第8話 異郷への道#2
グアムから日本に戻った翌日、幡谷は第3飛行隊の所属する第3航空団司令の魚形空将補に呼び出しを受けた。幡谷が所属する第3飛行隊は青森県にある三沢基地に所在しており、さらに第3飛行隊の上部組織として第3航空団があり、その第3航空団の指令官である魚形空将補は三沢基地司令も兼ねている。つまり、幡谷の上司でこの基地のトップだ。通常、ただのパイロットに過ぎない幡谷が司令官から直接呼出しを受けることはない。幡谷は何事かと疑問も感じたが、F-22を落としたことにお褒めの言葉でもいただけるのだろうと気楽な気分で司令官室に向かった。途中、廊下にF-35の模型か飾られているのを見て考えてを改める。幡谷が所属する三沢基地の第3飛行隊はF-2が最初に配備された部隊で、同じように最初のF-35部隊が作られる最有力候補地だった。近々、第3飛行隊内にF-35飛行隊準備班なる組織が立ち上がるとの噂も耳にしているし、内々にだが幡谷もF-35部隊への転属希望を出していた。グアムで戦果を挙げた直後に基地の司令に名指しで呼ばれたということは、新設されるF-35飛行隊への異動の件かもしれない。日本初の第五世代戦闘機部隊の話となれば基地司令がでてきてもおかしくはないだろう。
(俺もついにステルス機のパイロットか!)
高まる気持ちを抑えることに失敗し、幡谷の口元が緩む。百億円以上の戦闘機を操縦し、数千万から数億円のミサイルや爆弾を使い空で戦う、パイロットにとって強さは最高の名誉であるし、その強さを担保する最新鋭の戦闘機に乗れることは何よりの喜びであった。
広大な三沢基地の敷地には様々な建物があり、その内の一つに第3航空団のオフィスや司令官の部屋がある。自衛隊の建物はどこも似ており、頑丈なコンクリート製の学校のような作りになっている。節電で電灯が間引きされたため少し薄暗い廊下を進むと司令官室の前にたどり着く。そこにはちょっとしたオフィススペースがあり、副官や秘書の机が置かれている。廊下直結なので、冬は少し寒そうだった。幡谷が副官に来訪を告げると、副官の三佐は頬の緩みを我慢できない幡谷に冷たい視線を向けながら、内線で司令官と連絡を取った。
「司令、幡谷一尉が参りました。はい、部屋に通します。幡谷一尉、どうぞ」
「ありがとうございます」
幡谷は副官に礼を言ってから司令官室の扉をノックした。
「第三飛行隊所属、幡谷一尉、参りました」
「入れ」
部屋の中から、野太い魚形空将補の声が聞こえてきた。普段は訓示の時などにしか聞かないが、今日はいつもよりも力強いように感じる。むしろ少し怒っているような、そんな語勢の強さだ。もしかして時間を間違えていたのだろうか。
「失礼します」
少し疑問を感じながら幡谷が部屋に入ると、そこには魚形空将補の他に、幡谷の直接の上司である第三飛行隊長の木下二佐と、さらにその上司である飛行群司令の新田一佐がいた。命令系統でいえば、第三航空団の下に飛行群があり、さらにその下部組織に第三飛行隊がある。学校に例えるのなら生徒の幡谷が校長に呼び出されたら学年主任、担任もいたということか。魚形空将補は司令官の席で腕組みをしており、新田一佐と木下二左は神妙な面持ちで応接セットのソファに座っている。三人の上官はいずれも険しい表情をしており、特に直属の上司である木下は悲痛な顔をしている。そのただならぬ雰囲気に、空に舞い上がっていた幡谷の感情は地面すれすれまで急降下した。
「幡谷一尉か?」
魚形空将補が机の上に置かれた顔写真付きの履歴書のようなものと、隣に立っている飛行隊長の木下二佐を見た。木下は神妙な顔つきで「間違いありません」と頷く。
(様子がおかしいぞ?)
司令官室の雰囲気はとても幡谷の功績を称えるものでも、新設される飛行隊への配属を通知するような明るいものではなかった。むしろ、何かを糾弾するような感じだ。幡谷は時計を見て、ちょうど呼び出された時間であることを確認する。遅刻ではない。
「幡谷一尉」
重々しい声で魚形将補が口を開いた。
「先進技術実証機のことは知っているかね」
「……はい。技本が作っている次世代の戦闘機向けの先進技術をテストするための機体です。通称は神心と呼ばれているときいています」
技本とは技術研究本部の略で、新兵器を開発する自衛隊の研究機関だ。のちに防衛装備庁という組織の一部になった。先進実証機はF-2やF-15の後継機となる戦闘機のF-22やF-35のような第五世代戦闘機の実証実験をするための機体で、ステルス性や推力偏向装置を実際に作って飛ばしてデータを取るためのものだ。
(もしかして先進技術実証機のテストパイロットに選ばれたのか!?)
