〈4.3〉踏み潰すもの


 ミツグはゆっくりとゴーグルを上げ、ヘルメットを外した。雪とバイクを降りてから、スタンドを立てた。


「新しいボディガードのラヴロフ・タルコフスキーでス。こちらは義娘のアーリャ。どうぞ、ワタシたちと来てくだサイ」


「すすくちゃんは今、みつぐちゃんと遊んでんだけど」


「お呼びでナイ? こりゃまたシツレイ……」


 そう言うと、ラヴロフはあっさり身をひるがえし、立ち去ろうとした。


 が、すぐに振り返った。


「止めてもらわナイと困るのデス」


 アーリャは微動だにしてなかった。ひどい茶番だった。


「ほんとにこれ、すすくちゃんの新しいボディガード?」

「知らない……」


 雪は本当に知らなそうだったし、こんなのがボディガードだと信じたくもないようだった。


「どうシテも来てもらえナイなら、しょうがないデスね。無理矢理キテもらいマス。死なナイ程度に……アーリャ」


「ダー」とアーリャは一歩前に出た。


 その立ち振る舞いは一般人のものではない。ボディガードのものでもない。


 ミツグは気づいていた。自分たちと同じ側……つまり形はどうあれ、殺しを生業としている者の雰囲気に。


 同類相手に口調や服装は誤魔化せても、血の匂いは隠せない。


 なるほど、とミツグは思った。どうもあれがハガネの言ってた、すすくちゃんに降りかかる危険の種らしい。


 そしてそれを口に出していた。


「なるほど。あれがハガネの言ってた、『すすくちゃんにキガイを加えるヤカラ』か」


「……え? 今なんて?」


「あっ、やべ。これ秘密だったんだ。今のなしね、すすくちゃん」


 明らかに手遅れなのに、あわててミツグは自分の口を抑えた。


「ねえ、どういうこと、ミツグちゃん! あいつに何言われたの!」


 何って、もしかしたら近い将来すすくちゃんを襲うめちゃ強い殺し屋が現れるかもしれないから、できるだけすすくちゃんのそばにいて、そいつらから守ってくれ、って言われたんだけど、と思ったが、口には出さなかった。


 目の前のアーリャの纏う空気が、すでに臨戦体勢に入っていたからだ。


「ちょっとごめんね。後でね」


 ミツグは懐に入れていたマッツを雪に押しつけると、自慢の怪力でバイクを直立させ、素早くフレームをいじって変形を開始した。文明の鉄騎は見る見るうちに、鋼の巨人へと姿を変えた。


 一方、無色の殺意に満ちたアーリャは古本屋に売り飛ばすしかないほどつまらない本を見るような目つきで、それを眺めていた。


 ミツグは完成した“九尾”に乗り込み、前面フレームを閉鎖。ついに怪力乱神の“コートアーマー”を装着し、しかし生身のアーリャを目にして動きを止めた。


「どうしたの? やらんの?」


 起動ザヴォスク、とアーリャは言った。それは返事ではなかった。


 “コートアーマー”の認証コードだった。


 ぐわり、と背負っていたクマのぬいぐるみの腹が大口を開け、アーリャをエイリアンのように飲み込んだ。小さな身体はずるりと布の内側に消え、その体積分だけぬいぐるみは肥大化する。


 同時に、クマの口が裂けるように上下に開き、中からバイザーのついたマスクを現した。


 その姿、およそ二メートル。巨体の第七世代型“コートアーマー”である。


 ミツグは知るよしもないが、機体名は“トプティニク”、『踏み潰す者』を意味する。


 そして“トプティニク”は熊手を掲げ、自らの腹の中にずぶずぶと沈み込ませた。


 引き抜いたのは、己の背丈と同じほどはある巨大なハンマー。


「アーリャ、排除しなサイ」


 その重戦車のような機体が、まっすぐ“九尾”に突っ込んだ。


 巨人対巨人。力のぶつかりあいだった。


 振りかざしたハンマーを、四本の腕で受け止める“九尾”。残りの腕で、“トプティニク”の体側を殴りつけるが、ぼすんという音がして柔らかく沈んだ。


「え? ぬいぐるみじゃん」


 ぬいぐるみではない。ナノマシンによって構成された複連空間装甲は、まるでミルフィールのように無限の隙間を持った装甲で、いかなる衝撃も吸収してしまう。


 もちろん、ミツグはそんなことを知らないし、気づきもしない。


「なら引き裂くか」とのんきにアームを操作し、猛禽の爪に似たトライ・グリッパーを“トプティニク”に突き立てる。


 その瞬間、“トプティニク”はハンマーの持ち手についた引き金を引いた。


 雷のような轟音。離れた場所にいた雪でさえ、耳を抑えた。マッツは毛を逆立てて飛び上がった。


 同時に、捕まえていたはずのハンマーが振り抜かれ、“九尾”の巨体は殴り飛ばされた。


 ありえない、と地面に倒れ込みながらミツグは思った。“コートローダー”級の出力を誇る“九尾”の油圧式フレームのグリップに掴まれた状態から、あんな重いハンマーを予備動作ゼロで振り抜けるはずがない。おまけに数百キロの“九尾”までふっ飛ばすなんて。


