第11話 イシュウ飛行場 #2
小瀬に促されるまま、幡谷は建物に入った。自衛隊や海外の軍事基地でよく見かけるタイプの建物で、太い柱が比較的短い間隔で並ぶ無骨なコンクリート造りの低層ビルだった。日本の古い学校に似ている。入口のすぐの近くにパイロットの待機所があった。
待機所は警戒待機任務に就くパイロットが待機する場所で、通常は格納庫近くに設置されている。警戒待機任務はアラート任務とも呼ばれ、緊急時にすぐに飛び立てるように待機する任務だ。航空自衛隊では各基地に二十四時間体制で警戒待機任務に就くパイロットがおり、領空侵犯のおそれがあればすぐに飛行機に飛び乗りスクランブル(緊急)発進している。幡谷も航空自衛隊時代に警戒待機任務に就くことがあり、実際に領空に接近したロシア機に対してスクランブルしたこともあった。
待機室は三十人くらいが入れそうな広さがあり、座り心地の良さそうな革張りのソファ、木製のローテーブル、壁には大型のディスプレイがあり、その横のラックには映画のDVDや雑誌、ボードゲームなどが置かれていた。警戒待機任務に就くパイロットはいつでも出撃できるように耐Gスーツを着たまま待機室に入るが、精神的にはリラックスできるよう様々なレクリエーションが用意されている。
部屋の中には七人の男性がいた。そのうちの二名、見るからに欧米人らいし白人は耐Gスーツを着ている。警戒任務についているパイロット達だろう。他には二人の中東系、一人のアメリカ人っぽい白人、中年の中国か日本人らしいアジア系と東南アジア系の青年が一人ずついた。欧米系らしい二人以外は作業着やジーンズにシャツといった平服姿だったが、その立ち振る舞いからパイロットだろうと幡谷は感じていた。
小瀬と幡谷が部屋に入ると、中にいた男たちが一斉に入り口に注意を向けた。好奇心、値踏みするような鋭い視線、そしてわずかだが敵意も感じる。幡谷はそれらの視線にひるみそうになったが、腹に力を込めて部屋の中へさらに一歩踏み込んだ。
幡谷に一歩前を行かれた小瀬は後ろから新人の肩を叩いた。
「みんな、こいつが新入社員のフラッグだ。ハニートラップに引っかかって戦闘機を下された間抜けだが、操縦の腕は悪くない。F-16でラプター二機を落とした凄腕だ。フラッグ、こいつらがウチのパイロットだ。仲良くやってくれ」
「ありがとうございます小瀬さん。幡谷翔です。よろしくお願いします」
幡谷は取りあえず、荷物を床に置くと姿勢を正して敬礼し、英語で挨拶した。部屋の中にいる七人のパイロットは、幡谷の敬礼を見てしんと静まり返る。何の反応も無い。幡谷が少し困惑しながら敬礼を解き、そのまま立っていると、いかにもアメリカ人といったチェックのシャツにダメージジーンズを履き、踏ん反り返るようにソファに座っていた白人が小馬鹿にするように笑った。
「はっ、クソ真面目だな。ここは学校出たてのひよっこが来る場所じゃないぞ」
チェックシャツの男は三十前半くらいだが、髪の毛はだいぶ後退しており脂で光る額が目立った。自衛隊でも配属された部隊で手荒い歓迎を受けることはあるが、チェックシャツの口調には明らかな敵意があった。幡谷は男の襟元を見て、そこに階級章が無いことを確認する。ここは軍隊では無い。先輩は尊敬されるべきだろうが、実力がものをいう世界だ。なら舐められっぱなしでいいわけがない。
「俺が未来のあるひよっこなら、あんたは毛を毟られたフライドチキンか」
「何?」
「頭が寒いのならいつでも言ってくれ。ちょどうケツの毛が余ってる。クソをした後にお前の頭に移植してやる」
「へっ、いうじゃねか。ならその自慢のケツ毛を一本残らずむしり取ってやる」
チャックシャツの男が拳を握り締めながらソファから立ち上がる。幡谷も両足を軽く開き格闘の構えを見せる。そんな二人を見ていた小瀬が鋭い声を上げた。
「二人とよせ。会社はお前たちに安くない給料を払っているんだ。くだらない喧嘩で会社の戦力を減らさないでくれ」
