第10話 イシュウ飛行場 #1

 意識を失ってどれくらいの時間が経ったのか。


 幡谷はエンジンの音、舗装された道路の上を走る緩やかな振動、そして軍用車特有の無骨なクッションを背中に感じた。どうやら車の中で横になっているらしい。

 民間軍事会社ブランブルへの入社を決めた幡谷は、最短の日数で自衛隊を退官し、遺書代わりの手紙を家族に書き、指定された上海まで飛行機で飛び現地のホテルで小瀬と合流した。新しい「勤務地」は場所も行き方も最高機密だと言われ、機密保持のため睡眠薬を飲まされ意識を失い、今気が付いた。空腹具合と身体の感じから一日程度は経過しているようだった。

 幡谷が瞼を開けると目の前に青い空が広がっている。幡谷が慣れ親しんだ三沢の涼々とした空とも、思い出深いトロピカルなグアムの空とも、ビルとビルの間から見上げる重苦しい市ヶ谷の空とも違う。母方の実家がある長野の地方に似た、きれいな空だった。

 (ここはどこだ?)

 幡谷は考えた。

 (最後にいたのは上海。空の感じから判断するに、中国の内陸部にある農村だろうか。もしそうだとすれば、戦う相手は共産党か、あるいは共産党に抵抗する少数民族、ロシアかインドという可能性もあるか)

 何れにせよ、民間軍事会社の仕事だ。自衛隊にいた頃のように自分たちの正義を疑わずに済む戦場ではないだろう。

 遠くから航空機のエンジン音が聞こえ、航空燃料が燃える匂いが幡谷の鼻を刺激した。音はかなり低い位置から聞こえ、徐々に上空に向かって遠ざかって行く。航空機が離陸した音だ。

 (ここは飛行場か)

 幡谷は体を起こし周囲を確認すると予想通りそこは飛行場だった。滑走路、駐機スペース、かまぼこ型の格納庫、管制塔、パイロットだった幡谷にとっての日常風景だ。気になったのは設備に前時代的なものが多く、まるで第二次世界大戦かそれよりも前の時代のようだった。そうかと思えば、背の高い近代的な格納庫もある。空のエンジンの音に目を向けてみると、小さな複葉機の編隊が空を飛んでいた。遠目ではっきりとはわからなかったが、木製飛行機のようだ。深い青色に塗装された機体はどこかF-2を思い出させたが、翼に描かれた国マークは見たことのないものだった。そもそも航空自衛隊に複葉機はない。

 「目が覚めたか」

 助手席に座っていたスーツの小瀬が幡谷がいる後部座席を振り返った。

 「よく眠っていたな。気分はどうだ?」

 「悪くはないです。勤務地に着いたのですか」

 「そうだ。フラッグ、イシュウ空軍基地にようこそ」

 「イシュウ?」

 聞き覚えのない基地の名前だった。幡谷は頭の中で思い当たる地名や単語を思い浮かべたが、飛行場のあるような場所はヒットしなかった。あるいは「并州」の聞き間違いか。疑問を浮かべる幡谷の顔を見て、小瀬が愉快そうに笑った。

 「この飛行場の名前だ。エモン帝国の首都イシュウ近くにあるからイシュウ飛行場」

 「帝国?」

 聞きなれない単語に幡谷は首を傾げた。

 「エモン帝国だ。我々の雇い主だな。聞いたことのない国だろうが、詳しく知りたいのならあとで自分で調べてみるといい。基地のスタッフには英語を話せる現地の人間もいる」

 幡谷は納得できないまま、エンジン音につられ空を見上げた。上空を二機の複葉機が飛行している。第二次世界大戦前の複葉機に見え、プロペラの下部に見慣れないスリット状の空気取り入れ口が特徴的だった。

 「あれも会社の所有物なのですか?」

 「あれは帝国軍の機体だ。六式戦闘機という。アメリカのカーチスP-6の設計図を基にこちらの技術者が開発したものだ。安心しろ。君にはちゃんとジェット戦闘機を用意してある。渡したマニュアルは両方とも読んでいるな?」

 「はい。でもF-16はともかくMiG-21の操縦は経験がありません」

 数ヶ月前、入社を決めた幡谷に小瀬は二冊のマニュアルを手渡した。一冊はF-16戦闘機のもので、これは幡谷もアメリカに研修に行った際に操縦したことがあるのでさほど問題はなかった。もう一つはMiG-21だった。MiG-21はソ連が開発した航空機で、西側の国である日本出身の幡谷はアメリカの博物館でしか実機を見たことがなく操縦どころかコクピットに座ったこともない。