 まったくミツグには理解できない代物だった。


 エクスプロージョンハンマーとでも言うべき武器である。内部には空砲の一〇〇mm砲弾が六発装填され、把手につけられた引き金を引くことで発砲する。その反動によって爆発的なハンマーのスイングを生み出すのだった。


 “トプティニク”の持つハンマーが大きく前後に伸縮し、ブローバックした。真鍮製の巨大な薬莢が吐き出され、ごとんと地面に落ちた。同時にハンマー内部の機構が回転し、新たな砲弾を撃発室に送り込む。


「うわ、面白そうなの持ってんだー」


 心底羨ましそうにミツグは言った。警察などの目をかいくぐって持ち運ぶために、“九尾”には武装が積まれていない。


 だがその代わり、鉄骨をも握り潰す怪力のアームが“九尾”にはある。


 ミツグはその、破滅をもたらす六本の手を自在に操り、襲いかかった。一方、“トプティニク”は超重量のハンマーを軽々と振るい、次々と“九尾”の攻撃を打ち払った。グリッパーに掴まれないようにしながら、チェスのコンピューター敵のように正確に立ち位置を入れ替えフレームを叩きのめす。


「捕まえた! ぬいぐるみごめんね!」


 その嵐を躱して一本のアームが“トプティニク”の肩口を掴んだ。まだ主材料がぬいぐるみだと思い込んでいるミツグは、びりびりに引き裂こうとグローブコントローラーに力を込めた。


 だが、それはアーリャに誘い込まれた罠だった。


 轟音と共に二発目の引き金が引かれた。瞬間的に亜音速にまで加速したハンマーが振り下ろされ、“トプティニク”を掴んでいたアームをへし折った。


「ちょっと、ハンドルなのにそこ! どうやって帰るの!」


 などと文句を吐いていたら、排出された丸太のような薬莢がすぐ目の前で“九尾”のボディフレームにぶつかり、ミツグは一瞬ひるんでしまう。


 アーリャはその隙を見逃さなかった。


 素早くハンマーの柄で“九尾”を突き放し、次弾の装填されたハンマーを振りかぶる。


 三度目の雷鳴。まさに雷の如く、ハンマーが“九尾”の頭上から振り下ろされた。


 が、ミツグはそれを無事な五本のアームで受け止めた。ぶつかりあったお互いのアームが火花を散らし、ジョイントが致命的な悲鳴を上げる。


 拮抗する巨人。ハンマーの重みと“トプティニク”の異常な出力によって、“九尾”の防御は可動域を越えてぎりぎりと下がっていく。


「“九尾”の九は九本の九……とっておきの尻尾がこれだ!」


 ミツグがそう叫ぶやいなや、ボディフレームに偽装された最後ののアームが、折り畳まれていたその毒手を伸ばした。


 その先にアタッチメントされているのはトライ・グリッパーではなく、コンクリートすらも一瞬で灼き斬る電磁ナイフ。たかがぬいぐるみ相手なら、まるでマシュマロのように沈み込み、装着者の少女にまで届く。


 これは使いたくなかったなー、とミツグは少し後悔していた。こんな手(まさに文字通り)は卑怯っぽくて好きではない。だが、目の前の相手は強敵で、自分の双肩には雪の無事がかかっている。手段(これも文字通り)は選んでいられないのだ。


 が、そのとき巨大なげっぷのような音が鳴った。


 は“九尾”のすべての機構がダウンした音だった。


 エンジンストップである。


 電磁ナイフの刃先は、“トプティニク”に届く寸前で静止した。


「あ、ガソリン入れるの忘れてた……」


 今や“九尾”は動くこともできず、ミツグを幽閉するただの鉄籠となった。巨大な鉄クズを“トプティニク”は四発目の砲弾で殴り飛ばした。衝撃がミツグの意識を奪い去り、“九尾”は派手に道路を転がっていった。爆発しなかったのは、ガソリンが切れていたがゆえの怪我の功名だろう。


 消えていく意識の中で、雪が大男の方に連れて行かれるのを、ミツグは見た。


 ああ、やば。ハガネ、すまんね。


 それが最後の思考だった。ミツグは気を失った。

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