「けっ、こんなひよっこが俺の新しい相棒とはな。小瀬さんよ、言っておくが俺は日本人と飛ぶ気はないからな」
チェックシャツの男とは幡谷を睨めつけると、そのまま部屋の外に出て行った。その後ろ姿を見送った後で幡谷は小瀬の方に顔をむけた。
「彼は? 苛立っているようでしたが何か?」
「彼はマーク・ウッド。タッグネームは「ティモシー」で元アメリカ空軍のパイロットだ。ウチのエースで、操縦技術はずば抜けている。ただ、前の戦争で祖父を失ったらしくてね。それで私や君のような日本人を恨んでいるんだ」
「この会社は日本人である小瀬さんが経営しているのではないのですか?」
「共同経営者が後二人いる。アメリカ人と中国人だ。ティモシーはアメリカ人の経営者が連れてきたパイロットだよ」
「自分は彼の僚機になるのですか?」
「その予定だ。なに、フラッグの実力を見せればティモシーも納得するさ。さて、パイロットは他にもいるぞ。パンサー!」
小瀬に呼ばれ、東南アジア系の青年が掛け声をかけ大げさな動作でソファから立ち上がった。浅黒い肌を明るいグレーの作業着を着たその青年は幡谷より年下の二十代半ばくらいに見えた。青年は人懐っこそうな笑顔を幡谷に向け手を差しだした。
「俺はサーラット・パンぺーン。タイ出身だ。ここではグリペンのパイロットをしている。タックネームは「パンサー」だ。よろしくな、フラッグ」
「ああ、よろしく」
幡谷はパンサーの手を握り返す。細身だが力強いパイロットの手だった。
「パンサーはタイ空軍からグリペンをもって参加してくれた。グリペンの高性能なレーダーにはいつも助けられている」
その小瀬の言葉にパンサーは不満をあらわにした。
「社長、いつになったら俺を前線に出してくれるんですか? 毎回、毎回、後方で監視と管制だけなんて」
「君の機体のレーダーが一番高性能なのだから仕方がない。前線に出ずに給料も同じ、何が不満だ?」
「俺は空中戦がしたくて戦闘機を盗んで傭兵になったんです。早く空中早期警戒機(AEW)でも用意してください。戦闘機には戦闘をさせましょう」
「パンサー、それは無理な話だ」
そう言ったのは薄いブルーの軍服を着崩した小柄な東アジア系の中年男性だった。着ている服のボタンは人民解放軍空軍の物だったので、おそらく中国人だろう。
「いくら中国のブラックマーケットでも中古のAEWは出回ってない。高性能なレーダーは中々出回らないし、あったとしても価格も恐ろしく高い。ところでどうだ、君のグリペンを私に売らないか? 今なら三千万ドル出す。 おまけでフル装備のMiG-21をつけよう」
「それは遠慮しておきます。死ぬときは愛機でとて決めてますから」
パンサーはわざとらしく肩をすくめると、中国人の男性から視線を外し幡谷に対してウインクをした。
「まあフラッグ、僕たちは年も近いようだから仲良くしていこう。あのティモシーと仲たがいしたら、俺たちでペアを組んで前線に行こうぜ」
「あ、ああよろしく頼む」
幡谷は少し熱っぽいパンサーの視線に怯み、先ほどまで胸の奥で燃え上がろうとしていたチェックシャツの男への怒りはいつの間にかどこかに消えていた。
「さてフラッグ、私のことはバンカーと呼んでくれ。この会社のパイロット兼CFO(最高財務責任者)だ」
先ほどの中年男性が幡谷に話しかけてきた。
「幡谷です。よろしくお願いします」
「噂は聞いてるよ。腕のいいパイロットは大歓迎だ。私もとっとと現役を引退したいのに人手不足でしょっちゅう小瀬に狩りだされる」
「彼がうちの会社の三人の経営者の一人だ。腕のいい武器商人でうちが使っている飛行機は、全てバンカーが手配したものだ。元人民解放軍空軍のパイロットで、銀行家というユニークな経歴の持ち主でもある」
小瀬がバンカーについて補足をする。
「それでバンカー(銀行)なんですね」
「机に座って札束の数を数えるのが苦痛でね。空が忘れられなかったんだ。それで銀行の金を借りて小瀬とこちらに会社を立ち上げたのさ」