先進技術実証機の飛行試験は来年辺りから始まると聞いたことがあった。墜落すれすれだった幡谷は再び興奮した。F-35のパイロットになるよりも、一機しか作られない先進技術実証機のテストパイロットに選ばれる方がレアなことだし、何よりも先進技術実証機をベースに自衛隊の次世代戦闘機が開発されれば、「俺が育てた」と胸を張って言える。
「自分は、いつでも準備はできております」
「何を言っているんだ?」
思わず先走った幡谷に魚形将補が厳しい声を放つ。幡谷にはいまだに司令官室の重たい空気が理解できなかった。なぜ三人の上官は難しい顔をしていているのか。そもそもなぜ幡谷が基地司令に呼び出されたのか。
「君は、ここに呼ばれた理由を理解しているのか」
「はっ。最初はF-35飛行隊のパイロットに選ばれたのかと考えておりましたが、今は先進技術実証機のテストパイロットにご指名いただけるものと愚考しております」
「……おめでたい男だ。これを見たまえ」
そういって魚形将補は机の上に置かれていた履歴書のような書類の束を幡谷の方へ投げた。司令官の机は四人くらいで会議ができるくらいの大きさだったが、勢いよく投げられた書類の何枚かは机の縁から床に落ちていた。
幡谷は前に出て、床に落ちた書類を拾い上げる。そこには監視カメラの動画をプリントアウトしたような不鮮明な画像がいくつも写っていた。誰か、幡谷と同じくらいの背格好の男性が自衛隊の施設らしい建物に入っていく場面、同じ男がパソコンを操作する場面、そして施設から出ていく場面が少し粗めに拡大されて写っていた。幡谷は男が出ていった施設に見覚えがあった。
「これは、岐阜基地ですか?」
航空自衛隊の岐阜基地は飛行開発実験団が所在する基地で、日本の航空機メーカーの工場も近く新型機の実験を行っている基地だ。先進技術実証機も岐阜基地近くで製造されているはずで、完成した暁には岐阜基地から初飛行をすると思われた。
「そうだ。岐阜基地だ。そしてここに映っている男は君だ、幡谷一尉」
「はっ、はあ?」
幡谷は魚形司令の言葉が理解できず、もう一度写真を見た。右下に日付が書かれており、それは幡谷がグアムで国際演習に参加していた日付と一致する。
「お言葉ですが司令、自分はこの日はグアムでコープ・ノース・グアムに参加しておりました。そこにいらっしゃる木下飛行隊長も一緒におりましたので間違いありません」
「それは木下二佐から聞いた。たいそうな活躍だったそうだな」
「はい。アメリカの最新鋭機F-22を二機キルしました。自分の実力は航空自衛隊でも随一だと自負しております」
「空戦だけだは無く、身の回りを固めるべきだったな」
「はっ、はあ。申し訳ありません司令のおっしゃる意味がよくわからないのですが」
「先週の水曜日、君がグアムにいた頃のことだ。岐阜基地に幡谷一尉を名乗る男がやってきて飛行開発実験団の研究員に九九式空対空誘導弾について質問をした」
「司令、お言葉ですが、自分はその時グアムに」
「この動画を見たまえ」
そういって魚形将補がパソコンのディスプレイを幡谷にむけた。そこに映っていたのは岐阜基地の普通の会議室で、幡谷に少し似た航空自衛隊の制服を着た男が白衣を着た男、おそらく飛行開発実験団の研究員、と話している。しばらくして、幡谷に似た男はスタンガンのようなものを取り出すと白衣を着た男に押し当てる。白衣を着た男はその場に崩れ落ち、幡谷に似た男は倒れた男からカードキーを取り部屋の外に出る。カメラが切り替わり、別のエリアが映し出される。画面下には機密エリアとテロップが出ている。先ほどの幡谷に似た男が現れ、扉の前にあるカードリーダーに先ほど奪った身分証を掲げたあと、ゴム手袋のようなものをはめた右手を指紋認証装置に入れた。機密エリアの扉についたランプが赤から緑に変わる。ロックが解除されたのだ。幡谷に似た男は扉を開けて中に入っていった。
「この先は機密エリアなので監視カメラの映像は君には見せられない。何が起こったかだけ伝えよう。中に入ったこの男は気絶させた中山技官から奪ったIDと君の指紋を使って機密データベースにアクセス、先進技術実証機の全てのデータを盗み出した」
「先進技術実証機のデータをですか? どうして私のIDが使えたのでしょうか」
