第6話 国際合同演習「コープ・ノース・グアム」#6

 F-22を撃墜した勝利の余韻を味わう暇もなく幡谷の機体のレーダー警戒装置が鳴った。慌てて首を後ろに回すともう一機のF-22とそれを追うピーコングのF-2が見えた。


 『フラッグ、こっちはバンデッド・ツーと交戦中。あんたの六時の方向に行くよ』


 幡谷がバンデット・ワンと戦っている間に、ピーコングはもう一機のF-22の後ろについていた。F-22のパイロットも相当な実力者で、後ろを取られつつもロックオンまではさせず、さらに回避機動をしながら隊長機を落とされた報復をするべく、幡谷の後方に迫っていた。


 「俺が敵を引き付ける」

 『了解! あんたにばかりいい所は持っていかせない』

 「頼んだぞ!」


 幡谷は一瞬、バックミラーで敵機の位置と姿勢を確認すると機首を下げ急降下しながら五百ノットまで機体を加速させた。戦闘機が発揮できる機動性は高度と速度によって変わってくる。現在の戦っている位置は高度二万フィート(約六千メートル)で、この高度でF-2が最大の七G旋回を発揮するには五百ノット以上の速度が必要だった。昔、あるパイロットが空中戦はカードゲームと同じだと言っていた。手札は決まっている。あとはそれをいつどうやって使うか。高度を下げるのは手札を一枚捨てて手番をパスするのに似ている。戦力を失う代わりに次の一手のための準備をすることができる。

 敵機は幡谷のやや左上後方にいた。幡谷は機体を九十度左に傾け七Gの急旋回を行なった。旋回の半径が小さければ小さいほど、敵機を振りほどける可能性は高くなるが体にかかるGも大きくなる。しかし七Gでは体重の七倍の重さがパイロットの体にのしかかることになる。幡谷の全身の血液が足元に移動しようとし、それを身につけた耐Gスーツが押し戻そうとする。これで敵機が幡谷を見失ってくれればいいが、F-22もアメリカ軍のパイロットもそれほど甘くはない。F-22はすぐに左に旋回し、ぴったりと幡谷の後ろについてきた。すぐに幡谷は操縦桿を右に倒し、左右に揺れながら徐々に下降していった。戦闘機は旋回をするごとに速度を失ってしまう。幡谷は高度を下げることで旋回で失った速度を取り戻し、なんとか最大の機動性を発揮できる速度を維持していた。だが機動性で勝るF-22を振り切ることはできない。機体を左右に振ることでF-22にロックオンされないようにするのが精一杯だった。敵に残されたミサイルは赤外線誘導の短距離ミサイルのみ。F-22にはHMD(ヘルメット・マウント・ディスプレイ)のような機体の正面以外に攻撃できる装置はない。幡谷が逃げ回り、ピーコングがF-22にミサイルを叩き込めれば勝ちだ。


 『フラッグ、もう少し』

 「頼む、こっちはもう持たない」


 七Gでの旋回を繰り返した幡谷の体に疲労が蓄積し、頭の判断力も鈍くなってきた。


 「まずい、このままじゃ」

 『ピーコング、フォックス・ツー!』


 ピーコングがミサイルを発射した。F-22の機動が追撃から回避に切り替わる。その隙を捉えて幡谷は回避機動を急旋回から五Gのバレルロールに切り替えた。バレルノールはバレル(樽)の内側を螺旋状に回転するような動きだ。幡谷を追うF-22は難なくピーコング機のミサイルをかわしたようで急加速をすると同じようにバレルロールを行いぴったりとついてくる。


 その敵機を追うピーコング、こと西野翔子は焦っていた。フラッグの腕前は確かで、F-22のロックオンを巧みにかわしていたが、どんどん高度は落ちてきている。あの速度を維持できるのもあと数十秒だけだろう。フラッグは手札を捨ててパスを繰り返している状態だがそれももう保たない。早く西野がF-22を落とさなければ、フラッグ機は撃墜され、一対一になれば西野もF-22に簡単に落とされてしまう。あと数十秒、その間に決着をつける必要があった。


