〈3.11〉龍と蝉


 雪は教会の扉を押し開いた。


 壇上で、未玖の首を絞め上げていた“コートアーマー”がそれに気づき、彼女の身体をどさりと離した。


「失せろ。取り込み中だ」


「冗談言わないでよ」雪はシルバを睨みつけた。

「そこにいるのは私の妹。あんたなんかに手出しはさせない」


「妹ぉ?」


 すると、鋼鉄の巨体はずんずんと雪に向かって近づいてくる。


 参列席のあいだの主通路をまるで汚い路地裏かのように進み、雪の前で立ち止まった。


 雪はその異形の“コート”を見上げた。


 正面にかけられたマリア像も目に入っただろう。だが、今は祈ったってどうしようもない。


「なら、お姉ちゃんからも言ってやってくれよ。素直に喋ってくれないかって」


「無理。その子はなんにも知らない」


「なに?」


「“マッツ”は私。わかんない? あんたが探してるのは私なの」


 はっはっ……とシルバは乾いた笑い声を上げた。


 それから突如として腕を振り上げ、雪に襲いかかった。



 俺の怒鳴り声が教会中に響いたのは、そのときだった。


鉄よ、おこれデスペルタ・フェロ!」


 “アケロン”の指が彼女の身体に触れる直前、雪が持っていた“パーシヴァル”のアタッシュケースが自動的に開け放たれる。


 間欠泉のように噴出した白龍……“アケロン”は吹き飛ばされた。


 と、同時に、反対側の裏口から忍び込んでいた俺は説教台を飛び越え、起動したセラフィム・ドライブによって灼け焦げていく手袋を振りながら、“パーシヴァル”に向かって走り出した。


 ナノマシンの群れはまっすぐ俺に向かってくる。


 その逆風の中に俺は突っ込んだ。激突の衝撃を無視して走り続ける。


 嵐は俺にぶつかったはしから固まっていき、第七世代型“コート”を形成していく。


 ついに“パーシヴァル”を完全に装着した俺は、起き上がったシルバの“アケロン”に組みついた。


「お前……第七世代!」


「ああ、そうだよ。お前の目的は俺だろ!」


 “アケロン”を蹴り飛ばす。鋼鉄の身体は木製の参列席を壊しながら吹き飛んでいった。


〈状況を確認。僚友機一体を確認〉


「あれは敵だ。覚えておけ、VAL。俺はもう葬送小隊フェンレルじゃない。人殺しじゃない!」


〈フィードバックを受理しました〉


「その白い第七世代“コート”……お前、あの裏切り者か! とうとう運が巡ってきた! やっと努力が報われた! お前を殺してそいつを取り返せば、俺も一気にメンバー入りだ! やっぱり神様は見てるんだ!」


 シルバは教会らしく大仰にひざまずくと、開放してあったヘルメットを降ろして、完全な戦闘態勢をとった。悪鬼にも似たマスクの瞳が俺を射抜く。


「はあー……お前は俺の羽根だ」


 何を言ってるんだこいつ。


 ファントムの言葉を思い出した。


 “アケロン”はまっしぐらに俺に突っ込んできた。


 葬送小隊フェンレル専用にカスタムされたこいつは、既成品のスペックを軽く上回る。戦闘……特にテロ行為に最適化された機体は、わけても対“コートアーマー”戦において無類の実力を発揮する。たとえ“パーシヴァル”が第七世代といえども、油断はできない。


 だが、それも装着者次第だ。


変形オプト曲湾刀サーベル


 無策に接近してきた“アケロン”の肩口に向けて、サーベルと化したマルチ・オプトを振りかざす。


 カスタムされた装甲はさすがに刃を通さないが、そんなものは承知済みだ。俺は『斬る』というより『殴る』振りでサーベルをぶつけた。


 がしゃん、と“アケロン”は前のめりに倒れ込んだ。


 その頭を思い切り蹴り飛ばす。無理やり身を起こされた“アケロン”の懐に潜り込み、胸装甲に肘打ちを叩き込んだ。


 よろめき後ずさるシルバ。しかしすぐに立ち直り、腰背部に装備していた“コート”用サブマシンガンを抜いて、俺に照準をあわせた。


 だが、その銃身はすでに俺が断ち斬ってある。


「嘘だ……あんな一瞬で……」


 そう口走ると、シルバはサブマシンガンを床に落とした。暴発を恐れて自ら捨てたというよりも、恐怖で手が滑ったようだった。


「俺はその機体のことをよく知ってる。何度も着させられたからな……だから、そいつのバッテリーパックが露出してないことも、簡単には無力化できないことも知ってる。だから悪いが……お前ごと徹底的に破壊するしか方法が思い浮かばない。その“コートアーマー”がそのままお前の棺桶になる」


 変形オプト戦斧アックス……そう言うと、俺の手の中でサーベルは無骨なアックスへと姿を変えた。


 見るからに重く、硬く、殺意に満ちている。


 それを見たとたん、“アケロン”の様子がおかしくなった。


「嫌だ……俺は嫌だ……」


 “コートアーマー”越しに見てとれるほど、装着者は震えている。


「俺は死にたくない!」


 がっ、と怒りで視界が赤く染まった。


 死にたくないだと? みんなそうだ! 俺も雪も、あいつの妹も、誰も死にたくなんてない!