 「慣熟飛行の時間は与える。せっかく大金を雇ったパイロットにすぐに死なれては困るからな。本来ならF-16に乗ってもらうはずだったのだが、諸般の事情で修理中だ。それまではミグに乗ってこちらの空に慣れてほしい。日本とはあらゆるものが違う。学ぶことは多いはずだ」

 さっぱりと事情が呑み込めない。せめて仕事の内容だけは確認したい、そう思い幡谷は小瀬に質問した。

 「それで、自分は誰と戦えばいいのですか?」

 「気になるか?」

 「もちろんです。日本以外のために戦うのは初めてですから」

 「そうだな。我々の目的は金だ。国土や国民、秩序の維持、そんな崇高な使命とは無縁だ。我々の雇い主、エモン帝国は隣接するシーワ連合とヤックトル共和国から攻撃を受けている。最近シーワ連合がジェット戦闘機を導入した。旧式のF-86だが、こちらも主力がMiG-21だからな、あまり芳しい状況ではない」

 「F-86? セイバーですか? そんな骨董品が空を飛んでいる?」

F-86は第二次世界大戦直後にアメリカで開発されたジェット戦闘機の第一世代に当たる機体だ。朝鮮戦争などで活躍し、航空自衛隊の最初の主力戦闘機でもある。二十一世紀の現代からすると半世紀以上昔の機体で、日本では博物館や昔の記録映像でしか見ることはできない。

 「この辺りでは六式戦闘機のような複葉機が主力だ。我々の世界の一九二〇年代から三〇年代の技術だな。それに比べればF-86は圧倒的に有利だ。オーバーテクノロジーのジェット機からエモン帝国の複葉機を守ることが主な我々の仕事だ」

 その言葉を聞いて、幡谷は少しだけ安心した。搭乗するMiG-21はいわゆる要撃戦闘機で爆撃や対地攻撃を苦手としている。つまり戦う相手は航空機で、しかもこちらに向かってくる的を迎撃するための機体だ。こちらから別の国に侵略するのではなく、エモンという国を守るために戦うのであれば心理的な負担は少なくて済みそうだった。問題はここがどこかということだ。

 「小瀬さん、ここはどこなのですか?」

 「そうだな、鏡面世界、異世界、別次元、双子空間、色々と呼び方はあるが、我々もよくわかっていない。まあ、地球と地続きのどこかだと思ってくれ」

 幡谷は少しでもヒントを得ようとして周囲を見渡した。青い空、白い雲、空気は澄んでいるが、普通に呼吸ができるので地球のどこかという言葉に間違いはないのだろう。実は幡谷が知らないだけで、世界はもっと広かったのだろうか、そんなことを考えていると、ふと滑走路脇のハンガーの中に、見知った戦闘機が置かれていた。

 「あれは、グリペンですか」

 「そうだ。うちの会社で一番高性能な機体だな」

 JAS-39はスェーデンが開発した航空機で、世代的には四・五世代に分類される新鋭機で、小型だが高速道路からも離陸できたり整備が簡易だったりと使い勝手の良さが特徴の戦闘機だ。

 「どうせならMiG-21ではなくあれには乗らせてもらえませんか?」

 「残念だが専属のパイロットがいる。気のいいタイ人の若者だ。フラッグとは年齢も近いだろうから色々と教えてもらうといい。隣がMiG-21の格納庫だ」

 滑走路脇にはいくつも格納庫が並んでいる。シャッターは開いており中に二機ずつジェット機が駐機していた。MiG-21という旧ソ連製の旧式の戦闘機が六機、Su-25というこちらも旧ソ連製の攻撃機が二機、さきほどのグリペンを含めると九機の戦闘機があった。

 「あれ以外にも修理中のF-16が何機かある。ブランブルが保有する戦闘機は十六機、動くのは十くらいだ」

 「エモン帝国の空軍はどれくらいの戦力を持っているのですか」

 「戦闘機が二百機といったところだな。複葉機とはいえ、百機以上の編隊は見応えがあるぞ。まあ、その前に」

 格納庫群の横を通り過ぎた車は近くにあるコンクリート造りの建物の横に停車した。

 「うちのパイロット達に君を紹介しよう。連絡をしておいたから全員集まっているはずだ」

 そう言うと、小瀬は車から降り建物の中に向かった。幡谷は私物を詰めたオリーブドラブ色のボストンバックを肩にかけ、車から降りた。幡谷の足がコンクリートで舗装された大地を踏みしめる。それが、幡谷が「こちらの世界」へ足を踏み入れる第一歩だった。

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