 「くそっ、どうして捉えられないの!」


 西野のF-2のレーダーも、搭載している04式空対空誘導弾の赤外線誘導装置も前を飛行するF-22をぼんやりとしか捉えられていない。先ほど見切りでミサイルを発射したが、明後日の方へ飛んで行ってしまった。機体がロックできていない状態で、ミサイルの誘導装置を頼りにミサイルを発射しても命中する可能性は限りなく低い。しかし追い詰められている幡谷を見た西野は牽制のためミサイルを撃った。狙い通り、F-22はミサイルを回避するために一時的に幡谷を追いかけることを中断している。


 「ミサイルはあと七発ある。どれか一発でも当たれば」


 西野はもう一度04式空対空誘導弾を選択し、安全装置を解除する。レーダー上でついたり消えたりするF-22をターゲットに選択し、ミサイルを発射した。


 「ピーコング、フォックス・ツー!」

 

 演習なので実弾は発射されない。しかし上空を飛行するE-3のシミュレーターのデータが西野のF-2のコックピットのモニーターにも映し出された。今度のミサイルの誘導装置はなんとかF-22を捉えることに成功したらしくまっすぐにF-22に接近していった。しかしミサイルの接近に気がついたF-22はフレアを発射しミサイルの誘導をそらした。しかも幡谷機への追撃の手はほとんど緩んでいない。必死に逃げ回る幡谷機と違い、F-22の飛びっぷりにはどこか余裕すらあった。


 「なんてしつこい」


 西野はもう一撃を加えようと三発目の04式空対空誘導弾の発射準備を始めた。ミサイルの誘導装置を起動させ、F-22のエンジンから出る排熱を捉えようとする。その時、F-22が突然立ち上がるような動きをして、西野の視界から消えた。


 「何!?」


 次の瞬間、西野のコクピットにミサイル警戒が鳴り響く。先ほどまで前方にいたF-22が、一瞬で西野の後ろに回り込んだのだ。それはクルビットと呼ばれるロシア軍機が得意とする技術で高度を変えずにその場で宙返りを行う機動だ。一瞬、空中でホバリングしているような状態になり。かなりの速度を失う。空中戦で追われている状態で使えば、速度を失った自機を敵機が追い越すことになる。そうすれば攻守逆転、今まで後ろに付かれていた状態が敵の背後を取ることができる。しかし、それはあくまでも理論的な話だ。


 「くそっ、エアショーでもないのに」


 西野はチャフを発射しながら右に急旋回してミサイルを回避しようとした。しかし、西野の行動は何もかも手遅れだった。SRMの接近を告げる警告が鳴り、間髪を入れず 審判役から撃墜判定が下された。


 『カナーン・フォー、キル』


 無情な審判の声がヘルメットのスピーカーから聞こえてきた。それを聞いた瞬間、西野は急旋回のために倒そうとしていた操縦桿から力を抜いた。撃墜判定を受けた機体は生きている機体と通信することも、戦闘に再参加することもできない。


 「ごめんよ、フラッグ。あとは任せた」


 西野は機体を水平飛行に戻すと、E-3の誘導に従ってアーンダーソン空軍基地に向かう帰投ルートについた。


 ピーコングが撃墜された時、幡谷もF-22のクルビットを見て目を丸くしていた。実際はクルビット機動はエアショーでの見世物止まりだと幡谷は思っていた。しかし、あのF-22は推力偏向装置を使ってクルビットを行い、後ろにいたピーコングをあっさりと撃墜した。


 「仇はとってやるぞ」


 幡谷は敵がピーコングを攻撃してできた隙を利用してもう一度高度を上げようと操縦桿を倒した。しかし、十分な高度を稼ぐ前にF-22は驚異的な加速で幡谷のF-2に追いつき、再びぴったりと後ろに張り付いた。


 「あれがスーパークルーズ。性能がダンチじゃないか」


 スーパークルーズはF-22などの第五世代戦闘機の特徴的の一つで、アフターバーナーを使わずに超音速飛行ができる能力だ。それは大出力のエンジンがなせる技であり、加速性能も優れていることを示していた。同じF-2が相手なら数十秒はあったはずの猶予はわずか数秒でなくなり、幡谷は再びF-22に追いかけられる状態になった。しかも、今度はピーコングの援護は期待できない。

