〈3.9〉マイビジネス


 俺はボディガードだ。


 護衛対象パッケージに危害を与える者を排除するのが今の俺の仕事だ。


 それを行うには相手の手法も熟知してなければならない。


 つまり、そんな感じで俺は知っている限りの泥棒のテクニックを使って、雪の高校に侵入した。


 いつもみたいに校舎の外でオレンジピールをかじって待機していたら、携帯に電話がかかってきて、今すぐ校舎に来いと雪に呼び出されたのだ。なぜそんなことをしなければいけないのかはわからないが、動転した雪の話はさっぱり要領を得ない。重大なトラブルが起こっていることだけはわかった。


 というわけで呼び出された体育館裏に急ぐと、牛乳パックを握りつぶした雪が待っていた。


「は、はは、ハガネ! 大変だって! 何やってんの遅い!」


「お前、牛乳が垂れてるぞ」


 言いながらも、雪が無事でほっとしていた。パニック状態のようだが。


「み、未玖ちゃんが……金髪に……それでうわあーって……!」


「落ち着け。何が起こったのか、最初からゆっくり話せ」


 ふー、と雪は息を長く吐いた。それから自分の胸を手で押さえ、俺を見て叫んだ。


「……なんで制服着てんの!」


「こういうときのための用意だ。これなら学内を自由に動き回れるから。ネットオークションで結構したんだぞ……俺の格好はいいから何があったのか話せよ」


 すると、雪はせきを切って話しだした。義理の妹と昨晩喧嘩したこと。話し合うためにここで会う約束をしていたこと。そして待っていたら、彼女が“コート”に連れ去られるのを目撃したこと。


「……なるほど。それはだいぶマズイな」


「でしょ! こんなとこでのんびりしてる場合じゃないんだって」


「逃げるぞ」


 俺は雪の手を掴んで走り出そうとした。


 が、思いっきり振り払われた。


「何言ってんの! 未玖ちゃんを助けるんでしょうが!」


「馬鹿か! 白昼堂々学校の中で、しかも“コートアーマー”を装着して誘拐するような馬鹿が近くにいるんだぞ! そんな危険なとこに護衛対象パッケージを置いておけるか!」


「じゃあ、未玖ちゃんがどうなってもいいの!」


「知るか! 俺が守らなきゃいけないのはお前だ。警察にでも任しとけ!」


 そんな――言いかけた雪を抱き寄せ、俺は飛び退った。


 一瞬前まで俺たちがいた場所を、空から落ちてきた黒い影が襲撃した。



 波打つマント、鼻の尖ったマスク、闇と見紛う漆黒の衣装。


 こちらを振り向いて、わずかに見える口元をにやりと歪ませる。


「呼ばれて飛び出てファントム参上!」


「呼んでねえんだよ!」俺は声を涸らして絶叫した。「こんなところにまで現れやがって……お前まで相手にしてられるか!」


 持っていた“パーシヴァル”のアタッシュケースをぶん、と振り回す。


 ファントムは軽く飛び退ってそれを避けた。


「せっかくいいことを教えに来たのに。たとえばあの未玖ちゃんをさらった奴のこととか」


「知ってるの? 教えて」


 俺の腕を払いのけ、雪が身を乗り出した。すると、ファントムはちょっと口ごもったのち、話し始めた。マスクから出る耳が赤く染まっていた。


「……あいつはシルバ。葬送小隊フェンレルの……駒の一人さ」


「……クソ、待てどういうことだ」


「わかんないの、ボディガード? お前はね、昨日あいつの仕掛けた罠に飛び込んだんだ。それでシルバはモデラーを呼び出したのが未玖ちゃんだって愚かにも勘違いして、彼女をさらった……まあたぶんそんなとこでしょ。ボク様が昨日お仕置きしたときも、だいぶ頭イッちゃってるみたいだったから、学校にまで現れるのはさもありなん、みたいな?」


「私の代わりに……」


「そうだよ。でも、気に病むことなんてなーんもないんだよ、すすくちゃん。だってそうでしょ? あの子がいなくなれば、神部家も少しは過ごしやすくなると思うし」


「ふざけんな!」


 がっ、とファントムに掴みかかろうとしたので、さすがに引き止めた。すごい力だ。


「未玖ちゃんは傷つかせない! 絶対!」


「……なんで? だってすすくちゃんは…………すすくちゃんを……あの妹は嫌いなんだよ」


「そうかもしれない。私だって、あの子が嫌いなのか好きなのか、まだわかんない。でも、それでも、あの子を傷つけるなんて絶対に許さない」


「……ボク様、間違ってたの?」


「間違ってる。私は、あんたみたいに誰かを不幸にしてまで、自分が幸せになりたいなんて思わないし、幸せにはなれない」


 沈黙のあと、くひひ、くひひひっ、とファントムは笑いだした。


「じゃあ知いぃぃーらない! 二人で勝手にすれば! ボク様知らないもんねー!」


 ほんとにほんとに知らないからねー、とファントムは走り去っていった。


 見る見るうちに、その背中は小さくなる、と思ったら、何もないところで転んだ。


 よろよろと立ち上がると再び走り出し、体育館の角を曲がって消えた。


 ちょっと泣いてるように見えたのは気のせいだったのだろうか。


 ……そんなことはどうでもいい。いや、ファントムが校内に現れるってことは、俺が学校の外で見張っていた今まではほとんど無駄だったのかもしれない、ということなのだからどうでもいいわけないのだが、今は放っておこう。