こちら、という単語が幡谷の頭に引っかかった。こちらがこちらということは、あちらは日本を指しているのだろうか。小瀬とバンカーは古い知り合いらしい。
「この会社を作れたのはバンカーのお陰だ。設立資金はもとより彼の調達ルートを使って戦闘機、エンジン、車両、銃火器、医療品、あらゆるものが手に入る。君のF-16も彼が用意したんだ」
「F-16を、戦闘機を調達、ですか?」
「無理だと思うかね? 世の中には何でも買える裏マーケットがあるのだよ。何か欲しいもがあればいつでも言ってくれ。金さえ払えば大抵のものは買える。といっても最新鋭のレーダー難しいがね」
バンカーが自慢気に胸を張り、その横でパンサーが残念と両手を広げる。
「もっとも、中国がリバースエンジニアリングした機体だからまだ満足に動かせないがね。どんがらはしっかりしている。電装系は高品質な物に入れ替えたし、エンジンも今中東から陸路で運んでいる。二ヶ月もすれば到着する。そうすれば残りの機体も飛べるようになるはずだ」
中東から二ヶ月、ということは、ここはアフリカかアジアのどこかなのだろうか。
「助かる。格闘戦能力に優れたF-16が揃えばしばらくは安泰だ。もう戦死者を出さずに済む」
戦死者、その小瀬の言葉に幡谷は冷たい汗が背中を流れるのを感じた。
「そうなるといいね。私も死亡手当に頭を悩まされずに済む。さて、フラッグ、私は事務仕事があるのでこれで失礼するよ。パンサー、この前の現地パイロットの教育プログラムの件を話したい。時間はあるかな」
「もちろんですよ! その代わり約束のミサイルを忘れないでくださいよ! 中国製じゃなくて、アメリカ製のヤツを。それじゃあな、フラッグ」
パンサーとバンカーは並んで部屋から出て行った。さらにもう二人、部屋から出て行こうとする男たちがいた。パイロットスーツを着た二人の白人男性だ。黙ってその場から去ろうとする二人を小瀬が引き留め、二人のうち、大柄な男がしぶしぶと幡谷の方を向いた。大柄な男はいきなりゲップをし、強烈なアルコールの匂いが幡谷の鼻をついた。
「よお、新入り。俺はアニュコフ、こっちはミュラー。Su-25に乗ってる」
幡谷はアルコールの匂いにま眉を顰める。
「よろしく、アニュコフ、そしてミュラー?」
アニュコフの隣に立つミュラーは、年齢は二十代後半くらいだったが、無口で無表情だった。
「……」
ただ不愛想なだけらしく、ミュラーと呼ばれた男は幡谷に向かって頷いて返す。
「悪いなこいつは空の上じゃないとしゃべれないんだ。地上の一気圧が重すぎるんだと」
「なるほど?」
「まあ、そういうわけだ」
手をひらひらとさせて待機場を出て行こうとするアニュコフと、無言でそれに続くミュラーの二人を小瀬が呼び止めた。
「どこへ行くんだ? 君たちはアラート待機中のはずではないのか?」
「地上波退屈何で空中待機にしますわ。酒が切れそうなんでね、空に上がって気を紛らわせたい」
「勝手な事を」
そう言う小瀬は苦笑していた。アラート待機は敵の急襲に備える大切な役割で、基地全体の安全にもかかわる重要な任務だ。ジェット航空機は一分間で十キロ以上の距離を進める。出撃が遅れれば遅れるほど、敵機は自国深くまで侵入することができる。敵機を探知してからいかに素早く迎撃機を離陸させられるかが重要なのだ。それなのに、アラート待機についているパイロットが暇つぶしに空を飛ぶという。無茶苦茶な話だ。だが社長である小瀬がそれを咎める気配はない。アニュコフが上着のポケットからスキットルを取り出すと、ふたを開けて一口飲み、それからしまりのない笑顔を幡谷に向ける。
「新入り、心配するな。敵機が来れば国境沿いのレーダーが見つけるし、最初に迎撃に上がるのは地元のパイロット達だ。俺たちじゃない。ゲップ、アラート待機だって、俺たちと整備員がダレ無いように設定しているだけさ」