 再び真後ろにつかれた幡谷は急降下をし、すぐに宙返りに切り替えた。運がよければ幡谷の宙返りに対応できなかったF-22の後ろを取ることができるのだが、F-22のパイロットは幡谷の動きを予測していたようで、難なく宙返りをしてついてくる。幡谷機の計器は再び七Gを表示していた。幡谷の体に大きな負担がかかり、息が詰まる。視界が狭まり、全身が押しつぶされるように辛い。しかしもし操縦桿を緩めてしまえばその瞬間にF-22にキルされてしまう。Gに耐えるか、撃墜か、選択肢は二つしかない。宙返りを終えた幡谷は休む間も無く左右に急旋回を繰り返す。F-22もそれについてくるが、それほど積極的に仕掛けては来なかった。


 「野郎、こっちの限界が近いことに気づいたか」


 幡谷の体力は先ほどからの回避機動で限界が近づいている。回避機動もあと二回か三回が限界だ。それ以上続ければ、確実にミスをする。F-22のパイロットはそれを冷静に把握し、幡谷が疲れ切ってミスをするか、回避機動が甘くなる瞬間を悠々と狙っている。ターゲットのB-52Hはまだ十分追いつける距離におり、数分かけて幡谷を料理したあとでも十分に間に合う。圧倒的な機体性能と有利なポジションにいるF-22に勝負を焦る必要はなかった。


 「もう一度、しかけてやる!」


 幡谷は操縦桿を引いて七Gのバレルロールを仕掛けた。しかし、相手もぴったりと後ろを追ってくる。先ほど同じ動きだ。これではこの勝負に勝つことはできない。


 「これでどうだ!?」


 幡谷は機体が背面になった瞬間、方向舵を左に踏み込んで機体を左にひねり込んだ。幡谷のF-2は急激に速度を失い、今までよりもさらに小さい旋回半径で鋭い旋回した。かつて太平洋戦争中に零戦のエースパイロットが得意とした伝家の宝刀、ひねりこみだ。これが成功すれば、後ろにいる敵機が自機を追い越し攻守が逆転する、そのはずだった。しかし、いつまでたってもF-2のHUDにF-22の機影は現れない。


 「まさか!?」


 幡谷がバックミラーで後ろを確認すると、そこには幡谷機と同じような姿勢のF-22がいた。


 「やつもひねりこみを? くそっ」


 F-22のパイロットはまだ若手だったが、敵を侮ることはしなかった。今回のコープ・ノース・グアムで航空自衛隊と戦うと決まった後、太平洋戦争の資料を読み、ひねりこみの技術についても把握をしていた。それだけでなく、エンジニアに頼んで実際にF-22のコンピュータにひねりこみのパターンを覚えさせていた。本来は職人技で行う技術を、F-22のパイロットはボタン一つで完璧に実施してみせたのだ。

 F-22は幡谷機の背後に回り込み、サイドワインダーの照準をF-2に合わせる。幡谷のコクピットでミサイル警戒装置がけたたましく鳴った。


 「ロックオンされたか」


 幡谷は最後の力を振り絞って機体を急旋回さえる。七Gの重圧が全身を押さえつけ、視界が灰色になった。しかしレーダー警戒装置の音は鳴り止まない。これ以上七Gの回避を維持し続けることは体が保ちそうになかった。


 (やられる!?)


 後数秒間レーダーを浴び続ければ、確実にF-22にロックオンされる。そしてこの距離でロックされた目標を外すほどサイドワインダーは甘いミサイルではない。

 

 (ならその前に。一か八かだ)


 幡谷は最後の力を振り絞って、多機能ディスプレに手を伸ばし、搭載しているミサイルを全て投棄した。F-2が発揮できる最大の荷重限界は九G。しかし翼の下に空対空ミサイルを多数搭載した状態では限界は七Gまでとなり、コンピュータが自動的にリミットを設けて限界以上のGがかからないようにしている。ちなみに空対空ミサイルよりも重たい空対艦ミサイルを搭載している場合、限界はさらに下がり空中戦のような機動を取ることは難しくなる。幡谷機はミサイルを全て捨てたことで、リミッターが解除され九Gの高機動ができるようになった。さらに機体を降下させ、F-22のパイロットの目にグアムの青い海がいっぱいに広がるようにした。そして戦闘機パイロットの限界ともいわれている九Gの急旋回を仕掛けた。