 問題は、シルバという雪の妹をさらった男の方だ。


 葬送小隊フェンレルだと……ファントムはzampodの一件が、そいつの張った罠だと言った。あのガレージキットをばら撒いて葬送小隊フェンレルを知っている者をおびき出そうとしていたのか。本来のターゲットは警察や諜報関係者だろう。


 おそらくシルバは葬送小隊フェンレルの抱えている潜入工作員スリーパーだ。


 に俺も何人か使ったことがある。


 正規のメンバーでもなければ、第七世代型“コート”使いでもない。


 たぶん……俺一人でいける。


「ハガネ、私は未玖ちゃんを捜す。私を守りたければ、あんたがついてきて」


 そう言った雪の目は、まぶしいまでに決意を光らせていた。おそらく“コートローダー”を何機差し向けようが止められない。


 俺はため息をついた。


「現場はどこだ」



 体育館をぐるりと回り、校舎とつながっている渡り廊下にやってきた。


「ここで未玖ちゃんがさらわれて、あっちの方に連れて行かれた」


 と、雪は無人の中庭の方を指さした。


「昼休みなのに誰もいないのか」


「中庭はもう一個あって、そっちの方が日当たりいいの……そういえばあの“コート”……zampodさんの作ったやつに似てた」


 カスタム“アケロン”……葬送小隊フェンレルの特装“コート”。使用はともかく、その所持を許されるくらいにはシルバは葬送小隊フェンレルに近いということだ。


「ねえ、どういうことなの? なんで誘拐犯がガレージキットの“コート”を着てるわけ? 昨日は罠だったってどういう意味?」


「終わったら話す」


 そう言ってから、俺は気がついた。この事態はすべて俺が原因だということを。


 葬送小隊フェンレルの手がかりを掴みたい一心で、護衛対象パッケージの雪をモデラーに接触させた。そうと気づかず、間抜けにも罠に飛び込ませた。危険に晒したのは俺自身だ。


 クソ、後悔はあとだ。今は雪の妹を捜さなくては……


 俺は這いつくばり、中庭の地面を見回した。


 一部に、下草の折れた箇所を見つけた。何か重いものを載せたような痕……“アケロン”の足跡だ。


 それはぶれることなく真っ直ぐに、中庭の向こうに続いている。中学生一人くらい、“コートアーマー”には手荷物のようなものだ。姿勢がぶれるわけない。


「足跡を見つけた。こっちだ」


 俺は雪を連れて、追跡トレースを始めた。取捨選択すべき情報が洪水のようにあふれているジャングルや市街地に比べれば、よっぽど簡単な追跡トレースだ。


 中庭を通り抜け、校舎の裏へ。足跡はまだ続いている。


 だが、徐々に生徒たちの声も近づいてくる。人の気配が増している。


 一体、どこに向かうつもりだ……


 俺は立ち止まった。


「どうしたの? 見つけた?」


「クソ、途絶えてる……」


 コンクリートの舗装道が、匂いを霧散させる川のようにシルバの痕跡を断ち切っていた。


 近辺の地面を探ってみても、足跡は見当たらない。


 奴を追えるのはここまでのようだった。


「この近くに、誰も来ないような建物や場所はあるか? シルバはおそらく生徒や教師たちが登校する前に“コート”を校内に持ち込んだ。それしか方法がない。とすると、“コート”を着たまま学校を出るのは不可能だ。あるいは車を使うつもりか……」


「駐車場は反対側。誰もいないところって……体育館は私がいたし……どうして?」


「あいつの目的は情報を引き出すこと。校内で尋問を始める可能性もある」


 おそらくそれは尋問というより、拷問だろう。だが口には出さなかった。


 じっ、と雪は考え込んでいる。


 一応、俺も校内の見取り図は把握している。だが、どこが人気スポットでどこが無人地帯なのかまではわからない。わかるのは生徒の雪だけだ。


 そして雪自身も気づいている。自分の選択に、義妹の命がかかっていることに。


 しかし、それは俺のせいだ。本来、雪が背負うはずのなかった苦渋だ。


「……教会」


「なんだって?」


「学校の隅に教会がある。週に一度のミサと、放課後に聖歌隊の練習で使うくらいで、ふだんは誰もいない。たぶん昼休みも……」


 そのとき、昼休みの終了を告げるチャイムがあたりに鳴り響いた。


「行くぞ」

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