「君は既にF-35飛行隊準備班のメンバーとして内定していた。そのため、君のIDには高い機密情報にアクセスする権限が与えられていたのだ。中山技官はミサイルなどの誘導武器担当で先進技術実証機のデータにはアクセスできない。そこで、中山技官のIDで機密エリアに入り、君のIDと指紋で先進技術実証機のデータにアクセスしたのだ」
「それは……大変なことですね」
「やったのは君だぞ、幡谷一尉!」
魚形将補はその太い腕を机にたたきつけた。衝撃で机の上に置かれた茶碗が倒れ、中身の緑茶がこぼれる。しかし誰もそれを拭こうとはしない。幡谷も魚形の迫力に気圧されてしまい動けなかった。
「しかし、自分はグアムに」
「わかっている。だが、中山技官に電話でアポを取ったのも、岐阜基地に入ったのも、セキュリティーの生態認証を突破したのも全て君がしたことになっているのだ」
「幡谷一尉、この女性に見覚えはあるかな」
隣でじっとしていた飛行群司令の新田一佐が机の上に散らばっていた書類の中から一枚を取り出し幡谷に見せた。それは見覚えのある女性の写真だ。グアムで会った時よりも少し化粧が濃く、スーツも大人びたたものだったが、幡谷はそのスーツの下にあるスリムな身体やきめ細やかな肌をよく知っていた。
「これは、ジャパン・ウイングス誌の佐藤さんですよね」
しかし写真の下には佐藤とは別の、一見して中国人だとわかる漢字が並んでいた。幡谷の中で欠けていたパズルのピースが見つけ、幡谷の顔が真っ青になる。
「違う。彼女は王元竹。中国人民解放軍の情報将校だ。君は彼女とどういう関係なのかな」
新田一佐は穏やかにしかし鋭い眼光を幡谷に向けた。
「じ、自分は、雑誌の記者だと思って、その」
「何をしたんだ!」
魚形がもう一度机をたたく。お茶の入った茶碗は完全に倒れ、中身が机の上に広がった。
「はっ、一晩を共にしました」
それを聞いた新田一佐と木下二佐が頭を抱え、魚形空将補は怒りで血管を浮かび上がらせた。
「幡谷一尉、君は簡単なハニートラップに引っかかったんだ。それで君の指紋や声紋データを抜かれ、まんまと機密情報を盗まれた。我が国の最新技術をだぞ? これがどれほど深刻な事態か理解しているのか」
「申し訳ありません」
青ざめた幡谷は体を九十度曲げて司令官たちに謝罪をした。自衛隊の最新機密が幡谷のせいで中国に盗まれてしまったのだ。
「盗まれたデータの中には先進実証機が行なった様々な実験データが含まれている。技本の技術者の試行錯誤、その全てがだ。これは完成品のデータを盗まれるよりもはるかに深刻だ。この件については既に空幕が動き始めている。今後、君は全ての任務を解かれ市ヶ谷で取り調べを受けてもらう」
市ヶ谷は東京の地名で、防衛省の建物がある場所だ。谷とついているが場所的には小高い丘の上にあり、航空自衛隊の最上位部隊である航空幕僚幹部や防衛大臣の執務室もある。
「市ヶ谷への出向はどれくらいの期間でしょうか」
この時点でも、幡谷はまだ事態を軽く見ていた。確かに自分のIDや指紋がデータを盗むのに使われたが、幡谷自身にはアリバイはあるし、何よりも優秀なパイロットである自分が飛べなくなる事態はあり得ないと考えていた。F-35飛行隊への配属は遠のくかもしれないし、減給を喰らうかもしれない。自衛隊法では過失で情報を漏らしてしまった場合の罰則はどうなっていのたのか、幡谷はそんなことを考えていた。
「市ヶ谷への派遣は無期限だ。当然、君の飛行資格もはく奪する」
「!? そんな」
それはパイロットとしての幡谷にとって死刑宣告に等しかった。
「司令、自分はやっていません。確かに自分のデータを盗まれたのは私のミスですが、防衛秘密の漏洩を意図していたわけではありません」
「そんなことはわかっている。だが一度スパイの手に落ちた者に貴重な戦闘機を預けるわけにはいかんのだ」
「そんな……」
「残念だよ。君は将来の空自を担う人材の一人だと思っていたのだがね。後は木下二佐に任せる。必要な引継ぎを可及的速やかに終わらせ、幡谷一尉を市ヶ谷に送り出すように。以上だ」
「かしこまりました」
新田一佐と木下二佐が魚形将補に敬礼をする。幡谷も茫然自失しながら習慣で敬礼を司令官にし、二人の上官に続いて部屋を出た。
グアムの空で人生の絶頂を体験した幡谷だったが、どんよりとした青森の空の下でパイロット人生の突然の終焉を告げられるとは思ってもいなかった。
こうして、航空自衛隊のパイロットしての幡谷のキャリアが終わった。
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