 それを追うF-22のコンピューターはレーダーで捉えた敵機の種類と装備から敵機の機動を予想する機能を持っている。しかし、今回は演習であるため、ミサイルの投棄はデータ上で行われており、幡谷機の見た目は変わらない。シミレーション上でミサイルを投棄した幡谷機のデータは上空を飛んでいるE-3経由でもらうことができるのだが、その一瞬の間、F-22のコンピュータは幡谷機のGの限界を七Gと算出し、それを追尾するための最適な飛行コースをパイロットに指示していた。F-22に全幅の信頼を寄せるパイロットはその通りに機体を操縦し、その結果、幡谷の機体はF-22の視界から消えた。


 「どこに行った!?」


 正確にはF-22が予測した位置にF-2がおらず、さらに左側にいたのだが、目標を見失ったことの動揺とF-2の青い洋上迷彩の効果もありF-22のパイロットには発見することができなかった。いくら高性能なF-22といえどもパイロットは同じ人間。繰り返された高機動のドッグファイトで判断力もラグが生じていた。その小さな要因が積み重なり、F-22は幡谷を見失った。幡谷は頭の中で描いた三次元図の中で自機を敵機の視界から外れる位置に移動させ、さらにエアブレーキを全開にして失速寸前まで速度を落とした。加速度で劣るF-2で速度を落とすことはすなわち死を意味していた。しかし一瞬のチャンスを作ることには成功した。F-2を追い越したF-22が幡谷の正面に現れた。


 「うわああああ」


 幡谷は叫びながらレーダーをガンモードに切り替えると、表示された円の中にF-22を捉える。レーダーでのロックオンはまだ不十分。幡谷は敵機の横幅と表示された円の目盛りで瞬時に計算を行い、わずかに機首を上げながら機関砲を発射した。F-2の胴体左側に搭載されたM61A1機関砲が毎秒百発の勢いで二十ミリ機関砲弾を吐き出す。機関砲弾は太平洋戦争で零戦が使用していた二十ミリ機関砲と同じ、それどころか第一次大戦で複葉機が使っていたものと原理的には同じで誘導装置など欠片もついていない。しかしミサイルと違い、厚い装甲以外のいかなる防御手段の影響も受け付けない。そしてF-22の装甲は軽量化のため非常に薄く、いくら最新の戦闘機といえども、秒速一キロメートルで飛来する銃弾の直撃を受ければひとたまりもなかった。

 F-2から発射された機関砲弾はF-22の進路の少し手前に散弾のように散らばりながら飛んでいき、そこにF-22が突っ込んだ。一瞬の間を置いて、無線からE-3のオペレータの声が聞こえてきた。


 『ローシェン・ツー、キル』


 幡谷の機関砲はF-22に命中し撃墜したのだ。撃墜されたF-22のパイロットは信じられないといった様子で、コクピットの中から後ろにいるF-2を見ていた。やがて事態を把握したようで、翼を左右に降って幡谷に挨拶をすると基地に向かって帰投していった。

 今度こそ、幡谷はコックピットの中で勝利の余韻に浸った。味方を七機失っているので実戦であれば違うのだろうが、今は演習だ。幡谷は素直に、世界最強の戦闘機を二機もキルできたことに驚き、満足していた。演習はB-52Hがイージス艦の防空圏内に入るまで続くが、空中戦は自衛隊の、さらにいえば幡谷の勝利で終わった。


 (やった。俺はラプターをキルしたんだ)

 「いやっっ! 俺はやったぞ!!」


 幡谷はコクピットの中で勝利の雄叫びをあげていた。先ほどまでの空中戦で全身が痛んだが、それも興奮で全て吹き飛んだ。幡谷はうっかり、無線のスイッチを入れたままだったのだが、E-3のオペレーターはボリュームを小さくすることで苦笑するだけにとどめて。アメリカ人の彼らにとっても、F-22を二機落とした幡谷の戦いは賞賛に値するものだった。

 南海の空で行われた国際合同演習「コープ・ノース・グアム」。幡谷はこの演習で現代の戦闘機パイロットにとって最高の栄誉の一つである「ラプター・キラー」の称号を獲得した。そしてこれが、幡谷翔「フラッグ」の航空自衛隊における最高の、そして最後の栄誉になった。

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