車ば担いでからこっちゃん下女どんな、奉行さんがたんぶりっち舞い戻らしたるけんが…、そるがおるはもーう、ももんがためさんじゅるじゅるくじょるじゅくじゅるっちしたしゃるば炊いたる、ばってんだごばだごじゅるばばったんばったんごつ、寝床ば、きゃあ畳んじ敷きよらしたて次第ばな」

 丈八が力なく首を振ったので、勘吉が通訳した。

「丈ちゃん、そん事件が起こる少し前、玉造な屋敷ん庭でな薪ばくべて風呂ば沸かしたりゴミば集めたりしよったて。仁蔵ん馬鹿な部屋で自分のちんちんばどうも一生懸命いじくりよったらしか。そして豊と下女たちな、じき帰っち来る奉行さんと奥方さんがために、飯ば炊いたりだご汁ば作ったり寝床ば敷いたりしよったて」

「何や、他に下女たちもおったんか…」

 玉造が語った支離滅裂な話の内容を勘吉がきちんとまとめると次のようなものだった。

 玉造がゴミの片付けをしていると、厠から大きな叫び声が聞こえてきた。時刻は、亥の刻を少し過ぎた頃だった。彼がどうしたことかと外から声を掛けると、中から豊が大声で叫ぶので、入ろうとしたところ入れ違い様仁蔵が血相を変えて飛び出して来た。彼は玉造に目もくれずにそのまま一目散に屋敷の外へと走り去って行った。そして玉造が彼を見たのはそれが最後だった。厠の床にしゃがみ込んでいた豊は、玉造の姿を見て、何か訴えるように視線を自分の膝に移した。気持ち悪い物を見るような目付きで、豊は自分の膝を凝視した。彼女の膝には夏蜜柑の皮ほどの大きさの何か得体の知れないものがくっついていて、血で赤く染まっており、また厠の床や壁至る所に血痕が飛び散っているのも見えた。

「うわ戦場じゃ!!こん厠な内裏雛ん山城んなっとる。誰と誰か?平氏と源氏ばい。いんや犬と猿のごちそうさん、ひょっとことあんぽんたんどういうこっちゃ?お白州じ折檻かぬ膝かぬ、膝かぬ…もううわ、こりゃひでぇ…おおそぅじゃ、お嬢さん、わしゃ医者ば呼んじきますけん!」玉造は脱兎の如く村医者の浮丘のところへ駆けて行った。

 玉造が浮丘を連れて屋敷に戻った時には、既に郡奉行の小堀吉右衛門夫妻が帰宅していて屋敷の中は大騒ぎになっていた。

「仁蔵んやつぁどけ行ったか?草の根分けてでん探し出せ!!」吉右衛門は眼を血走らせて配下の者たちを怒鳴りつけた。

 浮丘の姿を見ると、「豊ん膝についとる、人ん皮のごたるとはあら何か?はよ調べれ!!はよ剥がせ!!」鬼のような形相で声を荒げて診察と治療を命じた。

 浮丘は豊の膝を念入りに調べ、「奉行さん、豊お嬢さんなどこにも傷はありまっせんばい。こん膝についとる剥げた皮なお嬢さんのものではなく、別の何者かん膝の皮ですばい。あちこちん飛び散っとる血痕もそん何者かのものと思わるっですばい!!」

「何者かてあるかぬしゃ!!仁蔵のもんに決まっとろうがあ!」吉右衛門は大声で喚いた。「…それんしてん豊の身に何もなかったこつは、不幸中の幸いじゃった…」

「お、お奉行様、お嬢さんの膝の皮と坊ちゃんの膝の皮ん切れ端らしきもんな、そこにある南蛮渡来の糊でくっつけられちょるごたるです。だけんが無理にひっ剥がそうとすっとしゃがな、お嬢さんの膝に傷がついてしまう恐れがあっとです…。ええと…こるば剥がすにゃ、皮と皮の間さん油ば染み込ませながら、ゆっくりと行う必要があっごたるとです。どうかお奉行様、ご家来衆に命じて、ひとつ油ば持っち来させてなくだはりまっせ」

 浮丘は運び込まれた大きな油壷に綿を浸すと、皮と皮の隙間に少しずつ油を染み込ませて、豊の膝から仁蔵の皮膚片を丁寧に剥がしていった。半刻ほどの時をかけてやっと浮丘は豊の膝を損傷することなく、仁蔵の皮膚片を全て剥がすことに成功した。

 吉右衛門厳しい顔をしてはその場に居合わせた者たちに申し渡した。

「皆の者よかか!!こんこつは一切他言無用ぞ。こげんこつがもし世間に知れどんしたならば、こん小堀家な、そるこそ末代までん笑い者になる。ぬしらもしちとでん人に漏らすようなこつがあったなら、命はないと思え!よかか、ちとでんだぞ!!」

 玉造の話を聞き終わって、丈八と勘吉は呆れたように顔を見合わせた。「仁蔵のやつな、ほら例の言いよったこつば、本当にやらかしたわけじゃな…。やつは自分の膝ん皮ととよの膝ん皮のどっちが頑丈かか試そうて思うちかる、互いの膝ば南蛮糊でくっつけて剥げんごつして、そいでもっちかる無理に引っ剥がしたつばいた」丈八は確信するようにクスクス笑った。

「そうすっとあん馬鹿の皮な、ベロ~~~ンてひん剥けたっじゃな…」勘吉は快心の笑みで嘲った。「けっ、けけけっ…ちんちんばおっ勃てながら膝ば力一杯剥がしたら、ベロ~~~ンベベロロ~~~ンち自分の皮ん引っやぶれちかる、とよの丸太んごつ太か膝さんぶらぶらぶら~んちみっとものうぶら下がったつばいた、へへっ…、そんでもって、もう…うわはははははははあああああーーーーーーーっ!!」

 玉造は懐から小さな紙包みを取り出して二人に見せた。「ほ…こるがそん時の坊ちゃんの剥けなすった膝ん皮ばい。こるも一緒に捨てに行くとぞ」玉造は自慢気に言った。

 丈八は包みを玉造の手からひったくって中から膝の皮をつまみ出し、しげしげとそれを眺めた。

「なあ、玉造さん…こるは貰うとく。おっどんが捨てといちやるけんが、心配せんちゃよか」

「あ、いかんっ…!!待ち、こら、糞バカきゃあ糞返さんかっ!」

 二人は仁蔵の膝の皮を持って一目散に逃げ出した。玉造は必死に後を追いかけようとしたが、脚の悪い彼が俊足の若者たちに追いつけるはずもなく、前のめりにつんのめって、背中に背負った壷の油を頭からびっしょりと引っ被ってしまった。

「玉造さん、教えてくれてありがっとさーん!!」二人は、そう言うと、ゲラゲラ笑いながら走り去って行った。

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