〈4.6〉パーシヴァル


 ガレージにただ一人、俺は立ち尽くしていた。

 止まった思考で壁の時計を見る。一時半。ラヴロフの指定した時間まで、あと三十分。

 立っているのもつらくて、俺は地べたにあぐらをかいた。

 それから解除用の認証コードを呟いて、アタッシュケースを開いた。


 ビーズ状にぎっしりと詰まっているナノマシン。その一番上に、斬り落とされた龍の頭のようなドラグーンマスクが載っている。


 迷ってから、それを手に取り、自分の顔に押し当てた。


 装着者を感知し、VALが起動する。


〈十日ぶりのログインです、マスター〉


 “彼女”の声が聞こえた。もう二度と聞くことのない声。俺が奪い去った声。

 俺は背中から倒れ込み、地面に仰向けになった。ヘッド・マウント・ディスプレイHMD越しに天井が見える。


 なんともなしに俺は言っていた。俺の心の中にある、何かひどく曖昧で脆いものが、口を開かせた。


「VAL、俺はどうしたらいいと思う?」

〈命令が理解できません〉


 返ってきたのは定型文だった。声は“彼女”のものでも、VALは所詮ただのプログラム。いくら人工知能式OSといえども、命令されたことを実行し、ルーチン指定されたことを繰り返すだけの演算機械に過ぎない。


 人からはほど遠い。ましてや“彼女”など。


 だが、続いた言葉に、俺は息をのんだ。


〈ですが……私はマスターに従います。“コートアーマー”である私には、マスターの存在が必要です〉


 ありえなかった。意思を持たないVALがそんなことを言うはずない。


 救いを求める俺の都合のいい幻聴かもしれなかった。


 だけど、そのおかげで思い出した。


 忘れていたはずの“彼女”の言葉を、たった一つだけ。


『悲しいこと言わないで。私には――が必要だよ』

 そう言って、“彼女”は俺の涙をぬぐった。

 失った言葉。失った名前。失った人。

 もはや取り戻すことはできない。

 今、俺が取り戻せるのは一つだけだ。


 この一ヶ月のことを思い出した。ずっと一人で暮らしていた、思い出の棺桶みたいなこのガレージハウスはたった一ヶ月でずいぶんと騒がしくなった。マッツ、穉森犀麻、それに雪。


 二階につながる階段を見る。俺は、マッツと一緒にそこを降りてくる雪を幻視する。

 いつまで経っても“コート”の修理が終わらない俺をからかいに来たのだ。雪の腕から飛び降りたマッツは作業台の上に飛び乗り、俺が分解してきれいに並べていおいたパーツをぐちゃぐちゃに蹴り散らかした。悲鳴を上げる俺。心底愉快そうに笑ってから、ちょっとばつが悪そうに、パーツを拾う俺を手伝う雪。何事かと降りてきた犀麻はその光景を見て、大丈夫ですか~と駆け寄ってくるが、瞳の中のファントムはくひひっと笑っている。


 無理だ、と俺は思った。


 あれを知ってしまた俺は、もう一人でここに住めない。


「VAL、ありがとう」


 俺はVALをシャットダウンし、ドラグーンマスクをしまって、アタッシュケースを持ち上げた。

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