第14話 ファースト・フライト #2

幡谷が先行していたヤゼンに追いつくと二機のMiG-21はかなり間隔をあけて編隊を組んだ。編隊を組む戦闘機同士の間隔は、そのままそれぞれの技量と信頼度の表れただ。残念ながら、幡谷とヤゼンはまだお互いの実力をよく知らなかったし、その上幡谷は今日がMiG-21での初飛行。一緒に飛ぶヤゼンとしては万が一を考え間隔は大きく取らざるを得なかった。幡谷が安定して水平飛行していることを確認したヤゼンはようやく自機を幡谷の方に近づけてきた。

 『フラッグ、どうだ?』

 無線機からヤゼンの抑揚の少ない声が聞こえてきた。ちなみに、MiG-21の無線機はオリジナルでは無く中国製の最新型が搭載されている。純正品でないことへの不安はあるが、二十一世紀の製品らしく音声は非常にクリアだった。

 「学生時代の練習機を思い出したよ。自分の操縦がダイレクトに翼を動かす感覚は久しぶりだ」

 『F-2は電子制御の航空機だったな。俺は時代遅れの機械式の航空機にしか乗ったことがないからよくわからん』

 「ヤゼンはイラクでMiG-21に乗っていたのか?」

 『それとMiG-23だ。両方ともいい機体だった。アメリカ軍には手も足も出なかったが」

 ヤゼンの声のトーンが少し落ちたように幡谷には感じた。

 「さてフラッグ、俺はアドバイスできても教官はできない。好きなように飛ぶといい。何かあったら無線で知らせろ。道に迷ったら飛行場まで送ってやる』

 「了解、そうさせてもらう」

 『万が一、位置を見失ったら北東に向かって飛べ。陸地にぶつかったら南下すれば最南端にイシュウがある。だがあまり北に行くな。半島の付け根から先は敵地だ』

 「ここがラクーシの海、エモン帝国があるひし形の半島は大陸と北でつながっている。その北側が敵のシーワ連合。半島の海を挟んで東に別の帝国のヤックルト共和国? 問題ない。地形は頭に叩き込んである」

 『そうか。北のシーワ連合には第一世代戦闘機のF-86を装備した部隊がいる。東のヤックルトにも未確認だがおり全金属製の大型爆撃機も存在しているらしい。骨董品の複葉機ばかりと思って油断すると命取りになる。では30分後にこの地点で合流だ』

 「了解。フラッグ、ブレイク」

 幡谷は操縦桿を倒し、ヤゼン機から距離を取った。十分離れたところで水平飛行に戻り、訓練手順を確認する。ブランブルにはMiG-21の教官はいない。自分で訓練方法を考え出す必要があった幡谷は自衛隊で行なっていた訓練をベースにオリジナルメニューを考えていた。まず機体の感触を知るため上昇、下降、旋回といった基本的な空中操作を試す。操縦桿を右に倒すとその動きが金属製のワイヤを伝い、ギアやアクチュエーターで増幅され主翼後に付けられたエルロンという可動部分を動かす。エルロンが動いたことによって空力バランスが変わり機体は右に向かってロールを始めた。四十五くらい傾いたところで操縦桿を戻し、今度は左に向かって同じ動作を繰り返す。

 「案外、悪くないな」

 MiG-21の操作性は幡谷が思っていたよりもはるかに素直だった。むしろ、想像よりもずっといい。自衛隊時代、MiG-21と同じ第二世代のF-104戦闘機を操縦していた先輩パイロットからいかにF-104が扱いにくい機体だったかを聞いたことがある幡谷には意外だった。第二世代戦闘機は速度は出るが機敏な動きはできないというイメージだったが、MiG-21は格闘戦機に近い操縦感覚だった。幡谷はMiG-21の機動性の限界について思い出していた。

 「G限界は5G、ほぼクリーンな状態で耐艦装備形態のF-2並。時代を考えれば悪くない性能だよな」

 F-2は最大9Gまで負荷をかけることができるが、それは空対空ミサイルだけを装備したような身軽な時の話で、重たい対艦ミサイルを四本搭載した場合は5Gもかけることができない。MiG-21の荷重限界は空対空ミサイルと増槽一本の状態で5Gとマニュアルに書いてあったので、フル装備のF-2とほぼ同じ感覚で操縦すればいいということになる。

 それからしばらく、幡谷は上昇や旋回などを繰り返し感覚をつかんでいった。

 「悪くないな……次は戦闘機動を試してみるか。エルロンロール、ナウ」

 エルロンロールはエルロン(主翼の後縁部分にある補助翼)を操作し機体をその場で三六〇度回転させる技だ。幡谷は機首を少しだけ上げ、操縦桿を左に倒した。天地がぐるりと入れ替わりはじめる。回転によって機体が背面飛行になる。その瞬間、揚力を失った機体の高度がガクッと落ちる。幡谷は三六〇度の回転が終わる直後に操縦桿を元に戻そうとした。しかし機体の回転が想像以上に早く、慣性で二回転目が始まってしまった。

