3 ファントム・ストライクス・アゲイン!
〈3.1〉仮面遊戯
東京は好きですかか嫌いですかかときかれたら、好きですと答えるべきだと思うんですけど、実際いまだにお祭り騒ぎみたいな雑踏や、お彼岸の日の太巻きみたいにぎゅうぎゅう詰めの電車や、やたらと高いお野菜や果物の値段や、それを棚に並べるスーパーの人のまるで機械みたいな手の運びとかが、どうにも慣れなくて困ってしまいます。
ときどき地元が恋しくなって、鼻の奥がツンとすることもあります。布団の中や、お風呂に入っているときなんかは特に危険です。
ですが、私は決めたのです。私は都会に出て、働いて、自立した女になるんです!
弱気になるな、
やっとお仕事がいただけたばかりなんですから、がんばらなくてはいけません。だから、こうして太巻きみたいにぎゅうぎゅう詰めの電車に乗って……あっ、す、すいません! ごめんなさいごめんなさい!
……電車でサラリーマンの人のつま先を踏んでしまいました……うう、まだ睨まれてます……本当に気づかなかったんですごめんなさい……
自分で自分が情けなくなってきました。本当にこんなどんくさい私が、猛スピードで回転している眠らない国際都市東京で生き抜くことができるんでしょうか……いや、おばあちゃんも言ってました。真面目に働いてれば神様はきっと見てていいことがあるよって……おばあちゃん、私がんばります。
というわけで、派遣会社の人が言ってたガレージハウスにやっと着きました。
ここをお掃除すれば、お賃金がもらえるそうです。
安心してください! お掃除は大得意です。よくおじいちゃんの部屋に掃除機をかけて、お小遣いをもらったものです。
新生活への期待を込めて、第一歩……
「うひゃー!」
びっくりしました! 外の階段を昇って二階の扉を開けたら、とっても怖い顔の男の人が待ち構えていたのです! 「ごめんなさいごめんなさい!」私は謝ってしまいました。
すると、その男の人は「来たか」とだけ言いました。それから、な、なんと! 私に、部屋に入るよう促すのです!
私、知っています。これはオレオレ詐欺に続く、入れ入れ詐欺というやつです。一歩部屋に入ったら、個人情報を全部暴かれて、銀行の口座を空にされてしまうのです。
恐る恐る部屋の中を覗き込みます。そこには別の人がいて、私はまたびっくりしました。
でもそのびっくりは最初の悲鳴が飛び出すようなびっくりではありません。思わずため息を漏らしてしまうようなびっくりです。
私よりも年下で、高校生くらいの子でした。黒い髪は夜の川みたいにさらさらしていて、肌も雪の野原のように真っ白で、顔なんかこーーーんなにちっちゃいんです。しかも、可愛い猫ちゃんまでいます。
催眠術でもかけられたみたいに、私はふらふらと部屋の中に入ってしまいました。
「……この人誰?」
女の子が男の人に尋ねます。
「この部屋汚すぎ、こんなとこでマッツ飼うな! って言ったのはお前だろ」
そうです! 私はお掃除のために来たんです!
任せてください! 壁から床から、お台所までピカピカにしてみせますよ!
こっそり胸を張ってみせます。でも、女の子は怒り出してしまいました。
「え!? そのためにわざわざ人を雇ったの? 自分でやりなよ! お金もったいない」
「お前の護衛に加えて、この前の埋め合わせでアンジュと花目の両方から仕事押しつけられて忙しいんだよ。それに自慢じゃないがな、もはや自分でもどこに何が放置されてるのかさっぱりわからん。プロに任せるしかない!」
わ~、やめてください。どうやら二人は私を雇ったことで言い争ってるみたいです。ど、どうしましょう……私が来たせいで、ごめんなさいごめんなさい。
「ふつう散らかす人って『どこに何があるかわかってるからいいんだ』って言うじゃん!」
ごめんなさい、私が悪いんです~!
「わかんないから、片付けてもらうんだろうが!」
やめてください~!