 “アケロン”は身をひるがえし、ネズミのように逃走を図った。


 逃しはしない。報いを受けさせる。それに何より……俺が東京にいることを葬送小隊フェンレルに知られてはまずい。奴を殺す。また“彼女”のような悲劇を起こさせないために……


「ハガネ!」


 だが、雪の呼び声に射抜かれて、追いかけようとした俺は固まった。


「大変! ねえ、未玖ちゃんが!」


 振り返ると、壇上に倒れた未玖のもとに雪はひざまずいていた。


 一瞬でズームアップ。ディスプレイには大きく痙攣している未玖の姿。


 俺は向き直った。正面の観音扉を押し開き、“アケロン”が逃げ去っていく。


「ハガネ!」


 俺は叫んだ。


「装着解除!」


〈お疲れ様です、マスター〉


 まとっていた装甲が粒子となり、俺の身体から離れていく。


 “パーシヴァル”が完全に解除したのと、俺が二人のもとに駆けつけたのは同時だった。


「ねえ、どうしよう! 未玖ちゃんが……」


 涙を浮かべた未玖の瞳は焦点があっておらず、異常なペースで浅い息をつきながら、びくんびくんと全身で跳ねている。端正な顔立ちだろうに、悪夢のような形相をしていた。


「過呼吸だ……おい、ゆっくり息をしろ」


 だが、俺の言葉は未玖の耳に届いていない。当たり前だ。いきなり見ず知らずの男に襲われた精神的なショックでこうなっているのだ。同じように知らない俺のことを見ても、ショックが増すだけだろう。


「どうすればいいの? 未玖ちゃん大丈夫なの?」


「落ち着け。お前が騒ぐと、彼女が余計に興奮する……大事には至らないから」


 だが、俺は知っている。過呼吸が誘発した心臓発作で亡くなった奴のことを。そいつは初めての戦場で銃声を聞いてショック状態になり、自分は一発も撃たないうちに死んでしまった。まだ六歳だった。


「……俺は何か袋を探してくる。お前は……彼女を抱きしめろ。何か落ち着くような言葉をかけてるんだ」


 言うが否や、雪は未玖を抱きしめていた。優しく、まるで母が子にするように。


 一瞬、羨望が俺の胸をついた。俺にはそんな記憶はなかったから。


 違う。今は彼女の身だけを考えろ。


 袋だ。袋を探せ。袋に呼吸をさせて血中の二酸化炭素濃度を上げてやる。何か大仰な名前がついていた、あの対処法だ。


 裏口から入ったときに小さな倉庫を通った。もしかしたらそこに……


 だが、涙の入り混じった声が聞こえてきて、俺の足を止めた。


「ごめんね……」


 振り返ると、雪が泣いていた。


「私のせいなのに……私のせいで未玖ちゃんが襲われちゃったのに……」


 謝るな。俺のせいだ。俺がお前を利用したからだ。復讐心と恐怖に駆られて、ボディガードの務めを忘れたからだ。


 “彼女”の最期が蘇る。『ごめんね、ハガネ……私のせいで、一生抱え込んじゃうね』


 違う。謝るな。俺のせいなんだ。お前は悪くなんてなかったんだ。


 全部俺のせいなんだ。


「私があんなことしなければ……もっと仲が良かったら、こんなこと起こらなかった……ごめんね」


 未玖はずっと苦しげに酸素を求め続けている。


 彼女と同じ速度で、俺も荒い息をついていた。


「私のお母さんもね、昔こうしてくれた。小さい頃に熱が出て苦しいときに、こうしてずっとそばにいてくれた……馬鹿な人だと思う。浮気するような男のために、わざわざ身を引くなんて。訴えるとか全部ぶちまけるとかして、金でもなんでも引っ張ればよかったんだよ。そうすれば私はあんなつらくてさみしい子供にならなくてすんだのに……」


 未玖の呼吸は、長く深いものに変わっていた。過呼吸の尾を引きずるようにあえぎながらも、瞳をずっと雪に注いでいた。その目尻からは涙があふれていた。


「でも、それでもお母さんが死んだときは悲しかった……なんでか全然わかんないけど涙が止まらなくて、理由がわからない自分が嫌だった……あの人のことなんか好きじゃなかったのに。たぶん、未玖ちゃんを失ったら、おんなじ気分になると思う……それは絶対嫌なの」


 ごめんね、と雪は繰り返した。


「私みたいなのに、家にいてほしくないよね。大丈夫だよ。私、高校卒業したらあの家を出るから……だからごめんね。もう少しだけ我慢して。そうしたら私、あなたたちの前から永遠にいなくなる。約束する」


 未玖の手がゆっくりと伸び、雪の頬に触れた。それは涙を拭うためではなく、自分の胸に抱き寄せるためだった。


「……私……ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさい」


 ごめんなさいぃ、と未玖は泣き続けてた。


 雪は抱きしめられながらも、未玖の頭をずっと撫で続けていた。


 本当の姉妹ではない。傍から見ていてもわかる。


 だが、血よりも濃いが、今この瞬間の二人をつなげた。


 一方、それを馬鹿みたいに眺めていた俺は、教会の木床にへたりこんだ。


 俺は悟った。自分の間違いに。自分の欠損に。


 そして決めていた。


 俺は、神部雪のもとを離れなくてはならない。

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