 「ん!?」

 中途半端に舵を戻すのは危険だと考え、幡谷は操縦桿を倒し続けた。背面飛行になった瞬間、もう一度高度が落ちる。座席に固定された幡谷の体がハーネスで締め付けられるがその衝撃に惑わされることなく冷静にタイミングを見計らい、今度は二七〇度を少し過ぎたあたりで操縦桿を元に戻す。一回転する前にエルロンが元の位置に戻り、機体は三百五十度くらい回転した位置で止まった。幡谷は機体を水平に戻すと、操縦桿を手前に倒し高度一万五千フィート(約四六〇〇メートル)に戻った。

 「いい反応だ。これなら空中戦も十分にできる。さすが戦闘機。こうでないとな」

 それから幡谷は高度を落とさないよう注意しながら何度かエルロン・ロールを繰り返しぴったり三六〇度回転しかつ最初に上げる機首の角度を調整することで高度をほとんど落とさないコツを掴んだ。計器板のストップウォッチを確認すると既に二十分ほどが経過している。訓練に使用できるのは後二十分しかない。

 「次はループ試す」

 ループは文字通り空中で一回転の宙返りをする技術だ。宙返りは簡単なようでパイロットの実力が如実に表れる技だ。戦闘機は空中での姿勢で空力的なバランスが変わり、同じ操作でも機体の動きは異なるものになる。操縦桿を一定に倒したままループを行うと、円を描く機体の位置に応じて重力の方向や速度の変化が発生しいびつな円ができる。最近のコンピュータ制御の機体なら、機械が逐次機体の姿勢や重力方向、速度なんどをセンサーで検知し最適化された動きを機体に取らせるためパイロットは何も考えずに操縦桿を引けば綺麗な宙返りができるのだ、MiG-21のような旧式機の場合パイロットが回転しながら操縦桿を倒したり起こしたりし微調整をしなければ綺麗な円を描くことはできない。

 幡谷はとりあえず一度回ってみようとスロットルをアフターバーナー手前まで上げ、機体を加速させると操縦桿を手前に引いた。機体がぐんぐんと上昇し、内海と空を隔てる水平線が視界の下方に消え、真っ青な空だけが目の前に広がった。機体は角度をつけていき、垂直になる。視界の隅で太陽が正面右上に来ていた。幡谷の体に強烈なGを心地よく感じつつそのまま操縦桿を握り続けると、やがて背面飛行になり、それから垂直に降下を始めついには水平の元の位置に戻った。

 「感覚的にダメだな、今のは。……こちらデルタ・スリー、デルタ・ツーのヤゼン、応答を?」

 『ああ』

 間髪入れずヤゼンが返答した。

 「これからループを行う。できれば外から見ていてほしいんだが」

 『了解だ』

 後方から現れたヤゼンのMiG-21が幡谷の横に並ぶ。

 「サンキュー。ループ、ナウ」

 それから幡谷はヤゼンに観察してもらいながら三度ほどループを繰り返し何度か満足できる形で回ることができた。

 『いいセンスだな。わずか数回で機体をものにしている』

 「本職のミグ乗りに言ってもらえると自信になる。最後にスプリット・エスを行う」

 スプリット・エスは高度を落として素早く一八〇度後ろを振り向く技術だ。急激に高度を失うので敵機から逃げる際にも使える。

 『了解。俺は少し離れている。海面には注意しろ』

 「ああ。フラッグ、スプリット・エス、ナウ」

 幡谷は推力をアフターバーナー手前に維持したまま、機体を一八〇度ロールさせる。水平線がぐるっと回転し、海が上に、空が下になった。機体が背面飛行になった時、幡谷は操縦桿を思いっきり引くと機体は海面に向けて垂直に降下を始めた。機体には限界近い5Gがかかり、高度計の表示が勢いよく下がっていく。操縦桿を引き続けるとやがて機体は水平に戻った。進行方向は今までと反対側、ちょうどイシュウ飛行場の方を向いている。ストップウォッチを見ると三十五分が経過していた。そろそろ帰投した方がいい。