「開き直るなよ!」
あ~ごめんなさい~……
「マッツのためだろうが!」
やめて~…………
「あー、そうやってマッツを出汁にするんだ。へー」
…………
「実際そうなんだから仕方ないだろ!」
…………ひひ。
「それと無駄遣いは別でしょうが!」
…………くひひっ。
「うちの財布事情をお前にとやかく言われる筋合いはない!」
…………くひひひひっ!
ぶわああぁぁぁぁあ~か!
ボク様の変装に全然気づいていないようだな! さすがはボク様、大・天・才!
というわけで、ファントム参上!
いや、参上も変装も何もないんだけどね←。ファントムの仮面外してるだけなんだから。でも、それで気づかないこのハガネっての、ボディーガード失格! 田舎に帰れ!
あっ、すすくちゃんは違うよ~。仮面してたボク様をわかれなんてムリムリ! でも、すぐにボク様のものにして、この素顔を一生忘れられないようにしてあげるからね。
って、すすくちゃんとボディガードはまだ喧嘩してるの? しょうがないな~。
ここで追い返されたら、ボク様の深遠なる計画と下準備がぜーんぶ水の泡になっちゃうからね。
「あ、あの……ごめんなさい……私が来たせいですよね……すぐに帰ります……」
うつむいてそんな感じのこと言って、ちょっと涙もホロリ見せて。
すると、やっぱり優しいすすくちゃんは慌てて、
「あー、ごめん。ちょっと泣かないでよ」なんてボク様の背中をさすって……って、あ~いいにおいするんじゃ~、ていうか、顔ちっかっ! 顔ちっちゃ! 目くりくり! 肌しろっ! エンドルフィン? ブルードルフィン? みたいなのが脳内でドバドバ。思わず愛の告白したくなるけど、賢明かつ忍耐を備えたボク様はぐっとこらえたのだった。
「私っ、私っ、田舎から出てきて、家政婦の会社に登録して、やっとお仕事回してもらえたのに……ごめんなさい」
それを聞くと、やっぱり優しいすすくちゃんはなんか申し訳なさそうな顔した。
「えっと……
「えっ……じゃあ、お掃除していいんですか?」
ボディガードは渋い顔ですすくちゃんを見た。獣の目で見るな。すすくちゃんは優しくうなずいた。「いいよ」
忍法壁抜け! やったぜボク様大勝利!
ちなみに穉森犀麻は実在の人物(2001~)。ただ、本人は田舎から新幹線で出てきて上野駅に着いたとたんに、駅前でわけのわからん高い絵とか壺とか買わされるというリスキル霊感商法詐欺食らったせいで戸籍を売っぱらうはめになっちゃったけど。
で、それをコレクションに加えたのがボク様。つまり、今のボク様は名実ともに穉森犀麻なのだ!
「やってもらいたいのは二階の掃除と整理だ。物は基本的に捨てないでまとめてほしい。あとで俺が見て、捨てるか残すか考える……寒いか?」
「え? あっ……これは……」ボク様は首に巻きつけた黒いマフラーをさわさわ。
「あの、寒いってわけじゃないんですけど……これがないと落ち着かないといいますか……ライナスのブランケットっていいますか……この前のお仕事もマフラー外したら、もうパニックになっちゃっ――」
「わかった。もういい。そっちの荷物だけ
え~、女の子に何その態度。ボディガードから非モテ態度クソ悪朴念仁ボディガードに降格しようかと思ったけど長いので却下。
ボディガードはボク様の持ってきたボストンバッグをごそごそやり始めた。中には掃除道具しか入ってませんよ~だ。
「ねえ」なんでございましょうか、すすくちゃん!「そんなに大切なものなの……そのマフラー?」
すすくちゃんの言うとおり、このマフラーは大切なものだ。“エギーユ・クレーズ”が擬態したこのマフラーがないと、ボク様のうなじに埋め込まれたセラフィム・ドライブは剥き出しになって一発で正体がバレちゃう。
でも、それを抜きにしても。
「……はい、とっても大切なんです」
そう、このマフラーは大切なものだ。
ボク様の初めてのコレクション。
絶対に失えない。誰にも渡さない。
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