「アニュコフ。一応、ジェット戦闘機をいつでも飛べる状態にしておくと帝国との契約に書かれているんだが?」
「レーダーに不審な反応があったから確認のため飛んだ、そういうことにしておいてください。どうせ現地の連中にレーダーなんて理解できないんですから。じゃあ行ってきますわ、ゲップ。行こうぜミュラー」
そういうとアニュコフは酒臭いゲップをしながら豪快にブーツを鳴らし部屋から出ていき、ミュラーもその後ろに続いた。その後ろ姿を見送りながら小瀬が少しトーンを抑えて言った。
「先月まで、Su-25の攻撃機部隊は四人いた。敵は複葉機ばかりだったからな。それがF-86が現れて一度に二人やられた」
「戦死、ですか」
「業務上の事故死扱いになるがな。アニュコフの古い友人もその内の一人だ。それ以来やつの酒は途切れなくなってな。ミュラーに監視をしてもらっているから心配はいらないが」
「……」
「君も精神には気を付けてくれ。長くウチで活躍してくれることを願っているぞ。さて、のこりは二人だな」
部屋に残っているパイロットは二人。本を見ながら黙々と一人でチェスをしている中東系の男性、そして、その横で英語の雑誌を読む中東系の青年だ。雑誌を読んでいた青年が幡谷を見ると指を立てて口に当てた。
黙っていろという合図だと理解した幡谷は、無言のまま二人の方に近付いた。
チェスをしている中東系の男性は冷ややかな目で盤面を見ていた。それから中東系の男性は「ふむ」と呟くと、躊躇なくルークを動かしナイトの駒を取る。それから本のページをめくり、そこに書かれている内容を確認すると「ふむ」と満足そうに頷いた。どうやら詰将棋的なものをしていたらしい。そこで集中途切れたのか、中東系の男性は盤面から顔を上げると初めて幡谷の顔を見た。
「噂の日本人か」
男は立ち上がると幡谷に向かって手を差し出してきた。
「俺はヤゼン・シャラーフ・ラッザンだ。TACネームはない。ヤゼンと呼んでくれ」
ヤゼンと名乗った男の身長は一八〇以上ありそうで、手入れのされた口ひげが特徴的だった。
「よろしく。俺はフラッグだ。ヤゼンも戦闘機のパイロットなのか」
「ああ。俺はMiG-21に乗っている。元イラクのパイロットだ」
「イラク?」
幡谷にとってイラク軍は遠い存在だった。欧米のパイロットやアジアのパイロットとは国際合同演習で一緒に飛ぶことはあったが、イラク人と飛んだ経験はない。
「ちなみに僕はヤゼンの弟のザインです。よろしくお願いします」
横で雑誌を読んでいた中東系の青年がヤゼンに続いて幡谷と握手をした。言われてみれば二人はどこか面影が似ている。
「君もイラク空軍の出身?」
「ええ。でも新生イラク空軍は待遇があまり良くないんですよ。軍人相手のテロもありますし。それでわざわざこっちの世界まで出稼ぎにきてるんです。向こうではF-16に乗っていましたが、フラッグと同じでF-16の修理待ち。今は兄と同じMiG-21です。フラッグもあちらではバイパーのパイロットだったんですか?」
「いや、俺はF-2乗りだ」
バイパーとはF-16の非公式な愛称だ。F-16の派生型であるF-2は、日本製ということでバイパーゼロと呼ばれたりもする。もっとも幡谷の周りでその名前を使うパイロットはいなかったが。
「バイパーの日本のバリエーションですよね。いい機体だと聞いています。フラッグさんの腕、期待していますよ」
そういうとイラク人の兄弟も部屋から出て行き、待機室に残っているのは幡谷と小瀬だけになっていた。
「ずいぶんと多国籍だな。イラク、アメリカ、ロシア、ドイツ、中国、タイ、それに日本か」
幡谷は昔読んだ戦闘機の傭兵モノを思い出した。あの漫画でも様々な国から集まったパイロット達が腕を競い合っていた。このブランブルもそんな場所なのだろう。
「楽しそうな職場だろ?」
そういう小瀬に幡谷は頷いて返した。
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