 「そろそろ燃料がなくなってきた。残念だがイシュウ飛行場に帰投する」

 『了解だ。初めてにしては悪くなかった。これよりトーピク島の上空経由で飛行場に……待て、方位〇三〇、行動一五〇、アンノウンだ。いや、あれはF-16か?』

 幡谷もヤゼンが言った方向に目を向ける。空の青に混じって灰色の小さな点があった。

 『ようヤゼン。フラッグの坊やははいはいできたか?』

 突然、聞き覚えのある棘のある声だが無線から響いた。

 『ティモシーなぜ空にいる?』

 ヤゼンはさほど驚かず冷静に突然現れたアメリカ人に尋ねた。

 『なあに、ダイアパー(おしめ)野郎が俺の相棒にふさわしいか試してやろうと思ってな。おい、ひよっこ、俺が手合わせしてやる。かかってこい』

 『無茶を言うな。フラッグは今日が初飛行だ。お前と空中戦ができるわけがない』

 「いや、やってやる」

 幡谷は二人の会話に割り込み無線に向かって吠えた。

 『フラッグ、無茶はするな。初日から空中戦は無理だ。失敗すれば機体も命も失うことになる。勇敢と無謀を履き違えるな。ティモシーも新人相手に何をイラついている』

 「いいやヤゼン。俺はここに戦いにきたんだ。相手と場所は選ばない」

 『いい度胸だ。てめえの噂がただの法螺話だって証明してやる。ヤゼン、少し離れていな』

 『まったく。二人とも無茶はするな』

 そういうとヤゼンは幡谷機から左側に緩やかに離れていった。

 『よしフラッグ、ヘッドオンで互いの機体をパスしたら模擬戦開始だ。相手をガンの照準に捉えた方が勝ち、それでいいな?』

 まるで教官のような口調でティモシーが言った。

 「ああ、それでいい。吠え面をかかせてやる」

 幡谷は方位〇三〇に合わせ、高度一万五千メートルまで上昇した。これで幡谷機とティモシー機は同じ高度で正面を向き合ったことになる。距離は十マイル(約一六キロメートル)を切っている。

 フラッグはティモシーのF-16を正面に捉えた。

 F-16は当時アメリカを苦しめていたMiG-21への対抗できる機体として開発されている。ほぼ全ての速度と高度領域でF-16はMiG-21に勝り、エンジン、レーダー、電子機器やキャノピーの視界、何もかもF-16の方が優れている。だが、MiG-21の方が機体が小型だ。今回の模擬戦は機関砲の射程に相手を捉えれば勝ちなので機体の小型さを活かせば勝機はある、そう幡谷は考えていた。幡谷は負けるつもりはなかった。空の上では自分の勝利を信じられないものから死んでいくのだ。

  MiG-21の狭いコクピットの中からティモシーのF-16がはっきりと見えた。お互いに音速に近いマッハ〇.八程度で飛行しており、相対速度はマッハ二近い。十マイルあった距離もわずか数十秒でなくなり、二機の戦闘機が勢いよくすれ違った。

 その瞬間、幡谷は先ほど試したスプリット・エスの機動を取る。目まぐるしく相手との位置が変わる格闘戦ではレーダーで敵機の位置を見ている暇などない。自分の目で相手を追う必要がある。いくらF-16の視界が良好とはいえ真下に窓はついていない。幡谷の狙いは相手の下に潜り込み死角から機関砲の狙いをつけることだった。機体を降下させ進行方向を百八十度変えた幡谷は自分の予測位置にF-16を見つけようと狭いコクピットの中で目を走らせた。しかし青い空にはF-16の影らしいものは一つも見当たらない。幡谷はすぐに機体を右に旋回させる。格闘戦時、のんびりと直進飛行を取ることは死を意味しているからだ。旋回をしながら、幡谷はティモシーがとったであろう機動を頭の中で必死に計算をし、さらに首を動かして周囲を見渡した。

 (ヤツも降下したのか? それなら正面にいるはず……まさかさらに下に? クソ、一度加速して距離を取るか)

 幡谷はアフターバーナーを入れようとして一瞬躊躇してしまった。既に燃料は残りわずかしかなく、燃料消費の激しいアフターバーナーを使えば飛行場に戻れなくなる可能性があった。その迷いが勝負を決めた。

 『スプラッシュ』

 無線を通じてティモシーの低い声が聞こえた。スプラッシュ、つまり「お前を撃墜した」という合図だ。慌てて後ろを振り向くと、両翼端からわざとらしく白いベイパーを引きながら上昇していくF-16が見えた。気がつかないうちに背後を取られていたらしい。

 『つまらん。期待ハズレだ。オムツどころかベビーベッドの中だったな』

 ティモシーの声にありありと失望が浮かんでいた。幡谷は何か言い返したかったが、実際に手も足も出なかったことは事実なので何も言えない。

 『フラッグ、お前の燃料は残り少ないはずだ。すぐに基地に帰投しろ』

 遠くで二人の戦いを見ていたヤゼンから通信が入る。

 『ティモシーはうちのエースだ。初めてにしてはよくやったほうだ』

 「一瞬で敵機を見失い、そのままやられた。クッソ、俺は」

 『リベンジは次にしろ。飛行場に戻らなければ海に落ちるぞ? それとも海水で頭を冷やしたいのか』

 「……これよりイシュウ飛行場に戻る」

 幡谷は機首を飛行場に向けた。その横に寄り添うようにヤゼンのMiG-21が並ぶ。ティモシー機はすでに北のほうに消えてしまっていた。訓練かパトロールの途中でたまたま幡谷たちを見つけて襲いかかってきたらしい。

 (次は必ず勝つ)

 幡谷はMiG-21の操縦桿を強く握りしめティモシー機が消えて方向を見ながら心に誓った。

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