〈4.2〉ツーリング
ガードレールに寄りかかり、雪はテイクアウトしたハンバーガーをむしゃむしゃやっていた。やけ食いである。夕ご飯が食べれなくなるし、なんか太りそうだけど、今日だけは解禁した。
コーラをずぞぞぞぞとストローですすった。すでに中身はなかったが、昨日のハガネを思い返すと、こうして不快な音を立てて自分の不機嫌を世界に表明したくなる。
俺とお前はもう他人だ?
なんて無責任な。私の手まで斬って大仰な儀式をしておいて、結果がそれ?
できないくせに、あんな大げさな約束をするな。できないなら、私の庇護者をきどるな。私は一個の人間だ。契約だけであっちからこっちへ動かせる物とは違う。犬でも捨てられれば悲しげに鳴く。私が何も感じないとでも思ってるのか?
……本当に私のことを他人に任せられるの? 私から目を離しておいて、平気でいられるの?
この一ヶ月はなんだったの。
もう私のことを守ってくれないの。
考えが巡るたびに、いらだちは増した。だが、もっとも不愉快なのは、そんな子供じみたことを考える自分自身だった。
私は、自分が守ってもらうのが当然だと思ってる。だから、契約期間をちゃんと満了しただけのハガネに対して苛立ちを覚えるのだ。ハガネの言うとおりだ。ハガネも仕事をして、生きるためにお金を稼がなきゃいけない。たとえその新しい
でも、子供の論理は、どうしても雪の頭から離れない。
今、ここでこうしているのがその証拠だ。
本当は学校が終わったらまっすぐ神部家に帰って、新しいボディガードと顔合わせをする予定だった。それをサボって、雪はここで時間をつぶしていた。
本当に自分の我を貫きたいのなら、『他のボディガードなんか嫌だ。ハガネとの契約を継続しろ』と神部凍星にだだをこねるべきだった。だけど、それをする勇気すら持っていない。自分は、あの家では本質的に他人で、養ってもらってるという引け目があるから。
そんな気後れを無視して凍星にわがままを言うほど図々しくなれる強さを、雪は持っていない。本当に達したい目的のために、自分のちっぽけな気持ちを無視することができない。
そのせいで自分もいつか母のようになるのではないかと、ちらと思った。
ぷーっ、とクラクションがすぐそばで鳴って、はっと雪は顔を上げた。
ヘルメットを着けたライダーが、目の前の路肩で巨大なバイクのエンジンを吹かしていた。
ゴーグルを上げると、現れたのはミツグの顔だった。
「やっほ。すすくちゃん、元気~?」
金髪に似合わないセーラー服を着ていた。そろそろ冬の足音が迫ってきているというのに、コートはおろかマフラー一つ身につけていない。そんな格好、しかも生足でバイクに乗って寒くないのだろうか。ていうか、この世紀末みたいなバイクで学校に通っているのか。
「バイク乗せてくれなんて、どうしたの。興味ある系なの? 免許とる?」
「いや、そういうんじゃないんだけど……」
あれからミツグとはたまに遊ぶ仲だ。このバイクが“九尾”に変形するところも見せてもらった。まさに変態的としかいいようのない“コート”にうっとりしてると、さすがに引かれた。
裏社会の住人であるミツグと付き合うなんて危険極まりないと自分でも思うが、東京で同年代の知り合いと言えば彼女しかいなかったし、それにミツグには見てて気持ちよくなるほど天真爛漫だった。今の雪が必要としているものだった。
「ストレス解消、みたいな? 私も風になってみたい」
「へっへっへ、気に入ったぜ、姉ちゃん。乗りな」
おどけて笑うと、ミツグは自分の背中を親指でさした。
巨大なバイクゆえに、尻を乗せる場所には困らない。想像していた以上の安定感を覚えながら、雪はミツグの背後に跨った。
はい、と渡されたフルフェイスヘルメットをかぶり、しっかりとストラップを留める。
と、ミツグの背負っていたバッグの隙間から、ずぼっと見慣れた顔が雪の目の前に突き出てきた。慌ててバイザーを押し上げる。
男前なマッツの顔だった。
「えっ、マッツ? ここで何してんの!?」
にゃあーと返事がきた。
「なんかこの前、ハガネが来て~? なんか預かってくれって。でも、私一人暮らしだしさ~、学校いないあいだになんかあったら嫌だなって、連れてきちゃった」
ハガネがマッツを預けた?
雪は歯噛みした。なんでそんなこと。まるで死に支度みたいな……
「で、ミツグちゃん的タンデムのポイントなんだけど、膝でバイクがしっと挟んで、バイクの傾きに身体あわせる。両手はミツグちゃんの腰ね」
「……ねえ、ミツグちゃん」
「なに?」
「訊かないの? 私のストレスのもと」
「べっつに~。言いたくなかったら言わなくてよくない? あ、死ぬつもりだったら降りてね。ミツグちゃんはアンジュ姉が東京支配するまで死ぬつもりないから。巻き添えはごめんなのだ」
ふふっ、と思わず笑みがこぼれた。
「そんなつもりで頼んだんじゃないよ」
「よかった。じゃあ、出発~」
ミツグはスロットルを吹かした。
言われたとおり、雪は膝でしっかりとバイクを挟んで身体を固定し、両腕をミツグの腰に回した。
目的地のないツーリングだった。
それは雪が希望したものだ。ただ一瞬でも、凍星の言いつけを守らなかった、という自己嫌悪を忘れられればそれでよかった。この脳内の混乱を置き去りにしたかった。
バイクは込み入った首都の道路を抜けて、区外の国道に入るとスピードに乗った。
吹きつける風はダッフルコートを着ても冷たかったが、それ以上に気持ちがよかった。
自分の懊悩が、過ぎ去る景色とともに洗い流されていくようだった。
見知らぬ街を、自分の意思と関係なく駆け抜けていく。雪はただ街の風景を眺めていればよかった。
ミツグの運転は危なげない。後ろの雪を思いやっているのは間違いなかった。
ぎゅっとミツグの腰に腕を回していると、大木を抱いているようで安心した。スピードも怖くなかった。
心の中の分厚い雲が吹き払われ、青く澄み渡っていく。
ぼんやり思った。人生でタンデムがこれっきりなんてもったいない。ハガネは免許を持っているだろうか。どうせ持ってないだろう。高校にも行ってないのだから。
ああ、そうか、私が取ればいいのか。それであいつを私の後ろに乗せてやって、どこか遠くへ行く。日本縦断? 面倒だ。せいぜい鎌倉。で、ご飯食べて温泉入って帰る。完璧。
……何が完璧だ。雪は自分の間抜けさに気づいて自嘲した。
ハガネと自分はもう関係ない。赤の他人なのだ。
きっと街ですれ違っても、ハガネは自分のことを無視するだろう。
あれはそういう声だった――
突如、雪は急激な減速を感じ、反射的に膝で車体を固めた。ミツグに掴まっている腕をぎゅっと締める。
バイクが、道路の真ん中で急停車した。
周囲には何もない。寂れた廃工場と、その駐車場しか見えない。
「どうしたの……」
脇からミツグの顔を覗き込むようにした雪は、はっと気づいた。
バイクの行く先に立ちふさがる、二つの人影に。
黒い前留めのローブを着た大柄な男と、巨大なクマのぬいぐるみを背負った小さな女の子。
二人組のロシア人だった。
「オウ、はじめマシて。神部ススクさんデスね」
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